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トンネルの向こう  作者: 高山 由宇
9/18

廃病院の拷問部屋

「……かはっ」

 ぜえぜえと、荒い呼吸が辺りに響く。

 しばらくの間、息をするのを忘れていた。一気に酸素を取り込もうとしたことで、過呼吸に陥ってしまったらしい。

 何度か浅い呼吸を繰り返し、ようやく落ち着いたところで、ゆっくりとその部屋に入る。


「……なあ」

 声をかけた。

「生きて、いるのか?」

 尋ねる。

 ……反応がない。

「なあ。あんた……」

 さらに、一歩を踏み出した。

「……ハルト、さん……?」

 今、目の前にいるのは、あのホスト風の男……ハルトだ。


 ハルトは、鉄製の強固な椅子に腰をかけ、力なく項垂れている。

 俺は、さらに近づいて……ぞっとした。

 スマートフォンのライトに照らされたハルトは、目隠しをされていた。しかも、ご丁寧に手枷まではめられている。その手枷は、椅子の手すりから伸びているようで、ハルトに意識があったとしても立ち上がれる状況ではないだろう。

「いったい、誰が、こんなことを……」

 そうつぶやきつつ、ハルトの肩にそっと触れた。

 目を見開く。

『……温かい……』

 ……生きている……。

 確信した俺は、肩をつかむ手に力を込めた。少し強めに揺する。


「……おい! あんた! しっかりしろ!」

 すると、軽く身じろぎをしたあとで、

「……ぐうぅ……っ」

 ハルトは、悲鳴にも似た声を上げた。

「大丈夫か、あんた!」

 気がついたことに安堵しながら目隠しを外してやる。

「……う、あ、あ……っ」

 目尻に薄っすらと涙を溜めながら、彼は苦悶に満ちた表情を浮かべていた。

「どうした? どこか、怪我でも……」

 ハルトの視線が下へと向く。そこで、俺もつられて下を見た。

 そこには……。

「……なんで……誰が、こんな……」

 驚愕に目を見開く。言葉が見つからない。

「……抜いて、くれ……」

 その言葉で我に返った。だが、俺は、

「……だめだ」

 ハルトの言葉をはねのける。とっさに、この頼みは聞いてはいけないと思ったからだ。


 ハルトの右太腿には、深々とナイフが突き立てられていた。溢れ出した血液が、スーツの裾を伝い床に溜まっている。

 耳を澄ませば、ぴちゃぴちゃと、血が滴る音が聞こえてくる。

「……抜、け……」

「だめだ。抜けば、失血で死ぬかもしれない。このまま、傷を広げないように電車まで戻ろう」

「……このままじゃ、歩けねえだろ」

「俺が肩を貸す。一階に行けば、きっと(しゅう)がいる。修の手を借りられれば楽勝だ」

「いや……まだだ」

「……え?」

「鍵だ。手枷の……」

 ……忘れていた。

 手枷を外さなければ、ハルトを運んでやることはできない。

「鍵……どこにあるんだ?」

「たぶん、この椅子の裏だ。金属製の、筒みたいなのはないか? 鍵を投げ入れるような音を聞いたんだ」

 そこで、俺はスマートフォンのライトを椅子のうしろに向けた。

「……あった」

 つぶやく。椅子の裏手には木製の小さな机があって、その上に鉄製の壺みたいなものが見える。

 机に近づこうとして歩き出した時に、スマートフォンのライトが揺れた。


『……なんだ、今の……』

 ふと、立ち止まる。

 何かを……見た気がしたからだ。

 恐る恐る、目線を動かす。それとともに、ライトもそちらを向いた。

 照らし出されたモノを見て……俺は、絶句した。

 大小さまざまなサイズのノコギリが壁にかけられている。

 太い鎖も、壁にとぐろを巻くようにかけられている。

 その鎖の先を目で追うと、床に置かれた黒い塊に行きついた。

 鉄製の黒いボールのようなそれには、いくつもの鋭い棘が生えている。

 部屋の隅には、人型の寝台もあった。

 だが、人を休ませるものでないことは確かだ。なぜなら、両手両足の部分に、ハルトがつけられているものと同じ……強固な枷がついているのだから。

 反対側の壁も見た。

 刀、鉈、鞭など……今の世の中ではおよそ見ないものが、まるで博物館のようにずらりと展示されている。

 そして……。

『……うわ……』

 部屋の隅に置かれていたものと目が合ってしまった。

 それは、俺でも知っている。有名な拷問道具だ。

