美人の村
「高校の時のバイトからだから結構、長い付き合いになるけれど。星なんか見る人だったんだね、ちょっと意外」
「まぁ、有名な星座くらいはわかりますけど。本格的に天体観測なんて、確かにガラじゃないんですが」
よく晴れた冬のある夜。
丘の上に止まったやや大きなSUV、はねあげたリアゲートの前には望遠鏡と大きめのレンズのついたカメラが、各々三脚に乗っかっています。
ダウンコートに手袋の男女二人の影が、白い湯気を上げるマグカップを手に楽しそうに話をしています。
「でも、まさか一緒に来てくれるとは。誘ってみるものですね」
「前にいわなかったっけ? 私、高校のときね? 天文部だったの。年に一回、野辺山に行く以外は、ただお菓子食べてる部活だったけど」
つけたままの車のラジオが今の天気を伝えます。
……の天気予報では晴れの地域が日本の半分くらい。
――今夜の流星群、東北南部と東京以西ではほぼ見られるという予想。
――わが県では、山沿いの一部を除く、ほぼ全域で見ることができそうです。
――特に夜九時から十一時くらいには、二分で一個程度は見られると言う話でした。
――気温は低いですが、十分厚着をしてそなえましょう。
――今のうちから、三回を言い切れる短いお祈り、考えておきましょうね。
――さて、CMの後は今週の一押しナンバー。今週は地元出身の4人組……。
「ね? ところでさ。テレビとかでも聞かないんだけど美人の村、って知ってる?」
「……知ってるもなにもボク、実家がそこなんですけど」
「この辺、なんだよね……? 私も聞いた話でよくわかんないんだけど」
「ここから車で30分くらい。とんでもない山の中ですよ?」
「龍神様をお祀りしてるって……」
「……そんな話を。誰から、聞いたの?」
「村の出身だって言ってた。会社の先輩だけど」
「そうか、それでボクに話をさせるために、このタイミングでわざとバラしたのか。……非道いことを押し付ける」
「え? 誰だかわかっちゃった感じ?」
「小さな村だしね。……ところで、今日の流星群だけど」
「それを見に、ここまで来たんだよね?」
望遠鏡と立派なカメラは彼がわざわざ、彼女の為に買ってくれたもの。
そのことは、彼女も知っています。
「えぇ。――流れ星って、何だか知ってます?」
「あ、莫迦にしてるでしょ? さっきも言ったけど、元天文少女だぞ? もちろん知ってるよ」
「なら、莫迦にしてるわけじゃ無いから説明は省きますが。……実は地上を直撃する物は結構あるんですよ」
「ほとんど途中で燃え尽きるって」
「“通説”ではね」
「“科学”、でしょ?」
「日本にはここ三百年の間に、ロシアのツングースカ大爆発(※)クラスの流れ星が、少なくても二つほど直撃するはず、だった」
「だった? ……何処によ?」
「日本の何処か。今居る周辺、と言う可能性が高い。そして今日も本当はまずい日だ。という話なんですが」
「なら、ここに居ちゃマズいんじゃないの?」
「被害は落下点から半径五〇キロ、影響は一〇〇キロを越えて及ぶ。それに日本の何処に落ちるのか、わかんないんです。何処に逃げたら良いかなんて、もっとわかりゃしませんよ」
「さっきから、なにを言ってるの?」
「あなたはたった今、ボクをおいて車で逃げた方が良い」
とはいえ今。二人でリアゲートに腰掛ける車も、やはり彼のもので。
「え? えぇ!? なんか、犯罪に巻き込まれちゃう感じなの? 私」
「そう言う意味では危険は無い。これから、ボクが話しをしてあなたがそれを聞く。することはそれだけですから」
「その割には、なんか、さあ」
「話を聞いてしまったら……。そしたら、あなたの人生はねじ曲がる。きっとあなたなら自分で曲がることを選ぶ。……そしてそれは、ボクには許容しがたい」
「でも、聞かなきゃわかんないじゃ無い?」
「本当に?」
「話聞くだけ、でしょ?」
「僕は話したくない」
「……聞かなきゃ、善し悪しの判断がつかないよ」
「警告はしましたからね? ……話は遡ること三百年ほど前。――そうですね、日本だと江戸時代、まだ電気なんか無くて、夜になるともののけや鬼達が闊歩していたころ」
「居たの!? ……もののけ?」
「普通に、ね。今だっているけれど、なかなか見えづらい時代なんだと聞いてます。――そして。もののけが普通にいるなら、その捧げ物になる子供達もやはり普通に居た。そう言う時代だった頃の話です……」
