第一章 ⑪ エピローグ (第一章・完)
散々キノコを味わい尽くすことになった少女は、執念深く生き残ったものの、息も絶え絶えに醜い姿のまま地面に横たわっていた。
もはや、今の彼女を見て、以前の彼女を思い浮かべるのも難しければ、この汚らしい姿に興奮するのは、性癖が歪んだ一部の男くらいなものだろう。
「ふぅ……」
「満足されましたか?」
「ああ、少しはな」
惨状を前にして、寂れた民家へ背を預けながら、ランダと並んで座っていた。
というよりは、俺が座って休もうとした際に、その隣へ彼女もやってきただけのことだ。
虚しさすら感じる哀愁を漂わせながら、疲労感に苛まれ、虫の息で微かに動く少女をボーっと眺める。
男くさい少女の所為で、こっちまで酷い臭いが移ってしまいそうなのが気掛かりな上に、そうでなくとも今日は臭い目に遭ってばかりなので、早くひとっ風呂浴びたいところだ。
「…ランダは、この世界をどう思う?」
「突然、どうしました?」
「いや、なんとなく…、ふと思っただけだ」
男というのは、一頻り愉しんだ後、急に真面目な考えに及ぶことが誰しもあるそうだが、今の俺もその例に漏れなかっただけのことだろう。
ふと、妙な考えが口に出てしまった。
「そうですね…。正直、好きでは無かったです」
淡々と話した彼女の瞳は遠くを見つめて、空虚な眼差しをしていた。
「まあ、そうだろうな」
「…でも、ジャック様に出会ってからは、少しだけ見方が変わりました」
先程までの目とは違って、こちらを見つめる眼差しは闇に包まれているものの、その中に希望を見出しているように見えた。
「へぇ…」
「何も悪いことをしていなくても虐げられる日々は、それはもう辛いものでした。でも、それはある意味自分にも非があったんだと、今では思えます」
「そうか?俺が想像する限りは、そうは思えないが…」
「何もしていなくても災いが降り懸かってくるというなら、自ら率先して動いて、それを払い除ける行動を起こさなければならないんだと、ジャック様と出会ってから思い直すようになりました」
「何の反抗もしないで、ただ縮こまっているだけでは、相手が付け上がって助長するだけだからな」
自分の身に危険が迫れば、それを防ごうとするのは誰しも当然のことだ。
だが、それすらもできない心身共に弱い者もいれば、数の暴力によって屈服させられてしまった者もいるのだろう。
しかし、彼女はそれを経た上で、再び立ち向かう勇気を燃やし、ともすればやられる前にやってやろうという意志さえ感じさせる。
災いに対して、ただ身を震わせて耐え忍ぶしかなかった消極的な考えではなく、一転して積極的に戦おうという攻撃的な考え方だ。
「先程のお話にもありましたけど、自分が正当な行いをしているにも関わらず、それを認められもしなければ、仇で返されることもあるというのは、人間に限った話ではありません」
「そんな自我を通そうという者の言い分を、甘んじて受ける必要なんて無かったんです。相手が暴挙に及ぶなら、こちらがどんな非道な行いに及んでも、もはや文句を言う資格も無いでしょう」
「確かにな。…とはいえ、別に俺は自分の行いを正当化したいわけでは無い。ただ、自分以上に横暴な奴を見かけると、癪に障るだけだ」
「んふふっ…。私が言えた立場では無いかもしれませんが、それで良いと思いますよ。…私はそう思っても、何もできませんでしたから」
正直、彼女の歩んできた人生が、まだ温いと思える俺からすれば、住んできた世界が違うと言ってしまうこともできる。
もしかしたら、彼女は同族だというだけで、ブヒ族を仲間だと思っていた節があったのかもしれない。
だから、恥辱に甘んじていても、死ぬことは無いと高を括っていたようにも思えるが、最終的には殺されかけた。
しかし、俺からすれば、その前提すら間違いなのだ。
同族の人間であっても、誰一人味方などいない世界で生きていれば、周りにいる者全てが敵にしか思えないのだから。
一方的にされるがままだったと思われるランダだって、あの環境に身を置けば、生きる為に嫌でも牙を研かなくてはならなくなったはずだ。
そうなれば、きっと今の彼女とは全く違う人格が形成されているか、あるいはもうとっくに死んでいることだろう。
だが、そんな俺もランダも、今は隣り合って座り、言葉を交わして、同じ世界に存在する。
「誰も彼もが自分の為に好き勝手振舞い、他人を騙すことすら厭わない汚れた世界の中で、ようやく見つけた私のたった一つ信じられる存在は、ジャック様――あなただけです」
「…随分、大層な存在になったもんだ」
彼女はそれを態度でも表すかのように、自分から手を握ってきた。
人や獣の血で汚れきった俺の手とは違って、細くしなやかで綺麗な女の手だ。
「だって、こんな私を助けてくれたのは、ジャック様ただ一人だけなんですよ」
「それは…下心があっただけだ。褒められたもんじゃない」
「それでも、です。私がジャック様のおかげで救われたのは、事実ですから」
慣れない恩着せがましい言い方をされてしまうと、さらに変な要求をされてしまいそうな気がして、溜め息が漏れてしまう。
