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第一章 ⑨ チリクンダの森

 手渡された背負い籠を放り捨てて去るのは簡単だが、思うところもあって、仕方なく来たばかりのツチトーの町を出て、ブヒ族の集落があるというチリクンダの森へ向かった。

 ただ、単にあの女が面倒故にお使いを拒んだというだけではなく、別の理由がありそうなのは、なんとなく察していた。

 というのも、ブヒ族というのは、見た目こそ人間にそっくりだが、価値観が全く異なる種族なのである。

 特に違うのは美醜逆転していることで、人間の価値観でいう美人こそが、彼らにとってブスと蔑まれるものなのだ。

 逆にいえば、人間がブスと馬鹿にするような容姿の女が、ブヒ族にとって好まれる傾向にある。

 それが、どういうことになるかといえば、所謂ブス・デブ・貧乳の三拍子揃った上で、さらに体臭が酷い者が好まれるが故に、ブヒ族の大半はそのような見た目を目指し、日々醜い姿を磨いていくのだ。

 ブヒ族にとっては、それが女磨きになるのかもしれないが、人間からしたら、どんどん見たくも無ければ、近づきたくもない存在に成り果てるので、彼女もそれを嫌ったのだろう。

 彼らの集落の近くまで赴いて、キノコ狩りをしなければならないとなると、仮に鉢合わせることが無くとも、確実に悪臭が漂ってきそうだし、なんとなく汚いという印象は抱かずにはいられないはずだ。

 彼女の母親も、それくらい知っているはずだと考えると、年頃の娘に惨いことを押し付けるものだが、俺が家庭の事情に踏み込むこともあるまい。

 目的の物の名前すらうろ覚えで他人に押し付ける娘も娘だが、娘があんな感じでは、親の方もきっとろくでもない可能性が高い。

 彼女が欲していたゴリゴリノ助とかいうキノコに覚えも無ければ、その価値も知らないが、もしあの母親が娘と同じような理由で、自ら調達するのを嫌って娘に押し付けていたり、あまつさえ人払いした上で逢い引きでもしようものなら、正しくあの娘の母親といえよう。

 娘が平気で男に媚びを売る尻軽女なら、母親も等しく同類というわけだ。

 一口にかわいいと言っても、上には上がいるということすら知らぬ狭い世界で生きる少女と、その母親に対しても苛立ちを覚える中、徐々に鼻につく臭いが気になってきた。

 多少、悪臭には耐性があるとはいえ、嗅ぎ慣れた臭いとはまたひと味違っていて、我慢できても不快であることには変わらない。

 キノコが自生するくらいなので、森の空気も若干じめじめしている気がするが、そちらはこの臭いに比べれば大して気にならなかった。

 腐葉土になりかけている落ち葉を踏み鳴らしながら、それでも森の中を前進すると、さらに酷い光景を目にする。

「ケフッ、ケフケッフ…」

 地に伏して落ち葉と共に朽ちようとしていたのは、一人の少女だった。

 苦しそうに咳き込んで、起き上がることすらままならない様子をしている。

 少女は服や全身のあちこちが土や泥で汚れているだけでなく、露出した肌を見れば、毒々しい斑点が浮き上がっているのが分かる。

 どうやら、毒に侵されているようだが、それだけで止まる所を知らず、他にも痣や打ち身、打撲で腫れ上がったり、青く変色している箇所が多数見受けられた。

「まだ、息はあるようだな」

「…っ、おねがい、たすけて……、なんでもするから…」

 人の気配を感じたことで、死を迎えるのも時間の問題だった彼女は、やっとの思いで顔を上げると、命からがら弱々しい声で最後の願いを口にした。

 消え入りそうな儚い声を発した彼女の瞳には、僅かばかりの光しか差し込んでおらず、その長い髪も等しく毒に侵されてしまったような紫色に染まっていた。

 同じように苦しむ人間を、何人も見てきた俺にはわかる。このまま放置して捨て置けば、間違いなくこの女はすぐにでも息を引き取るだろう。

「……」

 こいつが、誰にこんなことをされたかなんてのは、どうでもいい。今も昔も、誰かがどこかで同じような目に遭っているのは、変わっていないというだけだ。

 本来、こんな世迷言を言う相手など蹴飛ばしてやるか、さっさと引導を渡してやるところだが、それは彼女になんでもさせるだけの価値があるかどうかを確認してからでも遅くはない。

「ちょっと動かすぞ」

 返事も待たず、無神経に彼女へ触ると、うつ伏せになっていた死にぞこないの身体を転がし、仰向けにさせる。

「治療の為だ、四の五の言うなよ」

 相変わらず、必死に呼吸を繰り返して生に縋る少女に構わず、大嘘を吐きながら服をナイフで切り裂いて肌を露出させると、また酷いものを見る羽目になった。

 腕や脚だけでなく、顔にも痣があったように、その例に漏れず胸部や腹部にも痣や裂傷が見受けられ、毒によるものと思われる斑点も浮かんでいる。

 しかし、それ以上に目に留まったのは、その豊かな胸としなやかにくびれた腰だ。

 息をする度に上下する胸は、その価値を主張するようにたわんで、その先っぽは残された最後の聖域とばかりに、鮮やかな薄紅色を放っていた。

 残念ながら、その胸にも斑点が浮かんでいる為に、カビが生えて腐ったチーズを連想させられて、今は手を付ける気にはなれなかった。

 とはいえ、毒や外傷を除いて元の状態を想定して考えるなら、少なくとも俺の価値観でいえば、そう悪くない女だ。

 それが、この場でこんな目に遭っていると分かれば、事情はおおよそ察することもできよう。

「薬だ、飲め」

「…んっ、んっ…、んぅ…」

 身体がろくに動かせもしない様子の彼女の代わりに、少しだけ頭を上げさせてから、緑色の液体が入った小瓶を口元に当てて、ゆっくりと飲ませた。

 毒や外傷、汚れも加味すれば、今の彼女は汚くて触りたくも無いと思う者がいてもおかしくないが、幸い俺は生まれ育った環境のおかげで慣れているので、特に気にならなかった。

 しばらくすると、試しに施した回復薬の効果が出て、みるみるうちに身体中の傷が癒えて、まだ見れたものになる。

 特に、顔立ちはかなり整っていて、女らしい体付きをしていることも加算すれば、パラミの店で働いている女よりも好みなほどであり、これならわざわざ手持ちの薬を使った甲斐もあるというものだ。

「あぁっ…はぁ…はぁ…」

 傷が癒えても、まだ毒が残っているようで、毒々しい紫色の斑点は相変わらず主張を続け、彼女も苦しそうに息を繰り返すままだ。

「念の為、もう一本飲んでおけ」

 回復薬を飲んでも、毒を治すことはできないが、彼女の体力自体を回復させることはできるだろう。

 先程と同じ要領で、彼女の口に薬を流し込んだ。

 解毒薬が手元にあれば、すぐに楽にさせてやることもできようが、毒の種類が分からなければ、稀に悪化させてしまうこともあるので、どちらにしろ安易に使うのは危険な行為だ。

 ただ、毒を使う者は、大抵もしもの時のことを考えて、その毒の解毒薬も持っている傾向にあるので、毒の種類が判別できずとも、そこを当てにすることはできる。

「おい、苦しんでるとこ悪いが、ちょっと案内してくれ。お前に毒を盛った奴は、どこにいる?」

「里の方、です…」

 万が一、この女が食い意地が張っているだけで、毒キノコにまで手を出してしまったバカだとしたら、色んな意味で救いようが無いと薄っすら思っていたが、やはり杞憂に終わった。

