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序章 プロローグ

 何かを必死に願うとき、安易に「なんでもする」と言う者がいるが、果たしてその者たちは、本当の意味でその言葉の意味を理解しているのだろうか。

 なんでも――というのは、どういうものでも、あるいはどういうことでもを指す。

 もし、それが何を示すのかも分からずに口に出しているのなら、それは実に愚かなことだ。

 これは、『皆』という言葉を誤用している者たちに似ている。

 『みな』、あるいは『みんな』という括りで、「皆知ってる」「みんな持っている」という使われ方をするが、その皆が指し示す対象は、大抵の場合全てのものを指していない。

 例を挙げれば、「今の時代、スマホくらいみんな持ってるでしょ」と言ったとする。

 だが、世代によっては持っていない人も当然いるし、スマホを持たずガラケーを持っている人もいる。さらには、必要ないからと持たない人もいれば、そもそも世界にはその存在を知らない人もいるだろう。

 このように、『みんな』と一口に言っても、自分の知る限りの小さな狭い世界の全てを指したところで、その中に該当しない者がいることもあるし、もっと広い世界で見た場合に全く違う結果が浮上することもあり得る。

 また別の考え方として、人に認知・観測されたことで、初めて宇宙が誕生したという話もあるので、その考えを基に言い換えれば、自分の知らないもの、認知していないものは無いものとして扱うということもできる。

 その場合は、自分の知る限りの人がスマホを持っているなら、先の例でも正しいといえるだろう。

 だが、その一方で、その解釈でいえば、これを読んでる人間は一人も存在していないことになってしまう。作者にとって知らない存在が存在し得ないというなら、見知らぬ誰かがこれを読むことは無いからだ。

 当然、未知との遭遇や新たな出会いも無くなる。

 新たに知るということは、これまで認知していなかったことを知るということなので、存在していなかったものが存在していたことになる矛盾が発生するからだ。

 では、みんなとは誰か。一切合切残らず、全ての人間を指すのか。それに該当しなかった者は、もはや人間ではないのか。そうであれば、その一言で他人の人権すら否定していることになる。

 先の例でいえば、スマホを持たない人間に人権が無いと言っているようなものだ。

 もし、そうであれば、自らスマホを捨てて、労働の義務や法律を遵守することから解放され、自由気ままに生活する者も現れることだろう。

 哲学的な話はともかく、それくらい言葉一つ取っても、大きな意味合いを持つということだ。

 言葉というのは、人を慰めることもできれば、人を傷つける刃にもなる。

 軽々しく言った言葉がきっかけで、大いに後悔することもあるだろう。

 しかし、世界にはそれを理解できていない愚か者たちで溢れている。

 もし、あなたが平穏な生活を望むのであれば、簡単に「なんでもする」と口にしないことだ。

 それを言ってしまったが最後、悪魔に目を付けられて、どんな目に遭うか分からないのだから。


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