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トンネルの向こう  作者: 高山 由宇
11/18

絶たれた希望

 廃病院を出ると、電車が見えた。

 電車がまだそこにあることに安堵しつつ、ハルトを抱えた俺と(しゅう)は、電車へと乗り込む。

 車内の電灯が、暗がりにいた俺たちの目を刺激した。

「下ろすぞ」

 一声かけて、ハルトをシートに座らせる。その軽い刺激にすら、苦痛の声をもらしていた。

『……まずいな』

 瞬間的にそう思った。

 出血がひどいとは思っていたが、ここまでとは思わなかった。

 暗がりで、血の量を把握することはむずかしかったんだ。

 だが……。

 明々とした車内の電灯に照らされたハルトの右足は、もともとがそういう色のスーツだったのではないかと思うほど、真っ赤に染め上げられている。

 また、顔色もかなり悪い。

 完全に血の気を失くしたような白い顔。血色の悪い唇は、紫色に変色して微かに震えていた。

「……寒いか?」

 尋ねたが、ハルトは何も答えない。

 今は夏で、地下で……夜とはいえ、だいぶ暑い。俺も修も汗だくだ。ハルトの額にも汗が浮かんでいるように見える。だが、これは、きっと俺たちの汗とは質が違う。

 俺は、自分の上着をハルトに着せてやった。それから、中に着ていたシャツの袖を破く。それで、ナイフの上の辺りをきつく縛った。

「真崎さん、これも使えます?」

 修も、自分のシャツを破いてくれたらしい。短くなったシャツの下から(へそ)が見えている。

「ああ、俺のだけじゃ足りないと思っていたところだ」

 そう言うと、さっき圧迫した箇所に修のシャツを巻きつけ、さらに強く圧迫した。ハルトの口からくぐもった呻き声がもれる。

「ひとまず、これでいい。だが、急がないとな」

「大丈夫ですよ。これでみんなそろったし、あとは駅に戻るだけです」

 俺の言葉に、修が明るい口調で言った。

「ほら、三浦さんが、無線がつながるかもしれないって言ってましたよね? あれ、どうなったのかな」

「そうだな。まずは三浦さんを探すか。この車両にはいないようだけど」

「そうですね。……僕たちが乗ってきたのはこの車両ですよね? 菜々(なな)もいないようだし。別の車両にいるのかな」

 ハルトに待っているように告げ、修は後方、俺は前方の車両へと向かって歩き出した。


 前方への連結扉を開いてすぐ、俺は驚愕に目を見開いた。

「……三浦さん!」

 俺の声を聞きつけたらしい修の足音が、背後から聞こえた。

「どうしたんですか、真崎さん」

「修、急げ!」

 言うなり、俺は駆け出す。修もすぐに状況を理解したようで、俺と同じ行動に出てくれた。

「三浦さん!」

 声をかけながら、俺は、力なくぶら下がっている目の前の三浦さんの足を支える。修も、俺の隣で同じように支えていた。

 三浦さんの体は温かい。

 生きているか死んでいるかはわからないが……まだ望みはあるように思えた。

「修、もっと持ち上げるんだ!」

「はい!」

 俺たちは、三浦さんの体を下から支え、上へ上へと持ち上げる。すると、三浦さんの首に引っかかっていた吊り革が外れた。


 ――どさり……。


 力を失くした三浦さんが落ちてきて、俺と修もろともに床へと倒れ込んだ。

 起き上がって見ると、三浦さんの首には鬱血した跡がはっきりと残っている。

 その顔は蒼褪め、血の気を失っていた。半開きになった唇は小刻みに痙攣している。

『……痙攣?』

 俺は、三浦さんの鼻先に顔を近づけた。

『……薄い……』

 しかし、確かに呼吸をしている。

「三浦さん!」

 俺は、三浦さんの耳元で大声を上げた。併せて、肩を強く叩く。

「三浦さん! 三浦さん!」

 俺は、三浦さんの顎を持ち上げ、気道を確保した。

『このあとは……人工呼吸……?』

 そう思いながら、少しの間考える。なぜなら、人工呼吸なんかやったことがないからだ。

 手順を間違えたら取り返しがつかない。だが、いつまでもこうしているわけにもいかない。

 俺は、意を決し、息を大きく吸い込んだ。

 ……と、

「……かは……っ」

 一声上げ、三浦さんが覚醒したのだ。

 薄目を空けた三浦さんの胸は大きく動き、しっかりと酸素を取り込んでいるのが見てわかった。

「三浦さん! 気がつきましたか?」

「あ、ああ……真崎さん……ここは……」

「ここは、電車の中ですよ」

「……ああ」

「三浦さん、いったい何があったんですか?」

「そうですよ」

 俺の言葉に重ねるように、修が割って入る。

「菜々はどこですか?」

 俺は、はっとした。

 ……そうだ。そういえば、彼女の姿を見ていない。