「それはどっちだ?」

「あっち…」

「…なるほどな」

 彼女が脚を向けていた方角へ力なく指差したのを見届けると、嵩張る背負い籠を捨て置いて、すぐに彼女を抱えて移動する。

 人一人分とはいえ、胸はともかく腕も脚も細いので、思った通り、重いと感じるほどではない。

 ひょいひょいと木々の枝から枝へ飛び進み、示した方向へ向かえば、徐々に臭いが濃くなっていくのが分かる。

 切り裂いて肌が露出したままの格好では、動く度に形を変えて弾ませる秘部の様子が見え隠れしているが、今は気にするべきではない。

 それよりも、気にするべきは目を開けていることすら辛そうな彼女が、一体どこまで持つかということだ。

 毒が回っていることを示す斑点が、身体中に現れていることから察するに、彼女の息はもう一日ももたないだろう。

 せっかく、薬も使って、わざわざ森の中を駆けずり回っているんだ。ちゃんと、相応の見返りは貰ってやらないと、俺の気が済まない。

「辛いのは分かるが、まだ生きていたければ、意識だけは落とすなよ。お前が気を失えば、もう俺はお前を助けられないだろうからな」

「はい…」

 一応、腕の立つ医者は知っているが、ここからではどんなに急いでも数日は掛かる。しかし、それではもう手遅れだろう。

 彼女の案内が無ければ、その里とやらを滅ぼしてでも薬を見つけるか、拷問してでも心当たりを吐かせて探すくらいしか手立てが無くなる上に、それを成し遂げるには余計な時間が掛かってしまう。

 しばらく進んで開けた場所に出たかと思えば、一つの集落へ出くわした。

 森の中を切り開いたようなその集落の中で、ひと際存在感を放つ大樹が聳え立ち、それに倣うように何百年と年輪を重ねたであろう大きな木々が生い茂っている。

 そんな大自然の中で暮らしているのが、美男美女の多いとされるエルフ族だったら良かったのだが、そこにいる男女が誰も彼も醜い人間のような姿をしていたことから、ブヒ族だと察する。

 豊かな大地の恵みがもたらす清らかな環境で、汗臭そうな肉塊同士が楽しそうに話している姿は、随分醜い光景だ。自然に対する冒涜とすらいえるだろう。

 こんな集団の中で、彼女のようなエルフにも匹敵する優れた容姿の者がいれば、それは格好の的になるのも必然だ。

 人間が、同類においても見下して罵詈雑言を放つのと同じで、同族から酷い虐めや蔑みを受けたことは容易に想像できる。

 生まれた場所や種族が違えば、一転して持て囃されていただろうに、運命とは残酷なものだ。

「着いたぞ。それで、どいつが毒を盛ったんだ?」

「ケフッ、ケフッ…。私に酷いことした中に…、薬の生成とか…毒薬に詳しい子がいたから…多分、その子だと…思います…」

「で、どいつだ?どこに住んでる?」

「あっち…です」

 少しは二本目の回復薬の効果もあったらしく、多少は話せるような状態になった彼女から情報を聞き出し、再び指差しを頼りに当てを探す。

 俺からすれば、どいつもこいつも同じような見た目をしていて、服装くらいでしか判別できないが、彼らからすれば、きっと違うのだろう。

 もはや、男か女かすらも判断が怪しいくらいなので、この里の光景がどれほど酷いものか想像ができようか。

「ここの…上にある…家、です」

「ブヒブヒの癖に、エルフの真似事か。随分と洒落てるな」

「……」

 彼女を含めた同族を蔑んでも、彼女は特に反応せず、力無い瞳で俺を見つめていた。

 ブヒ族の集落では、地を這う外敵から身を守る為か、大木を利用して地上から離れた場所に民家を建てており、梯子や大樹の枝を利用して、家々を行き来しているような造りをしていた。

 大木をくり抜いて家とする物もあれば、大木やその大きな枝に沿って木造の家を建てていたりと、なかなか器用なことをしている。

 あの重たい身体でか細い梯子を利用していれば、そのうち壊れることもざらにありそうだと思う一方で、地上にも切り株を利用した大きなテーブルなんかも作られており、自然と共に暮らしてきた部族なのは窺える。

 それぞれの民家のある高さがバラバラなこともあり、まずは低い位置にある家の屋根に飛び乗り、徐々に高い家へ飛び上っていく。

 醜く太ったブヒ族は、来訪者に気付くのも鈍いようで、特に誰かが騒ぎ立てている様子も無かった。

「この家だな」

「はい…。ここに住んでる、マルデイブって子です…」

「マルデイブ…また酷い名前だ」

 もう、既に名前を聞いただけで、丸々太ったデブというのが連想できる。なんと分かりやすい名前だろうか。

 しかも、この部族の間では、それが持て囃されるという姿でもあるのだから、きっと親もそうなることを望んで付けたということになる。

 そう考えると、人間の俺からすれば随分滑稽なことだ。

「ここで、ちょっと待ってろ」

「はい……」

 一旦、緩やかな円錐状の屋根に彼女を下ろして横たえると、そこから降りて、堂々と正面から家を訪ねる。

「おいブス、じゃなかった…デブ、いるか?」

「ブ、ブヒィ!?何よあんた!?」

 鍵も無い扉を開けて、我が物顔で家に入ると、一つの肉塊と目が合った。

 普通、身体が太ってしまった場合、胸にもある程度肉がついて同じように太るものだと思うのだが、もはやどこが胸で、どこが腹の肉なのかの判断も難しいほど肥えているので、ただただ醜い姿を晒しているばかりだ。

 それが、曲がりなりにも知性を持った生物であることを示すように、奇抜な服を身に付けているものだから、余計滑稽に映る。

 家の中は、間仕切りの無い一室だったが、置いてある物の中には家具や寝具だけでなく、様々な色合いを放つ薬品が並んでいた。

「ちょっと!何とか言いなさいよ!」

「俺に命令するとは、良い度胸だな」

 家主が動く度に、ミシミシと悲鳴を上げる床が抜けて、そのまま落下死してくれれば面白い見世物だが、今ばかりはそうなってしまっては困る。

 醜く太った女から分かりやすい嫌悪感を向けられる中、颯爽と背後に回って組み敷くと、腕なのか前足なのか分からないものを、本来曲がるはずの無い方向へ倒していく。

「イダダダダッッ!?」

 見た目通り愚鈍な女を制するのは簡単だったが、こうして近くにいると、物凄い汗臭さが鼻を刺激して、そっちの方が余程対処が難しい。

「お前、同族の女に毒を盛っただろ?あの毒の解毒薬を寄こせ。拒否すれば、どうなるかは…分かるよな?」

「はぁ?あんた、いきなり家に入ってきたと思ったら、何言ってんの!?そんなの、知らないわよ!早く出てって!!」

「ほう…。そういう態度を取るか…」

 身の程も知らず、自分の身が如何に危険に晒されているかも理解できていない女がしらばっくれるので、ご希望に添えて片腕を簡単に折ってしまう。

「ギィヤヤアァァァッッ!」

 鈍い音と共に、外見と同じくらい醜い女の声が響いた。

「さて、少しは吐く気になったか?」

「わかった、わかったから!あれよ、あの黄色い薬を飲ませれば、治るから!離してっ、もう離してぇ!!」

 一頻り叫んだ後に、だらんと垂れ下がる腕と同じように脱力してしまった女のもう片腕を折る素振りを見せれば、恐怖で引き攣った顔に脂汗を大量に掻いて、素直に白状した。

「本当だろうな?もし、嘘だったら…腕どころじゃ済まないぞ」

「こんな状況で、嘘なんて吐くはず無いでしょ!早く、早く離してっ!」

 必死に解放を願う彼女の言う通り、この状況で嘘を吐けるほど、こいつにそんな胆力は無いだろう。

 上辺だけで答える口よりも、余程素直に教えてくれる身体に直接聞いた答えなら、尚更信憑性は高くなる。

「そうか。でも、それなら最初から教えてくれれば良いのに、意地悪さんだよなぁ…あん?」

「ンギギイィィィヤァァァッッ!!」

 ついでに、もう片腕もへし折ってしまうと、鈍い音と共に解放された肉塊はその場に転がって、激痛に身を焼かれていた。

 そんなことも全く気にせず、薄く笑みを浮かべながら、透明な小瓶に入っていた薬と思しき薬品が並ぶ中から、唯一黄色い液体が入った瓶を手にすると、すぐに屋根の上へ戻り、毒に苦しむ女の元へ向かう。