森に囲まれた湖のほとり、大きな木の下。その木に抱き着くように。
今でいうなら小学校高学年くらいの女の子が、こざっぱりとしたかすりの着物を着て、さめざめと泣いていました。
「これ。なにを泣く、娘」
「あの。……だれ、でしょう?」
いきなり後ろから声をかけられて、女の子は一瞬、――びくっ。としました。
ここは人が誰も入ってこないはずの森の中、声の主に振り返ろうとしますが。
「後ろは向くでないぞ? 非道い事に成ろう」
「……は、はい」
「まずは泣き止むが良い。今、ここでは怖いことなど何も起こらぬ、安心せよ。但し、振り返るのはいかん……、良いな?」
「ふえ……。はい。ひっく……。あなたさまは、おさむらいさま、ですか?」
「……何故、そう思った?」
「おはなしのしかたが、とてもごりっぱです。村のおとなよりすごくけんらんとされてます。そう言うお人は、おさむらいさまとかだと思います。もしかしてもっとエライ人……? おだいかんさま?」
「学のある者が侍ばかりとも限るまい。立派で絢爛、結構ではあるがそれが外面だけでは意味も無きこと」
「おさむらいさま以外でもごりっぱな人がいますか?」
「あぁ、おるさ。そなたは世を広く見たことが無いだけだ。そも娘、そなたは侍を見たことがあるのか?」
「なかったです」
「……そうであろうな」
「おさむらいさまではないのですか?」
「侍で無いのは確としておるよ。代官でも無いが、今は誰でも良かろう」
立派な人というのは、お侍かお代官様。
この時代の田舎の子供なら、そこまで認識は間違ってはいないでしょう。
ですが声の主は彼女の推測を否定します。
「改めて問う。なにを泣いておった、娘よ」
「はい。わたしは、あらたまさまの“いけにえ”になるんだって、アタマからくわれてしまうんだって。でもわたしがくわれないと、とうちゃんやかあちゃん、弟たちだけでなく、村中が死んでしまうって、言われたのです」
「村を代表して贄に差し出されたか、不憫な。しかもそなた、見る限りまだ若いでは無いか。荒魂を鎮めんがための生娘の贄。とは言え、あまりに若い、どころか幼いであろうものを」
女の子の背後の声は、本気で不憫に思っているのが滲みだすような、優しいような、悲しいようなそんな声で女の子にあいづちをうちます。
そして、――若過ぎはしないか? と、問うのですが。
「わたしのねえさまの年にあたる人達は。何故だか、おのこが、おおくて。だから年頃のおなごは、わたししか。わたししか、いなかった。のです」
「嘘は吐かずとも良い、ここには誰もそなたを怒る者はおらぬ」
でも、女の子の話は、――嘘だ。と、一蹴されます。
「……あらたまさまはきれいなお顔で、女らしいうつくしい身体でないと怒るんだと、大人はみんな言いました」
「多少幼くとも見目の良い者を、等と。……見なくともわかる、そなたは村で一番の別嬪なのだろう」
「わたしはそんなにきれいなお顔でないし。乳などまだどこにもないから身体も、別にうつくしくなくて。……わたしがきれいでもうつくしくもないから、あらたまさまが怒って村のみんなが死んだらどうしよう。と思って。そしたら、悲しくなって、涙が、止まらなく。……ぐずっ、なりました」
女の子は贄の少女が美人で、おっぱいとおしりが大きかったら。
そうならこの地を治める荒魂、彼の神が村を滅ぼす事はしないはずだと考えていました。
ただ、自身の容姿にそこまでの自身が無い彼女は、自分の見た目のせいで家族や村の人々が滅ぼされる。
そんな恐ろしい想像をして泣いていたのでした。
「そなたの見目麗しきこと、もはや見ずとも良く々々わかった。だが、良いのか? 娘よ。ここにはそなたを戒めるものは何も無い。もとより、そなたを贄に出した家族であり村であろう。見限りしことは容易い。そうではないか?」
「わたしがくわれたら、そしたら弟たちは五年生きます。おなごも育つし新しく生まれるぶんもいます。わたしのあとも、一人ガマンしてくわれたらほかの子はまた五年生きます。子供なんか何人いても、なにもしないでも半分以上。大人にならないで死ぬるんです」
「日照りに水害、この処は飢饉も流行病も多い。まして山あいの村とあっては、な」
「病気で死ぬるもくわれて死ぬるも、死ぬるはおなじ。だったら、かあちゃんや弟たちが五年分、生くるために。わたしはくわれます。……あらたまさま」
