⑧ 盤上に咲いた黒薔薇
夜になると特に騒がしくなるこの町の喧騒も静かになってきた頃、ベルベット・ロータスの一室、一番上の階にあり最も大きな部屋に俺たちはいた。
この部屋にはベッドこそ一つしか置かれていないが、その大きさたるや大人が三人横並びになっても窮屈さを感じないと思わせるほどである。
「え? この町のことは引き続き私に任せて頂けるのですか?」
その宿屋の主――元主は、無防備にも肌を晒して半身を預けながら驚いていた。
「あぁ。元々、俺は政治だ統治には興味が無いんでな。ポーラの方が余程うまく立ち回れるだろう」
せっかく賭けに勝って手に入れたのに…なんて、もったいない病を患ったお小言を言われてしまいそうだが、もう一人の連れであるランダは元々取ってあった部屋で休んでいることだろう。
結局、昨日に続いて今日も他の女に夜の相手を譲らせたので、俺を慕う彼女には近いうちに埋め合わせをしてやった方がいいかもしれない。
まあ、そういう意味では昼間の空いた時間に相手をさせたのは、正解だったんだろう。
でなければ、今も大人しくしているとは限らない。
この女も大概だが、ランダもなかなか変わった趣味を持つ女だ。
「そう言っていただけるのは光栄なことですが…あんっ、ふふっ…あれだけしたのに…また触っていただけるだなんて、女としても光栄な限りです」
放り出された胸を勝手に揉みしだいても、拒絶されるどころか喜んでいる。
それどころか、自ら身体をすり寄せて甘えているようにも見えるくらいだ。
ランダもなかなか大きいものだが、こいつのはさらに一回り、いや二回りほど大きいか。
たっぷりと夢が詰まった欲望は鷲掴みにして持ち上げようとすると、しっかり重量感がある。
これだけ大きいと俺の知る中でも一二を争うもので、フェキュリスの店主であるパラミと張り合えるほどの立派なものだ。
それが俺の手に落ちたというのは実に愉快であり、同時に逃して惜しい思いをしなかったのは僥倖といえるだろう。
「そうか。ただ、お前に任せるにあたって、今までの仕事以外に一つ頼みたいことがある」
「ジャック様のご命令であれば、"なんでも"致しますよ」
あえてその言葉を選んだと言わんばかりのしたり顔だ。
「なんでも…か。ふっ、だったら、不老不死について調べてくれ」
「不老不死…ですか」
「意外だったか?」
「はい、少し。…ですが、ジャック様ほどの強さを以って不老不死を得たとすれば、鬼に金棒。魔族に闇魔法ですね」
「まあ、そうなるかな。そのチンケな例えは気になるが」
「申し訳ありません。ものの例えというかことわざだったのですが、ジャック様を形容するには役不足でした」
「まあいいだろう。それより、不老不死を得られれば俺もお前もずっと全盛期を維持しながら過ごせることになる」
「私も…? 私にもそのようなお慈悲をいただけるのですか?」
「あぁ、そのつもりだ。複数人が不老不死を得られるというのが前提にはなるがな。お前だって、いつまでもその若く綺麗な容姿を保ちたいと思うだろう?」
「はい、それはもちろん。ジャック様に見られる、あるいは抱いていただくのに…醜く老けた姿では不相応でしょうから」
「まあつまりはそういうことだ。そのために、不老不死について調べて欲しい」
「はい。ジャック様の命とあれば、ジャック様と私の為にも全力にて調べさせていただきます」
「あぁ、ほどほどに頼む」
「…それで、ジャック様ぁ。差し当たって、私からも女として一つお願いがございます」
「なんだ? 一応聞いてやるから言ってみろ」
「…ありがとうございます。…んっ、その…先程からずっとジャック様のお手に触れて頂いていたので、また身体が火照ってきてしまったようで…もう一度だけ、お願いできませんか?」
「くくっ、そういうことならその願いを聞き入れてやろう。ただし、一回で終わるとは限らないがな…」
「あぁんっ、ジャック様ぁ…。私も喜んでお相手致します…あはぁっ」
そうして、いつしか日が差し込んでくるまで二人の熱い夜は続いた。
日が高く昇り一見平和な様相を見せている町中を余所に、宿の一室に集まった一同は新たな支配の道筋を語り合った。
「今俺が最も求めるもの、それは“不老不死”だ」