「これで、治るはずだ。飲め」

「はい…んっ、ん…んぅ……」

 まだ身体が不自由そうな彼女の代わりに、またしても甲斐甲斐しく飲ませてやると、苦しい顔をして解毒薬を飲み干した彼女は、ようやく少し表情を和らげた。

「ん…ふぅ……。ちょっとだけ、楽になった気がします…」

「そうか。それなら、一つだけ聞いてもいいか?」

「はい、なんでしょう…?」

「毒を盛られて、殺されるような目に遭う心当たりはあるのか?何か掟を破ったとか、そういうことだ」

「いえ…、私は何も…。何もしてないんです…。何も悪いことはしてないはずなのに、マルデイブを筆頭に、みんなが私へ酷いことを……」

「だから、その延長線上のことだと思います。彼女たちの仕打ちは、だんだん酷くなっていきましたから…」

 失意のどん底にある彼女は、きっと昨日今日の事だけでなく、過去の事まで思い返しているのだろう。その目に涙を浮かべながら、胸の内を語った。

 嘘を吐いているようには見えなかったが、助かりたい一心で、部外者の俺を騙している可能性も無くはない。

 ただ、もしそうであれば、彼女は人を騙したり、自分を偽って演じるような仕事に付けば、大いに活躍できることだろう。

「そうか、それは災難だったな。でも、そんなことが温いと思えるくらい、俺はもっと酷いことを数えきれないくらいしてきた。だから、俺から言えることは、これ以上何も無い」

「そんなこと無いですよ…。あなたは、私の命を救ってくれました」

「それは、利益を見越してのことだ。もうこんな面倒なこと、したいとも思わん」

 人の命を奪うのは簡単で、一瞬で出来るようなことだ。しかし、実際彼女を助けるのには、それ以上の手間暇が掛かった。

 慣れないことはするものじゃないと、自分でも改めて思える。

「それでも…です。結果として、助けてくれたのは事実ですから。ありがとうございます」

「口先だけの感謝などいらん」

「ふふっ…。あの…良かったら、お名前を聞かせていただけませんか?」

 初めて見る彼女の笑顔は、俺への敵意などまるで無いものだった。

 そして、彼女に言われて初めて、お互いに名乗っていなかったことを察すると同時に、あの少女は散々甘い口を囁いたわりに名前すら聞かなかったことから、俺への興味が微塵も無かったことを思い知る。

「ジャック。俺は、そう呼ばれている」

「ジャックさん…ですね。私は、ランダといいます」

「そうか」

 大事そうに俺の名前を反芻した後、聞いてもいないのに、自ら名前を教えてくれた彼女の顔を見ていると、毒気を抜かれてしまいそうになるが、彼女の方の毒は順調に抜けているようだった。

 身体中に浮かんでいた斑点が、気づけば徐々に小さくなっている。

「しかし、お前もやられっぱなしというのは、癪だろう?危うく、命を落とすところだったんだ。それ相応の報いは受けてもらわないと、気も晴れないだろう?」

「それは…そうですけど……」

 歯切れの悪い女だったが、思うところはあるようで、ついつい口を滑らしていた。

「なら、面白いものを見せてやろう」

 回復の兆しが見えている彼女へ不敵な笑みを見せると、再び下に降りて、マルデイブの家に足を踏み入れる。

「イダダダダッ!イダイッ!イダイィィッ!!」

「まだ喚いてんのか。うるせえブスだな」

「な、何よ…あんた。また来たの?もう、薬は…」

「あー、そうそう。おかげさまで、助かったみたいだな」

「だったら…ブヒィッ!!」

 生憎、肉の塊と話す趣味も無いので、痛みに悶えて転げ回っていたブスを蹴飛ばすと、開けたままだった玄関から飛び出して、そのまま落下する。

「そもそも、お前らが毒を盛らなければ、薬も必要なかったことを忘れていそうな口振りだったな」

 自分たちが彼女を傷つけ、あまつさえ毒を盛って殺そうとしたのなら、それ相応の報いを受けるのも当然のことだ。

 全く、そんなことすら分からないなんて、今まで何をして生きてきたのかと存在を疑う。

「ギィヤァァッッ!…アガッ!」

「もうちょっと跳ねるかと思ったが、意外と弾力性は無かったか」

 地面に叩きつけられた後、ピクピク身体を動かす程度で、無様に地面へ這う肉塊を見てから、首から下げていた笛を吹いた。

 聞きなれた独特の音が鳴り響くと、辺りの生物の身を震わせる。

 森自体もざわめきを見せて、木々が揺れて葉を鳴らす音が、しきりに聞こえた。

「さて、少しは面白い見世物が見られると良いが…」

 家主が不在になった家を後にして、ランダのいる屋根の上へ戻ると、ブヒブヒと気に障る声が騒ぎ立てて、民家から顔を出して辺りの様子を窺ったり、地上に丸い影が集まったりしていた。

「な、何の音だ?」

「ブヒィ!?誰か倒れてるわ!」

「なんだなんだ!?」

 騒々しい上に暑苦しい集団が、ぞろぞろと落下物の周りへ輪を作っていった。

「何をしたんですか?」

「今に分かる。お楽しみって奴さ」

 不思議に思ったランダも、屋根の縁から一緒に下を覗き込んで、下界の様子を見守っている。

「それより、あいつらがブヒブヒ言ってるのは何なんだ?」

「あぁ…、それは口癖というか、ちょっとした流行りなんですよ」

「流行り?…アホくさ。じゃあ、お前も使うのか?」

「いえ、私は…。下手に周りに倣って使うと、余計反感を買いましたから…」

「なら良かった。その姿のお前にまで言われたら、呆れてこの場から蹴落としてやろうかと思っていたぞ」

「…そうならずに済んで、良かったです」

 小さな疑問も解決したところで、遠くから微かに多くの足音が聞こえ始め、その時が近いことを告げていた。

「ブ、ブヒィッ!?スカベンジーナだ!!」

「な、なんで、急に!?」

「すごい数だぞ!」

 四方から集まってきたスカベンジーナの群れを見て、恐れ戦く民衆は口々に喚き立てて、我先にと逃げようとしていた。

 スカベンジーナは群れで行動し、手負いの者から襲う習性があるといわれている狡猾な四つ足のモンスターだ。

 血や肉の匂いを頼りに、随分離れた所からも嗅ぎ付けて、死肉を漁るともされている。

「待って!あたしを置いてかないで!」

 自らの危機が迫っているというのに、ろくに身動きが取れない足手まといを誰も助けようとは思わないらしく、丸々太ったデブは必死に叫んでは地面を這って、のろのろと動いていた。

