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第一章 ⑥ 行きつけの酒場『フェキュリス』

 クレスの店を後にしてから、さらにあちこち街を散策して、他にも目ぼしい物や面白そうな事が起こっていないかを探し回っていれば、いつの間にか日も傾いてきて、夕焼けで空が赤みを増してきた。

 久しぶりに湯浴みをしようと、街にある銭湯へふらっと寄ってみれば、再び外へ出る頃には、街は夜の帳に包まれていた。

 この街に来れば、決まって夜に訪れる『フェキュリス』という店がある。俺が度々訪れるのにも理由はあるが、夜に訪れることにもさらに理由がある。

「いらっしゃいませー。あ、いつもの席、空いてますよ」

 洋風の建物が増えてきた中でも、和風の色を忘れない酒場に入ると、元気の良い女給に声を掛けられた。

 4,5人用の丸テーブルがいくつも設けられた賑やかな店内を進み、奥のカウンター席に腰掛ける。

 壁沿いの調理場を囲むように曲げて作られたカウンター席の中で、唯一短側面にある席なので、誰かが隣に腰掛けるようなことは無い。

「いらっしゃいませ。お待ちしてましたよ」

 カウンターの中から艶美な笑顔を浮かべて応対したのは、この店の店主でもあるパラミだ。

 店主という肩書に反してまだ若く、俺の知る限り、一番色気がある美女である。

 若くして店を切り盛りし、今日も酔っ払った男たちの怒号が行き交うほど繁盛しているのにも理由があるが、それは彼女がただの美女というわけではないことに通ずる。

「今日は、何にします?」

「適当にオススメを頼む。酒は、いつもの安酒で良い」

「はぁい、承りました」

 科を作って請け負った彼女は、そんな雑な注文でも嫌そうな顔一つしなかった。

 明るい黄褐色の髪を結って項を見せつつ、艶やかな色合いの着物を着こなす淑やかな和風美人は、実は帯の上に隠し切れない膨らみが乗ってしまうほど、肉感的な身体をしており、一目見た男を簡単に魅了してしまう。

 目の端に映る男性客らも、その例に漏れず、彼女を目で追っているのが、すぐに分かる。

 けれども、それは彼らに限った話ではない。この店に訪れる客のほとんどが男性であるように、大抵どの客も彼女たちを拝む為に足繁く通っているのだ。

 店主のパラミこそ着物を着ているが、店内を歩き回って給仕をしている二人は、露出の多い洋風の格好をしており、和洋折衷もいいところ。

 この国の昔ながらの奥ゆかしい女性を思わせるパラミも良ければ、生足をひけらかした短いスカートを翻し、胸元も肌を晒して、歩く度に胸を弾ませる俗物的な彼女たちにも良さがある。

 特に、淡緑色の髪を二つに縛った女は、パラミほどではないにしても、胸が大きいので欲にまみれた男の目を引いている。

 結果、そのどちらの客層をも取り込み、見ているだけでも男を歓喜させるが、それだけではなく、さらに一歩踏み込んだ制度があるのが、この店の売りになっている。

「メロイちゃん。ほら、これあげるよ。大事に取っときな」

「あんっ…。ふふっ、いつもありがとうございますっ」

 開けた胸元へ手を伸ばし、心付けと称して硬貨を入れながら、その手に伝わる柔肌を味わって、だらしなく顔を綻ばせる男の姿があった。

 欲望にまみれた金が彼女たちの胸元に収まっていくのは、この店では珍しくもない光景だ。

 その証拠に、彼女も嬉しそうに受け入れて、より過激なサービスを施している。

 心付けの金額によって、そのサービスも変わってくるそうだが、お酌はもちろん、今のようなちょっとしたボディタッチも行えるし、特に羽振りが良かった相手には、夜のお誘いが来るというのだから、通い詰める客が増える一方なのも頷ける。

「お待たせしました。って、あら…?私じゃない方が良かったですか?」

 料理と酒が運ばれて来るまでの間、他の給仕の方へよそ見をしていたことがバレて、揶揄われてしまった。

「だったら、わざわざここに座ってない。それに、手の届く場所に金貨があるのに、わざわざその手前に落ちてる銀貨や銅貨を先に拾うことはしないだろう?」

「うふふっ、お上手ですこと」

「もちろん、がめつく全てを拾おうとすれば、別だがな」

「あらあら…お盛んですね」

「お前に言われたくはないな」

「くすくす…、そうかもしれませんね」

 お互いに不敵に笑っていると、彼女は他の客に呼ばれて行ってしまった。

 繁盛していることは喜ばしいことなのだろうが、彼女が他の男に媚びを売っている姿を見るのは、そう面白いものではない。

 そちらから目を背けて、女給たちが男たちと戯れる姿でも眺めながら、黙々と料理を口に運んだ。

 この店の売りが女であるのが分かるように、料理の味は取り立てて優れているほど美味しいわけではない。

 かといって、不味いわけでもないので、強いていうなら、普通といったところだ。

 そこに安酒を放り込んで流し込み、胃袋を満たすだけの簡単な作業は、何とも味気なくあまり好きではない。

 酒を飲んでもろくに味が分からず、酔うことも無いので、わざわざ高い酒を頼む必要も無く、愉しむこともできない。

 空虚なばかりの人生において、ひと時の愉しみといえば、女くらいなものかもしれない。

 殺しは、元々生きる為に行ってきたことで、愉しみというよりは、必要に駆られてやっていただけであり、今でもその延長線上にあるものだ。

 ただ、すぐに殺してしまうのも面白みに欠けて味気ない為、ここ数年は多少面白がってから殺すようになったのも事実なので、そういう意味では娯楽を求めるあまり、殺しに愉しみを見出しているのかもしれない。

