第1話 勇者じゃないけど異世界転生した
『目覚めるのです、勇者よ』
頭の中で声が響く。綺麗な女性の声だ、やけに頭に残るその声に少年はゆっくりと目を覚ました。
「勇者……?」
「な、何!? 一体何!?」
目を覚ましたのは2人の少年だ。1人は冴えない黒髪ストレートヘアーの少年で目立つところや特出して挙げる魅力もなく、特出して挙げる欠点もないようなそんなどこにでもいるような男の子だ。
もう1人も黒髪ストレートヘアーの少年だ。しかしこちらは顔立ちが整っており、童顔な為かどことなく幼くも感じる。
そんな2人の少年が同時に目を覚ましたのだ。しかし目を覚ましたというのに部屋の中は真っ黒で何も見えない。何も見えない真っ黒な空間だというのに少年は互いにお互いの存在を認識出来ていた。
『ど、どうして2人いるんですか!?』
「えー……」
天から聞こえる声はどこか余裕がない。更には気が付いたら連れてこられたというのにすぐに文句を言われてしまった。どうやら勇者は2人いると問題のようだった。
『勇者は羽川 正義さんです! あなたは誰ですか!』
正義とは冴えない方の少年の名前である。つまりは異物はもう片方の優れた顔立ちの少年である。
「俺の名前は赤城 蓮だ。いきなり連れてこられてその言い草はなくないか?」
『うっ……確かにその通りです』
あっさりと言い負かしてしまう。元々蓮の意思でここに来たわけではないのだ。
「赤城くん、これって多分異世界転生のやつだや。ほら定番の」
「なるほどなるほど。これが噂の異世界転生か。よかったな、えっと……羽山? お前勇者らしいぞ」
「羽川だよ」
正義はこういうことに詳しかった。オタクが異世界転生をするなどというありがちな設定はすぐに理解出来たのだ。
蓮もこの手の知識は人並みにはある。最近流行りのものなのだから一般知識程度には知っている。
「こういうのってあれだろ? ほら、なんか能力貰って異世界に行って無双する的な」
「そうそう! ふふ、楽しみだなぁ!」
色々と思い浮かべているのか正義は楽しそうだった。対して蓮は別の感情が浮かぶ。
「俺は異世界転生出来ないのか?」
『可能です……可能ですが……私怒られちゃいます』
そんな事情は知ったことではない。そもそも勝手に呼び出したのは女神であるのだからその責任は取らなくてはならない。
「俺にはやり残したことがあるんだ。だから俺も異世界転生させて欲しい」
『やり残したこと……そ、それは自分の命にも変えられない程に大切なことなのですか!?』
そういう使命を背負っているのでは、と女神も興味津々である。蓮は頷くと力強く手を握り締める。
「俺は……まだ童貞なんだ!」
『どう……てい?』
「女の子の味も知らずに生きて16年! まさか修学旅行中の飛行機が墜落するとか誰も思わないだろ!? くそ! 彼女の1人でも作っておけばよかった!」
本当に悔しそうにしている様子の蓮に女神も正義も呆れていた。
「とりあえず俺も異世界転生させてくれよ。説教されるってこの状況が既に説教されないのか?」
『うっ……痛いところを突いて来ますね……』
「どのみち怒られるなら問題ないだろ?」
そもそも勇者以外を女神の空間へと連れてくること自体がご法度。今回は特例とはいえ空間へ連れ出してしまった以上は怒られるのは確定だった。
「というわけで俺も異世界転生したい。エルフ耳とかケモミミ堪能したい!」
「赤城くんもその辺りの知識に詳しいような……」
欲望全開でとんでもないことを女神に言う蓮である。女神からは諦めたような溜息が聞こえてきた。
『分かりました、あなたを転生させましょう』
「よっしゃ!」
『ふふ……』
ガッツポーズで喜ぶ蓮。姿は見えないがそれでもその様子を微笑ましげに見つめているのが分かってしまうくらいに嬉しそうな女神様である。
「では能力ですが」
「あ、それはいらない」
まさかの拒否である。とんでもないチートな恩恵を受けられるというのに蓮はそれをあっさりと断ってしまった。
『な、何故ですか!?』
「いや、俺はRPGは地道にレベル上げるのが好きなタイプだからそういうのはいらない。身体を動かすのも得意だしな、最悪死ぬかもしれないがその時はその時ってことで」
