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第一章 ① とある男の日常

 木々が風に吹かれて葉音を立てる森の中、雑音が入り混じって自然を脅かす。

 「森が騒がしいな」

 人であれ、それ以外の動物であれ、生きている限りは色んな音を出している。

 心臓の鼓動、衣擦れの音、そして、一挙手一投足を動かす際に生じる音。

 大地を踏みしめ、そこから生えた草をも踏みつぶし、思い切り蹴っている音だ。

 足音が一つ二つ…ああ、たくさん聞こえてくる。

 しかし、聞こえる音はそれだけではない。

 悲鳴と咆哮。逃げる者と追う者が、それぞれの音を発している。

 人という種が知性を持ち合わせ、文化を気付き、より良い暮らしづくりを続けてきても、所詮この世は弱肉強食。それが、大自然で生きる者たちのルールなのだ。

 それは、人の種であっても、同じ動物あるいは生物である以上、他のものたちと何ら変わらず、例外ではない。

 俺も、そうやって生きてきた。今も昔も変わらない。

 それが、悪い事だとも思わない。そう、実にシンプルで良いではないか。

 知性があっても、正しく使えていないのなら、無いに等しい。いや、無い方がマシだと思うくらい無駄と思える時もある。

 そんな奴には、自分が如何に無力で愚かな存在なのかを思い知らしてやるのが一番良い。

 そして、それが俺にとっての愉しみでもある。

 さあ、今日も狩りを始めるとしよう。




――どうして、こうなった。

 片手に剣、片手に小盾を持った男は、強張る足を必死に動かしながら、そう思っていた。

 今日の任務は、アグレッシブルという赤い牛を狩るだけの比較的簡単な内容だったはずだ。

 実際、家畜に使われる牛とは異なり、攻撃的なアグレッシブルは、俺たち4人の手で討伐することができた。

 他の牛に比べて身の引き締まったアグレッシブルは、食用にも用いられ、赤みが多く脂肪分が少ないことが特徴だ。

 その身体を切り裂いて、あらゆる部位に分解されてから人々の胃に収まることになる為、その重たい身体を持って最寄りの町まで運んでいた。

 その時だ、あいつが現れたのは。

 おそらく、美味そうな餌に釣られて姿を現した全身灰色で紫色の横縞が入った四足歩行のモンスター、ブーリッシュタイガーは死したアグレッシブルだけじゃなく、俺たちすら標的にして襲い掛かってきたのだ。