「よーく、見ていろ。あいつが、文字通り肉になって、食われる瞬間をな」

「……」

 隣で悲惨な光景を見つめる彼女は、目を見開いて、ただただその場を眺めていた。

「あ、あんた!助けてっ!なんでもするから、助けてよっ!!」

 あの体型では、全力疾走しても追いつかれる可能性が高いのに、立つこともままならないほどまともに動けなければ、もはや絶望的である。

 それを彼女も察したようで、ふと目が合った俺に、地上から必死に願っていた。

「どうする?ランダ。お前次第では、助けてやってもいいぞ」

 アレがどうなろうと、どうでも良かったこともあり、せっかくなので隣の女に命運を委ねた。

「…いい」

 しかし、彼女は短い一言を口にすると、静かに首を横へ振った。

「助ける必要なんてない…。私に、散々酷いことをしてきた報いだわ…んひひっ!そうよ、きっとそうよ!!」

 突然何かが目覚めてしまったようで、一変した彼女の雰囲気は、なかなかに面白いものだった。

 異常なほど目を見開き、口元も薄笑いを浮かべ、全身は闇を感じさせるような負の魔力で満ち溢れている。

「…だそうだ。せいぜい、今までの行いを悔い改めて、醜く死ぬことでその罪を償うがいい」

「イヤッ、イヤアぁッ!」

 誰からも見放された醜い塊は、あっという間に黄土色の体毛で覆い隠され、肉という肉を食い千切られていく。

 脂過多で胃もたれしそうな餌でも、我先にと食い漁る早食い競争は、あっという間に耳障りな声を消してしまった。

「どうだ、ランダ。良い眺めだろう?」

「ええ。これまでで、一番…最っ高の眺めです」

 返事をしたその声色や、愉悦を浮かべた表情も然ることながら、同族が捕食されているというのに、嬉々とした目でその様子を追っていた。

「世の中には、死よりも辛い罰があってな。すぐに死んでしまったり、気を失ってしまえた方が、まだマシだと思えるようなものは、いくつもある」

「その一つが、これというわけですね…、んひひひひっ!」

 寄り集まっていたスカベンジーナがようやく離れたかと思えば、随分やせ細って見違えたマルデイブの姿が地に晒されていた。

 その変貌を目の当たりにすると、今度太ったことに悩む奴と遭遇した時には、死ぬほど簡単に痩せられる方法として、ぜひオススメしたいと思うほどだ。

「なあ、ランダ。マルデイブには、今の姿の方が、余程お似合いだと思わないか?」

「ええ、正にその通りだと思います。あんなに太ってぶよぶよだった面影が、まるで残ってないほど、ゴツゴツ骨ばっていて…あれこそ、あるべき姿として相応しいです」

 饒舌に語る彼女の復讐心と同じように、これだけでは足りないと息巻いているスカベンジーナは、次の獲物を狙って駆けていく。

 この里一番の大樹の枝が、木々に沿って造られた家と家を繋ぐような橋のように伸びており、この里における道のような役割を果たしているのだろう。

 その道を走って住民は逃げようとしているが、あの体格ではその速さも高が知れている。

 結果、軽々とその勢いを超える速度で狩猟者に追いかけられ、次々と彼らの餌食になっていく。

「ギィヤぁッ!」

「ブヒィッ!!」

「ンゴォッ!?」

 ざっと見ても二十を超える数のスカベンジーナを前に、逃げ果せる者は背中から噛みつかれ、勇気ある者は武器を持って立ち向かうが、この数を前にしては雪崩れ込まれてあっけなくやられてしまい、他の者と同じように醜い悲鳴を上げていた。

「みんなっ、早く逃げろ!ここは俺が食い止める!!」

 しかし、一人だけ武骨な鎧をまとって完全武装した者が現れ、その身なりに恥じぬ活躍をし始める。

 鎧を笠に着て、襲い掛かってきたスカベンジーナを切り裂いて反撃し、一匹二匹と次々に仲間の仇を討っていた。

「何だ、あいつは?」

「この里で、一番の腕っぷしです。あの鎧があると、スカベンジーナとしては厄介ですね…」

 同胞が一転して攻勢しようという場面なのに、ランダは群がるモンスターと同じく悔しそうな顔を浮かべていた。

 彼女の意見は尤もだが、そもそもスカベンジーナ自体、大したモンスターではないので、仕方ないともいえる。

 今回は、奇襲を掛けたことと、数の上で有利だから戦況が向いているだけだ。

「あれは、邪魔だな」

 ランダを置いて宙を舞うと、騒然としている戦場に赴いた。

 狂乱の中で、新たな異分子が一つ現れても、彼らからすればそれどころではないのだろう。

 気に掛けることでは無いのはお互い様だと思いつつ、無様に短い足を必死に動かして逃げ惑う民衆を尻目に、一直線に目標へ近づくと、刀へ手を伸ばす。

「避難さえできれば、こっちのもんだ!このまま押し切るぞ…っ!?」

 刀を抜いてスパッと一振りするだけで、堂々と立ち向かう彼の片腕を切り落とすと、その手に握っていた敵を屠る為の剣も同時に落ちて、虚しく音を立てた。

 我ながら、血潮を吹く目にも鮮やかな切り口を見ると、しっかり鍛冶屋で研いで貰っただけの甲斐があったと実感できる。

 もし、刃こぼれした鈍刀のままだったら、鉄は疎か腕を落とすどころではなかったかもしれない。

「ブ、ブヒィッ!?」

 突然、身に降りかかった災いに驚く男だったが、敵はその様子を黙って見ているはずもない。

 血の匂いを嗅ぎ付けたスカベンジーナは、獰猛な目を光らせて、一目散に襲い来る。

「…ちっ、弁えろ雑魚が」

 奴らからすれば、人間もブヒ族も関係なく、等しく敵である為か、俺にも襲い掛かってきた一匹のスカベンジーナを蹴り飛ばして、引き続きブヒ族を追わせる。

 そして、また同じ目に遭わないようすぐにその場から離れると、再び家々を足場にして飛び上がり、ランダのいる屋根まで戻った。

「う、うわああぁぁぁっっっ!!」

 一方で、鎧による機動力の低下もあって、逃げることもできず、対処する為の武器も無い彼は、複数のスカベンジーナに襲われ、正しくあの女の二の舞になって、牙を突き立てられた。

「やめろ!やめっ…助けっ!助けてくれええぇっっ!!」

 さっきの勢いはどこへ行ったのかと思うほど、無様に悲鳴を上げて助けを請うが、一番飛びぬけた功績を上げていた彼がやられてしまっては、もはや誰が助けられようか。

 鉄鎧と共に大きな音を立てて押し倒された男は、鎧で守られていない部分から、次々に肉を毟られていく。

 痛みと恐怖を存分に味わい、死を目の当たりにする男の醜い悲鳴が響くと、希望を見出していたブヒ族には絶望が広がり、反対にスカベンジーナたちは仲間の死もあって、さらに凶暴になった目を引っ提げて、鼻息荒く覆いかぶさっている。

 怒りと共に興奮状態にあるのか、鉄の鎧にすら噛みついて頑強な顎を以って歪めてしまえば、その鎧は自らの存在意義ですら果たせなくなり、男は肉塊へ戻ることになった。

「これで、時期に片が付くだろう」

「んひひっ!良い気味、良い気味だわ…!アハハハハハッッ!!」

 下では、腹を空かせたスカベンジーナの胃袋に次々と肉塊が収まっており、もはや里が滅亡の危機に瀕して地獄絵図と化しているのだが、ランダはその惨劇を嘲笑うかのように見守っていた。

「あなたたちは、誰も私に手を差し伸べなかった。だから、これはその報いよ!あなたたちが、どれだけ叫んでも、誰も手を差し伸べてはくれないのよ!!」

「せいぜい、自分たちの行いを呪いなさい!そして、自分自身の身を以って、贖うのよ!!クハハハハハッッ!!」

 彼女自身がこの騒動を引き起こしたわけでも無いのに、我が物顔で愉しみ過ぎているのは少々思うところはある。

 しかし、そう唆したのも俺であり、なにより、何も悪いことをしていないと言い張る彼女と同じ目に遭うという意味では、彼らの身に起きた今回の出来事も、それに等しいものではある。

 マルデイブがランダを虐めたり、蔑んでいたところを止めもせず、傍観していたのなら、スカベンジーナに襲われたところを止めもせず、傍観しているランダも似たような立場にあるということだ。