「……ほぉ、頭も良い。――学問の道に進むことが出来ぬなぞ間違っておろうものを」
「学を付けてもいみないです。おふでもごほんも、畑を耕す役に立ちません」
「ふむ。……多少驚くことになるが。そうと覚悟が決まったなら、振り返って見るが良い」
女の子が振り向くと。
身の丈、一〇丈を超える巨大な龍が彼女を見下ろしていました。
その姿を見た女の子は、しかし微動だにしません。
「ほぉ。驚かぬか、娘」
「すごく、びっくりしました。あの、……ちょっとだけ、ほんのちょっとだけですけど、ごめんなさい。お漏らし、しちゃったみたいです。汚くて、ほんとにごめんなさい」
「……それは重ね々々すまなかった。姿は変えられぬ故、許せ」
「でも、来る前にちゃんと洗ってきました。今はこしが抜けて動けないですが、治ったらちゃんと湖で洗ってきますから、だから。だいじょうぶ、きれいにくえます」
「存外、落ち着いているものよな」
「あらたまさまのお姿は龍か虎ではないか。と村長が言っていました。ごりっぱな、思った通りの龍のお姿です」
びっくりして、ちょっとだけ漏れてしまったようですが。
それでも姿そのものは、女の子の予想通りだったようです。
「姿が立派かどうかはこの際横に置く。我は荒魂では無く、龍神なるぞ。この日の本の地に星が落つるを妨げんがため、ここにあるのだ」
「ほし? 空のおほしさまが落ちるのですか? この日の本の、地面に?」
「そなた、流れ星を見たことはあるか?」
「お願いを三回言うとかなうのですよね? 急に動くので三回言えなかったです」
「そなたは知るまいが、実はあれの中身は西瓜程の石の塊なのだ。それが空をわたり地面に落つるとき。燃えて溶け出し、その光がみえるのだが」
「そんな大きな石が、燃えながら頭の上に……!?」
「大概は地面に着く前に燃え尽くる、心配は無用。だが稀に一〇〇貫を超える様な大きなものもある。これが一度地面に落ちたれば、この沢にある村々はことごとく灰燼に帰するであろう。例外は無い」
「でも石、なんでしょう?」
「石であるのに、燃えて溶けるほどの速度で降ってくるのだ。地面にぶつかれば穴も開こうし、土も木も家も、空気さえ。全てが吹き飛ぶは必定」
「そんなに、ですか……」
「それを防ぐために、我がここにあるのだ」
ある時から、人と協力して隕石の落下を防ぐため。
龍神様はこの地に居るのでした。
「星見の手伝いをする、巫女となる者を貸してくれ、と言ったはずなのだが。いつから贄になったものか。いずれそなたも、こうしてここに来てしまった。もはや村には帰れまい。人が自身で作ったしきたりでもある。だから我は、そなたの人生を遠慮なく、喰らうこととしよう」
「わたしの、人生? ……りゅうじんさまの言う通り、もう村にはかえれません、でもお山の中に子供一人でも生きられません。なので、わたしはもういりません。欲しかったらりゅうじんさまに、あげます」
「まぁ待て、短気を起こすものでは無い。過去に来たものも皆、集まって生きてある。人は“隠れ里”、とでも言うのか? そう言った風になっておる。そなたも今日よりその住人だ」
「でも、大事なみんなの食い扶持を分けてもらうのは……。あ! りゅうじんさまはわたしをくわないと、おなかが空いて死ぬるのではないですか?」
「一応、神の端くれであるので腹が減ることは無い。鬼では無いから人を喰ろう必要もない。――里の方でも人が増えたが、その分畑の実りも大きくなった。いまさらそなたの一人が増えたところで、食うに困りもせぬだろう」
「え? 畑が、あるのですか?」
「明日よりさっそく、まずは畑で働いてもらう。年頃になればおのこも調達してこよう。ただ、一生隠れ里で星見をすることになるが、良いな? ……」
――ほぉ。彼が長い話を終えてため息を吐き出す。
口からでた息は、白い塊になって少しずつ拡散していく。
「隕石の落下を防いでいた。……龍神様、が」
自分のカップにコーヒーを継ぎ足した彼女は、彼の分も入れ直して湯気のあがるカップを渡す。
「防いでいる、今でも。その他行き過ぎた不作や飢饉、流行病などが起こらないよう、調整していると聞いてます。日本単独の事象でないと、その力はだいぶ弱まるようですが」
「選りすぐりの、かわいい女の子達が集まった村の末裔が、美人の村」
