第15話 狐月と鈴葉
宿屋に戻ってきた2人は早速部屋へと戻る。寂しそうに起きていた狐月だったが2人が帰ってきたことで満面な笑みを浮かべる。
「おかえりなさいませ……ってす、鈴葉様泣いていらっしゃったんですか!?」
「え、あ、えっと……」
目が腫れているのですぐにバレてしまった。女の子を泣かすというのは重罪だ、狐月は眉をひそめた。
「ご主人様? 一体何をしたんですか?」
「え」
蓮は別に悪くはないというのに責められてしまった。まさか矛先が自分に向くとは思わなかった蓮は咄嗟に言い訳も何も出ない。
「女の子を泣かせるなんて駄目なんですよ! ご主人様酷いです!」
「あ、これ全部話さないと誤解解けないやつだ」
別に隠しているわけでもないので事情を説明する。狐月は蓮の境遇を知って涙目になったり、鈴葉に仕方ないと同情したりと色々と大忙しだった。鈴葉が嬉し涙を流した後だったと分かると蓮に申し訳なさそうな表情を向ける。
「すみませんご主人様。何も知らないのに怒ったりして」
「…………」
「ご主人様? も、もしかして怒っていますか?」
蓮の反応がない。もしや怒って無視しているのではと思った狐月だったがそういうことではない。
「すー……すー……」
「あ、眠ってしまってます」
「眠そうにしてたから。寝かせてあげよう?」
「はい」
蓮をベッドに寝かせる。蓮のあどけない寝顔と目が合ってしまった鈴葉はドキッと心臓が高鳴った。ついつい手を伸ばして蓮の頬に手を添えてしまう。
「…………」
顔がにやけてしまう。引っ張られた頬の感触も優しく撫でられた感触もまだ残ってるかのように鮮明に思い出せる。
「あ、あの、鈴葉様」
「っ! な、何かな?」
後ろから狐月に話し掛けられてビクッとしてしまった。慌てて蓮の頬から手を離して振り返る。
狐月は大変言いにくそうにしている。鈴葉はその表情に色々と察した。蓮の手前、ああ言ったとしても不思議ではない。
「……あの」
「遠慮なく言ってもいいんだよ? 罵倒されても恨まれても仕方ないことを私はしたんだから……」
言いにくそうな狐月に鈴葉は先回りして言いやすい空気を作った。どんな罵倒を言われたとしても受け入れる気でいた。
狐月も立派な被害者だ。もちろん鈴葉は狐月が奴隷とされていたからこそ利用して蓮の元へと連れてきたのだ。狐月が奴隷となった原因は別にある。しかし運命を歪めてまで蓮に仕えさせたというのは間違ってはいないのだ。
「い、いえ。鈴葉様の気持ちも分かります。ご主人様が仰った通り、私も責める気はありません。むしろ私はご主人様に会わせてもらえてお礼を言いたいくらいです」
「え、あ、ありがとう?」
予想外過ぎてついつい礼を言ってしまった。しかしそれ以外に狐月が言いにくそうなことが見つからない。
「私が言いたいのはご主人様の事です」
「蓮くんの?」
「はい。ご主人様の事が好きなのではないですか?」
「っ!?」
それはもちろん異性としてである。日本にいるうちもわざわざ気に掛けていたのは自分のせいで不幸にということもあるが優しい性格に、家族の死を乗り越えた強い心に惹かれていたからだ。
普通であればわざわざこの世界に呼び寄せてまで蓮の幸せを願ったりはしないだろう。わざわざ回りくどいやり方で外堀を埋めて蓮に復讐をさせたりしないだろう。
鈴葉の行動の1つ1つが蓮個人の為に向けられたものであり、それは愛情とも捉えられるくらいだ。
そこまで個人の為に動くというのであればそれはもう決定であろう。最も狐月が確信を持ったのは眠っている蓮を愛おしそうに見つめるその目に、である。
