都市伝説
「あの……これって、終電……ですか?」
誰にともなく尋ねると、その場にいた全員の視線が俺に向いた。
「そりゃあ、そうでしょう」
真っ先にうなずいたのは、酔っ払いの中年男だ。さっきまで眠っていた男は、この電車を終電電車だと疑っていない様子だ。
「てっきり乗り過ごしたと思ったんですけど」
「あたしもお」
そう語るのは若いカップルだ。
「終電の時刻が過ぎていたのは確認した」
ホスト風の男が言う。それは俺も同じだったので、こくりとうなずいた。
「え? なら、この電車は、何だって言うんです?」
中年男の問いかけに、俺たちは誰も答えることができない。
「遅れていただけなんじゃないですか?」
「それならいいんですがね。この電車がくる少し前に電車が走り去ったのが見えた……気がしたんです」
中年男にそう答えると、ホスト風の男も、
「それは、俺も見た……気がする」
とつぶやいた。
「何なんですか。その、気がするっていうのは」
「電車がいつ入ってきたのか覚えていなくて……。ただ、気がついたら扉が閉まって、走り去るライトが見えたんです。腕時計を確認したら、終電の時刻を過ぎていました」
「……俺もだ」
俺の話に、ホスト風の男もうなずいている。
「それじゃあ、この電車はいったい何なの?」
女が蒼褪めた表情で尋ねる。わずかに震えているようだ。
「ちょっと、あなたたち。あんまり驚かさないで下さいよ」
傍にいた男が彼女の肩を抱きながら言った。
「そうだ!」
俺は努めて明るい声を出した。
「他に乗客はいないのかな。この車両には俺たちだけのようですが、他の車両はどうなんでしょう? 他の駅からすでに乗っていた人がいるなら、何か知っているかもしれませんよね」
すると、ホスト風の男が、無言ですたすたと後部車両へと向かった。
「あ……じゃあ、私は前方の車両へ……」
中年男も動き出す。俺も前方へと向かって歩き出した。
俺と中年男が戻ってきた時、カップルは座席に腰をかけていた。
いまだに震えている彼女に、男が付き添っている。
それからほどなくして、後部車両を見に行っていた男も戻ってきた。
「誰もいないな」
全員集まっているのを見て、ホスト風の男が言う。
「こっちもだ」
俺もそう告げた。すると、彼女はさらに全身をすくめ、
「……嘘でしょお」
と震えた声を上げている。隣を見ると、中年男もこの騒動にすっかりと酔いが醒めてしまったようで、赤かった顔が蒼褪めて見えた。
「あたしたち、もう帰れないの……?」
その言葉に、俺は首を傾げた。
『いくら何でも、怖がりすぎだろ……』
そう思っていると、
「大丈夫だよ。あんなのはただの噂だ」
男が彼女の背中をさすってやりながら励ましている。
「……噂?」
俺のつぶやきに、
「ただの都市伝説だろ」
ホスト風の男が言った。
「都市伝説……?」
俺は、はっきり言ってその手の話には疎い。
「知らないんですか?」
若い男が、常識だとでも言わんばかりに言う。
「終電を過ぎて走る電車には乗ってはいけない、という話ですよ。その電車に乗ってしまうと、黄泉の国に連れて行かれてしまい、二度と帰ってこられないという噂です」
「噂って……」
俺は呆れてしまった。
『誰も帰ってこられないというなら、その噂はどこのどいつが流したんだよ』
「くっだらねえ」
俺の心を代弁するかのように、ホスト風の男が吐き捨てるように言った。
「な……信じてないんですか?」
「信じられるか、そんな話」
喧嘩になりかけたところで、
「……やめましょうよ」
中年男が止めに入る。
「そうですよ。ちょっと落ち着きましょう」
俺も二人を宥めて言った。そして、
「とりあえず、自己紹介をしませんか」
と提案する。
「は、いらねえだろ」
真っ先に拒絶の意を示したホスト風の男に、
「まあ、そう言わずに」
俺は努めて柔らかく言った。
「ここで乗り合わせたのも何かの縁ですし」
「じゃあ、あんたは、普段から電車に乗り合わせた奴ら全員に自己紹介して回るのか」
「いや、そういうわけじゃ……」
「なら、今回も必要ないだろ。それぞれの駅に着いたら降りて、もう会うことのない連中だ。互いのことなんか知る必要もない」
とりつく島のない物言いに、俺はもう何も言えなくなってしまった。