「……」

 店内には、周りに大勢の人がいるというのに、やけに一人であることを意識させられてしまったのは、何故だろうか。

 まさか、虚しさや寂しさでも感じているというのか、この俺が。

 物心ついた頃から他人に頼らず、他人を信じず、ずっと一人で生きてきた俺は、昔から変わらず一人だったではないか。

 なのに、もしそんな血迷った感情を僅かでも抱いてしまったとすれば、あまりにも可笑しくて、自分の事ながら笑えてきてしまう。

「ごめんなさいね、ろくにお相手もできずに」

「くくく…。かまわんさ、いつものことだろ」

 カウンター席の客が一人帰ったことで、やや手隙になったパラミが再び目の前に姿を現した。

 いくら見てくれが良くても、こいつだって他人だ。信じるに値しない、ただの雌なのだ。

「ん?…まあ、いいわ。それより、ちょうどお客さんに話があったんですよ」

「どうせ、ろくな話じゃないだろうが、飯を食ってる間だけなら聞いてやる」

「あらあら、素っ気無いのね。ジャックったら…」

「なに?」

 彼女は俺が巷で噂の切り裂きジャックだと知っているが、普段わざわざ客の前で言うようなことはしない。

 俺の存在が明るみに出れば、大騒ぎになって彼女も同類、あるいは仲間としてレッテルを張られてしまう可能性があり、そうなってしまえば、商売にならなくなると危惧していることが原因だ。

 なので、店で働く他の女にもそのことは徹底しており、彼女たちも俺のことを知っているが、一度もその名で呼ばれたことは無い。

 そこまでしている彼女が俺の名前を出すのは、決まって部外者がいない時か、仕事の話がある時だ。

 目つきが変わったパラミは、身を乗り出して他の客へ聞こえないように小声で話し始める。

「実はね、最近ちょっと迷惑してる客がいるのよ」

「へぇ、どんな?」

「あそこに、一人で来てる男がいるでしょ?あいつよ」

 後ろから見えないように小さく指を指すと、カウンターに座っていた一人の冴えない男を横目で睨んでいた。

「随分気に入られちゃったみたいで、お店の帰りとかも付きまとわれて迷惑してるのよ」

「くくくっ、またか」

「もう、笑い事じゃないのよ。もっと良い男ならまだしも、見た目も並以下だし、羽振りも悪いし。一回だけ相手をしたけど、夜の方も大したこと無くて、質が悪いったらないわ」

「そりゃあ、自業自得だろ?」

「もう…ジャックってば、私が困ってるのに、そんな酷いこと言うの?」

「だったら、どうしろって言うんだ?」

「もちろん、始末して欲しいのよ。どうせ、大した財力も無さそうだし、死んでしまっても売り上げに影響は少ないだろうから」

 表では清楚に思わせるよう振舞っておきながら、裏の顔を表せば、この通り残忍なことを口走る。

 客を神様だと考える商売人もいるようだが、彼女にとっては家畜も同然に思っているのかもしれない。

 しかし、この店に通う客の中でも、そんな彼女の真の姿を知る者は、まずいないだろう。

「それなら…代わりに、なんでもするか?」

「なんでもはしないけど、私の身体で良ければ…どう?」

 俺の正体を知る者なら、クレスという特殊な例を除いて、安直になんでもするという返答はしない。そして、その上でいつも通り、自らの身体を引き合いに出してきた。

 彼女が自身の身体に絶対的な自信を持っているだけのことはあり、少しだけ覗かせた深い深い谷間は、大概の男にとってこれ以上無いほど目の毒だ。

 いつもなら、すんなり請け負うこともあるが、生憎今日は虫の居所が悪く、二つ返事をする気にはならなかった。

「さて、どうするかな…」

「あなたなら、簡単でしょう?お願い、ジャックぅ…」

「そうは言っても…。今、刀を預けてて、手元に無いからな」

「え?あ、ホントね。…でも、刀が無くても、それくらい造作も無いでしょ?」

「さぁ?それはどうかな…?」

「そんなこと言わずに…。今夜は、いっぱいサービスするから、ね?」

 ほとんど空になった木樽のジョッキに酒を片手で注ぎながら、もう片方の手で、他の客からは見えないように胸元をはだけて、ぼよんと片乳を放り出してみせた。

 相変わらず、色んな男に触らせているわりに、色も形も綺麗なものだ。

「いっぱい、サービスしてくれるって?」

「ええ、もちろん。お得意様だもの、うふふっ…」

 差し出された膨らみに手を伸ばし、手に収まりきらないほど大きな存在の重みすら感じつつ、その柔らかさを堪能しようと、無意識に軽く一揉み二揉みしてしまう。

 すると、男というのは単純なもので、その魔力に当てられて、簡単に心を入れ替えてしまうのだ。

「分かった、引き受けよう」

「ふふんっ。ありがと、ジャック」

 色好い返事が貰えた途端、他の誰にも気づかれないうちに最大の武器を仕舞ったかと思えば、おまけに片目を閉じて媚びた視線を送ってきた。

 彼女が俺を体良く利用するように、せいぜい俺も彼女を利用してやるとしよう。


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