(そっか……。私、蓮くんのこと好きだったんだ……)
他の人から言われてようやく気持ちに整理がついた。自分は女神だからと常に俯瞰的に物事を見るようになってしまった鈴葉は逆に自分の気持ちに対しては鈍かったのだ。はっきりと狐月に指摘されたことで初めて自分の気持ちに当てはまる言葉を見つけた。
「…………もしかして私に蓮くんを好きになる資格はないから諦めた方がいいのかな?」
「え? そ、そうなんですか?」
「あ、あれ!? 違うの!?」
狐月も蓮が好きなのは傍目に見ても分かる。だからこそ蓮を取られたくないと動いているのではと予想したのだがどうやら違ったようだ。先程から空回りしてばかりである。
「え、えっと……それじゃあ何かな?」
「はい。私はご主人様を幸せにしたいです」
「う、うん。私もそうだけど……」
2人ともに蓮の幸せを願っている。だからこそ狐月はやらなければならない事があった。それは他人を蹴落とすだとか牽制するだとかそう言ったものではない。
「はい。ですからご主人様を幸せにする為に協力していただきたいんです」
「え?」
「ご主人様はハーレムを目指していらっしゃいます。ですのでその一員になっていただきたいんです」
「え? え?」
蓮がハーレムを、ということすら初耳である。そもそもそれは蓮が割と適当に言った男の夢みたいなものである。狐月がいるだけで割と満たされていたので完全に勘違いである。
「ご主人様にとって鈴葉様は恨むべき対象というよりも異世界転生をさせてくれた恩人であることの方が強いと思います。尊敬や敬意は好意と言い換えることも出来るかと……」
「え、あ、え? い、いいの? 私は蓮くんに酷いことをして……」
「ご主人様は怒ってませんし、鈴葉様のせいだとは言ってもおりませんでしたよ? ですが……もし酷いことをしたと自覚しているならそれ以上の幸せをご主人様に与えてあげてくださいませんか?」
それは恋する乙女の言葉ではなく1人の奴隷として主人に仕える者としての言葉だ。本当は独り占めもしたければ自分が幸せにしたいとも感じている。
だが蓮の不幸は思ったよりも根強いものだった。そしてそれを乗り越える強さを持っていて、きちんと現実と向き合っていたのだ。
「…………」
しかし鈴葉は知っている。そこに至るまでの道のりを。蓮が世界を恨んで、孤独を埋める為に喧嘩に明け暮れていた日々を。痛みがあれば全部忘れられる。相手を痛めつければ全て忘れられると過ごした日々を。
蓮の心はあの時に一度壊れている。それでも向き合って、なんとかここまでやって来たのだ。
「うん……私も蓮くんを幸せにしたい。是非協力させて欲しいよ」
「はい! ということで早速私達も寝ましょう! その……実はご主人様との添い寝は私達も幸せになれるんですよ?」
「そ、そうなの……?」
もう夜も更けてきて朝日が昇りそうなくらいだ。徹夜してしまった2人ももう色々と限界である。
布団に入った狐月と鈴葉。狐月は慣れているかのように蓮の背中に抱き着いて目を閉じる。
「おやすみなさい……」
「う、羨ましい……!」
そんな狐月の様子を羨ましく思った鈴葉も同じようしようとする。しかし背中は狐月が、ということは蓮は鈴葉にとっては正面を向いていることになる。
「〜〜〜〜っ!!」
蓮の寝顔は好意を自覚した後の鈴葉にはそれはもう効いた。しばらくの間眠れないくらいに。
狐月も寝息を立ててしまい鈴葉は1人でじーっと蓮の寝顔を眺めていた。飽きることもなければむしろずっと見ていたいと思うくらいだ。
「可愛い……」
狐月に習って蓮を胸に抱き寄せて頭を撫でる。しばらくの間そうしているうちにどんどんと目が冴えてくる。