「ふっ…、なるほどな」

 彼女を見ていて、実はもう一つ感じていたことがある。それは、既視感だ。

 まるで、昔の自分を見ているような気持ちになったのは、彼女の境遇が少し似ていたことと、同胞の死を嘲笑う姿が、平気で人を殺してきた自分と重なったからだろう。

 今も昔も、周りは敵だらけで、手を差し伸べてくれる者など、一人たりともいなかった点は、俺たち二人に共通している。

「はぁ…あぁ…あぁぁ……」

 自分を助けようともしなかった同胞たちが、悲鳴を上げて血潮を吹く度に、ランダは上がった口角はそのままに、熱っぽい息を漏らしていた。

「胸のドキドキが治まらない…。何、この感覚…。頭も甘く痺れて…なんだかとっても……気持ちイイっ…!」

 彼女自身は気付いていないようだが、今まで積もり積もって溢れんばかりに溜められた鬱憤が、一気に晴らされたことによる愉楽を多分に感じているのだろう。

 初めて感じる異常なまでの興奮によって、恍惚の表情を浮かべる彼女の姿が、俺の目には色っぽく映り、劣情をそそられてしまった。

 そんな彼女と、下等生物同士の争いをのんびり眺めていたら、そのうち嵐のような悲鳴が止んで、気づけばブヒ族の里は滅びていた。

 おそらく、ランダを残して、この里にいた者たちは死したのだろうが、愚かで貪欲なスカベンジーナは、更なる獲物を狙ってこちらに目を向けている。

「ふっ、力量差も分からぬ馬鹿共め」

 首に下げた笛を逆さから吹くと、息が漏れたような微かな音が耳に届いた。

 すると、スカベンジーナは一斉に耳を立て、手に入れた食料を落としてしまっても、それすら気にも留めずに慌てて走り去っていく。

 大地や家々が赤く色付けられた世界には、邪魔者が一匹たりともいなくなり、静かな風音を奏でていた。

 この笛が、死神の笛と呼ばれる所以は、使用者の元に周囲のモンスターが集まってしまうことにある。

 自ら死を招くような行為をする効果の為、そのような呪われた魔道具として認知されているが、実はもう一つ別の効果もある。

 今のように逆さから吹くことで、モンスターをその場から追い払い、しばらく寄せ付けなくする効果だ。

 しかし、こちらの効果は、一般的に認知されていない。

 この効果があることも広まれば、この笛は呪われた魔道具として厳重に扱われるだけでなく、もっと値打ちが付くものにもなるだろうが、わざわざそれを教えるような真似をする必要も無いので、誰にも知らせてはいない。

 また、どちらの効果も原理すら不明だが、おそらくこの笛から出る音が関係しているのだと考えられている。

「これで終わりだ。…どうだ、少しは愉しめたか?」

「とんでもありません!これほど痛快な気分になったのは、生まれて初めてです」

 最初こそ、こんな光景を目にすれば、彼女も恐怖して慄くかと思っていたが、その予想とは外れて、思った以上に喜んでもらえたようだ。

 すっかり回復した彼女からは、毒々しい斑点もとうに消えていて、本来の美しい白い肌を取り戻していた。

「喜んでもらえたなら、なによりだ。でも、大事なことを忘れてもらっては困る」

「はい、なんでしょう?」

「助ける代わりに、なんでもすると言ったよな?」

「はい、もちろんです!」

 目を輝かせて妄信的に頷いた彼女は、もはや自分が同じような目に遭うとは思ってもいないか、あるいはそれを真の意味で受け入れている顔をしていた。

 今の彼女なら、本当に文字通りなんでもしてくれるだろうと、直感が告げている。

「ふっ…、良いだろう。それなら、俺についてこい」

「え?良いんですか!?むしろ、私からお願いしたいくらいだったんですけど、ジャックさん…いえ、ジャック様がそう仰るのであれば、それはもう…是非、ご一緒させてください」

 今まで、彼女と似たようなことを言って媚びてきた女も、少なからずいた。

 しかし、彼女の瞳はその女たちとは違い、死を恐れた故の絶望感漂うものや、強者の元へ身を寄せることで、自らの安全を確保しつつ利用しようという打算的なものでもなく、まるで羨望すら感じさせる輝きを魅せていた。

 こんな目で、熱い視線を送られるのは初めてかもしれない。

 だが、そんな彼女の瞳にも、幾ばくかの陰りが見え始める。

「…ただ、私なんかで良いんですか?おかげさまで、傷や毒は癒えましたけど、見た目はこんなですよ…?」

 彼女の生きてきた世界や価値観でいえば、その言葉は謙虚な振舞いなのだろうが、人間の基準でいえば、ランダの容姿を以って、あれらと比較して劣るなどあり得た話ではない。

 背は取り立てて高くないものの、全体的に細身で、脚もすらりと伸びて、女性らしくくびれた腰や発育の良い胸はもちろん、顔立ちだって整っているし、サラサラと伸びる長い髪も美しいものだ。

 ともすれば、嫌味や皮肉を言っているようにすら感じられる。

「なんだ、知らないのか。ブヒ族と人間の価値観は美醜逆転していて、もはや真逆と言ってもいい。だから、お前らブヒ族にとっては、最底辺の売れ残りだった見た目でも、人間からすれば、なかなか類を見ないほどの上玉なんだ」