 アグレッシブルの何倍も強い相手というのは知っていたが、そんな前知識が無くとも、奴を見た途端、生物的な本能が勝てる相手ではないと告げていた。

 他の3人も同様のことを感じたようで、戦利品でもあるアグレッシブルを放り出し、一目散に逃げ出した。

 しかし、その強靭な脚力は、人間の比ではない。

 すぐに追いつかれそうになり、命の危機に瀕した俺は、咄嗟に手持ちの物を投げ、相手の鼻っ面にぶつけた。

 その中には、こういった万が一の時に使う為の煙幕や、密閉されているが衝撃によって破裂すると酷い匂いのする匂い袋もあり、追跡を妨げる効果があるものも含まれていた。

 さらに身軽になった身体で、息が乱れるのも構わず、一心不乱に足を動かして、少しでも奴から距離を取って逃げようとする。

 森を抜け、開けた場所に出ると、遠くに町が薄っすら見えているのが、僅かな希望を揶揄しているかのようだ。

 だが、その僅かな希望すらも亡き者にしようと、それでも奴は追ってくる。逃げる獲物を捕らえようと、大きな牙の生えた口を開けて。

 冒険者となったあの日、死を意識する時が来るかもしれないとなんとなく思ってはいたものの、いざ現実にしてみると、その恐怖は計り知れない。

 死ぬのは怖い。あの牙を突き立てられたら、どれだけ痛いだろうか。そう思い浮かべるだけで、全身の筋肉が縮こまってしまいそうだ。

 そして、俺だけで済むどころか、他の3人も同じように奴の餌になってしまうことだろう。

 そう考えると、無性にやるせなくなって、死へ抗う活力が湧いてくる。

「このままじゃ、どっちみち終わりだ!だったら、一矢報いてやろうぜ…!」

「確かに。このまま逃げ切るのは難しそうだ…」

「バカ言わないで!勝てっこないでしょ!うちには、あのモンスターの攻撃を受け止められる大盾持ちもいないのよ!」

 一番現実的な意見を言ったのは、先を走る紅一点のヴィネリーだった。

 彼女の言う通り、盾を持つのは俺くらいで、他の三人は回復魔法が得意な聖職者のバーナンドと攻撃魔法担当のレイシリル。そして、弓使いのヴィネリー。

 前衛が俺だけで、後方支援の厚い偏ったチームなので、俺一人であの猛獣の攻撃を食い止めなければならないと改めて考えると、鳥肌が立って冷や汗も止まらない。

「だったら、どうするって言うんだ!?このまま逃げて助かるってんなら、そりゃあ俺も文句ねえけどよぉっ!」

「あー、もう!分かったわよ!でも、あんたと心中だなんて、御免だからね!」

「そんなに嫌なら、自分だけ逃げても良いんだぜ。一生俺たちが憑いて回ることになって、後悔しても知らねえけどなぁ!」

「ヴィネリーが言いたいのは、あいつを倒して生きて帰ろうって意味だと思いますよ」

「へへっ、冷静な解説ありがとよ!」

 年長者の要らぬお節介を聞き流すと、全員と目を合わせ、それぞれ色んな思いがある中、覚悟を決めたのを見届けると、一斉に足を止めて振り返った。

「プロテクション!」

 バーナンドの一声で魔法が発動し、俺の身体にプロテクションの魔法が掛かったのを感じた。

 プロテクションは防御力を上げる魔法で、相手からの攻撃を軽減してくれるのと同時に、盾や防具の強度も一時的に上げてくれるという地味ながら便利なものだ。

 これがブーリッシュタイガーにどこまで通用するかは分からないが、何も無いよりは圧倒的にマシだ。

「来いよ!馬鹿野郎!」

「グロロオォォォ!」

 言われずとも襲い掛かってくるモンスターを相手に声を上げて身体を奮い立たせ、その発達した牙ごと盾で受け止める。

「ぐっぅ!」

 しかし、勢い任せに突っ込んできた所為で、踏ん張り切れずにそのまま押し倒されてしまい、すぐ傍に奴の息遣いを感じて、身の毛がよだつ。

 どうせ押し倒されるなら、肉付きの良い女がイイ…なんて考えている余裕もない程、ひっ迫していた。

「このっ、離れろ!そいつを食べても、美味くないんだからぁ!」

 口が塞がっていても、鋭利な爪の生えた前足で攻撃しようと振りかぶった相手に、ヴィネリーが矢を放って突き立てた。

 その前足に当たったわけではなく、胴体に刺さったのだが、それでも、一瞬怯んだおかげで、爪による攻撃は避けられた。

「ファイアソシエート!」

 さらに追撃を加えたのは、レイシリルだ。

 魔法によって複数の火の玉を発生させ、それをブーリッシュタイガーに余すことなく一斉にぶつけた。

「グオオォッッ!」

 体毛や皮膚に火が燃え移ると、堪らず地面に背中を擦り付けて消火し始めた。

 その間も、ヴィネリーが弓矢で狙ったが、あまりにも暴れているので、ろくに当たらず、残念ながら大したダメージを負った様子はなかったが、一度退いたことで、体勢を立て直すことができた。

