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トンネルの向こう  作者: 高山 由宇
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地下からの脱出

 電車に飛び乗った俺は、その光景に目を疑った。


 まずは、車内電灯が明滅していたこと。

 それは、もうじき、この電車が完全に沈黙することを意味していた。

 ふたつめは、ハルトの足が治療されていたこと。

 刺さったままだったナイフが抜かれ、丈夫そうな包帯がしっかりと巻かれていた。

 ハルトは、怪我をした右足を座席に乗せ、電車の床に寝そべっている。

 ……確かに、流血している箇所を心臓よりも下に置いておくのはよくない。

 あの時は自分のことで精一杯で、そのことに気づきもしなかった。

『座席に座らせたままにしていたら、余計に出血してしまうよな……』

 そう思いながら、ふと顔を上げる。

 みっつめ……。

 俺は、俄かに声が出なかった。


 そこには、地下鉄駅員の制服を着た、中年男性が立っていたのだ。

 見慣れた制服と頭上の帽子から、彼がこの地下鉄の車掌であることがわかる。


「……あなたは……」

 そう言葉を紡ぐだけで精一杯だった。

 この男が車掌だとして、どうやってここへきたのか。今までどこにいたのか。なぜこのタイミングで現れるのか。

 もっと言うならば、彼は、本当に生きている人間なのだろうか……。


「よく、無事でしたね」

 車掌が、心から安心したような笑顔で俺たちを迎え入れてくれる。

 だが、俺は……その笑顔を見ても安心なんかできやしない。

 それは、修や菜々ちゃんとしても同じだろう。二人の表情がそう語っている。


「みなさん、大丈夫ですよ」

 不信感に満ちた俺たちに、三浦さんが声をかけた。

「この方は、以前、私たちと同じようにこの地下に導かれてしまったらしいんです。地上への連絡手段もなく、帰る方法もなくて途方にくれていたところへ、私たちの乗った電車がやってきた。それで、もしかしたら無線が使えるかもしれないと思い、運転席を調べていたようなのですよ」

「以前って……どれぐらい前ですか?」

 尋ねると、

「さあ……どうでしたかね」

 車掌は言葉を濁した。

『怪しい……』

 その態度は明らかに怪しい。なぜ、隠す必要がある?


「あなたの乗ってきた電車は?」

「外を探索中に動き出してね。戻ってこなかったんだよ」

「でも、駅員が一人消えたなら、地上は大騒ぎになっていてもおかしくないですよね」

「一人、じゃない。もう、何人も消えているんだ」

「え……」

「大騒ぎにはなっているよ。もうずっと前から。聞いたことはないかい? 終電後の電車には乗ってはいけないという話を」

「それって、ただの都市伝説ですよね」

「そう思うか。この状況でも……」

 ぞくっと、背筋が寒くなった。


「あの地下鉄では、終電の時刻が過ぎた電車に乗ることを固く禁じている。それでも、終電後の電車に乗る者たちがあとを絶たない。きみたちのようにな」

「……」

「きみたちも目の当たりにしただろう。これは、都市伝説なんて生易しいものじゃない。それなのに……怖いもの見たさやおもしろ半分にここに辿り着く者たちを何人も見た。そして、そのほとんどが、あの廃病院の餌食となった」

「ほとんど……? なら、生き残っている人がいるってことか?」

「ああ、いるよ」

 車掌が、俺たちの顔を一人ずつ見回す。

「五人ほどね」

 俺は、愕然とした。


「それって……」

「そうだ。きみたちのことだよ」

「……」

「終電後に走る電車のことは、私たちの間でも長らく問題視されてきた。だが、現状、どうすることもできない。その電車を走らせているのは、私たちではないのだから。……だから、終電を過ぎた電車には決して乗らないように注意喚起をしていたんだ。それを無視して乗った人たちがどうなろうとも、地下鉄側としては責任の取りようがない」

「……そんな」

「でも、私もなんとかしたくてね。それで、ある日、一人で終電後の電車に飛び乗ったんだ」

「……仕事が終わってから?」

 突然上がった菜々ちゃんの声に、みんなは彼女を見る。

「菜々……?」

 修が訝しんでいる。

 それはそうだ。

 なぜ、彼女はこの状況でそんな質問をしたのだろうか……。

 だが、車掌は、その質問に丁寧に答える。

「いや。非番の日にね」

 すると、さっきまで伏し目がちだった菜々ちゃんの目が、大きく見開かれた。


「無線は……?」

 修が尋ねる。

「無線は、どうでしたか?」

 そう言えば、車掌は無線が使えるか調べていたらしい。

 俺も期待を込めて車掌を見た。しかし、車掌は力なく首を振る。

「使えそうにないな」

「そうですか……」

 修は目に見えてがっかりしている。俺だってそうだ。

 その時、恐れていたことが起こった。

 明滅を繰り返していた車内の明かりが……ぷつりと消えたんだ。


 ――グオオオオオォォォ……っ。


 忘れかけていた恐怖が蘇る。

 電車の外から、耳をつんざく雄叫びが聞こえてきた。

 目線を動かすと、そこには闇があった。

 電車の窓という窓から、漆黒の闇がこちらをうかがい見ている。

 ……俺は、息を呑んだ。

『……ヤツが、入ってくる……っ』

 そう思った刹那、チカっと小さな音がして、再び電気が点いた。車内が明るくなる。

 すると、漆黒の闇も、一瞬にしてその姿をくらませた。


「さて。そろそろ、脱出しようか」

 車掌のその言葉に、

「……は……?」

 俺の口からは間の抜けた声が出た。

「脱出って……どうやって? 電車は動かないんですよね?」

「いや、動くよ」

 車掌はこともなげに言う。

「無線は繋がらなかったが、電車は動く。私なら、動かせられるよ」

「電気……通じているんですか? なら、なんで……」

 車内の蛍光灯はこんなにもちかちかしているんだ? それに、なんで、早く発進しないんだよ……と言いかけたところで、

小鳥遊(たかなし)さん」

と言う声が上がった。菜々ちゃんだ。

『小鳥遊……?』

 誰のことだと思い、この場で唯一名前を知らない車掌を見る。よく見ると、車掌の胸には名札があった。そこには「小鳥遊」の文字が。

「小鳥遊さん……女の人、見ませんでしたか?」

 いったい、何を言い出すのだろう。そう思ったが、

「あたしと同じ年頃の……」

 その言葉に、俺ははっとした。

 女の子……。もしかして、菜々ちゃんは、廃病院で俺たちを助けてくれた女の子のことを言っているのではないだろうか。

 そうだ。確か、菜々ちゃんは、あの黒髪の女の子のことを「美月(みつき)」と呼んでいた。

「知っているよ」

 車掌が言う。その表情は暗い。

「でも、彼女はもう……だめなんだ。連れて行くことは、できない」

 その言葉が何を意味しているのか……それは、はっきりと聞かなくても、この場にいる全員が理解できたことだろう。


 車掌が、運転席に向かって歩き出す。

「小鳥遊さんは、いつからここにいるんですか」

 その背中に、菜々ちゃんがまたも声をかけた。

 連結扉に手をかけながら、車掌はふと立ち止まる。そして、

「……七ヶ月前から」

 つぶやくようにそう告げると、扉を開いて前方車両へと行ってしまった。

「七ヶ月前……?」

 何の冗談だと思っていると、菜々ちゃんの瞳からは滴が零れ落ちた。

 ぽろぽろと、大粒の涙をあふれさせる菜々ちゃん。

 俺も、修も、他の二人も……なんと言葉をかけていいかもわからず、ただ、泣き続ける彼女を見守ってやることしかできなかった。

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