「そうなんですか!?初めて聞きました…。でも、それなら私が隣にいても、ジャック様にまでご迷惑を掛けてしまうことは無さそうですね。安心しました」

「ふっ…」

 彼女が抱いていた僅かばかりの不安の正体を知り、あまりにも恐れ知らずなことだったので、思わず鼻で笑ってしまった。

 この期に及んで、自分の身の心配よりも、他人の心配をしているのだ。可笑しく思えて、当然だろう。

「まあ、逆に恨まれることはあるかもしれないが…、お前がそんなことを気にする必要は無い」

「ふふっ、ありがとうございます。では、ジャック様の言付け通り、今後はお傍に仕えさせていただく…ということで良かったですか?」

「ん、そういうことだな。同胞のようになりたくなければ、せいぜい俺を失望させないことだ」

「承知しました。これから、よろしくお願いしますね、ジャック様」

 今の彼女ほど、屈託のない笑顔を俺に向けて来た者はいないだろう。

 そう思ってしまうくらい、朗らかで妖艶な表情は魅力的に思えた。

「それなら、早速…と言いたいところだが……」

「あっ…、ジャック様……」

 服を切り裂いたままだったこともあり、無防備に肌を晒す彼女へ手を伸ばしてみれば、ようやく綺麗な肌に触ることができた。

 スベスベの肌を触った限り、腹なのか胸なのか分からない肉の付き方をしていた同胞と違って、あまり無駄な肉はついていないように思える。

 そして、それだけでは飽き足らず、服の内側に手を入れて、一番触れたかった膨らみを掴むと、手のひらに収まりきらないほどの大きさを実感する。

 パラミと比べてしまえば、これでもまだ小さいというのは事実だが、それでも手から伝わるずっしりとした重量感は、正しく優れた女のそれだ。

「ん、ん…んぅ……ジャック様ぁ…、くすぐったいです……」

 抵抗ともいえないほどの言葉を漏らした彼女は、突然の暴挙を拒むことも無く、それどころか、むしろ触ってくれと言わんばかりに、さらに上から自分の手を重ねていた。

「男の人に触られるなんて、初めてですけど…ジャック様は、お気に召して頂けてますか…?」

「あぁ…」

「んふっ…、良かった。ジャック様にそう言って頂けたなら、今まで自信が無かった自分の身体にも、少しだけ自信が持てそうです…」

 卑屈的な彼女ではあったが、上目遣いで俺を見つめる瞳は、不安など感じさせない期待を孕んだ熱っぽい視線を送っていた。

 俺としても、このまま至福の時を過ごしたいところではあったが、まだもう一つやることがあるのを頭の片隅に覚えていたので、仕方なく早めに切り上げることにした。

「今は、これくらいで我慢しておけ」

 片手で彼女の顎を少し上げさせると、そのまま顔を近づけて、色艶を取り戻した唇を奪った。

「ん、ちゅぅ……ん、んんぅ…」

 ただ、奪ったつもりにも関わらず、彼女からも求めてきたおかげで、思った以上に長く彼女の感触を味わうこととなった。

「ん…。これで、もう少しくらいは自信が持てたか?」

「はい…、ジャック様のおかげで」

 これまでよりも、さらに表情を綻ばせた彼女は、余韻を反芻するように唇へ指を当てていた。

「初めて…だったんですよ?しっかり、味わって頂けました?」

「あぁ、存分にな」

 彼女の喜ぶ顔を見てから、そっと手を放して離れると、改めて話を投げかける。

「実は、そもそもこの辺りに来た理由があってだな。ゴリ…ゴリマッスルダケ?とかなんとかいうキノコを、採ってきて欲しいと言われてて…」

「…えっと、もしかして、ゴリェオダケのことですか?」

 一気に雰囲気が損なわれてしまったが、如何せん不明瞭な品を求めるので、そちらの方に気を取られてしまったらしく、彼女も特に気にした様子は無かった。

「あ、ああ…多分、それのことだろう。この辺りにしか、自生していないキノコだと言っていた」

「それでしたら、すぐ見つかると思いますよ」

「それは助かる。ついでに、さっき籠を置いてきてしまったから、ある程度入る別の籠も用意してくれると、もっと助かるんだがな」

「はい。それなら、私の家にある物を使えば大丈夫でしょう。必要なら、今すぐ取ってきますけど…そろそろ、着替えてきても良いですか?」

 本来隠しているはずの肌を、いつまでも晒しているのは、さすがに抵抗があったらしい。

 自分の身体に自信が持てないようだったことも含めれば、当然の反応といえるだろう。

「…いや、どうせ汚れるだろうから、その後にしろ。先に、もう一つやってもらいたいことがある」

「はい、なんでしょう?」

「なぁに。そのキノコ以外にも、手土産を持ってってやろうという俺の心意気さ」

 真相が読めない彼女を抱えて、一度地上まで降りると、まだ肉が残って面影がある男の死体を探す。

「これでいいか。刃物を使ったことは?」

「包丁なら、普段から使ってますけど…?」

「ふむ。まあ、良いだろう。似たようなもんだ」

 彼女に剝ぎ取り用のナイフを渡すと、一つの命令を下す。

「こいつを含め、その辺に転がった死体から、男の下半身に付いてるキノコを狩ってこい」

「…はい、承りました」

 こればかりは、さすがに一瞬嫌そうな顔を浮かべたが、彼女も自身に拒否権が無いことを自覚したようで、少しの間を置いて素直に頷いた。

「でも、これが手土産なんですか…?」

「ああ。世の中には、色んなものを好む者がいるもんだ」

「そうなんですね…」

 無抵抗な男の服を脱がせると、ナイフを片手に持ったランダは、汚物を見るような目で心底嫌がりながらもキノコに手を伸ばし、根元からサックリと切断した。

 嫌々やっているのは見ていてあからさまなほどだが、それでもしっかりと言付けを守り、命令に順守する彼女には見所がある。

 大抵の女は、同じような状況に置かれても、いつまで経ってもめそめそしているだけで、手を動かせずにいることが多く、一枚一枚服を脱がしてやったり、爪を剥いでやったりしないと、なかなか思うように動かないものだ。

 結局、何をするにも自分でやった方が早いという考えもあるが、今回のことは少しばかり身の震えを覚える光景な上に、自分のモノ以外を触りたくもないので、できることなら自分でやりたくはない。

「どうせ触るなら、最初はジャック様のが良かったです…」

「何言ってんだ。俺はその辺見てくるから、しっかりやっておけよ」

「…分かりました」

 渋々返事をした彼女を置いて、金品を物色する為に空き家となった家々を回り、家探しを始める。

 俺に唇を奪われたり、身体を直接触られた時は嫌がりもしなかったのに、他の男というだけで、あれだけ執拗に嫌うものなのかと疑問に思う。

 人間の感覚でいえば、もちろんそうなるだろうが、ブヒ族であれば、モテるはずの男のモノを触っているというのに、好意的な印象はさらさら見受けられなかった。

 もしかしたら、ブヒ族の中でも例外的な趣向の持ち主だったり、彼らからも虐げられていたことで価値観が歪んで嫌いになったか、あるいは単に死体を触ること自体、抵抗があるのかもしれない。

 その辺は、慣れてしまって麻痺している俺からすれば、理解できない感情なので、汲み取ってやることは難しいだろう。

「目ぼしい物が無いな…」

 ブヒ族の里でも、人間の使う通貨が流通しているかは怪しいものだったが、それ以上に魔導書らしきものすら見つからない。

 一軒二軒くらいならまだしも、半数ほどの家を回ってこれでは、骨折り損もいいところだ。

 もはや、期待の欠片すら失いつつある中で、一番大きな大樹に沿って建てられた最も高い場所に位置する家を訪れる。

「うっ…、これはまた相当だな」

 加齢臭すら感じさせる臭いに顔を歪めながら、家の中を物色する。

 他の家の内装よりも凝った装飾があしらわれた部屋の中は、物々しい雰囲気すら感じさせる。

 本棚を背に設けられた机の上には、ブヒ族を象徴するようなデブの銅像まで置かれていた。

「全く、良い趣味してるな…ん?」

 誰に届くわけでもない嫌味を溢してしまったところで、一瞬沈むような感覚を覚え、視線を下へ向ける。

 ついに、床が人を支えきれなくなって抜けそうなのかと思いきや、よく見れば予め四角に枠組みされて沈む仕組みになっているようだ。

 その枠の大きさは、人の両足が優に入る程度のもので、その中にすっぽり入って立つことも容易だった。

「んんぅ……?」

 しかし、僅かに沈む感覚はあっても、特に何か起こるわけでも無い。

 その場で跳ねて、勢いをつけてみても、床が抜けることも無ければ、家の中でミシミシと音がするくらいだ。

 他の家で見ることが無かったあからさまに怪しい手のひらほどの大きさの銅像を、その上に乗せてみても、特に変化は無い。

 この手の仕掛けがあるとすれば、その先には隠し財宝でもありそうなものだが、そう簡単に解かせてはくれないようだ。

 逆にいえば、それだけ厳重に保管しておきたいものがあるともいえる。

 この仕掛けを施した理由が、外部から秘匿したいのか、内部から隠したいのか、そのどちらかが分かるだけでもヒントが掴めそうなものだが、先に待つものが分からない以上、その推測も難しい。

「デブの考えることなんて、分からんな」

 同じ人間の考えさえ、完全に把握することなどできず、相容れないことが多々あるというのに、価値観が逆転した種族の考えなど、及ぶところではない。

「あっ…。いや、待てよ…」

 もう一度、入念に仕掛けの動きを見てみると、沈み込もうとしている一方で、まだ押し込めそうな余地があるようにも思えた。

「ほぅ…。ということは…」

 本棚から重そうな分厚い本を片っ端から取り出し、その四角い枠の上に積み上げていく。

 最初は微動だにしなかった床も、それが積み重なっていけば、徐々に沈み始めて、おそらく俺が乗っていた時よりも深く沈んでいた。

 なるべく枠の中を隙間なく詰めて、少しでも多く乗るように注意しながら、自分の身長を超えるほどまで乗せていくと、ようやく目に見えた変化が起こる。

「なるほど。俺では、重さが足りなかったんだな」

 ゴゴゴゴ…と机の背面にあった本棚の一つが、片側を軸として回転し、その裏側を覗かせた。

「というか、これなら仕掛けを無視して、本棚自体を動かせば良かったのでは…?」

 無駄に知恵を使わされたと思うと疲労感が漂うものの、あの仕掛けが無ければ、わざわざ本が敷き詰められた重たい本棚の裏まで調べようとは思わなかったので、多少は意味があったのだろう。

 露わになった壁は、大樹の幹を削って同化させているようで、そこらの外壁とはわけが違う。

 そんな壁の一部に、四角く分厚い鉄板が取り付けられ、あからさまに何かがあるのを示している。

 もう一歩のところまで来ているが、鉄の板には取っ手も無ければ、すんなり開けさせてくれるようにも思えない。

 壁の役割を果たしている大樹に火をつけて燃やしてしまう強攻策もあるが、中身が燃えてしまうようなものだった場合は、それごと燃えて無くなってしまうだろうし、なにより別の場所まで引火して、最悪この集落が火の海に代わり、森ごと焼き払ってしまうことにもなりかねない。

