【二十】翡翠と記憶
小鳥が囀る声とカーテンの隙間から差し込む朝日に照らされてゆっくりと瞼が開く。
今日はぐっすり寝たようで身体が軽く感じる。
こんなにも寝たのは久しぶりね。
昨日は夜遅くまで頭を使っていたからだろうか。
いつもは重い足取りも今日は軽やかでなんだか自分の体じゃないみたい。グーッと背筋を伸ばしながら制服に着替えるためにクローゼットに手をかける。
母がアイロンをかけてくれたカッターシャツはいつも綺麗で着るだけでいつも眠たくて重たい瞼もシャキッと目が覚める。なんだか魔法みたいに思える。
今日は彼方とこの左手の事をとある方にお話を聞きに行く日だ。朝から胸の鼓動がうるさいほどに音を立てている。
「はぁ〜。早く言わなくちゃ。」
「なにを?」
いつの間にか私の視界の隅には、エプロンのリボンを結びながらこちらを覗き込んでいる母の姿があった。
「わぁ!びっくりした!もうお母さんってばやめてよ!」
「もう舞梨こそ大きな声出さないでよ!びっくりじゃったじゃない。」
「これはこっちのセリフよ」
私の大きな声で飛び跳ねたお母さんも、突然の登場で腰を抜かしそうになった私も2人同時にふぅっと胸を静かに撫で下ろす。
「それで?何かあったの??
なにかお母さんにでも言えない事なの?」
やはり母は感が鋭い。
いつもなにか塞ぎ込んでしまっている時も、隠し事をしている時も直ぐにお見通しで、こうして声をかけられることが大半、いや、90%の確率で声をかけられてしまう。
「お母さんに言い難いことではないけれど、ただ…。」
「ただ?」
「えっと…、その。あの…。」
沈黙が続き部屋には時計の針の音だけが響き渡る。
昨日あれだけ伝えなければいけないことを、どう伝えるべきか、頭で整理していたはずなのに本人を目の前にすると何も言葉が出てこない。早く何か言わなくちゃ。
気持ちだけが焦り言葉が一向に出てこない。
そんな中先に沈黙を破ったのは母だった。
「もういいわよ。そんなに顔真っ赤になるまで考え込まなくっても大丈夫よ。あなたってば小さい頃からひとりで考えこんだら中々私には相談してくれないんだから。
それにあなたが私に言えなくて考え込む時は決まって見えないものが原因なのも分かっているわ。
だから無理に言わなくてもいいのよ。お母さんはちゃんと分かってるか。」
「ただね、これだけはわかってて欲しいことは私はあなたの1番の味方という事よ。それはお父さんも変わらないわ。」
「お母さん。」
「言える時でいいわよ。その代わり何かあればそれはすぐに相談して。私は見えないけれど相談に乗ることは出来るから。」
「ありがとうお母さん。今は全部は言えないけれどどうしても自分の目で確かめて自分の力で解決したいことがあるの。だから心配かけてしまうかもしれないけど信じて待ってて欲しい」
「わがままで自分勝手な娘でごめんなさい。」
自分が情けなくて仕方ない。私はまだ高校生。
自分では大人の仲間入りに思うけどお母さん達からしてみればまだまだ子供でそんな私の言う事を黙って見てて欲しいなんて娘として酷い事を言ってるのは分かってるでもどうしてもお母さんにこの左腕ことは言えない。
「それでいいのよ。やっぱり貴方は私とお父さんの子よ2人とも舞梨と同じ性格をしてるから分かるわ」
そう母はいつも通りの笑顔で微笑んでくれた。
「自分がこれでいいと思う所まで思う存分頑張りなさい。あなたのことを1番に心配してくれてる彼方くんの為にもね」
「なんで彼方のことを?」
「あなたのお母さんだもの分かるわよそのくらい。」
自信ありげに凄いでしょ私は舞梨の一番の理解者よなんて言っていつもと変わらない笑顔を私に向けてくれる。
「ねぇお母さんこんな時にあれなんだけど、もう一つお願いしてもいい?」
「ん?どうしたの?」
「今日の放課後に今話してた調べたいことがあって彼方と街から少し離れた所へ調べに行こうと思ってるの。
だから今日帰るのが少し遅くなるんだけどいいかな?」
「わかったわ。あなたってば昔からあまりわがまま言わないもの。そんな舞梨が私に頼み事するくらいでしょう。行ってきなさい。」
「その代わりこの子を連れていきなさい。」
母は1度部屋から出ていくと、少ししてから両手で大事そうに包む込むようになにかを持って部屋へ入ってきた。その両手の中のものを私の両手へ大事に大事にゆっくりと乗せた。
私は手のひらに視線を向けるとそこには
綺麗な緑色をした大きな翡翠のネックレスが置かれていた。
「これはもしかして翡翠?それになんだかあったかい」
手のひらのった翡翠はまるで生きてるかのようにドクンッドクンッと波打つ様な波動が私の全身を駆け巡る。
それもあたたかい心地の良い温もりでどこか懐かしいとさえも思える。そんな感覚だった。
なんだか全身に霊力が行き届いて身体がポカポカする。
指先までしっかりと行き届いているこの感覚懐かしい。
私が幼い頃、霊力が私の身体に収まり切らなくなり溢れ出した力が原因で熱を出してた時がよくあった。その時と似ている。私の身体いっぱいに霊力が詰まったこの感じ久しぶりの感覚。
成長して私の身体という器がでかくなったからだろう。
もう力が溢れ出すこともない。
「この翡翠はね、おばあちゃんが貴方にと残していったものよ。必要な時が来たら渡しなさいと言われていたの。それはいつだろうと今はまで考えてきたけれど、なんだかもう必要な時が来たと思うの。だからこれからは舞梨が持っていた方がいいと思ってね。」
「あなたに託すわ。」
「本当にありがとうお母さん。」
「さぁ!早く用意しなさい!朝ごはん出来てるんだから彼方くん来ちゃうわよ!」
手を叩き慌ただしく階段を降りていくお母さんの後ろを首につけた翡翠をゆらゆらと揺らしながら私も急いで追いかけた。
ニュース番組を見ながら急いでマーマーレードのジャムをたっぷりと塗ったトーストを口いっぱいに頬張る。急がなきゃ彼方が来ちゃう!