(今日は眠るのは無理かな……)
眠るのは諦めてひたすらに蓮を愛でる。狐月も既に慣れてしまっているので問題ないが、最初は緊張して眠れなかった日々が続いたのだ。鈴葉も同じ感覚を味わうことになる。特に蓮への気持ちに気付いた今日など一睡も出来るはずがない。
時は進み早朝、蓮は気持ち良い抱き枕の感触に目をゆっくりと開ける。まだまだ寝ぼけたままで意識も定かではない。
「おはよう」
「……鈴葉」
ボーッと見上げて鈴葉の顔を見る。目は薄っすらと開いているのみで視界もぼやけてまとまには見えていないだろう。
「まだ寝てていい時間だよ?」
「ん……」
鈴葉に文字通り甘えるように背中に手を回して抱き付いて目を閉じる。鈴葉も蓮の後頭部に手を回して抱き留めた後に優しく撫でる。
「んぅ……鈴葉様……?」
「あ、ごめんね。起こしちゃったかな」
蓮が動いたせいだろう。背中に抱き付いていた狐月が上体を起こした。寝ぼけ眼を擦りながら蓮を抱き締める鈴葉を見つめる。
「こ、これはその!? れ、蓮くん離れて!」
睡眠を妨害した上に蓮を取ってしまっている。普通であれば怒られること間違いなしだ。慌てて蓮を引き剥がそうとするものの蓮は離れようとはしない。
「あ、起きちゃいますから動いちゃ駄目ですよ」
「え、う、うん」
しかし狐月は怒っている様子はなくむしろ蓮の安眠を邪魔しないように努めた。
(良いお嫁さんみたい……)
それは夫のことを一番に考える良い嫁だった。鈴葉もこうなりたいと憧れる程に。
「ご主人様、何かを握ったり抱き付いていないと不安になったりするんでしょうか?」
「そ、そうなの?」
「はい。私の尻尾をよく握ってます」
そんなことあるはずが、と思ったものの思い当たる節があった。しかしそれはどちらかというと蓮が不安になるのではない。
「桜ちゃん……蓮くんの妹ちゃんがよく蓮くんに抱き付いてたから。その癖が付いちゃったのかな?」
「あ、そうなんですね」
流石に蓮もそこまで子供ではない。いつも桜が抱き付いてくるものだからついつい寝てる間もそれが癖になってしまっているだけで蓮自身が何かしたわけではないのだ。
「ですがご主人様は胸がお好きですから。抱き付く場所は選んでいるんじゃないでしょうか?」
「うーん……どうなんだろう?」
蓮が胸が好きなのは否定出来なかった。何故なら鈴葉は日本でのその手の本の場所や趣味も把握してしまっている。もちろん意図的ではなく偶然知ってしまっただけだ。
「ですか幸せそうでよかったです」
「そ、そうだね」
自分の胸元で眠る蓮が幸せそうというのは少し複雑だった。もちろん幸せであってくれる方が良いのだが自分が巻いた種で不幸にしてしまったのだから。蓮や狐月から責められないとわかっていても、いや、分かっているからこそ余計に罪悪感を感じてしまうものだろう。
「ふふ……」
蓮の寝顔を見て女神のように微笑む狐月。蓮の頬を撫でたりしてその様子を眺めては楽しんでいる。決して蓮の眠りの邪魔はしないように嫌がったり寝言を呟いたりした瞬間には手を引いていた。
(めっちゃええ嫁やん……)
まるで使えていない関西弁で内心でツッコミを入れてしまう。とにもかくにも蓮のことを第一考えているようだった。
「今日も1日、ご主人様が健やかに過ごせる日を作りましょう」
「あ、うん」
蓮は決してそういうことではなく自分達全員で協力しながらの方が好きそうでは、と思った鈴葉だったが狐月のあまりの世話好きっぷりに頷くことしか出来なかった。それは狐月の強さでもあり、愛情の深さであると身をもって知ったのだった。