 もはや、壊滅した里がどうなろうと知ったことではないが、まだ目的のキノコも採りに行ってないので、先に燃えてしまっては本末転倒だ。

 他に気になる点といえば、鉄の板の中央に、真ん丸に描かれた手のひらくらいの大きさの円が彫られていることくらいだ。

 この大きさといい、何かを連想させる形といい、先程これに関するものを見た気がする。

「ここで、これか」

 銅像の底面をその縁に合わせてくっつけてみると、小さな音が聞こえたと同時に、ひとりでに押し返される感覚を覚えて、銅像を引き戻す。

 すると、鉄の扉は自ら少しだけ開いて、中を少し覗かせた。

「道理で、変な模様が掛かれてると思った」

 先程、持ち上げた時に、ちょうど目にする機会があったこともあり、今度はすぐに気付くことができた。

 その模様が、ブヒ族らしき丸々太った人物を、神のように崇め奉る奇妙なものだったことも、頭の片隅に残っていた理由の一つだろう。

 用済みになった銅像をその辺に放り投げて、いざ鉄の扉を開けてみると、大樹をくり抜かれて作られていた隠し収納の中に収められていたのが、一冊の本だと分かった。

「これだけか」

 とりあえず手に取ってはみたものの、小さな隠し収納の中で厳重に保管されていた物だったことから、分かりやすい金銀財宝を期待してしまっただけに、その落胆は大きい。

 この本が、まだ見ぬ高位の魔導書であれば、それも拭うことができようが、魔力の魔の字も感じられず、とてもそのようには思えなかった。

 無駄に豪華な装飾が施された本に、一体どれだけの価値があるのかは知り得ないが、その薄汚れた表紙を見るだけで、俺にとっては魔導書未満だということが、中を見なくてもなんとなく分かる。

「なになに…。はぁん、ブヒ族の歴史書か」

 期待なんてものを通り過ぎて、溜め息を漏らしながら、試しにざっと全体へ目を通してみたが、それだけでも随分くだらない本だということくらいは分かった。

 この本によれば、ブヒ族の祖先――つまり大本は、迫害された人間だった。

 現代と同じで、醜く太って汗臭いような男は嫌われ、同じような女も男から見向きもされなかった低劣な一部の人間たちが人里を離れ、自分たちこそが尊敬されるべき立場の人間だと誇れる新天地を求めた末の結果らしい。

