第2話 異世界のことを知ろう
女性に連れられてやって来たのは小綺麗な白い宿である。内装も壁は真っ白で床はフローリングのような馴染み深いもの。中央にカウンターがあり、左右には階段だ。カウンターに向かうと女性は緊張した様子もなく宿主の男に話し始めた。
「お部屋を予約出来ますか?」
「はい、まだまだ空きはございます。何部屋に致しますか?」
「1部屋でお願い致します」
「え」
1部屋というのは色々と問題があるような気がした蓮。邪魔する気はなくともつい声が出てしまう。振り返った女性はキョトンとした表情を見せた。
「どうかなさいましたか?」
「あ、いや……」
何かあるのかもしれないとひとまず疑問を飲み込んで静観を決め込む。
「1部屋お願い致します」
「はい。では銀貨2枚になります」
「えっと……よろしいでしょうか?」
残念ながら奴隷の女性には払ってもいい金額の区別が付いていない。そして蓮もそれは高いのか安いのかな区別が付いていない。つまりはもう運任せでしかないのだ。
「えっと……とりあえずOKで」
「かしこまりました。お願い致します」
「ありがとうございます。こちらがお部屋の鍵となっております」
304号室の部屋の鍵を貰う。向かうは3階の階段から4つ隣の部屋である。この事から部屋の番号の割り振りは想像が付くだろう。
部屋のドアを開けると中は1人部屋のようだった。ベッドが1つと棚が1つ、中央には小さなテーブルと椅子が1つ置かれてある。トイレとシャワーも付いていて生活には困らなさそうである。
修学旅行先では2人部屋だったせいか妙な安心感を感じてしまう蓮。中に入ろうとして、入り口で止まっている女性にキョトンとする。
「部屋、入らないのか?」
「こちらはご主人様のお部屋です。私は廊下に立っておりますのでご用の際はいつでもお声掛けください」
「いやいや、普通に入ってくれよ」
そうしないとこの世界のことを何も聞けない。流石に無知であることを外で公表して変に騙されるのだけは避けたいが為に宿屋へと移動したのだ。
「よ、よろしいのですか?」
「あぁ。とりあえず早く入って」
「し、失礼致します」
遠慮がちに女性が部屋の中に入ってくる。ゆっくりと扉を閉めるが玄関で立ったままである。
「…………あの、入ってっていうのは玄関で待つんじゃなくて普通に部屋に入って来てくれって意味なんだけど」
「そんな恐れ多いこと!?」
奴隷が主人と同じ空間にいるなど普通は許されなどしない、という価値観なのだ。もちろん、ご奉仕する際はそういうことになってしまうがそれは暗黙の了解で必要でなければ邪魔をしないよう離れて付いていくのが普通だ。
「大丈夫だから早く」
「は、はい」
靴を脱いで部屋の中へと入る。蓮は少し気疲れしたように椅子に座る。女性はすぐそばを立つだけで座りもしなければ休む様子も見られない。
「すわ……る椅子もないな。ベッドに座るか?」
「ベッドはご主人様が使用なさる聖域です。私などが座るわけには参りません」
「俺っていつから聖域を持つようになったんだ……」
やはり奴隷というのが普段からそういう扱いのようだった。蓮は立ち上がると女性の背中を押す。
「あ、あの、ご主人様?」
「いいから座りなさい」
ベッドに無理やり座らせると自分も椅子に座って大きく息を吐く。
「す、すみません」
「いや、ご、ごめん。ちょっと色々あって気疲れがな……」
明るく振る舞ったりしているがやはり疲れるというもの。異世界転生など創作の中ではテンション上がって当たり前のように冒険に出かけているが実際に体験すると疲れてしまっていた。
「さて、とりあえず自己紹介から始めよう。俺の名前は赤城 蓮。あなたは?」
「奴隷に名前はありません。ご主人様の呼びやすい呼び方で構いません」
「そ、そうなのか」
名前を付けなければいけないところから始めなければいけないようだった。蓮は腕を組んでじーっと女性を見つめる。
特徴から名前を付けようとしているのだ。真っ先に浮かんだのは狐。次に金髪である。
(金色……ゴールドさん? いや、ないな)
色で名前を付けるのは良いものの金色はどうにも付けにくい。金色に由来するもの、と考えると不意に月を思い出した。
「狐月、とかどうだろう?」
「コゲツ……ですか」
「あ、あれ。気に食わないか? なら別の考えるけど……」
「い、いえいえ! 珍しいお名前を付けられると思っただけです! コゲツ……コゲツですね。かしこまりました」