 ふと見ると、三浦さんは俺以上にはっとした表情をしていた。

「……やっぱり……いない、んですか?」

「……やっぱり?」

 どういうことかと思い、つぶやく。

「……どういうこと、ですか?」

 修の表情は暗い。俺も、固唾を飲んで三浦さんの次の言葉を待った。

「……わかりません」

 消え入りそうな声で三浦さんが言う。

「私がここに戻ってきた時には、もう……。車内を探していたのですが、その時に襲われまして……」

「襲われた……?」

「ええ……吊り革に……」

「吊り革……」

 俺は、頭上を仰いだ。

 天井から垂れた吊り革。

 吊るすものを失くした吊り革は、その口を大きく開きながら微かに揺れていた。

「……とにかく、この車両を出ましょう」

 普段なら、三浦さんの話なんて到底信じられるものじゃない。

 吊り革が乗客を襲う……?

 そんな、SFやファンタジーみたいな話……信じろと言う方が無理だ。

 けれども、この時の俺は信じた。

 そして、たぶん、隣にいる修も信じていたのだと思う。

 俺たちは、すでに、そんなバカバカしい話を信じられるだけの経験を、この短時間に嫌というほど積んでいたのだから。

 俺たちは、三人で、ハルトの待つ後方の車両へと戻った。


「あ……っ、どうしたんです、これは……!」

 ハルトの姿に、三浦さんが絶叫する。

「三浦さんは、戻って正解だった。あの廃病院……普通じゃない」

 俺の言葉に、三浦さんは苦悶の表情を浮かべて項垂れた。

「……いえ。同じですよ。この電車も、絶対に安全なわけでないことがわかりましたから」

「そう言えば、無線は?」

「それは、まだ……。確認する前に襲われてしまいましたから。ただ、吊るされた時に操縦席が見えました。たぶん、計器の電源は落ちていたのではないかと思います」

「確かなんですか?」

「たぶん……」

 俺は、頭を抱えた。

 三浦さんが確認できたのは、吊るされた時の一瞬だけ。

 計器に光がなかったから電源が落ちていると思ったのだろうけど、もしも見間違いだったなら……?

 だが、それを確認するためには、また前方車両に向かわなければならない。

 また、吊り革に襲われたら……。今度も助かるとは限らない。

 無線のことは、諦めた方がいいのだろうか。

 確実に動くという保証がないのに、危険を冒す必要はない。それに、たとえ無事に操縦席に辿り着けたとして、無線の使い方がわからなければ無駄足になるだけじゃないか……。

 しかし……。

 俺は、頭をがしがしとかきむしり、腹の底から深い息を吐き出した。


 無線が使えない……。

 三浦さんのこの言葉は、俺たちから希望を根こそぎ奪って行ってしまった。

 これじゃあ、廃病院から脱出しても絶望しかない。

 最悪、俺と修、それから三浦さんは歩いて線路を戻るという手もある。

 しかし……。

 それは同時に、ハルトを見捨てることを選択しないといけないということだ。

 足を怪我し、しかもこれほどの出血をしているハルトが、長い線路を歩いてなど行けるはずがない。

「ハルト……」

 声をかけた先では、ハルトが力なく目を伏せていた。

「急ぎましょう」

 ふと上がった声に、俺は打たれたようにそちらを見る。

 修だ。修が、決意に満ちた目で俺たちを見据えている。

「計器の電源が落ちているなら、この電車の電灯は予備の電気ってことですよね。なら、急がないと。ここにずっといても助けがくる見込みはないし、そのうち明かりすらなくなってしまう。スマホの充電だって、いつまで持つか……」

 そう言われ、俺は自分のスマートフォンに目を落とす。充電残量は半分を切っていた……。

「ああ……。だが、急ぐって、どうしたら……」

「それは、僕にも……」

 俺の問いかけに、修は顔を伏せる。だが、すぐに上げて言った。

「でも、何もしなかったら、ここで終わりですよ。僕たちは、誰も……助からないっ」

 ……助からない……。

 その言葉が……今まで、考えまいとしていたことが……ここにきて、俺たちに重く()しかかってくる。

『……そうだ。どんなに見ないようにしていたって、これは現実なんだ……』

 俺は、ちらりとハルトを見た。驚いたことに、ハルトもこちらを見ていた。俄かに目が合う。

「あ……柏木さん、どこへ……?」

 三浦さんの驚いた声が上がる。修が、電車から出て行こうとしていた。

「修、まさか……」

 俺の声に、修は振り向いた。

「僕、あそこに戻ります」

 そう言い放った修は、これまで見たことのない、たくましい男の表情をしていた。

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