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トンネルの向こう  作者: 高山 由宇
10/18

廃病院からの脱出

(しゅう)

 一階に降りた俺は、小声で呼ばわった。

 スマートフォンのライトを通路の奥まで伸ばす。だが、動く者の姿をとらえることはできなかった。

「どこかの部屋にでも入っているのか……?」

 一歩、廊下を進む。すると、すぐ耳元から苦痛の声が上がった。

 ハルトは、俺に支えられながら右足を押さえている。その指の間からは、血が滴り落ちていた。

 右足には、まだナイフが突き刺さったままだ。

「……あんたは、ここで待っていてくれ。俺は修を探してくる」

 そう言ってハルトを壁に寄りかからせる。

「修を見つけたら必ず戻る」

「そいつ、本当にここにいるのか?」

「ああ……」

「いない可能性は?」

「……」

「……あるのかよ」

 ちっという舌打ちが聞こえた。


「あんたを見つけた時、それから一階を探索し終えた時にはこの建物からすぐに出るよう、俺が修に言ったんだ」

「……」

「あんたは二階にいた。なら、一階のすべての部屋を確認した修は、もしかしたら電車に戻っているかもしれない」

「……悪かったな」

 思いも寄らない謝罪に、俺はまじまじとハルトを見る。

「俺が一人で行かなければ、あんたらはすぐに電車に戻るつもりだったんだろう? これも……結局のところ自業自得ってわけだ」

 ハルトが、傷口を押さえる手に力を込めたのがわかった。

「……弱気になるなよ。必ず、全員でここから脱出するんだ」

「……」

「俺は、とにかく修を探す。あんたを襲った奴がどこにいるかわからないから、大声は出せないけれど……。ひとつずつ病室を見てくるよ。そんなに大きな病院じゃないから、すぐに戻ってこられるはずだ」

「……本当に……思うか?」

「え……?」

 よく聞き取れずに、俺はハルトに顔を近づけた。うつむいていたハルトが、顔を上げる。その表情は固い。

「本当に、人間の仕業(しわざ)だと思うか?」

 そう尋ねられ、俺は言葉を呑み込んだ。


「さっきの部屋のこともそうだ。俺は、部屋に入ったとたんに襲われた。その時に、何人もの手で椅子に拘束されたんだ。だが、ひとつの足音も聞かなかった。あの部屋の床は鉄製だった。それなのに……。それに、あの声だって……」

「それは……あれだ。スピーカーか何かで、音を増幅して流しているんじゃないか?」

「……俺の、名前も知っていた……」

「……名前? ハルト……?」

「違う。それは、俺のホストとしての名前だ」

「……それじゃあ、もしかして、あんたに恨みを持っている奴の仕業……?」

「もしもそうだったなら、あんたらには悪いことをしたと思う。だが……ただの人間に、こんな大がかりなことができるのか? 終電後に電車を走らせる……? 地下の廃病院に電車を向かわせる……? いったい、どうやって……」


 確かにそうだ。

 これは、本当に人間のなせる(わざ)なのだろうか。

 二階の病室を回っている時に感じた……汗の臭い、血の臭い。

 拷問部屋で感じた異様な空気。

 鉄製の壺から現れた人間の手……。


「人間じゃ、ない……?」

 意識したとたんに背筋に悪寒が走った。しかも、次のハルトの言葉がさらに追い打ちをかける。

「……空気、重くないか?」

 言われてみれば、周りを取り巻く空気が、入ってきた時よりもずっと重く感じられた。

「……早く、ここを出よう」

 俺は、修を探すべく、ハルトを置いて一歩踏み出した。

 と、すぐに足を止める。

「……どうした?」

 ハルトが訝しんで俺を見ている。


 ハルトには、聞こえなかったらしい。

「……聞こえる……」

 俺が言うと、ハルトは意識を研ぎ澄ますように押し黙った。

「……何がだ?」

 ハルトが首を傾げている。

「……この部屋だ」

 俺は、すぐそばの部屋の前に立った。

「おい……そこは……」

 ハルトの声に、俺はその部屋の扉をじっくりと見つめる。他の部屋と同じように、表札がかけられていた。ライトに照らされたそこには、掠れた文字で「霊安室」と書かれている。

 扉に手をかけながら、俄かに開けるのをためらってしまった。

「は……はは……」

 乾いた笑い声を上げる。

「まさか……今も死体があるわけじゃあるまいし……」

 そう言って己を鼓舞しようと頑張っている俺に、

「まあ、死体では、ないかもしれないな」

 口角を上げながら、ハルトが何かを含んだように言った。

 俺は、それについては何も答えることなく、ひとつ大きく息を吐くと扉を開いた。


 部屋は、意外にも整然としていた。

 壁は戸棚になっているようだ。おそらく、死体を入れておくためのものだろう。

 部屋の中央には、寝台のようなものが五台並んでいる。

 ……一番奥の寝台には、死体袋が置かれていた。

『……あの膨らみ……』

 喉がこくりと鳴る。緊張の連続で、いい加減に喉が渇いてしかたがない。

 死体袋には、確かな膨らみがあった。

 まるで、本当に……誰かが入っているかのような……。


 ――……ガン……っ!


