第一章 ③ 彼なりの畑仕事
弓使いの女を散々なかせた夜から数日、俺はヤオタ村という場所へ立ち寄っていた。
見たところ、村には農地が多く開墾されていて、農業が盛んな田舎村の一つのようだった。
1年ほどの長い時間をかけて、種から発芽し、苗から成長して実りをつけるまで育てるという農業の在り方は、とても俺には真似できない。
地味ながら、人々の暮らしを支えている大切な仕事の一つだ。
そんな中、畑仕事に明け暮れているのかと思いきや、何やら数人の大人が話し合っている姿を目撃し、遠目からもわかるその困り顔まで見てしまえば、自然と足が向いていた。
「どうかしたんですか?」
「なんだ、あんた?見ない顔だな」
気さくに声を掛けたつもりだが、村人たちからの反応は芳しくなかった。
「通りすがりの旅の者です。良かったら、お話を聞かせてもらえませんか?」
「よそ者には関係ないことじゃ、はよう立ち去ることじゃな」
特に、年長者であろうふさふさの白髪頭の爺さんは、閉鎖的な考えをしているようで部外者を立ち入らせようとしなかった。
これはそれほど珍しいことではなく、こういう田舎にはありがちな古い考え方だが、次世代・次々世代に移ろいでくると、中には新しい考えを持つ者も現れる。
「困ってるのは事実なんですから、相談してみてもいいんじゃないですか?」
「ふんっ…。そんなひょろひょろの若造に、何かできるとも思えん」
「あはは…。剣、というか刀の扱いには、少しばかり自信はあるんですけどね」
無駄に歳を重ねただけで、老化と共に目が節穴になってしまっているのは、すぐに分かった。いや、もしかしたら、節穴なのは最初からかもしれない。
怪しい者を近づけさせないのは、賢い選択として一理あるが、この爺の場合、俺のような者でなくとも、真の意味で友好的に近づいてくる者まで突っぱねることだろう。
それが賢いかどうかでいえば、もはや言わずとも答えは出ている。
「それなら、尚更話を聞いていただいた方が良いでしょう」
「実は、最近畑を荒らされる被害が増加していて、困ってるんですよ」
集まりの中で、一番若そうな男がようやく本題を話してくれた。ただ、若いといっても、とっくに成人を迎えていそうな年齢と見受けられる。
「というと?」
「トライトボアってモンスターは、ご存知ですか?」
「ええ」
「どうもそのトライトボアが、この近くの山から時折下りてきてるみたいで、ちょうど収穫時の作物ばかりを狙って、畑を荒らしてるんです」
証拠とばかりに、壊れた木の柵や食い荒らされた芋を見せられて、確かに人の仕業では無さそうだと判断する。
「なるほど。冒険者ギルドの方に、要請はしたんですか?」
「…それが、要請しようにも、報酬として提示する金額に余裕が無い上に、今から近くの町まで行って発注しても、受けて下さる方がすぐに見つかって来てくれないと、おそらくこの調子では…」
「先に、全部食いつくされてしまうかもしれないってことですね」
「はい、そうなんです」
閉鎖的な考えの者ばかりではなかったおかげで、おおよその事態は把握できた。
「トライトボアは、農家にとって厄介極まりないモンスターじゃ。一端の冒険者であれば、簡単に対処できる者もいるそうじゃが、お主にはちと荷が重いじゃろう。分かったら、さっさと帰るんじゃな」
嫌味交じりに言ってきた爺さんは、本当に見る目が無い。俺の倍、いや下手をすれば3倍以上の歳を重ねているはずなのに、一体何を見てきたのだろうか。
「いえ、大丈夫ですよ。良かったら、引き受けましょうか?」
「おおっ!」
「本当か!?」
「それは助かる!」
口々にどよめきを漏らして、重たい空気から一転して、明るい表情が見えるようになったが、その実、爺さんだけは面白くなさそうな顔をしていた。
「安請け合いしない方が身の為じゃぞ、小僧」
「そうですね。それなりに、対価はいただきますけど」
「大金を出すのは難しいが、俺たちにできることなら、なんでも言ってくれ。相応の見返りは、用意するぞ」
「ああ。このまま作物が全滅しちまったら、今年の稼ぎが丸っきり無くなっちまうからな。それを回避できるなら、万々歳だ」
「へぇ…。なんでも、ですか」