何とか食事は食べきった!さてさて最後の仕上げに歯磨きをしているとピンポーンとインターホンが鳴った。
「絶対彼方ね!」
今日はインターホンを鳴らして欲しいのとお願いしていたのちゃんと覚えてくれてたのね。
「おはよ舞梨ちゃん」
寒そうに両手を擦り合わせて顔半分隠すようにマフラーを巻いた彼方が立っていた。
ピカッ……
「…………か……いで…………」
玄関から咄嗟に飛び出してきて突然手を伸ばして動かない私。更に返答がないのがおかしいと思った彼方は首を傾げて不思議そうにこちらを見て1歩踏み出した。
「舞梨ちゃん?どうした?大丈夫か?」
急いで返答しようと思うけど言葉が詰まって出てこないそれに視線は彼方から離せない。なんだか不思議と悲しくてたまらない。
彼方はいつも通りので、いつもと違うところをあげるとなればマフラーを巻いてる姿があざといということだけれど。
扉を開けた時、目の前に立っている彼方が視界に入ったと同時にフラッシュが炊かれたように眩しい光に包み込まれた。突然の光にビックリして咄嗟に目を瞑った。
その時立派な着物を来た彼方によく似た雰囲気の人物がほんの一瞬だけ見えた。
だがその姿は黒い雲のような、霧のようなものにすぐに飲み込まれてしまった。顔は砂嵐の様に映像が乱れて見えなかった。
黒いものに飲み込まれていく彼を見て強く強く【いかないで!】と強く願って手を伸ばしてしまった。
あの姿が消えた今でも悲しくて仕方ない。
私は一体なにが悲しいのだろうか。いったい誰だったのか。なによりもなぜ私にあの映像が見えたのだろうか。
行かないで欲しいと思ったのは何故なのだろうか。
「舞梨ちゃん。」
行き場の失くした伸ばした手を彼方がギュッと強く握ってくれた。
その瞬間一気に感情が込み上げてきて私は涙が止まらなくなった。
「ちょ、どうしたんだ急に。どこか痛いのか?
なんでそんな泣いてるんだ?」
彼方も突然の事でオロオロして心配そうに私の顔を覗いている。
「ご、ごめんなさい。なんでか涙が止まらなくって」
そうつげるとフワッと身体が前に引っ張られた。
その時ボブっと体を包み込まれる感覚と同時に目の前が真っ暗になる。
「か、彼方?」
少しの沈黙の後、口を開いたのは彼方だった。
「急に俺の顔を見た瞬間泣かれると心配になる。
なにかあったのか?俺が嫌か?」
「ううん。嫌じゃない。嫌いでもない。ただなんでか分からないけど急に涙が止まらなくなっちゃって」
私をぎゅっと抱きしめてくれている彼方から少し顔を上げて見上げる。
「心配かけてごめんなさい。もう大丈夫よ。ありがとう。」
「謝る必要は無い。大丈夫なら良かった。」
「急に抱き寄せて悪かった。」
「むしろ落ち着いた。安心した。」
心配そうに見つめてくる彼方の視線がなぜだか今は苦しく感じてしまう。
「そうね。これからは何かあった時は私の事を抱きしめてちょうだい。」
彼方の視線から逃れるために咄嗟に出た冗談。
イタズラ気味に笑う私の顔を見た彼方はさっきまでの心配そうな顔から打って変わっていつもの様な意地悪な笑みを浮かべていた。良かった。
「あまり調子に乗るな。学校に遅れるぞ」
「やばい!カバン持ってくるからちょっとまってて!」
「5秒だ。来なかったら置いていくからな。」
「もう!意地悪言わないでよ!」
急いでカバンを取りに玄関を開けるとそこにはお母さんの姿があった。
あ、やってしまった。見られてた?
「あの、お母さん。もしかして聞こえてた?」
「いいえ聞こえてないわ。聞こえてないけどいい人に出会ったわね舞梨。それにお父さんが今日はたまたま早く家を出ていてよかったわね」
お父さんショックで倒れちゃうわなんてくすくすと笑いながらキッチンへと歩いていった。
少し背中を目で追っていると直ぐに廊下の角からひょこっと顔を出していってらっしゃいといつも通りの笑顔で見送ってくれた。
今日一日も頑張ろう。