椅子に深く腰掛けたまま、当然のように口にした。
これまでは死に場所を求めて彷徨っているようなものだったが、今では明確な目的が生まれた。
「その可能性を探るのは、お前に任せる、ポーラ。文献でも、伝承でも、秘術でもいい。あらゆる手を尽くして探し出せ」
「……ええ。全力を尽くします」
ポーラは伏せていた瞳を持ち上げ、真剣な光を宿して頷く。
彼女の声は低く、それでいて甘美だった。
「私の人脈を用いれば、錬金術師や魔導師の秘匿する情報にも触れられるはず。闇市に流れる禁書、失われた写本も探ってみましょう」
彼女は自らの役割を受け入れると同時に、参謀としての計算を働かせていた。
「ふむ、よろしい。次は金だ。恐らく、不老不死のことを調べるにあたっては多額の金もいることだろう。少量であれば俺自ら奪えばいいが、大金ともなると少し話が変わってくる」
「でしたら、引き続き私がこの町の裏社会の支配を拡大して、多くの富を築いてみせましょう」
「ん、その役目はお前が適任だと俺も思っている」
「ありがとうございます、ジャック様。…しかしながら、このサンドウジを掌握するには…3つの要素が要ります。1つは金。2つ目は情報。3つ目は暴力」
ジャックは口元を吊り上げる。
「暴力なら、俺が補えばいい。金と情報はお前の得意分野だろう?」
「その通りでございます」
ポーラは得意気に、そして妖艶に微笑んだ。
「しかし、口を挟むようだが金の当ては俺にもある。お前の持っている高級娼婦、あれを貴族に高く売ればいいのではないか?」
「確かに。彼らは最も金を持ち、最も愚かにそれを浪費する生き物ですもの」
ポーラの返答は、まるで甘い蜜を舐めるような響きを持っていた。
「金は高級娼婦を貴族に高値で売り込むことで得られる。情報は、娼婦たちが枕元から吸い上げる。男は抱いた女に秘密を漏らすもの。甘い吐息と共に、どんな鍵でも外してしまう……なんと合理的な発想なのでしょう」
「やはり、ポーラは参謀の器だな。貴族どもは欲に弱い。財布と秘密を同時に抜けるだろう。実に愉快なことだ」
「……ですが」
ポーラが声を落とした。
「大変申し上げづらいのですが、昨日の戦いで私の手勢の戦力は大きく削られました。人材の補充は可能ですが、ヴィクターのような腕利きまで揃えるには時間がかかります」
「戦力が必要なら俺が出向くと言ったはずだが?」
「それは理解しておりますし、そのおかげで円滑に事が運ぶことも多いかと思います。…ですが、ほとんど全ての荒事をジャック様に任せるわけにもいきませんので」
「なら、別の形で補うとしよう」
「別の形、というのは具体的にどういうことでしょう?」
「娼婦どもを使う」
ポーラとランダがわずかに驚いたように目を瞬かせる。
「娼婦を…戦わせるのですか? しかし、そう簡単に――」
「戦わせるんじゃない。殺させるんだ」
俺はランダの頭を指差すと、それを二人にも説明する。
「昨日見た高級娼婦の中には簪を付けている者もいただろう。あれを暗器にしてしまえば良い」
簪。一見すれば髪を飾る何の変哲もない装飾品。
だが、その先端は鋭利に研ぎ澄まされており、毒を塗れば軽く肌をかすめただけで命を奪える。
「衣服を脱いで裸になっても、簪は付けたままでいることも多いだろう。だが、簪一つあれば男を殺せる。肌を晒せば相手は必然的に警戒を解く。刺しやすいどころか、殺してくれと言わんばかりだ」
ポーラの目に驚愕が走り、次いで愉悦が満ちる。
「…っ、娼婦を暗殺者に仕立て上げる……! これなら、情報収集と邪魔な人間の排除を同時に行えます!」
その声には、恐怖ではなく昂ぶりが滲んでいた。
ランダもまた静かに頷き、ジャックの言葉を胸に刻んだ。
「…さすがはジャック様。素晴らしいお考えです」
「ただし、付け焼き刃では難しいだろう。仕込みには時間をかけた方がいい」
「そうですね。半端な状態では満足に成果も得られないでしょうから。たった一度の好機も逃さぬよう、しっかり教育させます」
ランダは静かに頷き、その恐ろしさに身震いしながらも、改めて崇める思いで見つめていた。
サンドウジの路地裏は、昼でも陰鬱さを隠しきれない。