「あ、ああ、もちろんだ。でも、そんなに高望みしないでくれよ。こんな田舎の村で出せるものなんて、美味い飯と酒くらいなもんだからな」
「そんなことないと思いますけど」
そう言って、村の民家が立ち並ぶ通りの方へ目をやると、女衆の姿が目に映った。
ここの男たちと同じように、歳の多くて食べ頃をとっくに過ぎた婆ばかりではあるが、中には若い女も混じっている。
「そうじゃな…。もし、トライトボアを退治してくれたなら、儂も腹踊りでもなんでもしてやるとしよう」
「いえ。引き受けはしますけど、それは結構です」
心底どうでも良かったので、爺の申し出は即刻丁重にお断りした。
「でも、皆さん。くれぐれも、その言葉を忘れないで下さいね」
「お、おう…」
意味深に発せられた言葉の意味を理解できなかった一同は、曖昧に返事をして足取りの軽い旅人を見送った。
早速、村人が言っていた近くの山とやらに向かってみたが、トライトボアなんて、この辺じゃなくてもどこにでもいるようなモンスターだ。
いくら狩ったところで湧いてきそうなものだが、手あたり次第この一帯に生息するものを狩れば、彼らも納得することだろう。
草が生え散らかった山に入れば、程なくして命知らずの件のモンスターと遭遇した。
あの村の爺と同じように、よそ者を追い払おうと、鼻息荒く盾突いてくる。
相手との力量差も分からず立ち向かおうというのは、人であってもモンスターであっても、等しく愚かなものだ。
「ブモォ!」
猪突猛進という言葉がある通り、直線的な突進をする習性のあるトライトボアを相手にする際は、後ろに引かず、横に躱せば簡単に対処できる。
相手が人の高さほどまで大きかろうと、その勢いに飲まれず、素早く動けばいいので、冒険者であっても、早いうちに対峙する機会が訪れるものだ。
畑の作物を荒らす厄介者だとはいえ、それをさも大物のように捉えるのは、誇張表現が過ぎる。
横に躱したついでに刀を抜いて斬りつければ、相手の勢いも利用して赤茶色の体毛ごとスパッと斬れるので、案外気持ちいい。
「まず一匹」
4つの足で身体を支えられなくなった肉の塊は、その場にズシンと響く音と振動を立てて転がった。
トライトボアの肉は、先日のアグレッシブルに比べると、癖は強いが同じく食用としても用いられ、俺も何度も食ったことがある。
なので、手土産に一匹くらい引きずって村まで持って行ってやれば、厄介者を美味しく食べて供養することだろう。
それはともかく、この調子で一体一体近づいてきたトライトボアを駆除していては、日が暮れてしまう。
こんなことに手間を掛けたくも無いので、ここである魔道具を用いる。
一度木の上に跳んでから、首から下げて服の中に隠していた笛を取り出すと、それに息を吹きかける。
不協和音ともいえるような人の身には合わない音が鳴り響くと、そう間もないうちに、あちこちから足音や振動が聞こえ始める。
その音がどんどん近づいていて、やがて真下の地面には、十数匹のトライトボアに加えて、それ以外のモンスターまでおまけに混ざって集まっていた。
「ボトムレイアズマ」
そして、その中心に向かって呪文を唱えると、彼らの下の地面があっという間に毒沼に変わり、ゴポゴポと不穏な音を立てながら泡が浮き出てくる。
土の色と同化していたモンスターたちは、瘴気を放つ沼に足を取られ、次第に毒々しい色へ包まれていく。
「全く、ご苦労なことだ。わざわざ殺されに来てくれたお前たちに、感謝の一つでもしてやらないとなぁ?くくくっ…」
醜い鳴き声を喚き散らす哀れなモンスターたちを前に、俺は高みの見物を決め込んで、手を汚さずに一斉に始末する様を愉しんだ。
ちなみに、先程吹いた笛は『死神の笛』といわれている魔道具で、吹くことで効果が発揮され、周囲のモンスターを呼び寄せる効果がある。
どんなモンスターが来るかもわからないので、その効果も相まって、一般的には危険な代物として扱われているが、俺にとってはなかなか便利な代物だ。
また、先程の魔法も、笛との相性が良く、駆逐するには効率的ではあるが、彼らを食料としたい場合には適さないものなので、普段あまり使うことは無い。
なので、偶にはこうして使ってやらないと、俺もこいつの存在を忘れてしまいそうだ。
「あとは、あれを持って行くだけか」