 だが、標的をただの餌ではなく、自らを傷つけるような相手だと認識を改めたブーリッシュタイガーは、さらに異質な空気を醸し出し、鋭い眼光を向けてきた。

「こりゃあ、奴さんを本気にさせちまったかな…」

「まだそんな口を叩く余裕があるなら、大丈夫そうですね」

 軽口を叩きながら、回復魔法を使ってくれたバーナンドに無言のまま背中で礼を言い、倒すべき相手から目を逸らさずにいた。

 レイシリルの第二派を軽々と避けた虎は、その攻撃のお礼だとばかりに彼を狙って突進してくる。

「そうはさせるかよ!」

 後衛の仲間たちを守るのも、盾持ちとしての俺の役割だ。

 どれだけ相手が怖かろうが、恐ろしかろうが、やることは変わらない。

 しかし、人間とは不思議なもので、自分一人で戦うと考えた時は怖くとも、仲間の為だと思うと、その恐怖も克服して自然と足が動いてくれる。

「ガグゥ…ウガアァッ!!」

「なにっ!?」

 だが、さらに力を増したブーリッシュタイガーは、その勇気も平気で粉砕してしまった。

 唯一の盾である小盾が、恐るべき強靭な顎の力で粉々に砕かれ、そのまま左腕を持っていかれる。

「ぐあああっっ!!」

 こんな事なら、ケチって安物でいいにせず、もっと良い盾を買っておくべきだったと後悔しても、もう遅い。

 盾と同じ運命を辿った左腕は、身体から離れて奴の口に咥えられている。

 当たり前のようにあった片割れが、自分の手元を離れて、他者の元にある光景は何とも信じ難いものだった。

 しかし、それを現実だと思い知らしめるのが、その悲しみを訴えかけるように全身に響く激痛である。

「いてっ、いてぇいてぇ!!いっでぇっっ!!!」

「う、腕がっ!?」

「ハイヒール!」

 惨事に気づいたバーナンドがすぐに治療を施してくれたが、腕が再生することは無かった。

 それでも、出血は止まり、身体の痛みも幾分かマシにはなっている。

 その様子を見ていたブーリッシュタイガーは、目の前でボリボリと骨ごと腕を噛み砕いており、まるで勝ち誇ったような顔を浮かべていた。

「か、返せぇ!それは、ザンの腕だ!あんたが食っていいもんじゃないっ!!」

 動揺して大声で喚いたヴィネリーが再び矢を放つが、前足で払われて、文字通り足蹴にされてしまう。

「グガアァアァァッッ!!」

「あ、待て!野郎…っ!」

 腕が不味かったのかどうかは奴に聞いてみないと分からないが、まだ息のある俺を無視して、弓矢を持つヴィネリーの元へ駆け出してしまった。

「うそっ、しまった!?」

「逃げろ!ネルぅぅっ!!」

 自分が標的にされたことを悟ってその場から引いても、どちらが速いかなんて改めて言わずとも分かってる。

 しかも、突然のことに加えて、恐怖に足をもたつかせてしまったヴィネリーは、石に躓いて転んでしまい、もう為す術も無い。

「ヴィネリーぃっ!!」

「くそぉっ!!」

「やめろおおおおおぉぉぉっっ!!」

「きゃああああぁぁっっっ!!」

 4人の様々な声が響き渡る中、それを物ともせず、ブーリッシュタイガーは彼女に襲い掛かった。

 だが、その刹那――一つの黒い影が、どこからともなく彼女の前に現れた。




 もう死を待つばかりだった女の前に立ち、獰猛な獣の牙を鞘で抑えた。

 獣臭い息も、憤ってごろごろ鳴らす音も、そして俺に歯向かうことも、全てが煩わしくて癪に障る。

「あ、あれ…?」

 思わず目を瞑っていた女が、まだ生を実感できていることを不思議に思い、目を開けて現実を直視した。

「え?ど、どうなってるの?」

 動揺しているのは、彼女だけではない。彼女の死を目の当たりにするところだった周りの男達も、攻撃することも忘れ、口を開けて呆けている。

「どうやら、お困りのようだと思って来てみたが、無用の助太刀だったかな」

「そんなことないです!困ってます!!」

「へぇ…」

 いつまでも鞘で抑えているのも億劫になって、スッと刀を抜いた。

「グオオォォッ!?」

 力量差も分からない獣は、前足の一本でも切り落としてやれば、少しは大人しくなる。

「なっ…!?なんちゅう速さだ。一瞬で切りやがった…」

「一体、何者なんだ…?」