『あれは、確か……鉄の処女(アイアン・メイデン)……』

 俺は改めて部屋を見回す。そこで気がついた。この部屋にあるものは、すべて、人を傷つけることを目的として作られた拷問道具なのだ……と。


「……なんなんだ、ここは……」

「……どうした?」

 俺のつぶやきに、ハルトが訝しんで尋ねる。椅子に座らされており、なおかつ明かりを持たないハルトには、これらの道具が見えていないのだろう。

「……とんでもない場所だ……」

「……何があった?」

「あとで話す」

 手短にそう言い、机の上の鉄製の壺へと手を伸ばした。ライトを当てると、中には確かに小さな鍵のようなものが見える。俺は、壺を持ち上げると、それを逆さにした。


 ――ゴッ、ガラガラガラン……っ。


 盛大な音が室内に響き渡る。

 俺は、思わず壺を落としてしまった。

「……何やってんだ!」

 よほど驚いたのだろう。苛立ちに満ちたハルトの声が俺を責める。

「……悪い」

 言いながら、俺の心は激しく動揺していた。

 壺を落とすと同時に、中から鍵が現れる。足元に落ちたそれを拾い上げながら、俺は自分自身に言い聞かせた。

『……大丈夫だ。見間違いだ。……そんなはずがない……』

 ……壺を逆さにした時に、人間の手も一緒に落ちてきただなんて……。

 そんなこと、あるはずがない。

『だって、ほら……』

 俺は辺りを見回す。人間の手なんか、どこにも落ちてはいなかった。

「鍵があった」

 一声かけて、俺はハルトのもとへと急ぐ。そして、手枷の鍵穴に小さな鍵を差し込んだ。

 ……その時。


 ……テ……テ……テ……


 まただ。

 また、あの声が聞こえてきた。

 ハルトにも聞こえているのだろう。ライトに照らされたハルトの表情が、さらに固くなっていく。

「なあ……」

 俺が声をかけると、ハルトはぎこちなく目線だけを向けてきた。

「あんた、助けを呼んでいたよな?」

 右手の枷が外れた。俺は、左手の方に回り込みながら尋ねる。

「助けてって、そう言っていただろう?」

「何を言っているんだよ……」

 ハルトの顔がみるみる蒼褪めていく。

「言えるわけがないだろ。俺は、あんたがくるまで気を失っていたんだから……」

 それを聞き、俺は全身の血の気が引くのを感じた。


 ……そうだ。

 ハルトが助けなんか、呼べるはずがない。

 なら、あの声は、いったい……なんなんだ……?


 ……テ……タ……ス……ケ……テ……タ……ス……ケ……


 声が、どんどん近づいてくる。

 手が震えて、鍵がうまく回せない。

 鍵を落としてしまった。

「……っ何やってんだ!」

 ハルトの焦る声が、俺からさらに冷静さを奪っていく。

 俺は、床に落ちた鍵をようやく拾い上げた。

 その時。


≪タスケテ≫


 耳元で聞こえた。

 何人もの人間が、一斉に、俺の耳元でそう告げていた。

 俺は、俄かにパニックになった。

「……うわあっ!」

 叫び、手を振り上げたところで、

「……貸せ!」

 ハルトが自由になった右手を俺に向ける。そして、振り上げた俺の手から、鍵を奪った。

「おい! ライト!」

 その声にわずかに冷静さを取り戻した俺は、言われるがままにハルトの左手の枷にライトを当てる。ハルトとしては随分と苦しい体勢を強いられることとなったが、間もなく、かちゃりという小さな音を上げてなんとか鍵を開けることができたようだ。

 ハルトが立ち上がろうとするので、俺は我に返り、すぐさまハルトの体を支えてやった。

 そして、部屋から出て行こうとしたその時……。


≪タスケテ≫


 また、声が聞こえた。

 それは、さっきよりも大きな声だった。


≪タスケテ≫


 俺は、恐怖に負けまいと、唇を噛みしめた。……口内に血の味が広がる。


≪タスケテ≫


 俺は、必死に無視することにした。俺の肩にもたれかかっているハルトも、目を伏せ、この声に耳を貸すまいとしているようだった。

 だが、声は、なおも俺たちを追ってくる。


≪タスケテ≫

≪……ドウシテ?≫

≪ナゼ、ソノ男ヲ逃ガス?≫

≪俺タチモ助ケロ≫

≪俺モ、ココカラ出シテクレ!≫


 その声は、拷問部屋をあとにし、階段を下りて一階の床に足を着けるまで、ずっと俺たちを追いかけてきていた。

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