⑥ 深紅の蓮が開くとき
一泊二食女付きという好条件のお礼を受け取り、ちゃっかりと朝食まで平らげてしまってから、何食わぬ顔でリヴィアのいるドウムインを後にした。
彼女の両親から何か言われるかと思えば、何やら微笑ましい視線を送られるばかりで咎められることも無かった。
あの様子ではリヴィアから事の顛末を聞かされていないようだし、現状のままの方が都合が良さそうだったので俺も余計なことは言わずにいた。
「さてっと…」
楽しむだけ楽しんだので、ただの通過点であるこの町にもはや用も無い。
さっさと町の外へ出て再び目的地であるコクシムの街へ向おうとしている時だった。
サンドウジの通りをぶらついていた俺たちは、人混みの中から妙な噂を拾った。
「……あそこの『ベルベット・ロータス』は、金さえ払えばなんでも叶うらしい」
「表の客じゃなくて、奥の奥だろ? 裏口から入る連中の話だ」
立ち止まり、振り返る。噂をしていたのは商人風の男たちだ。
声の調子からして、ただの色街の店ではない。
高額な金を動かせる客と、それを迎え入れる裏の力がある──そういう匂いがする。
「なんでも…ねぇ……」
思えば、コクシムの街へ行く理由というのも、クレスへの手土産を届けようというだけ。
その為に今から向かおうが、もう少し後から向かおうが大差ないことに改めて気づいた。
「ランダ」
「はい、ジャック様」
「気が変わった。今日は出発をやめる」
「……理由をお聞きしても?」
「なぁに、心配するな。あの宿の女絡みじゃない。もっと面白そうな話が転がっていそうだからだ」
「そうですか、分かりました」
彼女の眉がわずかに動くが、反対はしない。
元より彼女にはコクシムの街へ行く用も無ければ、どこへ行く当てもないのだ。
その理由が昨夜の女と関係しないと分かれば、彼女としても反対する理由など無いも同然である。
先程の男たちをひっ捕らえ、路地裏で噂について洗いざらい吐かせたのも束の間。
彼らの情報を基に訪れたのは、町の中心近く──大通りに面した三階建ての石造りの建物。
正面の看板には、金糸で刺繍された深紅の蓮が描かれている。
ベルベット・ロータス──昼間は上等な宿に見えるが、夜になれば別の顔を見せるという。
とりあえず、ここの宿をとってみたはいいが、昨日の宿もチンケに見えるほど高額な宿代を請求された。
本来なら多少の悪態を吐きたくなるようなことではあるが、先程の男たちからついでに金も奪っておいたので俺の懐は痛まない。
もう用意が出来ているという部屋へ通され、荷を置く。
ランダと二人で寝ても広々感じるたった一つ置かれたベッドは、なかなかの豪華さだ。
寝転んだまま乳繰り合っている二人を照らすように窓から差し込む日はまだ高い。
ふと外を見下ろせば、路地裏を行き来する妙な客筋が見える。
金と欲に飢えた眼、護衛を連れた影──くくっ、匂いは確かだ。
夜までの時間は、ランダと軽く街を回って潰す。
昨日は少し機嫌を損ねていたようだが、宿を変えて早速ヤってしまえばその様子も無くなった。
リヴィア以上に美貌を晒す彼女を連れ立っていると少し目立ってしまう節もあったが、俺があの『切り裂きジャック』であるということへのカモフラージュにはなっただろう。
彼女が気を良くして擦り寄ってくる姿も含めれば、尚更である。
日が落ち、町に灯りがともる。
それはまるで開戦の合図のように闇で覆われた舞台を明るく照らしているようだった。
宿の裏口へ回り込むと、早速それらしき人物を目撃する。
男は合図のように軽く扉を叩くと、すぐに小窓が開いて目だけを覗かせた相手と何やら短いやり取りをしていた。
すると、お互いの意思疎通が通じ合ったようで、男は何もなかったかのように平然とその扉の奥へ消えて行った。
得られた情報を基に実際の状況を観察して、どう立ち回れば良いのかを思案する。
「あの様子だと、合言葉が必要か…」
「合言葉…。その情報は得られてませんね」
「ここに入りそうな相手を探して扉を叩く前に吐かせれば不可能ではないが、少々面倒だな」
「そうですね、見張りの男もいますし」
多少治安が悪いとはいえ、宿屋の裏口になぜ見張りを置いておくのかと疑問を抱くものも少なくないだろう。
表の入口には誰も置いていないのだから、余計その不自然さが浮き彫りになる。
裏にはいる必要があり、表にはその必要が無いといっているともいえるので、放っておいても手出しするような奴がいないほど『何か』が背後についているとも予想できる。