 今度は、獣だけでなく外野も煩くなってしまったので、結果としては似たようなものだった。

「あの、手を貸していただけませんか?あたしたち、あいつに追われてて…」

「…とは言っても、俺に何もメリットが無いからな」

 血の付着した刀を振って、獣臭い血を払うと、刀を鞘に納める。

「そんなこと言わないで…お願いします!あたしたちを助けると思って、手を貸してください!お願いします!」

「報酬は、弾んでくれるんだろうな?」

「もちろん!あたしたちにできることなら、なんでもします!だから、お願い!」

「…その言葉、忘れるなよ」

 取り繕っていたのに、思わず口元が緩んでしまいそうになって、彼女から顔を背けた。

「グルルルルッッ!」

 話が終わるまで待っていたのであれば、この獣は野生で生きているにも関わらず、よく躾が行き届いているといえる。

 しかし、実際は威嚇して手を拱いていただけだろう。本当に賢いものならば、もう立ち去ってしまっていてもおかしくは無い。

 だが、今ばかりはそんな愚か者に感謝しなければならない。

 もし、逃げられてしまっていたら、この交渉自体が成立し得なかったのだから。

「どうした?来ないのか?」

 腰を落として、片手を鞘に添え、利き手で刀の柄を握る。

 こうしていると、さらに肌で風や空気を感じ取れる。

 それにしても、手を貸すとは言ったものの、他の者たちはその様子を見ているばかりで、手を出そうという気配もない。

 まさか、臆さず立ち向かう姿に見惚れているだなんてことは思わないが、どちらにしろ当てにしていないので問題ない。

 むしろ、邪魔をされないだけマシなので、余計なことをせずに、そのまま突っ立っていて欲しいものだ。

「グルルッ!グルルゥルルルッッ!」

 動物界では、小さきものが弱者で、大きいものが強者として知られる部分もある。

 大きな草食動物を前に、小さな肉食動物が襲い掛かろうとしないのは、この認識が自然と備わっているからだといわれている。

 その理論でいえば、ブーリッシュタイガーの方が俺より明らかに体格が大きいので、きっと左前足が切り落とされたのも、何かの間違いだとでも思っていることだろう。

「グガァオッ!」

 さっきのことなど忘れて、痛む身体に鞭を打って襲い掛かってきたブーリッシュタイガーは、もはや俺を捕らえて貪り食ってやろうという気概が感じられる。

 しかし、それは大きな間違いだ。

 静かに刀を抜いて、飛び掛かってきた奴の牙や爪よりも先に相手の首を斬り付ければ、切り離された頭がボトッと落ちて転がる。

 そして、その身体も死して尚平伏すように、大きな音を立てて俺の前へ鎮座した。

 切断面の首から流れる血は、勝利の美酒を浴びせるように吹き出ていたが、生憎不快にしか感じず、屍になって大人しくなった獣の背中へ乗った。

 灰色と紫のボーダーは、お世辞にも趣味が良いとは言い難い上に、あちこち焼け焦げて黒っぽく変色していた。

「終わったぞ」

「す、すげぇ…」

「あっという間に、倒しちゃった…」

 派手に双方が喚き散らしていたこともあり、周囲のモンスターももうこの場から離れて行ったことだろう。

 やや高い位置から辺りを見回しても、呆けた4人以外の人影も無ければ、他のモンスターも見当たらない。

「やったぁ!やったぞ!俺たち、生きてるぜ!!」

「ああっ、良く生きてたもんだ!」

「ええ、本当に。それもこれも、あなたのおかげです。ありがとうございました」

 男のうち、若い二人は窮地を乗り切ったことで、バカみたいにはしゃいでいる。しかも、そのうちの一人は、片腕を失ったのも忘れてしまったかのような騒ぎっぷりだ。

 一方で、もう一人の歳と共に少し苦労を重ねたのが窺える男は、聖職者らしく誠実に謝辞を述べていた。

「俺は、すべきことをしただけだ。感謝はいらない」

 口だけの礼など以ての外で、何より男からの礼など何の得にもならないので、全く嬉しくなかった。

「弱気を助け、強きを挫く。素晴らしい考えを体現するお方なのですね。御見それしました」

「ホント、助かったわ。ありがとう」

 転んでいた女も加わり、何か都合の良い解釈を押し付けられているようだった。