 一瞬、すべての動きを停止する。

 呼吸も忘れて、死体袋を凝視した。

 もぞもぞと動く死体袋……。

 それが、飛び跳ねるような動きに変わり、その勢いで寝かされていた寝台を蹴ったのだ。

 俺は、足早に死体袋へと近づいた。


 廃病院の霊安室に置かれた死体袋……。

 普段なら、絶対に近づかないだろう。

 ……怖くないと言えば、嘘だ。

 めちゃくちゃ怖い。

 俺は、もともとホラーが苦手なんだ。

 だが、なんだろう……。この時の俺には、何か確信じみたものがあったのかもしれない。

「……修かっ?」

 声をかけると、


 ――……ガン、ガン、ガン……っ。


 まるで、俺の呼びかけに答えるかのように寝台が大きく鳴った。

『……間違いない』

 そう思った俺は、死体袋のファスナーを下げる。

 そこには、猿轡を噛ませられ、両手両足を拘束された状態の修が閉じ込められていた。

 修は、恐怖と安堵がないまぜになったような表情で俺を見ている。

「……大丈夫かっ?」

 驚きながらも、俺は修の拘束を(ほど)いてやった。

 足を押さえている縄を外し、両手の縄を外そうと手を伸ばす。そこで、修の様子がおかしくなった。

 修が……暴れ出したのだ。

「お、おい。暴れるな。縄が(ほど)けないだろ」

 それでも、なんとか両手の拘束を外す。すると、抑えるものがなくなった修は、さらにじたばたと暴れ出した。


 修の目が、大きく見開かれている。

 その瞳の奥に、明らかな恐怖の色が宿っていた。


 最後に猿轡を外してやると、

「……真崎さん、うしろぉ……!」

 修が叫んだ。

 その声に、俺は背後を振り返る。


 ……この建物に入ってから、何度目だろうか。

 俺は、言葉を失った。

 もう、驚くものなどないと思っていた。

 驚き尽くしたと思っていた。

 だが、それは、甘かったのだと……この時、思い知らされた。


 壁一面の、死体を収容するための戸棚。

 それらが、音もなく、ひとりでに、一斉に、開いてくる……。

 そして、中からは、たくさんの、黒い……腕が……。


「……あ……あ……あ……っ」

 修が、声にならない声を上げている。

 俺は、修の腕を取って無理矢理立たせると、

「……走れ!」

 そう一喝した。

 そこで、自分を取り戻したのか、修はすぐさま扉に向かって走る。俺も、そのあとを追った。

 ふと見ると、戸棚からは腕だけでなく、頭も出ている。顔も見えた。

 そのうちの一体と、目が合ってしまった。

 憎々しげな、何とも言えない、暗い目が……俺たちを睨んでいる。

 俺たちは、霊安室から廊下へと飛び出し、急いで扉を閉めた。


「……何があった?」

 廊下へ出ると、ハルトが壁にもたれるように立っていた。俺たちの声は、廊下にまで漏れていたらしい。

「早く……早く、逃げないと!」

 修が叫ぶ。俺も、

「修、手を貸せ!」

 そう叫び、ハルトのもとへと駆け寄った。

 一瞬、修は苦い表情を浮かべたが、すぐに状況を理解してくれたらしい。修もハルトのもとへとくるなり、俺と同じ行動に出る。

 俺たちは、二人がかりでハルトを抱えるようにして、廊下を一直線に出口まで走った。

 その途中、


 ――ガンガンガンガンガン……!


 病室の扉が、けたたましい音を上げて揺れた。

 その音は、まるで逃げる俺たちを追ってくるかのように、俺たちが進む方向の扉を激しく揺らしている。

 病室の扉の上部は、手術室にもあったようにすりガラスの仕様となっていた。

 そのガラスの向こうに、たくさんの手と、顔の陰が……。

 俺は、周りを見ないようにした。

 極力、音も聞かないように、ただ逃げきることにだけ神経を集中させる。

 それは、きっと、修も同じ思いだっただろう。


 俺たちは、逃げた。

 逃げきった。

 ハルトを抱えながら、廃病院の出口から……。


 そして、俺たちは……。

 ようやく……普通の地下に戻ってくることができたのだった――。

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