Extra edition 4 ~水野菜々の場合~
駅もないところに停まった電車。
アナウンスも聞こえない。
男たちは、みんな電車の外へと降りて行った。
修も、降りて行った。
あの顔は、きっと喜んでいる。修は、こういうホラーな雰囲気が大好きだから。
たった一人、沈黙する電車の中に取り残されてしまったあたし……。
地下鉄……終電後に走る電車……ルートを外れて停車した電車……駅なき駅……。
ぐるぐると頭の中に流れ込んでくるさまざまな情報。
それらが、胸の奥にしまいこんだあの記憶を、無理矢理引きずり出そうとする。
あたしは、はっとした。
電車の外に、人の気配を感じた。
ちらりと、誰かがこちらをのぞいている。
ほんの少しだけ。本当に、一瞬の間だけのこと。
でも、あたしは、その姿に見覚えがあるような気がした。
あの、長い黒髪……。艶のある、健康的な髪。それは、あの娘の姿を彷彿とさせる。
気がついたら、あたしは電車を降りていた。
怖いのも忘れて。ただ、あの娘にもう一度会いたくて。
電車を降りると、古い建物が見えた。その入り口の辺りに、人影が見える。その娘がこっちを見ている。
『……ついてこいってこと?』
怪しいと思わなかったわけじゃない。
ついていくのは危険な気もした。
でも、あたしはついて行くことにした。
……だって。
あの娘が、あたしを危ない目に合わせるはずがないから……。
あたしの名前は、水野菜々。
大学生。
あたしには、親友がいた。
小鳥遊美月。
彼女とは高校の時から一緒で、同じ大学に進学して、そこでもやっぱり親友になった。
彼女はあたしと違って地味。でも、すごく綺麗なの。頭も、あたしよりもちょっとだけ賢い。
そんな彼女が、あたしは大好きだった。
ある日、あたしが何気なく話題に上げたある噂話。
それを聞いた彼女の顔は曇ってしまった。
あたしは知らなかったの。
彼女のお父さんが地下鉄の車掌さんをしていて、噂の出どころを調べていただなんて。
そして、非番の日、終電の時間に出かけて行って、そのまま……帰ってこなかった、だなんて……。
――私、お父さんを探してくる……。
半年ぐらい前に、美月はそう言っていた。
そして、それが、最後……。
美月が大学にくることも、あたしの前に現れることも、もうなかった。
美月に電話をかけても、彼女は出ない。
――おかけになった電話番号は、電波の届かない場所にあるか……――
……何度かけても、お決まりの文句を言うだけ。
電波が届かないって、なに?
……もしかして、地下にいるの?
あなた、お父さんを追って……まさか、終電後の電車に乗ってしまったの……?
でも、あたし……。
美月を追う勇気はなかった。
「……ふふふ」
笑いが込み上げてくる。
今日のことは、本当に偶然だった。
追うつもりなんかなかったのに、あたしは終電後の電車に乗ってしまい、そして今……地下の不気味な廃病院の前にいる。
あたしは、美月に似た彼女を追って廃病院へと足を踏み入れた。
どんよりとした、淀んだ空気が重い。
ただの地下よりも暗いその建物の中を、あたしはスマートフォンのライトを頼りに進んで行った。
『不思議……。そんなに、怖くない』
一人なのに。そばには誰もいないのに。
それなのに……なんでかな。怖くないの。
たぶん。あの娘のおかげ。
あたしを導くように、つかず離れず、あたしの前を歩いている、あの黒髪の女の子……。
美月に似たあの娘が、あたしに勇気をくれるの。
――とんとんとん……。
美月が階段を上った。
あたしは……もちろん、美月について行く。
――とんとんとん……。
おんなじように、階段を上った。
「あ……美月……」
声をかける間もなく、彼女は扉に吸い込まれるように消えた。
階段を上ったすぐ先に、大きな部屋があった。
大きな扉の上はすりガラスの仕様になっていて、明かりが灯っている。
『あれ……? 電気、通っているのかな……』
不思議に思いながらも扉に近づいた。
押戸になっているみたいで、少し押してみたら動く感覚……。
鍵は、かかっていないみたい。
「……ねえ。美月……?」
あたしは、おそるおそる声をかけた。
そうしたら……。
「なあに?」
扉の奥から、声が聞こえたの。
この時、初めて、怪しいって思った。
……ああ、これは……誘い込まれたのかなって……。
でも、あたしは扉を開けた。
だって、美月に会いたかったから。
美月に会って、この半年の間、どうしていたのか……。
お父さんは見つかったのか。美月はどういう状況にあったのか。
ちゃんと、話を聞いてあげたかった。
扉を開ける時……怖かった。
けれどね、美月もきっと……ここへきた時は、あたし以上に怖かったんだよね。
だから、あたしは扉を開けた。
この扉の先に美月がいるかはわからないけれど。
美月には会えないかもしれないけれど。
でも、美月があたしをここに誘い込んだから。
美月が、あたしをここにこさせたがっていたから。
美月が望むなら、あたしは美月の願いを叶えてあげたい。
だって、美月は……あたしの、一番の親友なんだもの――。