「俺は回復魔法を使えない。だから、そいつの腕を治してやることができないと、先に伝えておこう」

「まあ…それは、仕方ないとしか言いようが無いですね」

「命があっただけ、マシってもんさ。ありがとよ」

 本当は、治す手立てが全く無いわけではないが、今すぐどうこうできるものでもなければ、これ以上こいつらに関わる理由も無い。

「そうか。さて、それじゃあ助太刀の礼として、有り金全て置いていってもらおうか」

「えっ?」

 当然の請求をしたのに、一同はポカンと目を丸くしていた。

「さっき自分で言った言葉を忘れたのか?あたしたちにできることなら、なんでもする――だったか?その言葉通り、報酬を頂くぞ」

「い、いや、言ったけど、まさかそんな…ねぇ?全部だなんて…」

 冗談を真に受けないでよ、くらいの調子で他の3人にも同意を得ようと、女は目配せを送った。

「そうだぜ。感謝もしてるし、礼はするけど、それはちょっとやりすぎってもんじゃ…」

「何言ってるんだ?なんでもすると言ったのは、そっちだぞ」

 体良く受け流そうとした男の言葉を、真っ向から否定する。

「……」

「いや、しかし…常識的に考えて、それはあまりにも…」

「口約束とはいえ、取り決めを反故にするというなら、こっちにも考えがある」

 モンスターがいなくなったというのに、柄を握れば、相手も察して訴えかけてくる。

「おい、あんた。あんたが強いのは認めるよ。俺たちより、ずっと強い。でもな、その強さを驕って、他人から奪うなんて行為は、とても褒められたものじゃないぞ」

「俺に説教とは、良い身分だな。片手を失ったくらいでは、まだ懲りないか」

「なにぃ…?」

 這いよる死の恐怖から脱却して、生還した喜びに満ちて祝勝ムードだったのが嘘のように、今では険悪な雰囲気が漂っている。

「それに、奪うというのは正しい表現ではない。そこの女が提示した報酬を、正当に要求しているだけだ」

「ネル…、なんでそんなこと言っちまったんだよ」

「何よ!?あたしが悪いっていうの?ザンは片腕失ったくらいで済んだけど、あたしなんか、この人が来てくれなかったら、もう死んでたかもしれないんだよ!?」

「それは、確かにそうだが…でもよぉっ!」

「待て待て。ネルが頼んでくれたおかげで、彼が手を貸してくれたから、生き延びられたのは事実だろ」

「だからって、有り金全部渡すだなんて、納得できねぇよ!」

「それは、僕だってそうだよ」

「だったら…!」

 この期に及んで、責任の擦り付け合いまで始まった。

 これだけ意見が食い違い、言い争う間柄なのに、それでも一緒につるんでいるのは理解に苦しむ。

 しかも、命を預け合う間柄というのだから、尚更だ。

「はぁ。醜い争いを見せられるこっちの身にもなって欲しいものだ。追加報酬をいくら要求すればいいのか、分からなくなってしまう」

「てめぇ…、いい加減に…っ!?」

 剣を握る利き手が無事だったおかげで、武力を用いて異議を申し立てる術を失っていなかった男は再びその手に剣を握る。

 だが、その切っ先をこちらへ向けたところで、その剣を真っ二つに切り落とした。

 もはや、これでは雑魚モンスターすら退治するのは難しいだろう。

「次は、その首でも斬ってやろうか。そこに転がってる屍よりも、金にならないだろうがな」

「くっ…」

 悔しいが実力差を思い知らされた、といったところだろう。怒りと悔しさが顔から滲み出ている。

 ここからさらに怒りを爆発させたら、もしかしたら悪魔や鬼と呼ばれる者に変貌するかもしれないと思える形相なので、少し試してみたくなる気持ちすら芽生えそうだ。

「もう良いだろう。金を渡せば良いなら、また稼ぎ直せばいいじゃないか」

「…分かったよ」

「そうそう。命あっての物種ともいうからな」

 雁首揃えて渋々硬貨の入った布袋を取り出すと、手渡す者もいれば、投げ捨ててくる者もいた。

「これで全部か。まあ、実力を考えれば、妥当といえば妥当か」

 思ったよりも少ない金額に落胆しつつも、高望みしてしまった自分を恥じる。

「なんだよ、まだ不満なのか?」

