表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
トンネルの向こう  作者: 高山 由宇
8/18

鉄の扉

 (しゅう)と別れてから、俺は一人で二階を探索していた。

 探索の目的は、ハルトというホストを見つけ出し、一刻も早くこの建物から外に出ることだ。

「修……あいつ、目的を忘れてないよな……」

 誰にともなくつぶやく。

 修というあの青年は、いまだ大人になりきれていないような、少年のような目をしていたことを思い出す。

『なんか、わくわくしていたなあ……』

 この建物に入った時のことを思い、俺は苦笑をもらした。

『でも、今はあいつを信じるしかない』

 ハルトは何を考えているかわからない上に、協力するつもりは一切ないらしい。

 三浦さんは一人で電車に戻った。

 こうなっては、頼みの綱は修以外にはいない。

菜々(なな)ちゃんのことは心配だったが、三浦さんが電車に戻ったなら少しは安心かな』

「……あ……」

 考えごとをしながら歩いてきた俺は、壁にぶち当たってしまった。


「なんだ……ここ……?」

 病室だろうか。それにしては大きな扉だなと思いながら、スマートフォンの明かりを向ける。

「……手術室……?」

 表札には、薄っすらとそう書かれているようだった。また、扉の上はすりガラスのようになっている。もちろん、中に明かりなどはない。真っ暗だった。

「……まさか、この中にはいないだろうな……」

 廃病院の手術室なんか、入りたくはない。

 けれども、ハルトがどこにいるのかわからない以上、ひとつの部屋も見過ごすわけにはいかないだろう。

 俺は、意を決し、扉を開けようとした。

 だが……。

「……なんだ……」

 思わず肩を落とす。安堵の吐息がもれた。

 ……手術室には入れなかった。

 扉の取手は、錆びついた鎖でぐるぐる巻きにされていたのだ。

「これじゃあ、ハルトって奴もここに入ることはできなかったよな」

 そうひとりごちると、踵を返して先を進んだ。


 上ってきた階段を通り過ぎ、すぐ隣の部屋に入る。

 簡易ベッドがところ狭しと並べられていた。

「病室……か」

 廊下以上に重い空気が立ち込めている。

 思わず、袖口で鼻と口を覆う。

『この臭い……』

 埃とカビの臭いが鼻をついた。

 むせ返るようだ。

 だが……なんだろう。この臭い……。それだけじゃないような気がする。

『……汗、の臭い……』

 そんなわけがない。かつて、ここに患者が収容されていたとして、いつまでも汗の臭いが残っているはずがない。たとえ残っていたとしても、人間の嗅覚でそれが追えるとは思えない。

 しかも……。

『……いったい、ここで、何が……』

 眉間にしわが寄る。

『さっきの、手術室……か?』

 ふと思ったが、そんなことはないだろう。俺は、扉にも、鎖にも、一度も触らなかった。

 そっと、後ずさる。

 そして、病室の扉を閉めた。

 鼻と口を解放し、ひとつ大きく呼吸をする。重く淀んだ空気でさえ、あの病室の空気よりは遥かにましだ。


 俺は、あの病室で……確かに、鉄錆の臭いを嗅いだ気がしたんだ。

 そう……あれは、たぶん、血の臭いだったんじゃないだろうか……。

 隣の病室も、その向かいの病室も、その隣の病室も、さっきの病室とそう変わらない……。

 どの病室も埃臭く、汗と血の臭いが染みついているようだった。

『……これは、気のせいなんかじゃない……!』

 いつの間にか、俺は小走りで廊下を駆けていた。

 一刻も早く二階を見終えて、ハルトを見つけ出し、一階の(しゅう)と合流して……そして、この廃病院から外に出たかった。この時の俺は、そのことばかりを考えていた。

『……くっせえ……』

 鼻の奥にこびりついているように、血の臭いがどこまでも追ってくる。

 しかも、病室を開けるたびに、その臭いは濃くなっているようだった。

『……なんなんだよ、ここは……!』

 気がつくと、俺は無我夢中で走っていた。

 まるで、何かから逃れるかのように……。

「あれが、最後だ……っ」

 恐怖を打ち払うかのように叫んだ。そして、最後の部屋の前に辿り着いた時……全身に戦慄が走る。

「……なん、だよ……これ……」

 目の前に現れたのは、赤茶けた、重々しい雰囲気の鉄の扉だった。

『なんで、病院にこんなモノが……』

 そう思った時、異様なまでの血の臭いが鼻孔を刺激した。

「……うっ」

 思わず両手で鼻を塞ぐ。

『……鉄錆の臭い、か?』

 目の前の鉄の扉を見て思う。

 だが、このむせ返るほどの臭い……。

 夥しい血飛沫が上がるのを彷彿とさせた。


 ……テ……テ……テ……


 俺は、全身の動きを止めた。

 ……何かが、聞こえる……。


 ……テ……タ……ス……ケ……


『……助けて……?』

 まさか、先に行ったハルトか? あるいは、一階を見終えた修だろうか。扉のすぐ横には、一階へと続く階段があった。

『……開いている……』

 扉には、南京錠を通すような穴が見えたが、鍵はかけられていないようだ。

 俺は、そっと扉に手をかけた。


 ざらついた、鉄の感触。

 ぎぎぎっと、重々しい音を響かせて、ゆっくりと扉が開く。


 扉が開ききった時、目に飛び込んできたその光景……。

 そのあまりのおぞましさに、俺は呼吸も忘れて、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった――。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