魔物と旅人13: 盗賊と魔物
乗合馬車は山の向こうの隣町へと向かっていた。
馬車には俺の他に、子供二人を連れた家族と、年配の夫婦、若い男が乗っていた。
渓谷沿いの細い道を進んでいた時、馬車の後ろから3頭の馬に乗った5人組が追ってきた。
「止まれー!」
刀を手に馬車の停止を求めるのは、このところ噂になっている盗賊と思われた。
止まれば終わりだ、と思った馭者は手綱を叩き、馬を急がせたが、二人乗りの者もいたとは言え荷を引かぬ馬に比べれば、その速度は格段に遅かった。
馬車の幌が引き裂かれ、
「きゃあっ」
と子供の悲鳴がした。
父と母が、それぞれ子供をしっかりと抱きしめ、馬車の揺れに耐える。
年配の夫婦は夫が妻の肩に手を回し、祈る妻を引き寄せていた。
俺と若い男は片膝をつき、盗賊の次の攻撃に備えていた。
若い男は帯剣していた。
俺は手に持っていたリンゴを投げた。うまく1匹の馬を操る者の顔面に当たり、馬の速度が落ちた。
若い男は幌の破れた部分から身を乗り出すと、剣を鞘から抜き、近寄ってきた盗賊の剣をはじき落とした。
「くそっ」
別の馬が剣の届かない距離を保ちながら、馬車を抜き、馭者へと迫る。
馭者台に、二人乗りの後ろの者が乗り移ろうとしたとき、寄せすぎた馬が馬車に当たった。
「うわっ」
馭者の悲鳴の後、馬車が大きく揺れて、渓谷に向かって車体が大きく歪んだ。
落ちた!
誰もがそう思った。
確かに馬車は落下した。
しかし、数秒も下らないうちに車輪は再び地に届いた。
…地面?
それにしては衝撃が少ない。
斜めだった馬車が少しづつ立て直す。
まっすぐになった馬車の動きは滑らかで、まるで町中の舗装された道を走っているかのようだった。
「あ、虹!」
子供が、幌の後ろを見て指さした。
幌の向こうには虹が続き、少しづつ消えていく。
消えた先にあるのは、暗い渓谷…
馬車に揺れが戻った。
ガタガタと、土の地面を走る音がして、緩やかなカーブを曲がる。目に写ったのは、本来の軌道から逸れた谷の宙にうっすらと消えていく虹だった。
「すごい! 虹の上を走った!」
親の腕の中で、先まで悲鳴を上げていた子供達が歓喜の声を上げた。
後から追ってきた馬の1頭が、虹に乗り上げたものの、走りきる前に消え、谷間に落ちていった。
仲間の馬が止まり、叫び声が響く。
「ぴきゅ!」
幌から身を乗り出した男の辺りから声がして、消えかかっていた虹の下に、もう一つ虹が架かった。
その虹の上を、今さっき落ちたばかりの馬が走り、元いた道へと駆け上っていくのがかすかに見えたが、見届ける前に盗賊達は道の向こうに見えなくなった。
馬車の者は、みな安堵の表情を見せた。
あんなことがあったにもかかわらず、馬も平静を保っていた。
馭者も大きくため息をつき、続く道へと馬を走らせた。
若い男は、剣を鞘に収め、席に着くと、自分の上着のポケットにそっと手をやった。
ポケットから、黒い色をした生き物が半分だけ顔を見せた。
「君は優しすぎる」
男が小声で生き物に話しかけていた。
安堵とは少し違う笑みが漏れていた。
「きゅ」
「…だからと言って」
「きゅい」
「そうか。ありがとう。…でも、無理は駄目だ」
男は、指先で何度も何度も黒い生き物をそっと撫でていた。生き物は、魔物のように見えた。
「今の虹を出したのは、そいつかい?」
俺がポケットを指さすと、黒い魔物はさっとポケットの中に隠れた。
悪いことをしてしまった。
しかし、男は気にした様子もなく、ポケットの中に手を入れた。
「…馬を助けたかったそうです」
「馬を? ああ、盗賊のか」
「お礼に、もう追いかけないと言われたそうです」
「そいつはありがたいが、こんなちっちゃいのが、あんなすごい魔法を使って、大丈夫なのか?」
「僕も心配していたところです。いつも無茶をするので」
俺は、お礼かたがた、持っていたリンゴを2つ、男に渡した。
「俺が育てたリンゴだ。味は保証する」
男は礼をして受け取った。そして一口かじると、
「これはうまい。…連中も、今日はいいものを手に入れましたね」
と言って、笑った。
男はナイフを取り出すと、新しいリンゴを切り分け、子供達に渡した。リンゴは子供達から大人へ、老夫婦へ、そして馭者にも渡った。
そしてさっき一口かじったリンゴを切ろうとして、手を止めた。
黒い魔物はいつの間にかポケットから出てきて、自分より大きなリンゴにかじりつこうとがんばっていた。
男は魔物が諦めるまで待っていたが、あまりに手放さないので、格闘している反対側を少し切り、魔物に丁度いい大きさにしたものを手渡した。
「きゅー」
魔物も認める、自慢の味だ。
当初のタイトル
「虹と魔物」
ネタバレ激しく改題