「不満そうなのは、むしろそちらの方に見えるがな。忘れてもらっては困るが、あのまま俺が介入しなければ、お前たちは死んでいたんだ」

「死んでしまったら、金だけでなく全てを失っていた上に、現世の通貨などいくら持っていても意味は無いだろう?だから、どのみち同じ運命を辿っただけだ」

「その代わり、死なずに済んだというだけの結果を残してな」

「あぁ…、分かってるよ。くそっ…」

 もう口も利きたくも無いとばかりに背を向けて、その場を後にしようとする面々のなんと愚かなことか。

 感謝の『か』の字くらいの毛が生えたような程度の感謝を置いて去ろうとしていたが、早とちりもいい加減にして欲しいものだ。

「もう行くのか?だったら、そこの女は置いていけ」

「え?あたし?」

 聖職者の男から、転んだ時にできた傷を魔法で治してもらっていた女は、今度は何事かと振り返る。

「おい、お前…まさかっ!」

「なんでもすると言ったからには、その言葉の意味を全うしてもらわなければならない。あまり好みではないが、報酬の額も大したものではなかったからな。ついでに、一晩くらい付き合ってもらわないと、割に合わない」

「それって…」

 女もその意味を察したようだが、それ以上に激怒したのは片腕を失った男だった。

「何が割に合わないだよ!ふざんけんなっ!!」

「もうお前らに用は無い。さっさと行ってくれて構わないぞ。…ああ、心配しなくても、この女は返してやるさ。俺の好みじゃなかったことに感謝するんだな」

「なんだと!?ネルに変なことしてみろ!ただじゃ済まさないからな!」

「ほぅ…。それは愉しみだ。実際どうするつもりなのか、試してみるのも悪くない」

「この野郎…っ!どこまでもムカつく野郎だ!!」

 沸点の低い男は、怒ることで痛みが薄らいでいることにも気づいていないだろう。

 このまま怒り散らしたら、悔しさのあまり、自分の残りの左腕を噛み千切りそうな勢いなので、やはり少し見てみたくもある。

「大丈夫よ、何も殺されるわけじゃないんだから。…あたしが、最後まで責任を取る」

 しかし、残念ながら、重々しく口を開いた女によって、その怒りも鎮められてしまった。

 こうしてみると、余程女の方が肝が据わっているようにも見受けられる。

「ネル…」

「ごめんよ、ネル…」

「すまない…」

 一様に苦悶の表情を浮かべて謝罪を述べた彼らが、女を立てたといえば聞こえは良くなるが、俺には単に見放しただけにしか見えなかった。

 自分の身を案じるばかりに他人を売るという行為は、仲間に対する行いとして、とても褒められたものではない。

 けれども、それを俺が指摘する必要も無ければ、彼らのような人間が意外と多いことも知っている。

「ああ、そうだ。女の代わり…というわけでもないが、そこの死骸は持って行っていいぞ。むしろ、その方が金になりそうだがな」

「はぁ?それを分かってて、俺たちに譲るってのか?」

 冒険者として、手柄を渡すという行為に心底理解できないといった様子だが、それは少し頭が足りない。

「その通りだ。俺一人で持っていくのは、骨が折れるし、金には大して困ってないからな」

「だったら、俺たちから取った分も返して欲しいもんだぜ」

「いやいや。お前たちみたいな奴から貰えるから、金には困ってないっていうのが分からないか?」

「なんて野郎だ…」

 もう怒りを通り越して呆れてしまったのか、怒鳴り声すら聞こえてこない。

 一方、その横で聖職者の男が、何かに気づいて、思案を浮かべる。

「…待って下さい。だとしたら、その得物。その強さ。そして、その言動。その身に覚えがあります」

「もしよろしければ、お名前を伺ってもよろしいですか?」

 よもや、分かりきっているはずなのに、それでも改まって聞いてきた。

 そんなに知りたいのであれば、教えてやるとしよう。

「ああ。俺はジャック、そう呼ばれている」

「やはり、あなたが…」

 全身黒ずくめで刀を携え、その強さを武器に、残忍で悪逆非道な行いを繰り返す正体不明の存在。それが俺――。

「切り裂きジャック、か」


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