楽観的な様子につい正義は呆れてしまう。しかし女神はクスクスと笑っていた。
「な、なんだよ?」
「いえ、らしいなと思っただけです。では異世界へと転生させていただきます」
蓮の足元が急に円状に光を放つ。蓮の身体がまるで引き寄せられるかのように浮いてしまう。
「お、おお?」
その光は蓮を包み込み、蓮の視界は全て真っ白に変わってしまう。
「えっと……?」
ゆっくりと地面に着地する。蓮からすれば急に発光したかと思えばちょっと浮いてまた着地したのだ。何も変わっていないように見える。しかし真っ白な景色にどんどんと色が付いていき、世界が広がった。
「おおー!」
その光景に大きな声が出てしまう。白いコンクリートのような家々が並んでおり、歩く人々は人間だけではなく獣の耳が生えたものや尖った耳をしたもの、更には鱗が生えているものなど様々だ。
中央の噴水からは透き通るような綺麗な水が流れており、周囲には草花が咲いている。
『無事転生出来ましたね』
「ん? あ、まだいたのか?」
『今は念話で直接頭の中に話しています』
さらっととんでもないことをされているが蓮は興奮した様子でまるで指摘しない。ファンタジー溢れる世界に大興奮な様子だ。
『さて、ではあなたにも恩恵を与えます』
「いや、いらないって」
『与えるのは力ではありません。縁とお金です』
最低限の生活を始めるにもやはり金がなければ何も始められない。そして女神は女神らしからぬことを告げる。
『この先に奴隷店があります。そこで奴隷を購入してください』
「ど、奴隷? やっぱりそういう制度はあるのか。でもなんで奴隷?」
女神はそういう制度を最も嫌うイメージがあった。蓮の常識が色々と崩れてしまう。
『この世界のことを知るにはやはりそういう人が必要です。安心してください、本棚の奥に隠しているそういう本からあなたの好みはバッチリです!』
「神様怖い」
好みを見繕ってくれるという点だけでなくプライバシーの侵害もバッチリだった。
女神に導かれるように視界に矢印が入る。誰にも見えていないようで振り向きもしない。
『こちらです』
「了解」
蓮は矢印に従い走り出す。やはり奴隷店ということだけあって人目がつかない場所にあるようで途中で裏路地を通り抜ける。
案内されたのはかなりボロボロの小屋のような家だった。綺麗な街並みにはそぐわない木造の家であり明らかに異物のような空間だった。
『入ってみてください』
「お、おう……」
若干入ることを躊躇ってしまうものの蓮はドアに手を掛け、ゆっくりと開いた。中は檻の中に入った手錠と首輪を入れられた様々な種族の人々とカウンターには少し顔が怖いごつい男がいるのみである。
「……らっしゃい。あんたが赤城って客か」
「え? あ、はい」
何故か既に名前を知られていた。男は奥に消えると1人の女性を連れて戻ってくる。その女性に蓮は目を奪われた。
金髪ロングに真っ赤な瞳の綺麗な女性だ。目尻が垂れて優しげな雰囲気を放ち、豊満な胸のせいか包容力すら感じるほど。身長は女性にしては高めでスタイルがとても良く、地球であれば間違いなくモデルとしてやっていけるくらいだろう。
金色の狐耳と長いふさふさな尻尾が生えており、種族は人間ではなく獣人だ。奴隷には似つかわしくない黒い装束を着ている。
「例の商品だ。こちらにサインしてもらおう」
「お、おう……」
トントン拍子に話が進んでしまい、流されるように渡された用紙に名前を記入する。見覚えのない文字のはずなのに見えるのは女神の恩恵だった。
名前を記入するといきなり文字が光る。急に文字が髪から浮き上がってきて女性の首輪に移る。
じゅっと焼けるような音と白い煙が上がり、首輪に蓮の名前が刻印される。奴隷との契約はこのように行われるのだ。
「代金はあらかじめ貰っている。これが釣りだ」
いきなり小さな巾着袋を投げられて慌ててキャッチする。中には特に重さは感じられなかった。
「他の奴隷も見ていくか?」
「あ、いえ。大丈夫です」
何やらお釣りを貰ってしまったものの金は持っていないのだ。見る必要性もないだろうと断った。
ちらりと奴隷を見るとみんな楽しそうにしてあた。全く奴隷という雰囲気を感じられないのが印象的だった。
「またいつでも来い」