女性は立ち上がると深く頭を下げる。蓮はとりあえず先に言わなければいけないことがあった。
無知なのを公表するわけにいかないというのはあくまでも周囲の目が合ったからだ。目の前の女性、狐月は女神が用意してくれた信用に足る人物である。
「えっと、とりあえず最初に言っておくんだが」
「はい」
「俺は今日異世界転生してきたんだ。だからこの世界のことについて何も分かってなくてな」
「……はい?」
話を聞いても全く理解出来ずにキョトンとしてしまう。蓮も想像通りだ。いきなり異世界から来ましたと言われても全く信用出来るはずはない。
「信じられないのは無理もないけどとりあえずそういうことだから俺にはこっちの世界の常識とかはよく分からなくてな」
「そ、それはつまり勇者様……ということでございますか?」
「いや、勇者じゃなくてな。たまたま勇者の近くにいて女神に転生してもらったんだよ。だから悪いけど俺には特に何の力もないな」
自分が凄い力を持っているという自覚がそもそもないのだ。女神が言っていた神の力を継いだ存在であることを認識する機会がない。そもそもそういう力を使えるという事実がないからだ。
蓮はまだその力に目覚めてはいない。故に今の蓮にはそういう力があることを気付く手段もなく、そして周囲の人々も蓮が特殊な人間であることを気付ける要素がないのだ。
「そ、そうなのですか」
「あぁ。それで狐月にこの世界のことを色々と教えて欲しいんだけど」
「かしこまりました。私の知る範囲で全てお教え致します」
ここで蓮を利用して奴隷という立場を抜け出そうとしないのは狐月の性格故である。女神の人選はやはり間違えてはいなかったということになる。
「この世界はアルマ・カルマと呼ばれております。人間族の他に私のような獣の一部を引き継いだ獣人族、耳が尖っているエルフ族、龍の翼や鱗が生えた龍人族、鍛冶が得意な小人のドワーフ族、魔物の一部を引き継いだ魔人族の6種類存在しております」
「ふむ……」
物凄く魅力的な言葉である。6種類の生物が住むこの世界で蓮は思うのは当然他種族に触れてみたいということである。フリフリと左右に揺れる狐月の尻尾も今にもモフりたいくらいの衝動に駆られる。しかしそれをするにはまだまだ信頼度も信用度も足りていない。
「他にはその6種の種族の枠外に魔物と呼ばれる生物がおります。魔物というのは簡単に言えば本能に従う獣です。時には人を殺してしまう怖い生き物です」
「魔物はなんとなく分かるんだが俺の知っている魔物とはちょっと違うな。魔王が世界を支配しようとか企んでるんじゃないのか?」
「よくご存知ですね。魔王は魔王城という場所を根城にしております。ここからは一番遠い場所にありますので安全ですが魔王城の近くはとてつもなく強い魔物が生息しております」
やはり魔王というのは自身の根城の周囲に強い魔物を配置するもののようだ。必然的にそうなってしまうのは仕方がないだろう。仮に一国の王と例えると他勢力がいる中で遠くまで戦力である兵士を展開させるのは難しいのだ。そんなことをしてしまえばその部隊はあっさりと全滅、更には自陣が手薄になることで陥落してしまう可能性すらあるからだ。
「魔王ってのはつまりは本能で支配を企んでるってことか?」
「はい。加えて知識にも優れており、様々な魔法を使用されると聞きます」
「流石は魔王だな」
魔王というのは強力だ。しかしそれを退治するのは蓮の役目ではない。蓮の役目は他にあるのだから。
「魔王を倒せば魔物はいなくなるのか?」
「いえ、魔王とはあくまでも魔物の王です。魔王が魔物を生み出しているわけではありませんので魔王を倒しても魔物はいなくはなりません」
「なるほどな。ある程度予想は付くんだがやっぱり魔物の素材とかで世界は循環してるんだよな?」
「はい。魔物がいなくなってしまうとほとんどの人々が飢え死にしてしまうかと思います」
そういう意味では安心である。もし仮に魔王を倒すことがこの世界の終わりに繋がるのであれば蓮は勇者である正義と対峙しなければならなくなってしまう。
「なるほどな。この世界のことはある程度分かった。次はこの世界の過ごし方について聞きたい。金を貯める方法とか」
「職業は主に3種類ございます。1つは冒険者。つまりは魔物の素材を集める人達のことです。冒険者ギルドと呼ばれる場所で契約することでレベルというものを手に入れることが出来ます」