建物は煤け、石畳には酒と血が染み付いている。
人々は表通りで笑っていても、一歩裏に踏み込めば声を潜め、壁に背を寄せてすれ違う。それがこの町の常だ。
ポーラが持ち込んだ報告書には、敵対勢力『ダスク・ファング』の名が記されていた。
「奴らは旧来の娼館を抱え込み、粗暴な用心棒を雇った上で、さらに娼婦たちすら人質同然に扱ってきました。今までは金で黙らせてきた商人や領主たちも、奴らの暴力を恐れて従うしかなかったのです」
「つまり、そのダスク・ファングとやらを潰せば、金も女も転がり込んでくるわけだ」
「ですが……彼らは思った以上に根深いのです。倉庫街に拠点を築き、酒、穀物、娼婦の上がりまで独占している。力押しは可能ですが、こちらの戦力を消耗させるだけになります」
参謀としての面を浮かべた彼女の声には冷静な分析が宿っていた。
ポーラの考えからすると、俺が思った以上にその組織一つを潰すことで得られる利益は多そうだ。
「だったら、俺が行こう」
「……っ」
一瞬、ポーラの目が揺れた。だが、次には狂気を帯びた期待の光が宿る。
「さすがはジャック様、頼もしいお言葉です。では、私の方で奴らの資金源を封じ、補給を絶っておきます。兵糧を断ち、背後から焦らせる。それで彼らは倉庫に籠らざるを得ない。そこで、どうぞお愉しみくださいませ」
ランダが一歩進み、控えめながら声を発する。
「ジャック様、私も……」
「ランダ、お前がついてくる必要はない」
「ですが――」
彼女の言葉を遮るように、不敵な笑みを浮かべて言い聞かせる。
「俺の愉しみを邪魔してくれるなよ」
すると、彼女も頬を緩ませてそれ以上何も言うことはなかった。
決行の夜。
倉庫街には燃えさしの松明が風に揺れ、湿った木箱の影に『ダスク・ファング』の連中が屯していた。
「ポーラの小娘が何を仕掛けてこようが、俺たちの方が……」
豪語していた男の言葉は、扉を蹴破る轟音で遮られた。
「な……誰だ!」
煙の向こうから現れたのは、鞘を引きずる一人の男だった。
どこにでもいそうな風貌からかけ離れた雰囲気を放ち、月明かりに照らされたその姿は、血を欲する獣のようだった。
「ここが、お前らの巣か」
侵入者は低く笑い、不躾に歩み寄る。
「どこの誰だか知らねえが、良い度胸じゃねぇか!」
彼は突撃してきた男の腹を、鞭のように鋭く抜いた刀で貫き、その身体を盾のように前へ押し出す。
目の前で血を吐き散らしながら崩れ落ちる仲間の姿に、周囲の男たちは後ずさった。
「おい、おまえらっ…助けてくれ……」
「…だそうだ。お前ら、仲間なんだろ? 助けてやれよ」
呻く声をわざと響かせ、その隙にジャックは残った仲間へと刃を振るう。
「うっ、うわああああっっ!!」
「お互い残念だな。俺は男に興味は無いんだ」
男たちの顔から血の気が引く。その中の誰かが震える声で言った。
「ま、待ってくれ……俺たちは、なんでもする! だから命だけは……!」
その言葉を聞いた瞬間、ジャックの笑みは深まった。
「“なんでもする”か。なら、そのまま無様に死んでくれ」
男の喉を、刃ではなく指先で押し潰す。
抵抗も叫びも許されぬまま、骨が砕ける音が夜に溶けた。
翌朝、町の通りに一枚の紙が貼られた。
『ダスク・ファングは潰えた。この街の秩序は新たに定まる』
署名はない。だが、人々は理解していた。影の支配者が現れたのだと。
ポーラは報告を終えると、うっとりした眼差しを向けていた。
「暴力と恐怖で、町は今や掌中に。資金源も潰しました。あとは、貴族どもから如何に金を搾り取るかですね」
「時に、不老不死の件はどうなっている?」
「申し訳ありません、ジャック様。その件に関しては未だ有力な情報が掴めず…」
彼女への負担が大きいのは理解しているので、多忙の中その件に関してはすっかり失念しているのかと思えばそうではなかったらしい。
「まぁ、仕方ないな。そう簡単に転がっている話でもあるまい」
「ご理解いただきありがとうございます。引き続き、ダスク・ファングが取り仕切っていた場所を含めて捜索させますので、何卒ご容赦を」
「あぁ、吉報を待っているぞ」
「はい、必ずや」
実直に従う女の肢体を撫でると、彼女は嬉しそうに頬を緩めた。




