きつねの常磐
白弥は、なぜかちょっぴり悲しい気持ちです。
しかし、どうして悲しいのか解りませんでした。
大好きな郵便屋さんが出来なくなってしまうからなのかもしれません。
けれども、それだけではないような気もします。
白弥は重い足取りのまま、きつねの家に足を向けました。
月のわぐまのじいさんときつねの常磐は、光ノ山でもっとも古い友であることを、光ノ山の誰もが知っていました。
常磐は旧友に『おめでとう』の手紙を書くだろうと、白弥は思ったのです。
柔らかい光りが降り注ぐ「鶴ノ丘」を越え、紅葉が赤く色づき始めた「花ノ道」を抜けて、白弥は山の奥地までやって来ました。
湧き水が岩に滴り落ち、爽やかな音を奏でていました。岩の周りは柔らかそうな苔で覆われていました。
白弥は、
光ノ山奥地の茂み十九番地・きつねの常磐
と書かれている表札の前で足を止めました。
扉の周りには、紅い鬼灯や熟れた山葡萄が飾ってありました。
「こんにちは、常磐さん! うさぎの白弥です」
白弥は緊張気味に扉をノックしながら、呼びかけました。
「常磐さん、お留守ですか?」
そっと扉が開いて、かばが顔を出しました。
「……白弥?」
「やぁ、七緒。来ていたんだ。常磐さんはいる?」
小さいかばの七緒は、いつも常磐と一緒です。この日も常磐の家に遊びに来ていました。
「常磐さんじゃない。常盤様ってよぶのよ! いつも言っているでしょ!」
七緒はムッとしたように、白弥を見上げました。
「いいのよ、七緒」
おっとりした声が七緒の後ろから聞こえ、七緒は何か言いかけた口を黙って閉じました。
不満そうに白弥を睨め付けます。
白く美しいきつねの常磐が姿を現し、細い指で七緒の頭を撫でました。
「白弥じゃないかい。どうしたんだい?」
常磐の首に掛った首飾りが、紫色に光ります。
それはとても不思議な光りで、いつまでもうっとりと見つめていたくなる美しさでした。
「わたしに手紙かい?」
「あぁ、いぃえっ。違うのです。あのっ……」
常磐の言葉にハッとして、白弥は慌てて首を振りました。
常磐の首飾りは、見る者を魅了します。
それは不思議な力が宿っていて、魅了した者の魂を吸い取るのだと、しかの美之助が前に言っていたことがありました。
だからきつねの常磐は、いつまでも美しい姿を保っているのだと言っていたのです。
「もぉ〜! 早くしなっ白弥。 常磐様はお忙しいのよっ」
七緒は白弥を睨みました。
「これ、七緒。己の都合を他人に押しつけてはいけないよ。白弥、気にしないでおくれ」
常磐は七緒をたしなめて、白弥に微笑みました。
「もしかして、月じいの、ことかい?」
そっと訊ねられ、白弥はコクコクと頷きました。
「そっそうです! 今日は月のわぐまさんのじいさんのお誕生日ですので、『おめでとう』のお手紙はないかなと、思いまして」
常磐と七緒の前で、カバンを広げました。
「……そう…、やっぱり…」
ふわりと和らいだ口調の常磐は、申し訳なさそうに、ため息を吐きました。
「せっかく来てくれたのに、すまないね。月じいには、もう手紙を送ってしまったんだよ」
「手紙を、送った…んですか?」
白弥は首を傾けて訊ねました。
「そぅ! メールっていうやつだよ。『おめでとう』って書いて送るだけ!」
七緒は無邪気に笑うと、常磐を見上げました。
「ね! 常磐様っ」
「えぇ…。早くて簡単だからね。最近はずっとメールで済ませてしまうんだ」
常磐の後ろに、電源の入ったパソコンが見えました。黒くて、大きな箱のようです。赤や黄色の線が繋がっていました。
「…では、…もう常磐さんはお手紙は書かれないのですか……?」
「……、そう…だねぇ。確かに最近は書くことも減ったからね……」
「そう……、ですか……」
常磐は気落ちした白弥の頬をそっと包みました。
「あなたの大好きな仕事を減らしてしまったわ…。すまないねぇ…、白弥」
「そんな! とんでもないですっ 常磐さんが謝ることじゃありません!」
白弥は力強く首を振り、にっこりと笑いました。
「謝らないでください。ぼくは、平気ですから」
その仕草はとても一生懸命で、平生を装う姿がなんだか切なく思えました。
小さな七緒でさえ常磐と顔を見合わせ、白弥を心配そうに見つめます。
「いいんです。そんなの。ぼくが好きでやっていることですから。全然、構わないんです」
うつむいた白弥は、懸命に言葉を探します。
そうして、あらいぐまの宗八の家で見たことを思い出しました。
りすの良々が言った言葉が脳裏をよぎります。
鈴を転がしたような無邪気な笑い声に、胸がシクシクと痛みました。
「……何が、一番優れているのかなんて、ぼくには分かりません。けれど、手紙にしかない良さをぼくは知っているから……。…ぼくは、それが好きなんです…」
常磐はそっと頷きました。
さすがの七緒も、ぽつりぽつりと続く白弥の言葉を黙って聞きました。
「書くのにも届くのにも時間はかかるけれど、…手紙のあたたかさは、なんだか優しい気持ちになれるんです…」
それが何故かは分かりません。
けれども、ずっと悲しかったのです。
ずっと、淋しかったのです。
「そうね……。白弥の言う通りね……」
常磐は白弥の頭をそっと撫でました。
緒ももう、白弥を睨んではいませんでした。
「…いつか、白弥に手紙を書こう。優しくて素直で一生懸命な白弥に、お礼の手紙を書こう。……受け取ってくれるかい?」
白弥は小さく笑うと、常磐の家をあとにしました。