 その行動力を別のものに発揮できれば、人間としてももう少しまともに生きられたのではないかという考えが一瞬過ぎったが、今となっては無用の考えだ。

 洗脳にも近しい新たな価値観の植え付けを施していく中で、人間ではない亜人や獣人など、別の種族の変わり者も取り込み、人間よりも優れた身体能力を得たらしい。

 しかし、残念ながら、その身体能力が表立って発揮されることはほとんど無かった。

 なぜなら、異常なほど太ってしまったことで、それが相殺されてしまっていたからだ。

 ランダのように、細くしなやかな身体であったならば、軽やかに跳躍し、素早い身のこなしも可能だったかもしれないが、あの肉の塊では無理もない。

 さらに、血が薄まるごとにその恩恵も薄まっていき、もはや太った身体でも、日常生活が送れるようになった程度のものでしかない。

 しかも、それらの複数の血が混ざった所為なのか、魔法適正がある者も代が進むごとに減っていき、今では稀にしか現れないという。

「救いようのないバカの集まりだったってことだな。アホらし」

 真面目に読んでしまった俺に謝って欲しいくらいだが、もうその謝罪を述べる者すら、この集落にはランダしか残っていないので、それも叶わぬ思いだ。

 また手ぶらで顔を合わせると、文句を言われそうな予感がする女の顔を思い出したこともあり、こんな物でも無いよりマシかと思って、一応荷物の中へ収めておく。

 それにしても、ひたすら我慢していたが、この集落はとにかく臭いがキツい。

 体臭がキツい脂汗の臭いに比べれば、慣れ親しんだ血の匂いの方が、まだ平穏を保っていられるというのも、常人には理解しがたいことなのだろう。

 風通しが良い分、まだ外の方がマシなものだが、家の中は悪臭地獄ともいえそうだった。

 これまで、色んな死地を潜り抜けて来たつもりだが、俺にもまだまだ知らない境地があったらしい。…別に、知りたくも無かったが。

 そんな中、一軒だけ明らかに匂いの違う家があった。そこは、地獄の片隅にある天国にすら思えるほどだったが、その家主が誰かなんて、聞かなくても分かる。

「あ、ジャック様。ここにいらしたんですね」

 綺麗に片付けられた家の中で、深く深呼吸を繰り返していると、ランダが玄関扉を開けてやってきた。

「大体取り尽くしたので、ご報告してから一度家に帰ろうと思ったんですが、姿が見えないので、勝手に来ちゃいました」

 その両手いっぱいに持ったキノコは、茶色だったりさらにそこから黒ずんでいたりと様々だったが、どれもこれも赤い液体で彩られていた。

 あまりまじまじと見たい光景ではなかったが、彼女はもうそこまで気にしていないようにも見えた。

 一度手が汚れてしまうと、どうせ汚れているからと、さして気にならなくなる心理によるものだろうか。

「まあ、これだけあれば、十分だろう」

「んふふっ…。少しはお役に立てたようで、良かったです。でも、ここが私の家だと分かって、待っていて下さったんですか?」

 部屋の隅に立て掛けてあった籠の中へ、両手で抱えていたモノを放り込むと、その穢れを払うかのように、手を払った。

「いや、別に待ってたわけじゃないが…ここだけ、良い匂いがしたからな。ちょっと休ませていた、主に鼻をな」

「良い匂いって…そんな風に言われたの、初めてですよ」

「そりゃそうだろう。あんな悪臭ばかりで鼻がもげそうな連中と比べたら、全く違うからな」

「…本当に、私たちと人間とでは、随分感じ方が違うんですね」

 あの本に書かれていたことが事実と仮定すると、価値観を変えさせていくうちに、身体も慣れたり変化して、徐々に匂いの感じ方も変わってきたのかもしれない。

「見たところ、ランダはここに一人で住んでいるようだが、両親はどうした?一緒に暮らしてるわけじゃないだろう?」

 寝具も一人分しかないのに、他のブヒ族の横幅を考えると、到底複数人で住んでいるようには思えなかった。

「…母は、私が生まれてすぐに亡くなったそうです。だから、私は顔すら知りません」

「父親の方は?」

「父は…私が物心ついて数年経った頃には、もう別の女の人と仲良くなっていて、私に構うことも無くなりました」

「それなら良かった。もし、ランダを連れて行くことに関して文句を言うようだったら、お前自ら殺すように命令していたかもしれないからな」

 神経を逆なでるようなことを平気で言い飛ばせば、彼女もしんみりするどころか少し呆れて、自嘲気味の笑みがこぼれた。

「…ある意味、その通りになったのかもしれません。さっきの犠牲者の中に、私の父も混ざっていましたから」

「そうか、…あっ」

 彼女の言葉通りなら、自分を産み落とした片割れに対して、面白い事実が発覚したわけだが、こればかりは俺の胸の内にしまって、せいぜい笑ってやるとしよう。

 他の者たちと同じで、自分が蒔いた種によって生じた自業自得であることに変わりないのだから。

「くくっ…まあ、気にすることは無い。俺も親の顔すら知らないが、子供ってのは親がいなくても勝手に育つもんだ」

「…やっぱり、ジャック様は強いですね」

「何言っているんだ。お前だって、立派に育ってるじゃないか。特に、こことかな」

「んぁっ…ジャック様ぁ……」

 無神経に服の内側まで手を伸ばして、また発育の良い身体をむぎゅっと鷲掴みにすれば、甘い声が漏れて、湿っぽい空気も一瞬でどこかへ行ってしまった。

「とすると、この家はどうしたんだ?ボロ屋ってほどでもないし、他と遜色ない建物だと思うが…」

「ここは、昔母が使っていた家なんだそうです。大きくなった頃に、父がここに住むように言って、それっきりです」

「へぇ…。そのわりには、あんまり嫌な臭いが残ってないみたいだな」

「もう、何年も前の話ですからね」

 遠くを見つめる彼女が何を思っているかは、俺が知る由もない。

 しかし、元々親というものに対して、良い印象は持ち合わせていないが、どこへ行っても似たような印象を受けるばかりだ。

「それはそうと…そろそろ、着替えたいんですけど…?」

「ああ、気にせずしてくれていいぞ」

 そういえば、キノコ狩りを言い付ける前から、着替えたいような話をしていたことを思い出す。

「あの…、でも…恥ずかしいですから……」

「大丈夫だ。人に見せても恥ずかしい身体なんて、してないと思うぞ。…それとも、わざわざ鼻がもげそうな外へ、俺を追いやるつもりか?」

「…んぅ、そう言われてしまうと、返す言葉もありませんね。…ただ、あまり見ないで下さると助かります」

「ああ、任せろ」

 直接肌に触れられても、満更でもない様子を見せていたのに、着替えを見られるのは躊躇うとはどういう了見なのか。

 男と女の感性の違いによるものかもしれないが、それを知ろうとも思わない俺みたいな男が、女心を理解できるはずもない。

 彼女も後ろを向いて着替えればいいものを、わざわざこちらを気にするあまり、身体を向けて着替え始めるものだから、着ていた服を脱げば、当然今まで隠されていた部分まで露わになる。

「ほぅ…」

 改めて見てみると、これだけ女らしく綺麗な体付きをしてるなら、今度は人間であっても、同性から嫉妬の念で嫌われていたかもしれないと思わせる。

 そう考えると、彼女がどこで誰として生まれても、悲惨な運命から逃れられなかったとも思えて、もはやお姫様のような超高待遇でも無ければ、救いようが無い気もしてきた。

「もう、じっくり見過ぎです…」

「嫌なら、違う方を向くなり何なりすれば、いいじゃないか」

 一丁前に、手や腕で身体を隠そうとして恥ずかしがる姿も様になっているが、俺の言い分も尤もなはずだ。

「それは、そうなんですけど…そうしたら、ジャック様がそちらを向くように強要するような気がして……」

「…なるほど。それは、あながち間違ってないな」

 こんな光景は、見ようと思ってもなかなか見れるものではない。ならば、その貴重な機会を逃してしまうのは、惜しいといえるだろう。

 年老いて女とすら思えない老婆や男なら、こっちから願い下げだが、それが彼女のような一級品の女であれば、尚更だ。

「まあ、これから俺に同行するのに、こんなことくらいで躓いていては、先が思いやられるっていうのもあるけどな」

「そうですよね。むしろ、見られたのが他の男性では無かったことに、ジャック様へ感謝しないと…」

「そうそう、分かってるじゃないか」

 調子づいて頷いていると、悄然とした笑みをこぼす彼女から、優しい眼差しで見つめられる。

「…ジャック様って欲望に忠実、というか素直ですよね。私は、なかなかそういうこと言えなかったので、ちょっとだけ羨ましく思う部分もあります」

「何言ってるんだ。お前も、助けてもらう為に、なんでもすると言っただろう?せっかく、なんでもしてくれるというなら、俺が変に遠慮する必要など無いはずだ」

 もはや、なんでもすると言質を取った以上、彼女の人権や尊厳など、全て俺の手に握られているといっても過言ではない。

「ふふっ…。でも、そう言われてしまうと、弱いですね」

 恥じらいを残しつつも、従うしかないと開き直った彼女から、ついでに下着まで履き替えるサービスを見せてもらったおかげで、男を知らぬおぼこがつるつるだった様までしっかりと見てしまい、今後の愉しみが膨らんだ。

「ところで、その服で行くつもりか?」

「はい。そのつもりですけど…お気に召しませんか?」

「ん…。ちょっと他のも見せてくれ」

「はい、どうぞ。ご随意に」

 常々思っていたことだが、人間と感性が違うのは分かっていたつもりとはいえ、服のセンスが壊滅的過ぎて、この姿で隣で歩かれるのは少々難儀だ。

 デザインも独特なら、色使いも妙なものばかりで、生まれ育った環境によって培われた感性の差を思い知らされる。

 また、丸々太った大型体型に合わせたものばかりなようで、細身の彼女には根本的に大きさがあっておらず、不用心なほど緩めな格好になってしまいそうだ。

「こういう服は、自分の体型に合わせて仕立て直したりしないのか?」

「できないことは無いんですけど…、直してもすぐダメにされちゃいますから。そういうことが続くと、だんだん直す気も起きなくなってしまって…」

「はぁ、そういうことか」

「はい…。それに、私もこういう服が似合う体型になりたいと思っていた部分もありますから、あまり手は加えずにいたんです」

「ブヒ族の中ではそれが一般的な考えなんだろうが、俺としてはそうならなくて良かったな」

 もし、そんなことになっていたら、彼女は蔑まれることも無くなったかもしれないが、俺が手を差し伸べることもなかっただろう。

 彼女にとって、どちらが幸せな道だったかは誰にも分からないが、たらればの話をしているだけでは、未来は何も変わらない。

「これくらいなら、まだいいか」

 ギリギリ許せるか許せないかくらいの物を見つけると、彼女に渡して着替え直させた。

「ああ、そうだ。ついでに、荷造りもしておけよ。もうここへは戻って来ないだろうし、戻ってくる必要も無いだろう」

「はい、承知しました」

 着替え直して、比較的地味な色合いの服に身を包んだ彼女の荷造りをただ待っているのも暇な為、少しは手伝ってやろうと、色取り取りの下着が並んだ引出しを引っ張り出して眺めていた。

 服と同じく、多くのブヒ族が使う規格で作られた為か、伸縮性のある素材で作られた物が多いが、中には紐で結ぶ物もある。

 確かに、紐ならそれぞれの体型に合わせて履くことができるので、理にかなっている物ではある。

 服に比べれば、下着は色合いも含めて、わりとまともなことに感心を受けつつも、やはり彼女が身に付けた姿を想像してしまう。

「もし良かったら、お好みの物を選んで下さっても構いませんよ」

「ほぅ…。なかなか、粋な計らいじゃないか」

「元々、私が持っている物ですから、そんなに変な物はありませんけど」

「まあ、そういうことなら…選んでやるか」

 もしや、これは俺の趣味や性癖を調べるための調査を謀った誘導なのでは、と思う節もあったが、結局は大して気にせずに、彼女へ似合いそうな物をいくつか見繕った。

 清潔感があり、清楚な印象を抱かせる白は欠かせないとして、闇を彷彿させ親近感のある黒に、艶やかな大人の女を思わせる紫と多岐にわたる。

「そういえば、この里には魔導書とかは無いのか?粗方調べたつもりだが、特に見つからなかったんだ」

「そうでしょうね。ブヒ族の中で、魔法を使える者自体が、ほんの一握りしかいないといわれてますから」

「はぁん…。そう言われてみれば、さっきも近接武器を持って戦う奴は見かけたが、魔法を使っていた様子は無かったな」

 あれだけの数を殺しても、これほど実入りが少ないとは、なんとも殺り甲斐の無い連中だ。

「お待たせしました。準備、できましたよ」

「それなら、次へ行くとしよう。まだ、ゴリェオダケとやらを取りに行かないといけないからな」

「そうでしたね。ご案内します」

 汚らしいキノコが入った籠とは別に、もう一つ籠を持って、彼女の家を後にした。


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