「はぁ…。だからといって、俺は間違った世界を正す為に、世直しするつもりは無いぞ」
「私も、そんなつもりはありませんよ。ただ、ジャック様と一緒に、日々を謳歌したいだけです。こんな世界の中でも、愉しんで生きられるように」
「確かに、お前も今まで悲惨な目に遭ってきたのなら、その権利は十二分にあるだろう」
「ジャック様のお力があれば、それこそきっと『なんでも』できますよ。私たちを邪魔する者は片っ端から排除して、より良い生活を送りましょう?」
「おいおい、随分人任せだな」
「いえ。もちろん、私もお手伝いしますよ。身の回りのこともそうですけど、少しでもジャック様のお力になれればと考えています」
ただ単に、他人を利用しようというのではなく、共に歩もうとする心意気は認めるが、俺を相手にそんなことが言えるとは、思っていた以上に稀有な心の持ち主だ。
「なので、できればその為に、色々教えて頂きたいんですけど…?」
「ふぅん…」
彼女の言うように、単なる荷物運びではなく、色々と役立てるように仕込めば、色んな面で重宝することだろう。
しかし、真っ先に浮かんだ使い道の所為で、つい視線が彼女の胸元へ固定されてしまった。
「なんだか、熱っぽい視線を感じます…ふふっ。もちろん、そちらも含めてのつもりでしたけど、ジャック様のお考えも聞かせてもらえますか?」
彼女もその視線に気づいたようだが、それを遮るような無粋な真似をすることもなく、艶やかに微笑んで返して見せた。
「まあ、本人もやる気なら、色々と仕込むことに異論は無い。今まで、他人に教えたことは無いが、せいぜい俺好みに仕込んでやるとしよう」
「一朝一夕で身に付くものばかりではないが、急ぐ旅でもない。その身体にじっくり刻み込んでやれば、大成することもあるやもしれん」
「でしたら、ジャック様に失望されてしまわないよう、頑張らないといけませんね」
あの一件を経て、故郷の里を離れた彼女は、もう既にかなりの変貌を遂げているのかもしれない。
その元凶が俺であり、その影響も果たして良いものか悪いものか分かったものではないが、少なくとも自らの意思で歩もうとする彼女の考えは尊重されるべきだ。
「それにしても、自分の生きる道を自分で切り開く、か。確かに、今まで俺がしてきたことと、何ら変わらないかもしれないな」
「はい。そこへ、性活に彩を添える異性が、一人付いてくるようになっただけですから」
もはや、対価として同行するという建前が不要であるかのように、彼女は自ら同行する意思をはっきりと見せていた。
「今まで、何年も一人で生きて、色んな地を回ったが、俺にそんなことを言ったのは、お前が初めてだ」
「ふふっ…、そうなんですか?じゃあ、やっぱり他の人の目は節穴で、ろくでもない人たちばかりだったってことですね」
「ああ、それは間違いない」
そろそろ、見る度に癪に障る少女の横たわった様を見ているのも飽きたので、徐に腰を上げる。
「さて、と…」
それに続いてランダも立ち上がり、彼女が持っていたもう一つの籠を受け取った。
そして、それを辛うじて生きている少女の元へ放り投げる。
「ほらよ。こっちが、お前が求めていた本物のゴリェオダケだ」
「他人にものを頼む以前に、お前はお使いの品くらいちゃんと覚えろ。男漁りばっかりしてるから、頭まで緩々なんだろうがな」
「ぅ…ぅぅん……」
注意と共に悪態吐いても、すっかり意気消沈してろくに返事もできない少女は、小さく声を漏らすばかりだった。
彼女の周りには、たくさんのキノコが散らばることになったが、きっと男好きには堪らないものであろう。
「これで少しは懲りたなら、ちょっとは真面目に働く気にもなるだろ」
「ですね。でも、もしかしたら、生粋の変態になっているかも知れません」
「ははっ。そうなったら、もう救いようは無い。こいつの望み通り、一生男の養分になってもらうまでさ」
「まあ、なんと慈悲深いことでしょう。そうなったら、ジャック様にいくら感謝してもし足りませんね。んふふふふっ……」
少女からたっぷりと礼を貰って、ランダとのんびり過ごしているうちに、空が赤らんで辺りは暗くなり始めていた。
「もう日が暮れて来たし、そろそろ行くか。今日はこの町に泊まるとして、宿を探さないと…」
「もちろん、お部屋は一緒なんですよね?」
「ああ、よく分かってるじゃないか」
期待の眼差しを向ける彼女は、すっかり俺の隣にいるのが習慣づいてきたようで、自然と傍に寄ってきた。
「私、男性と一緒の夜を過ごすのは、初めてですから…できれば、優しくしていただけると…」
「あぁ、でも…さっきみたいに激しく求められる様も、ちょっと…羨ましくて…、あぁっ…どうしましょう。今からゾクゾクしてしまって、待ち切れません…」
「心配するな。気の合う奴にまで、悪いようにはしないさ」
「ふふっ…。それじゃあ、今日はお手柔らかにお願いしますね」
仲睦まじく寄り添う二人は、小さく呻き声を上げる少女のことなど気にもせず、大禍時の町へと共に消えて、暗い闇に包まれていった。
つづく