第5話 奴隷の本音
朝日が差し込む宿にて、狐月はゆっくりと目を覚ました。柔らかな布団の感触、ぽかぽかと暖かい日差し。シーンとした静かな空間でとても目覚めが良かった。
「すー……すー……」
隣には童顔な男の子が静かな寝息を立てていた。それはもう可愛らしい寝顔で狐月は頬を緩ませながら頭を撫でる。
(ご主人様……)
まだまだ出会って間もない。蓮のことなどほとんど知らない狐月だがこれだけは言える。蓮は本当に優しい人間であることだ。蓮が出す命令は全て狐月が奴隷としては絶対にあり得ない得をするものばかりだ。
初めてを経験した際も無理やり奪われることを想像していた狐月だったが結果はむしろ逆。ご奉仕する形で狐月の方が蓮の初めてを奪ってしまうような形になってしまった。
「んぅ……」
蓮は少し体勢を変えて横向きに。両手が狐月の方に向けられ、その手は何度も開いたり閉じたりを繰り返していた。
「えっと……何か掴むものが欲しいのでしょうか……?」
何か掴みたそうだった。自分の手を合わせてみたところ蓮は遠慮なく狐月の手を握り始めた。何かを握ったことで安心したのか少し頬を緩めた。
(か、可愛い……!)
その仕草があまりにも可愛らしくて狐月も頬を緩ませる。しばらくの間蓮の寝顔を見ながら過ごす。11時手前になってようやく蓮は目を開いた。
「んぅ……? 狐月……?」
「おはようございます、ご主人様」
隣に寝ていた狐月の表情はそれはもう満面の笑みだ。不覚にもドキッとさせられた蓮は寝ぼけた頭の中が一気にスッキリした。
「お、おはよう……。身体は平気か?」
「はい。問題ございません」
少し違和感があるものの痛みもないので問題はなかった。特に最後の方は完全に痛みが引いて気持ち良くなってしまっていたくらいなのだ。
蓮は上体を起こすと大きく伸びをして固まった筋肉をほぐす。今日からは冒険者として活動していくのだ、命懸けの仕事となる以上は体調くらいは万全にしておきたい。
「とりあえず今日から稼がないと」
「はい。危険なことはお任せください」
「そんな危ないのは遠慮したいところだけどな……。とりあえずまず飯か」
手持ちは銅貨40枚と銀貨7枚だ。今日1日過ごす分は充分にあるが明日になれば怪しいくらいだ。早く稼がなければ色々と問題になってしまうだろう。
「私も精一杯頑張ります!」
上体を起こして意気込むように手を握り締める狐月。蓮は頬を少し赤く染めて視線をゆっくりと逸らした。
「先にその……服着ようか」
「え? ……ひゃ、ひゃい!」
胸が普通に見えてしまっていた。蓮も相当甘えてしまったので少々気恥ずかしい。流石に昨日したこともあってか見ることはそこまで恥ずかしくはなくなった。もちろん興奮はするが。
服を着替えて外に出る。昨日と何も変わらないはずなのにその気分は晴れ渡っているようだった。
「今日は何食おうか。そういえば狐月は嫌いな物ってないのか?」
「ご主人様からいただけるものであればなんでも美味しいです」
「お、おう……いや、嫌いな物とかあらかじめ言っておいてくれよ……?」
わざわざ嫌いな物を食べ物を食べさせたいとは思ってもいない蓮。あらかじめそういうことを言ってくれれば避けられるのだ。
2人で色々と散策していると露店があった。朝の、それもこれから運動するということであれば軽いものの方がいいだろう。
「朝昼兼用で今日はあれにしとくか?」
「かしこまりました」
何が売っているのだろうかと興味津々に見つめる蓮。まるでイカのような、されどそれはイカではない大量の触手が蠢く謎の生物が焼かれていた。
「ウーゼィですね」
「何それ?」
「大変美味な海の魔物と聞きます」
食べたことはないようで狐月も楽しみにしていた。意外にも値段もお手頃で1匹で銅貨30枚。迷わず購入して2人で食べながらギルドへと向かう。
「美味しいです」
「うん、イカだな。イカ焼き」
味はほんのりピリ辛なイカ焼きである。少し大人の食感ではあるが蓮にも充分なくらい美味しいと感じさせる味だった。あっという間に完食してしまう。
「さて、ここが冒険者ギルドなわけか?」
「はい」
案内されたのは大豪邸のような広い建物だ。しかし武装した人々が出入りを繰り返しており、時には酷いくらいの怪我をしている人もいるくらいだ。改めて危険な職業であることが分かってしまう。
「……」
「ど、どうかなさいましたか!?」
蓮はあまり見ない人の大量の血に少し吐き気を覚えた。蓮の顔色が悪くなったことを悟った狐月は慌てた様子だ。
「いや……あんまり人が死ぬとか想像してなかったんだけど。いざ目の当たりにするとちょっとな……」
「だ、大丈夫ですか?」
背中をさすられて優しく介抱される。近くのベンチに座らせてもらった蓮は大きく息を吐いた。
「ご主人様の世界では珍しい光景なのでしょうか?」
「あぁ。むしろあんなに傷だらけの方が少なかったりする」
「平和な世界だったんですね」