「ふぅん、仕方ないか」
「どうなさるおつもりですか?」
「まあ見ていろ。ランダ、俺の傍を離れるなよ」
興味や好奇心が面倒臭さを軽々と飛び越えてしまうと、裏口を見張る人物に目を向けた。
「…よっ、と」
辺りに人気が無くなったと思った瞬間、その男めがけて短刀を投げると、その頭に深く突き刺さって血飛沫を上げさせた。
「悪いが、今は命乞いを聞いている暇は無さそうなんでな」
「…強行策でしたか」
「あぁ、この方が手っ取り早いだろ」
見下ろしていた高い場所から地表に飛び降りると、続いてランダもやってきた。
受け止めてやった方が喜んだのかもしれないが、このくらいの高さなら彼女は無傷で着地できると知っていたので敢えて何もしなかった。
ここを訪ねた他の男と同様に扉を叩くと、小窓から覗いてきた目をすぐさま潰した。
扉の奥から大袈裟なくらい声を張り上げた野郎の声が聞こえてくる。
俺はこの町に来て初めて刀を抜くと、鍵のかかっているであろう扉の隙間に振り下ろした。
僅かばかりの手応えにやや遅れて金属の転がり落ちる音が聞こえると、扉を蹴り飛ばして中へ突入した。
一歩足を踏み入れれば、そこは昼間の表通りとは別世界だった。
鼻につく濃厚な香水と酒の匂い、札とサイコロの音、低く抑えられた笑い声、そして扇情的な格好をした女たち。
「なるほど、これは確かに金の匂いがするな」
貴族――まではいかずとも、上流階級に住む人間の様相に身を包んだ人間しかいない。
娼婦のような女でさえも、そこらの娼館にいるような安い女ではなく明らかに高い女だと察することはできる。
身なりは綺麗だしスタイルも良い女ばかりで、商人風の男たちが高級娼婦と言っていた存在が彼女たちのようなものであると納得した。
「おい、小僧! ここはお前のような輩が来る場所じゃねぇ!」
「あぁん?」
それだけ汚い言葉遣いをするような輩こそこの場に相応しくないように思えてしまったが、自分のことを棚に上げてものを言っているのはお互い様か。
騒ぎに気づくと周りの視線が一気に集まり、耐え切れなくなったランダは俺にしがみついてきた。
そういえば、ブヒ族の彼女からすればここはどういう風に見えるのだろうと場違いな考えが頭を過ぎった。
「おらっ! さっさと帰れ!」
おそらく用心棒であろう体格のいい男は俺を文字通り摘まみ出そうと手を伸ばしたが、その手は俺へと届く前に消えてしまった。
「その言葉をそっくり返そう。邪魔だ、失せろ」
「て、てめぇっ! 不意打ちで腕でを切り落としたくらいで調子に――」
「え? なんだって? よく聞こえないなぁ…」
生意気なことにちゃっかり魔法も使えるようだった用心棒の男が妙なことをする素振りを見せたので、術を放つ前にその首を跳ねてやった。
魔法の中には相手の魔法を阻害するものもあるというが、そんなものが無くとも阻害することはできる。
「「きゃあああああああっっっ!!?」」
用心棒らしき男が見る影も無くなってしまうと、辺りは騒然として先程とはまた違う別の賑やかさを取り戻した。
「このっ、ガキだと思っていれば、やってくれたな…!」
一人殺せばまた一人、そしてそれに続いてぞろぞろと似たような体格の男どもが湧いてくる。
「どうせなら、良い女に囲まれて歓迎して欲しいもんだ。そうは思わんかね? 男性諸君」
有象無象がいくらいても同じこと。
静かにランダへしゃがむよう指示すると、俺を取り囲もうとしていた屈強な男たちは漏れなく頭を失くしてしまった。
一瞬の静けさが訪れたと思えば、群衆は先程を上回るほど騒ぎ立ててパニック状態に陥っていた。
「やれやれ、これでは大人の遊びを嗜むどころではないな」
こんなものかと呆れていると、明らかに違う空気をまとった者がやってくる。
そして──奥の階段から、一人の女が現れた。
ただそれだけで場の空気が変わり、静寂が訪れた。
階段を一段下りる度に、腰まで届くプラチナブロンドの髪が光を受けて冷たい輝きを放ちながら揺れる。
片側だけ耳にかけられた髪の隙間から覗く金茶色の瞳は、硬貨のように鋭く光り輝いている。
身にまとう黒と金を基調としたドレスは豊かな曲線を際立たせ、唇の端には勝者だけが浮かべる余裕の笑みがあった。
「随分と派手な登場ね」
これだけのパニック状態の中でも平然と、そして不敵に笑う声は場慣れしている証だ。
その視線は鋭く、獲物を値踏みする獣のそれだった。