「あ、ありがとうございます」
店を出ると女性も一緒に出てくる。蓮のそばに立ちじーっと見つめている。
「め、女神様?」
『はい、何でしょうか?』
女性に聞こえないように小声で女神を呼ぶ。明らかに動揺していて状況を把握していない様子だった。
「こ、これは一体どういうこと? 何で奴隷?」
『奴隷と主人という関係性があると色々と教えてくれます。この世界のことを全て私が教えるわけにはいきませんのでそちらの奴隷と仲良くしてください。そしてこの世界の常識を覚えていくのです』
「言ってることは分かるけどなんで奴隷である必要が?」
『その方が好き放題出来るでしょう?』
とてつもない理由だった。確かに奴隷という立場が相手であればなんでもしていいことになる。所有者が自分なのだから。しかし日本育ちな上にそういう制度のもとに生きていない蓮にとっては戸惑いしかなかった。
『おっぱいも大きいですよ? お好きな胸の行為も可能です』
「あんた本当に女神なの?」
ついに神であることを疑ってしまうような発言である。クスクスと笑う女神はどこかからかっているような雰囲気さえ感じさせる。
『あなたは幸せにならなければなりません。それがあの子との約束でしょう?』
「ど、どこまで知ってるんだあんた」
『女神ですから』
ドヤ顔してるんだろうなぁという感想である。しかしそういうことならばと遠慮なく状況を受け入れた。
『さて、怪しまれてしまっているのでそろそろ私は消え去りましょう。あ、避妊はしてくださいね?』
「いや、もうちょいまともなアドバイスを…………。あれ? 女神さん? ……とんでもないこと言い残して行きやがった!」
女神からの反応がなかった。最後の台詞が避妊などというくだらないものである。やはりこの世界に生きていく上での知識は奴隷から得なければならないということになる。
「あの、ご主人様。どうかなされましたか?」
「ご、ご主人様……」
あの手この手の妄想が浮かんでしまうような言葉である。ケモミミや尻尾も生えていて18禁な妄想が浮かんでしまう。
「と、とりあえずど、どうしようか?」
「え、えっと……」
主人がこの様子では奴隷も困るというものである。蓮は必死に動揺を押し殺して頭を回転させる。
まずは必要なのは情報だ。RPGのような魔物のいるような世界であれば冒険者などといったそういう魔物を相手にする職業があるはずだ。その他の職業もあれば視野に入れなければならない。
「この金って……宿取れるくらいは余ってるのか?」
「ご確認致しましょうか?」
「え? あ、お願いします」
巾着袋を女性に手渡すと女性は巾着のゴムを解いて中を確認する。
「数日は過ごせます。銅貨5枚に銀貨20枚です」
「お、おう……」
金貨や銀貨といった言葉がどの程度の価値を持っているのかが分からない。金貨の方が価値が高いのは理解出来るもののそれがどの程度凄いものかは分からない。
「ひ、ひとまず宿取るか……」
「かしこまりました」
深く頭を下げる女性。蓮は慣れない態度にやはり戸惑ってしまいながらも宿を探そうとする。
「えっと、宿の場所って分かるか?」
「どのような宿をご所望でしょうか?」
「ど、どんな? 寝泊まり出来るくらいの場所?」
宿であれば寝泊まり出来るのは当たり前である。それも気付いていない様子の蓮はやはり動揺を隠しきれていない。女性はキョトンとしてしまう。
「一般的に使用されている宿、という認識でよろしいでしょうか?」
「あ、う、うん」
「かしこまりました。こちらでございます」
女性に連れられて歩き出す。その様子をまだ消えていなかった女神はクスクスと笑う。
(あの子が勇者以上の力を持っているなど本人も思っていないのでしょうね)
蓮が異世界転生することになったのは偶然ではない。もちろん勇者として呼び出した際に一緒に召喚されてしまったのには予想外だったもののどのみち異世界転生はさせるつもりだったのだ。
勇者にはある一定の潜在的な力がある。そういう力がある者を呼び出した結果、それ以上の力を持つ蓮も一緒に付いてきてしまったのだ。
(赤城 蓮さん。神の力を継ぎし者よ。あなたの旅路に幸福があることを祈ります)
誰にも届かない願いを込めて女神は本当に蓮の側から消えていった。