最初に狩った一匹は毒沼に巻き込まないようにしておいたので、狩りの証明としてせいぜい役立ってもらうとしよう。
ずるずるとトライトボアを引きずって村まで戻ってくると、その様子を見た先程の男たちが駆け寄ってきた。
「もう対峙してきてくれたのか?随分仕事が早いな」
「さすがに何匹も持ってくるのは大変だったから、一匹だけにしましたけど、実際は10匹以上倒してきましたよ」
「ほぉ、そりゃすごい」
「これで、畑を荒らされることも無くなるでしょう」
「ああ、あんたのおかげだ。ありがとよ」
「本当にな。助かったぜ」
感心して称賛の声を浴びせる男たちに遅れて、先程の嫌味な爺さんもやってきた。
「まさか、本当にやってくれるとは、思いもよらなんだ」
「どこの誰とも知らぬ旅の者よ、村の為に貢献してくれたことへ礼を言う。ありがとう」
自分の身勝手な想像に反した結果をもたらしたことに驚きつつも、その手土産を見て納得せざるを得ず、手のひらを返していた。
「いえいえ、頭を上げて下さい。僕は、頼まれたことを全うしただけですから」
「おお、そうか。そう言ってくれると、儂らとしてもありがたい」
顔を上げた爺さんは、初めて柔らかい表情を見せてくれた。くしゃくしゃの皺だらけの笑顔だ。
「そうだ、お礼に一杯やろう。今日は美味い酒が呑めそうだし、料理も豪勢にしてもらわないとな!」
「ああ、それが良い。そうしよう!」
村人たちは、もはや当人の意見をそっちのけで、祝勝会だとばかりに騒ぎ始めた。
「…いえ、それには及びません。その代わり、前言通り対価を支払ってもらいます」
「でも…酒も飯もいいなら、何を望むってんだ?」
「そんなの、決まってるじゃないですか。それは――お前らの命だよ」
悪魔というのは、悪らしい顔をして近づくのではなく、悪魔であるほど笑顔で擦り寄ってくるものなのだ。
愛想の良い顔をするのをやめて、刀に手を掛けると、周囲の男たちの首を一つ残らず斬り落とした。
ボトボトと音を立てて転がった頭部に遅れて、立っていられなくなった身体がその場に膝をつき、地に伏した。
「あー。やっぱり、これは肩が凝るな」
首や肩を解しながら村の入口に転がった大きな苗を手に取ると、近くの畑に放り投げる。
そして、もう収穫を終えたらしく蔓も蔦もない場所に、立て掛けてあった鍬で適度に穴を掘ると、その苗を植えていく。
苗を植える時は、土から少し苗が出るように埋めるのが要点だと、どこかで聞いた覚えがあった為、それに倣って土を被せた。
3つも4つもやる頃には、次第に慣れてきて、案外俺にも農家としての素質でもあったのかと思えてきてしまうほどだ。
畦から顔を出した色とりどりの葉を改めて見ると、なんともそれらしい。
特に白い葉を生やしたものは、目に入る度に滑稽なもので笑えてきてしまう。
「くくくっ…。ああ、これは立派な雑草だ。きっと、誰かが手入れをしてくれるだろうよ」
名も知らない雑多な草を雑草というらしいから、彼らもこれからは雑草として生きることで、畦の中で育つという感覚でも覚えることだろう。
農家として、自らが育ててきた物がどのように育ってきたかを実感する貴重な機会を得て、今後益々の繁栄が見込めるはずだ。
「ああ、そうだそうだ。案山子の一つでも作ってやろう」
元々あった張りぼての案山子を引き抜いて、バラバラにしてしまうと、その十字架のような棒だけ持って、村の入口に転がる肉塊に突き刺した。
先が鋭いわけでも無かったので、少々力が必要だったこともあり、農家の仕事はやはり力が必要になる仕事だと改めて思い知らされながら、随分重くなった案山子をさっき埋めた雑草の近くに配置した。
落書きの書かれた張りぼての頭だけ付け直して帽子を被せると、リアリティの増した案山子が完成する。
これなら、トライトボアのように畑を荒らす他のモンスターも寄り付かなくなることだろう。
ただ、一部のモンスターにとっては、格好の餌の為、今度はそちらが寄り付いてしまうかもしれないが、それは俺の預かり知るところではない。
「ふぅ…。いやぁ、今日も良い仕事をしたもんだ」
胸糞悪い思いが身体中を蝕んでいたのもすっかり抜け落ちて、実に晴れ晴れしく気分爽快だ。
この分なら、今日はきっとよく眠れることだろう。