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19 皇太子、武官のふりをする



「ひゃっ!」

「にゃっ!」


 刺繍と食事に集中していた一人と一匹は、その場で肩を震わせぴゃっと飛び上がる。

 猫魈(ねこしょう)は自分の置かれている立場を理解しているのか、脱兎のごとく円卓の上から逃げ、武官に見つからないように小さくなって隠れた。


(おおお音もなくこんな近くに……! ま、まさか恐ろしい女官の方のお仲間でしょうか!?)

「な、なにやつですっ」


 苺苺(メイメイ)は刺繍針の先をビシッと青年に向ける。


 鼻から上が隠れているお面のせいで顔の表情はわからないが、美青年は針の先に――異能持ちと噂の『白蛇の娘』が向ける武器に怖がる様子も驚いた様子もなく、苺苺のそばに足を進める。


(……足音がしません)


 重心移動が上手い武官は総じて手練れなのだという父の言葉が、苺苺の頭をよぎった。


「なにやつとは失礼な。俺は(リン)()……ごほん。ただの武官です。皇太子殿下の命を受けてここへ来ました」

「こ、皇太子殿下の武官様でしたか」


 となると、禁軍の独立部隊とも称される青衛(せいえい)禁軍に属する――東宮侍衛を行う、由緒正しき血筋の精鋭武官だ。


 緊張気味に刺繍針を下ろした苺苺は、目の前に立つその武官の青みが強い黒髪に気がつき、はっと我に返って最上級の礼を完璧にとる。


「高貴なる春宵(しゅんしょう)明星(みょうじょう)にご挨拶いたします。皇太子殿下より白蛇(はくじゃ)の冠を賜りました白家当主が娘、苺苺でございます」


 明け方の黎明(れいめい)、あるいは黄昏(たそがれ)の夜空のような青みがかった黒髪は、悪鬼を封じる力を持つ燐家特有のものだ。


 普通は皇太子となる公子様に宿るそうだが、稀に先に生まれた公主様にも受け継がれる場合があり、臣籍降嫁の関係で貴族の家にもごくごく稀に青みを帯びた黒髪の持ち主が生まれるという。


 闇夜の中では判別しにくいが、灯籠の光に透けて色鮮やかな濃紺が目に入り、苺苺は一瞬言葉に詰まった。


(彼はきっと、皇帝陛下に近しいお方)


 以前、木蘭(ムーラン)様と共に実家を訪れた朱家の佩玉(はいぎょく)を持つ般若護衛より、彼の方が燐家に近しい血筋を引いているに違いない。

 その証拠に、目の前の彼は堂々と苺苺の礼を受け取ると慣れた所作でそれを制し、「どうぞ楽に」とこちらへ告げた。


 どうやら推測と違わず彼は九華の出身であり、それも白家の長姫の苺苺よりずっと身分の位が高い血筋にあるらしいことが、その一連の動作で理解できた。


(お名前をお教えしてはくれそうにありませんね。相当高貴なお血筋の方なのやも)


 警戒心を強めるに越したことはない。

 こちらへ歩み寄ってきた武官を、苺苺は礼を解きつつそっと上目遣いで観察する。


 あの時、すぐに猫魈が彼から見えない位置に隠れてくれて良かった。宦官や女官に通じた『白蛇の刑』の言葉も、この武官には効きそうにない。


(よくよく見ると被られているのは悪鬼面のようです。仮名として悪鬼武官様とお呼びいたしましょう。それにしても、皇太子殿下の直属の方は皆様悪鬼面を被られているのでしょうか? 後学のためにもお伺いしてみませんと)


 なんて考えながら、じーっと観察し過ぎていたのがバレたのだろう。

 悪鬼武官は首を捻ると、これまた慣れた様子で「発言を許す」と鷹揚に口にした。

 苺苺は白家の姫として、正しくお辞儀で(いら)える。


「ありがとうございます。ご質問なのですが、武官様のそちらの悪鬼面は、」


 問いかけようとしたところ、『白蛇の娘』の針にも怯まず堂々と立ち振る舞っていた悪鬼武官が、ピシリと音を立てたように固まった。

 けれどそれを背筋を伸ばしただけと捉えた苺苺は、そのまま言葉を続ける。


「皇太子殿下の直属武官の証でしょうか? 皆様被っておられるのですか?」

「いや。これは、その……」


 歯切れの悪い返事をした悪鬼武官は、表情は見えなくとも『しまった』という雰囲気をしていた。


 どうやらこの貴人の繊細な部分を突いてしまったらしい。

 そう気がついた苺苺は「はっ」慌てて口元を覆う。


(やってしまいました。どうしましょう、なにやら困惑されているご様子。なんだか逆に怪しくも感じてしまいますが、なぜそんなに困惑されて――)


 思考を巡らせていると、ハッと脳裏に、【女官もすなる推し活といふものを、文官もしてみむとてするなり】の冒頭から始まる有名な日記文学小説、『尊さ日記』を思い出す。


 入宮前に後宮の推し活を知りたくて読んだその内容は、後宮で流行中の文化に憧れた文官がこっそり皇帝陛下の推し活をする、時々くすりと笑えてほろりと泣ける楽しいものだった。


 女官は妃嬪応援活動を嗜み、その威を借りてある意味堂々と代理戦争を行っているが、官吏にその風潮はなく、今は隠さねばいけないらしい。

 そのため『尊さ日記』の作者は古語を使い、女人の言葉遣いでもって皇帝陛下の推し活をする日常をしたためていた。


(――はっ。ということはつまり、この方は世間の風潮を鑑みた上で、皇太子殿下を推されているお気持ちを悪鬼面でもってこっそり表現なさっているのですね!? 市井では演劇一座の役者さんの衣装を真似て仮装をしたり、女装や男装をしたりして推し活をなさる方もいらっしゃるとか。悪鬼武官様のお立場でしたら、有事の際には身代わりにもなれます。なんと粋な推し活でしょうっ)


「素晴らしいです!」

「は?」



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