命の門番、私の死神
その美しき少年の死神を初めて見たのは、私が小学生の時だった。
公園で遊んでいる時のことだ。
近所のおじさんが遊んでいる私のところにやってきて、「○○君を見なかったかい?」と訊いてきた。
知らない子だったから、正直に「知らない」と答えたんだけど、
そのおじさんの横に、とても美しい少年が立っていて、おじさんを見ていた。
でもそれは人間じゃないって子供心に理解できた。
多分、おじさんには見えていないんだろうなーと、思って、人に見えないものを口にするとお母さんに怒られるから黙っていた。
なぜか私には他人に見えないものを見る力が生まれた時から備わっていて、それも人の死期が分かるという誰からも歓迎されない力だった。
恋人が出来る時期とか、結婚相手との相性とかが分かれば重宝できたのに、残念ながらそんな力はなくて、ただ、あの人もうすぐ死ぬだろうということしか分からなかった。
死期が近づいた人は、体がだんだんとぼやけていく。病気の部位もぼやけて見えるので、発症前の病気を見つけることも出来た。
そんな私でも、そのような人ならざる神秘の存在を見たのは初めてだったから、少しだけ興奮した。
その美少年は、黒いローブを羽織り、薄茶色の天然パーマの短髪で、肌は青白く、瞳は薄いグリーンで、目鼻立ちがハッキリして、東洋と西洋のいいとこどりした顔立ちだった。
彼が死神だと分かったのは、小ぶりの草刈鎌を手にしていたからだ。
研ぎ澄まされた刃をおじさんの首に当てていた。少し力を入れただけで、スパッと切り裂くことが出来るだろう。
集中して死神を見ている私に、おじさんが「どうかした?」と聞いてきたので、「死神がついているよ」と言おうとしたところ、その鎌を動かそうとしたので私は黙った。それを人に言ってはいけないのだ。
それから程なくして、近所で葬式が執り行われた。
どうやら、あの時のおじさんが亡くなったらしい。
あんなに元気だったのにと、参列者たちが話している。
私は美しい少年の死神を思い出した。
あの死神が鎌で首を切ったから、おじさんは亡くなったのだと私は確信した。
「やっぱりあれは死神だったんだ。死神って本当にいるんだ」
一度見れば、決して忘れられない強烈な印象を私に与えた、あの美少年の死神。
もう一度会いたいと私は願った。
死神に会いたいなんて思うのは変かもしれないけど、それぐらい恋焦がれた。
つまり、私はあの死神に一目惚れしたのだ。
死神は畏れの対象。出会えば命の保証はない。
もう一度会いたいなんて、間違いなく異常だ。
だけど、私は運命の出会いだと思った。絶対にもう一度会いたかった。
それからの私は、その死神と再会する方法ばかり考えて毎日過ごした。
しかし、そう簡単には会えない。だから、もう一度会いたいとひたすら念じた。
そんなある日、私の熱意が通じたのか、ついに再会できた。
熱望して切望した死神が、とある青年の後ろにいたのだ。
鎌を手にして、死期の近い青年にピタリと張り付いている。
青白い端正な顔立ち。感情を見せないけど、そこがまた素敵。
「あ、あの……」
声を掛けようと手を伸ばすが、死神は、青年の首に鎌の刃先を当てていて、私が何か言ったらスパッと切ってしまいそうで怖くなった。
青年は、私のことには気づかず去っていった。
後をつけるのも変質者みたいだし、かといって、千載一遇のチャンスをみすみす逃したくない。
そこで私は考えた。
「そうだ! 死神を私につければいいんだ!」
我ながら素晴らしいアイデアを思い付いたと喜んだ。
車道を見て、走行中の車の前に飛び出した。
ギリギリで車が避けて轢かれなかった。
「ハァハァ……」
心臓が破れんばかりに脈を打つ。
これは賭けだった。死神は、死にたい人間が大好きだからだ。
狙いは当たり、死神が青年から離れてフワアと私の方へやってきた。
「あなたと話したかったの」
話しかけても死神は無言だ。何を考えているのか全く分からない。
そこに、先ほどの車のドライバーが真っ赤な顔でやってきて怒鳴った。
「馬鹿野郎! 死にたいのか!」
「はい。死にたいんです。ご迷惑をお掛けしてすみませんでした」
私が素直に認めて謝ったので、ドライバーは逆にビビっている。
「自殺を試みたっていうのか。まだ若いんだ。簡単に死ぬんじゃない」
見た目は怖いが、意外にも優し言葉を掛けてくれた。
死神は、そんな私たちのやり取りを黙って見ている。
私はそれが嬉しくて喜んでいたら、ドライバーが「死ぬ気はなくなったか?」と聞いた。
「え、ええ、まあ」
「思い直したなら良かった」と、車に戻っていった。
しかし、死神もフワアとどこかに行きそうになったので、慌てて引き留めた。
「待って! 私と一緒にいて!」
死神は、私の言葉など気にも留めないで消えていった。
「ああ! いかないで!」
憧れの死神にせっかく会えたのに、引き留めるすべがない。
死神は、人間と違う次元に存在している。人間の願いに応えることなど、決してないのだと思い知った。
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会えないまま成長した私は、進路を選択する年となった。
死神に会えることだけを考えて、死神が良く出てきそうな仕事を探した。
まずは葬儀屋を考えたが、あれは死神が仕事をした後だ。
次に警察官を考えた。犯罪者は、死期が近いとは言えないし、亡くなった人では死神がついていない。
