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トンネルの向こう  作者: 高山 由宇
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Extra edition 3 ~三浦和夫の場合~

 ――タッタッタ……。

 私は、廃病院の廊下を小走りで出口に向かっていた。


 電車を降りた私は、乗り合わせた彼らとともにこの建物に入った。

 初めは、線路の向いている先にある施設ならば、もしかしたら管制室のようなものがあるのではないかと思ったのだ。

 しかし、ここは病院だ。

 考えてみれば、そんなものがあることの方がよほど不自然だろう。


「……っ、出口だ……!」

 私は、思わず叫んだ。

 出口から外へと出る。

 ……と言っても、いまだ地下であることに変わりはないのだが。

 それでも、廃病院の建物から一歩外に出たとたん、全身が軽くなったように感じた。

 比喩などでは、決してない。

 本当に軽くなったのだ。

「……なんなんだ……ここは……」

 振り返り、まじまじと廃病院を見つめる。

 入り口の戸は開いているのに、空気がまったくこちらに流れてこない。

 重く淀んだ空気が、まるで意思を持っているかのように外へ出ることを拒み、廃病院の中にとどまり続けている。

 私は、この建物に入る時と同じように、再び表札に目を向けた。

 使い捨てライターの火を近づけて確認する。

 確かに、「病院」の文字が見て取れた。

「……何だ?」

 病院の名前まではわからない。だが、端の方に、小さな文字で何かが書いてある。

 私は、火をさらに近づけた。

「……年……?」

 かろうじて読めた文字を口にする。

「昭……和……そうか、この建物が造られた年か。いや、あるいは、病院が開業した年かもしれないな」

 何年かまでは読めなかったが、昭和の時代に造られた病院であることは間違いないらしい。


「ああ……よかった……」

 私は、ほっと胸を撫で下ろした。

 乗ってきた電車が、今もそこにあったのだから。

 動き出して、どこかへ行ってしまっていたらたいへんだったと思いながら、私は開いたままの扉から電車に乗り込んだ。

 思わず、ぎゅっと目をつぶる。

 突然の明るさが、目に痛い。

「……菜々(なな)……さん?」

 声をかける。

 ……反応がない。

 私は不審に思った。

 あんなにも震えていた彼女のことだ。誰かが戻ってきたというだけで、安心して駆け寄ってくるのではないかと思ったのだ。

『やっぱり……彼氏じゃないから、か?』

 あの青年たちならまだしも、私のような中年男が一人で戻ってきたとしても、彼女としてはまったく安心できないのかもしれない。

 もっとも、彼女に対して何かやましいことをしようとか、そんなことは微塵も考えてはいないのだが。そんなことを考えられるぐらいの知恵と度胸があれば、今頃は会社の重役に昇進していて然るべきだろう。


「すまないね。戻ってきたのは私だけなんですよ……」

 そう言いながら、私は重い瞼をなんとかこじ開ける。

『……まぶしい……っ』

 薄目を開けた。辺りに、白い光が満ちている。

 それも徐々に落ち着き、すっかり目を開けられるようになると、私はきょろきょろと辺りを見回した。

「……あれ……? もしかして、別の車両に……?」

 そこに、彼女の姿はなかったのだ。

『この車両で間違いはないはずだ……』

 そうだ。私たちは、確かにこの車両に乗っていた。

『移動したのか?』

 けれども、腑に落ちない。

 あんなにも怯えていたのに……なぜだ?

 五人でいた時でさえ、彼女はこの車両の座席にうずくまり、ずっと肩を震わせていたのだ。

『彼女の身に、何かが……?』

 こくりと、喉が鳴る。

 忘れていた冷や汗が、再び背筋を伝っていった。

 その時だ。


 ――びたん……っ。


 私は、思わず肩をすくめた。

 何かを打ちつけるような音が聞こえたからだ。

 ……前方の車両から。

「な……菜々(なな)、さん……?」

 私は驚いた。自分の声が、あまりにも震えていたから。

『ああ……情けない……』

 拳を握り締める。そして、意を決すると、一歩一歩、前へと進んだ。

 心臓の鼓動が、耳元で聞こえるようだ。

 連結扉の前で、ひとつ大きく息を吸い込み、吐き出す。

 その上で、扉にそっと手をかけた。


 前方車両へと足を踏み入れ、私はあまりのことに拍子抜けしてしまった。

 そこには、誰もいない。

 そして、何もなかった。

「さっきの音は……いったい……?」

 とりあえず、辺りをくまなく見回しながら、その車両を歩いて行く。

 すると……。


 ――びたん……っ。


 私は、はっとして振り返った。

 ……さっき聞いたのと同じ音だ。

「……これは……」

 言葉が出てこない。

「……吊り……革……?」

 おもむろにつぶやいた。

 そうだ。それは、吊り革だ。普通は持ち手がついているのだろうが、それには持ち手はない。太くて丈夫そうな革が、天井から吊り下げられているようだった。ただ、その革は伸び切っているようで、床に届いて音を鳴らせていたのだ。

 床に着いた吊り革は、その反動で上へと帰って行く。

 目を丸くしていると、


 ――びたん……っ。


 今度は、背後で音がした。

 振り返ったすぐ先で吊り革が跳ねる。

 天井に戻って行く時に、私の鼻先を掠めて行った。

「……まずい」

 何がまずいのか……なぜそう思ったのか、それは私にもわからない。だが、この時の私は、得体の知れない恐怖に取り憑かれていた。

『逃げなくては……っ』

 とっさにそう思った。そこで、私はきた道を引き返す。


 ――びたん……っ。


 目の前に吊り革が降ってきた。

 それを、うしろに身を引くことでなんとかかわす。

『吊り革が天井へと戻ったその隙に、一気に駆け抜けよう』

 そう思ったのだが、この吊り革は、なかなか天井へと戻ってはくれなかった。

 そうこうしているうちに、


 ――びたん……っ。


 すぐ耳元で音がする。

 背筋を這うような、吊り革の感覚……。

『……挟まれた……っ』

 私は、俄かにパニックになった。

 目の前には、まだ吊り革がゆらゆらと揺れている。

 強行突破しようと、吊り革の脇を駆け抜けようとしたその時……。

 ……風を切る音が聞こえたのだ。

 私の、頭上で……。

 天井を見上げた私は、声を出すことはできなかった。

 がばり……と、まるで口を開くように吊り革が輪っかを作り、私の頭に降ってきたのだから。


 そして、私は……。

 そのまま……頑丈な吊り革によって吊り上げられてしまったのだった。

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