まさしくその通りだろう。この世界程に潤ってはいないがこの世界程に過酷なものでもなかったのだ。
「おら、歩けよとっとと!」
「……はい」
「へへ、帰ったらたっぷり可愛がってやるよ。あ、出来ちまったら捨てるけどなぁ!?」
通る冒険者の中にはごく稀にだが奴隷を連れた者がいる。奴隷は傷だらけで主人は無傷というのは珍しくはない。更にはこれから更に酷い目に遭わされるだろうことは想像が付いてしまう。
その様子をベンチから見ていた2人。しかし蓮はあまり余裕がなく、大きく息を吐いてなんとか落ち着かせようとする。
「…………ご主人様は私に酷いことをなさらないのですね」
「ん? ……あぁ、さっきのか」
同じ奴隷として何か思うところがあった狐月。狐月が想像していた奴隷としての生活はどちらかというと先程の光景の方が強い。蓮のように1人の女性として扱ったりはされないものと思っていた。
「俺別にドSじゃないからな。あ、でもドMでもないからな?」
「それは分かってます。ご主人様は大変お優しくて私は幸せ者です」
にっこりと微笑む狐月。他者に構っている余裕などない。同じ奴隷だからと言っても見知らぬ誰かの為に助けたいなどとは思わないものだろう。他人はあくまでも他人なのだ。
「この世界の制度に関しちゃもうどうしようもない。今更俺1人が奴隷反対なんて言ったところで誰も聞く耳なんて持ってくれないからな」
見知らぬ誰かの声など誰にも届きはしないのだ。蓮が幾ら騒いだところでそれはただの戯言と受け取られてしまうことだろう。
「……膝、借りてもいいか?」
「え? あ、はい」
色々と気持ち悪くなって狐月の膝を借りて横になる。怪我をする人々、奴隷としての人権も何もないような非道な行いを日頃から受けている人々。その事実が当たり前のように溢れているのがこの世界だ。
「俺は別に優しくなんかない。俺が優しいならすぐにでも狐月を解放してる」
「…………そうなのですか?」
「俺は主人としての立場を利用してるだけだ。出来るだけ楽がしたいからな」
自分が苦労さえすれば1人でだってどうにでも出来る。冒険者というのも聞けば普通に分かった話だ。しかし蓮はわざわざ奴隷である狐月にそれを聞き、その真偽を確かめ、そして目の当たりにして初めて信用している。
「さっきは俺が奴隷制度に反対している風に聞こえたかもしれないが俺はこの制度に賛成だ。利用出来るものは利用したい」
「今も私を利用されているんですか?」
「あぁ」
今この状況もそれは変わらない。蓮にとっては女性に膝枕されるなど初めての経験だ。気分が悪いというのを理由に無理やり借りているだけに過ぎない。
「……ご主人様の喜びが私の喜びです。ですからご主人様が楽を出来るのであれば私はどんなことでも致します」
「…………本心は? 命令だ、遠慮なく言え」
狐月はくすりと微笑むと許可もなく蓮の頭を撫でる。いきなりのことで驚いてしまう。
「私はご主人様のお側にいたいです」
全く痛みがある様子はない。それは狐月の本心だったからだ。まだ出会って間もないというのに蓮のことが気になって仕方がないのだ。
「私はあまり獣人らしくはありません。耳と尻尾以外は人間族のそれと変わりませんから。私を受け入れてくださる人なんて少なかったんです」
「……そう、なのか」
獣人族の価値観は人間とは違う。より濃く獣としての特徴を残している方が好まれる種族なのだ。だから人間に近い狐月は疎まれてしまう方であった。
「村の方々は獣人族としての大切な掟を破りました。そしてその責任を全て私に押し付け、私は奴隷にされてしまったんです」
「まともな神経とは思えないな」
「それが普通です。皆さん保身の為にはどんな非道なことでも出来てしまうんですから」
自分の為ならば他者を犠牲にすることを厭わない。人というのはそういうものである。
「ですから……例え奴隷だとしても自分の居場所が出来たみたいで嬉しかったです」
「居場所……」
「はい。ですから例え利用されているだけだとしても……私はご主人様のお側にいたいです」
命令は本心を言うこと。つまりこれは飾りのない狐月の本心ということである。急激に恥ずかしくなった蓮は上体を起こす。
「ご主人様?」
「今こっち見ないでくれ」
それはもう顔が真っ赤だ。こうも真っ直ぐに言われてしまうと悪い気はしないが照れてしまう。
「もしかして照れていらっしゃいますか?」
「…………奴隷としての立場忘れないように」
「す、すみません。ですがあまりにも可愛らしかったのでつい……」
完全にからかわれているような気しかしていない蓮。しかしお陰でいつの間にか傷だらけの人を見ても気分が悪くなったりはしなくなっていた。
「そろそろ行ける。悪いな、手間を取らせて」
「いえ、問題ございません。ご主人様の可愛らしい姿も見れましたし、満足です」
「後で覚えてろよ……」
しつこい狐月に子供のように不機嫌になる蓮。その様子すらもどこか微笑ましげな狐月だった。