死にそうな人に近づくために、私は医師を選んだ。
人の死に最も近い職業だ。これなら、会えるのではないか。
私は医学部に進み、医師となった。
医師の仕事は、それなりにやりがいがあった。
人の死期が分かる私にとって、毎日死にそうな人を見るのは精神的にきつかったが、これもあの死神と会うための試練である。
しかし、ちっとも会えずに日々が過ぎていった。
私は、医師として幾人もの死を看取った。
死期が近づくと、死神が現れる。だけどいつも違う死神でガッカリした。
たいていの死神は骸骨で、憧れの死神のような人間の見た目をした死神は、他にいなかった。
だからあの死神は、きっと特別な死神なのだと思った。
あの死神がいつかは現れると信じて、職務に励んだ。
死神の仕事を見ていて、気付いたことがある。
死神が鎌を振り下ろすと人が死ぬ。間違いではないのだが、その意味が思っていたのと違った。
人間の首を切るための鎌ではなく、魂と肉体のつながりを断ち切り、自由になった魂を運ぶのが彼らの仕事なのだ。
だから、死因はあくまでも人間側にある。
死神は、人間の死を介錯しているに過ぎない。
そんなことを死神たちから学んだが、いくら待ってもあの美少年死神は現れなかった。
だんだんと病んでいった私は、何度か自殺未遂を繰り返した。
時に生死の境をさまよったが、強靭な生命力でいつも死ななかった。
死神も現れなかった。
「いい加減に私を殺してよ!」
いくら叫んでも、あの死神は現れない。
ところがある日、死にかけた私の前に別の死神が現れた。
黒いローブの下は骸骨。穴に吸い込まれそうな漆黒の眼窩。
歯並びだけは良いその死神が、大ぶりの鎌を私の喉元めがけて振り下ろしてきた。
「違う! 違う! あなたじゃない!」
このままでは死んでしまうと覚悟したその時、憧れの死神が現れて、自分の鎌でそれを止めた。
「え?」
青白い端正な顔立ちの美しい少年死神が喋った。
「手を出すな。こいつは私の獲物だ」
腹に響く重々しい声だった。
初めて彼の声を聴いた私は、痺れた。
骸骨の死神は、彼の声で霧散して消えていった。
「喋れるんだ!」
それが率直な感想だった。
しかも、他の死神の邪魔をしにきてくれたことに驚き感激した。
私は彼に訊いた。
「獲物ってどういう意味?」
「お前の魂を黄泉に送るのは、この私という意味だ」
「どうして?」
「いつも念じていただろう。それは私に届いている」
「本当に? 嬉しい!」
自分の想いが死神に通じていたことに、驚きと喜びを感じた。
「いつ? いつ私を殺してくれるの? 今すぐ?」
急かす私に、死神は静かな声で諭した。
「今はまだその時ではない。焦るな。必ず死ぬ日はやって来る。それまで、しっかり生きて待つがいい」
死神は、そう言い残すと消えていった。
私は、それから自殺を試みることをやめた。
いつか、彼の鎌が振り下ろされてこの生を断ち切られる日まで、
私の魂が彼のものになる日まで、
私は待つことにした。
私の魂は、すでに彼と共にあるようなものだから平気だった。
私は医師を辞めて、ゲートキーパーになった。
これは、自殺の兆候がある人を見つけて支援する仕事で、死期を見る力を活かすことができて、自殺未遂を繰り返した経験も活かすことができる、まさに天職であった。
死神が取りついた人々を、何人も助けることができた。
人は「逝きたい」と「生きたい」の間で激しく揺れる。
そこに救いの手を差し伸べることで、生きる力を取り戻した人から感謝されることも多々あった。
私は、充実した人生を送ることが出来た。
それもこれも、あの死神が、人は必ず死ぬ、その時まで与えられた生を全うすることこそが大切なのだと教えてくれたおかげだ。
死を意識したからこそ、生きることの素晴らしさに気づくことができた。
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死神と出会ってから50年が経った。
年老いた私にも、とうとう死期が近づいてきた。
体に異変はないが、私には分かる。
鏡を見れば、そこに映る私の体がぼやけているからだ。
振り返ってみると、あっという間の人生だった。
充分に生きてきたから、生に執着はない。潔く旅立てるだろう。
それに、やっと彼に会えるのだ。楽しみでしょうがない。
「ねえ、いるんでしょ?」
呼びかけると、斜め後ろにあの死神が現れた。
死神は年を取らないから、ずっと美しい少年のままだ。
「いよいよね。私の魂を黄泉に送ってくれるんでしょう?」
死神は、他の人に対するのと同様に、冷酷な表情で冷たい鎌の刃を喉元に突き付けてきた。
分かっていた。彼は死神なのだから。
私が死にそうな人に手を差し伸べたように、これから死ぬ人に鎌を向けるのが彼の仕事だ。
「ありがとう」
静かに目を閉じる。鎌のひんやりした感触が首筋に当たる。
心臓にドーンと強い衝撃と痛みが走った。痛かったのは一瞬だけで、魂が肉体から離れると同時に、彼が鎌を動かしたことで苦しみが消えた。
これが死神の力か。
ずっと心待ちにしていた瞬間がきたのだ。苦しいどころか、私の心は歓喜に満ち溢れている。
私の魂は、彼の手によって黄泉の国へと連れていかれるのだろう。
憧れの死神の腕に抱かれて、これ以上の幸せがあるだろうか。
私は、死神に向けてささやいた。
「あなたが一緒なら、私は地獄だって平気。どこへでも連れて行って」
死神が、初めて私を見て微笑んだ。