「レベルって手に入れるものなのか?」
「はい。レベルというのは個人差はありますがもちろん高い方が良いです。身体能力が上がるだけでなく強さの証明にもなります」
身分証にも使えるということである。持っていて損はなく、更には色々と出来ることの幅が広がるというものだ。
「なるほどな……」
「続いて商人です。こちらは物を仕入れ売買する方々です」
「それは説明されなくてもなんとなく分かるな。もう1つは?」
「はい。作手です。商人が物を仕入れるには当然作手が必要になりますので」
つまりは冒険者が物資を確保。物資が商人に売り出されて作手に製作を依頼。作手が製作して商人に渡るというのがこの世界の流れである。
「なるほどな。狐月は何か物を作ったりは出来るのか?」
「そ、そういったことは出来ません! 申し訳ございません!」
深く頭を下げる狐月。蓮は慌ててしまうものの狐月のこういう態度にもようやく慣れてきた。
「と、とりあえずだな……俺達はまずは冒険者から始めないといけないってことだな」
「は、はい」
商人や作手は物資がないと始められない。かといって今から大量生産出来るものなどないので残された選択肢は冒険者しかない。
「そういえば種族によって何か特徴とかはないのか? 今の話を聞いているとドワーフが鍛冶が得意ってくらいしか分からないが」
「あ、し、失礼致しました。まずは獣人族ですがこちらは様々な獣の特徴がございます。人によって様々で気配に敏感であったり足が速い、噛む力が強いなどがあります」
「つまりは動物の特徴を色濃く受け継いでいるってことか」
「はい、その通りです」
蓮は納得したように頷く。しかしここで狐月の特徴が気になった。
「狐月も何か特徴とかあるのか?」
「私は気配に敏感です。あとは……少々他の方々よりも魔力が強いくらいでしょうか……」
獣らしい特徴はあまり大きくは受け継いではいなかった。戦闘では気配に敏感である点は大きなアドバンテージになるもののそれ以外は普通であるということである。
「なるほどな……。エルフ族は?」
「はい。エルフ族は仲間意識がお強い方々です。普段から集団で狩に出たり致します。私も詳しくはよく分かりませんが耳から魔力の音を聞き分ける……と聞きます」
「確かによく分からないな」
魔力を聞き分ける、など聞いたこともない。それがどんな効力を発揮するのかすら言葉からでは理解出来なかった。
「続いて龍人族ですが、こちらは力が強く、また空を飛ぶことが出来る種族です。身体が大きい方々が多くいらっしゃいます。全ての種族の中で一番頑丈ですね」
「プライドが高い奴が多そうだ」
「確かにそういう方々が多いですね。ですが義理堅く人情に厚い方々でもあります」
概ね想像通りの種族のようだった。こちらは冒険者としては相当な力を発揮してくれるのではと期待してしまう。
「ドワーフは?」
「ドワーフ族は先程も言いましたが鍛冶が得意な方々です。他にも工芸品なども得意です。手先が器用な方々が多く、芸術肌の天才が沢山いらっしゃいます」
ドワーフは冒険者にとっては命綱とも言える武具の製作を主に生業としている。もちろん冒険者としても活動している人は多い。
「最後に魔人族ですが、こちらは獣人族と同じで様々な特徴がございます。龍人族のように空を飛べる方々や特殊な能力を使用される方々が多いです」
「なんか迫害されてそうだな」
「はい。魔物に恨みを持つ方々も多いですからどうしても……。魔人族の中には魔王に協力する方も多いと聞きます」
「まぁそりゃ仕方ないな」
わざわざ迫害される為に人々と一緒に過ごそうとは思わないだろう。むしろ恨みを抱いて魔王に世界を滅ぼしてもらおうと思ってもらった方が気分も晴れるというものだ。
(この世界は思いの他自由に生きやすそうだ。会社とかそういう社会の歯車が少ないからかもしれないが……)
誰かと契約したりなどは少なそうだ。もちろん商人であればそういう繋がりや信用は大切だが会社という枠組みに収まっていない為に個人でしている人がほとんどなのだ。組織的に動いていない為に義理や人情という面が大きく出てくれるのでやりやすく感じるのだろう。
「大まかには理解した」
「よかったです」
安心したようにホッと息を吐いた狐月。蓮は次に聞かなければならないことに少し顔をしかめた。
「じゃあ次に奴隷のことになるんだが……」