「そう言うこと。だからあまり有名になっちゃ困るんです」
「でも、それならもっと有名なんじゃないの?」
雑誌やテレビはもちろん、ネットでも話題になりそうなものですが。
「有名にならないように、戸籍どころか雑誌やネットの情報まで、龍神が色々してるみたいですよ」
「意外とハイテクなんだね、神様。……あ! じゃあ、先輩が美人の村の話をフってきたのって」
「ボクと一緒に、流星観察に来るように段取りをしたのも彼女ですよね? ボクに言わせれば、あからさまで露骨なスカウトです」
「選ばれるには美人で処女じゃなくちゃいけないんでしょ?」
彼の話に出てきた女の子は。自身の容姿に自信がないばかりに、森の中で一人で泣いていたのですが。
「あなたを美人じゃない、というやつがいたら教えてください。僕がぶんなぐってきます。……もう一つの方は、ノーコメントで」
美人かどうかは、どうやら彼女が心配する必要はなさそうです。
「だいたい。なんで処女だってバレてんのよ、もう! 神様だからってプライバシーの侵害も極まれりじゃないの!? ――何もバラすことないのにぃ!!」
いったい誰に対してか、真っ赤になった彼女はひとしきり怒ります。
「……でも、そう言えば。お話の贄の女の子達はみんな中学生くらい、なんだよね? 私はキミより二つ上なんだから今年二十六だよ?」
「当時の人たちはだいたい五〇歳くらいで寿命を迎えた。でも今は長く生きられますから。キチンと世の中を見て、“学”を付けた方が良い。とは龍神も昔から言ってることですし」
大学を優等生として卒業し、社会人としても優秀な社員として全国を飛び回る彼女。
龍神様の〝選抜基準”は十分満たしているように見えます。
「でも、キミはただ実家に帰るだけなんじゃないの?」
「今でも基本は男子禁制です、男は夫婦者しかいない、男の子は小学生高学年になると村を出される、そう言うシステムがあるんです」
「私はどうすれば良いの?」
「何も。――村にいく、と決めた時点でお役所の記録からはもちろん、家族の記憶からさえも抜け落ちて、消える。存在自体が“喰われる”。龍神が今現在、何をしているのかは知らない。ボクが出来るのは、明日以降。村の入り口まで送る事だけだ。……あなたには、こんな説明はしたくなかった。なんであなたなんだ! ボクは……」
龍神様に仕え、流星から人々を守る巫女は、引き換えに人生を〝喰われる”。
人間が作ったしきたりだ、として龍神様はそれだけは。今も変えていません。
彼は、彼女をこの世界から失いたくなかったのです。
「龍神様がキチンと計らってくれる、私はそう考えているよ?」
湯気のあがるカップを傾け、でも彼女はそこまで深刻な顔はしていません。
「急になんの話を始めて……」
「先輩の事は尊敬してるし、仕事だけで無く人としてもスゴく良い人。でもね?」
彼女はゲートからひょいと降りて、電源を入れてカメラのファインダーを覗く。
「いくら先輩に言われようと。なんの覚悟もなしに、男子と一緒にこんなところまで。流星観察になんか来ると思う?」
「だから、ボクは……」
「まぁまぁ。短気はいけないって龍神様も言ってたじゃん? ――わあ。レンズが違うといつもの月が、こんなにもきれい……」
――パシャ。カメラのシャッターが降りる音がする。
「さて、流れ星用に動画にしておかなくちゃ。間もなく時間だよ? モニターもつけておく?」
カメラの操作が終わると、彼女はもう一度彼の隣に座り直しました。
「えぇと。年頃になったら、さ。龍神様に“男子”を調達してもらえるんでしょ? 相手のリクエストをしちゃいけない、っていう決まりもなさそうだし。――あのね、私は二十八歳で結婚したいってずっと思ってたの。だから、……キミとは二年間だけ、会えなくなるけど。……良い?」
ちょうどその時、空を星が流れて。
彼は何かを願ったようなのですが。
何を願ったのか、キチンと三回言えたのか。
それは彼と、その隣に居た彼女しか知らないのでした。
※ツングースカ大爆発
1908年、帝政ロシアのツングースカ川上流で起こった大爆発。
爆心地から半径約50キロの範囲で木々はすべてなぎ倒され森が炎上、
その衝撃波で1,000キロ離れた家の窓ガラスも割れたとされる。
原因の考察にはオカルト的なアプローチも多々あるが
基本的には直径50m以上の隕石が原因だったとされている。