第一章 恋と祟り
第一章 恋と祟り
コノメは破れ堂の縁側に簀子の大穴を避けながら爪立つと、低い垂木に胴帯を掛けた。
コノメが御曹司に縫ってやった帯である。
極薄くて腰のある絹を幾重にも折り重ね、細かい針目で縫い上げるためにコノメは幾夜も夜なべをしたのだ。柔らかく、かさばらず、緩まないと、御屋形の御曹司は大層喜んで、毎日狩衣の下に締めていたものだ。
もとの絹は初めての契りの翌日に御曹司がくれたものだが、コノメはそれを一反全部使ってこの帯をこしらえた。身寄りも無い下働きのコノメは御曹司のやさしさに報いるすべを他に思いつかなかったのだった。
御曹司が身に付けてくれる方が自分の衣装にこしらえるより何倍もうれしかった。
結び目を確かめたコノメは帯の輪に首を入れた。焚き染められた香と、若い男の体臭がコノメの首筋から襟元へと流れ込んだ。
穴だらけの簀子の一歩外側の闇には別世界があるはずだ。そこで鬼にでも蛇にでもなって御曹司に執りついてやろう。
コノメは目をつぶると中空へと踏み出した。首筋に帯が食い込むことを覚悟したその一瞬、コノメの体はざらりとして柔らかく、生臭いものにはじき返された。
天地がぐるりと廻ったかと思うと、次の瞬間には硬い地面にころがっていた。
目を開けると竹やぶの上に満月がかかっているのが見えた。
どう見てもさっきと同じ世界だ。そのコノメの上にどさりと倒れこんできたのは垢染みた衣をまとった大坊主であった。
「やめ、やめ、こないなもったいないことはやめなはれ」
大坊主はコノメの体の上に四つんばいになり、唾をとばしてわめいている。その衣からは饐えた体臭の他に鶏や魚のような生臭物のにおいがした。
「はなせ」
コノメはもがいた。
大坊主がしっかりとコノメの両腕を押さえ込んでいるのだ。顎のたるんだ中年の坊主のようだが何しろ体が大きいので力がある。
「はなさんかいな、この生臭坊主」
コノメは両足をじたばたさせた。
大坊主は蹴られて顔をしかめたが、いっかな放そうとしない。
「放してもええけんど、話を聞かはるか」
「坊主の説教などいらん。口説きもごめんや。はようはなせ」
コノメの粗末な帷子がはだけて丸い胸がはみ出した。
「ほい、しもうた」
大坊主はちょっとまぶしそうな目をして手を緩めた。
コノメはすばしこく逃れると破れ簀子によじ登って坊主を見下ろした。
どう見ても聖、こじき坊主といったような怪しげな者であろう。頭の毛は五分ほどに伸びて、日に焼けた顔に小さな目、ほぼ平らな鼻と大きな口がついている。
「わしは話さんでもいいわい。
おまはんの話をきかせてもらおか」
大坊主はその前歯のかけた大きな口で、言い訳するような笑顔をつくってコノメを見上げた。
------------あんまりではないか。
コノメは思った。わが身を鬼にしてもとまで思い込んで苦しい恋に殉じようとしていたのに、こんな腐れ坊主に邪魔されるとはつくづく運がない。
死装束のつもりで洗い調えた帷子も手足も泥だらけである。
「まあお座り。わしはこれ以上近寄らんよってな」
大坊主は四つんばいのままずるずると後ずさりして座りなおした。
思いのほか澄んだ声をしている。
そして、先ほどの馬鹿力には似合わないなんだかのんびりとした口調だった。見た目よりは若いのかもしれない。
仁王立ちしていたコノメは簀子に腰をおろした。
大坊主の間の抜けたような語り口にはコノメの闘争心を削ぐものがあった。
簀子から落ちたときにうった腰や肘が痛み始めた。
間を外してしまったために、今死のうという目的が宙ぶらりんになってしまったようだ。後には何もない。
あるのはすりむいた肘の痛みと空腹だけであった。
コノメはなにもかもがばかばかしく思われてきた。
「そうか、そうか」
大坊主はコノメの心中を読み取ったようにしたり顔でうなずくと、再び四つんばいになって堂の床下にもぐり込んだ。といっても図体が大きすぎてみなまではもぐれない。頭から肩までを何とか押し込んでもぞもぞと何かをさがしているようだ。その様子は冬ごもりから覚めかかって寝ぼけている蟇蛙のようだった。
ようやく引っ張り出されたのは鍋だの杓子だのの台所道具である。
どうやらこの閻魔堂はこじき坊主のねぐらだったらしい。
堂の周りの竹藪が夜風にざわざわと吹かれて、そのたびに大量の竹の葉が降ってくる。竹の葉は降り積もっては風に吹かれ、そこここに吹きだまって小山を作っていた。
大坊主は石を積み上げたかまどに竹の葉を押し込んで火をおこした。袖の中から魔法のように取り出された托鉢の鉢には羽根を毟られた鶏やら大根に葱まで入っている。
大坊主は素手で鶏を裂くと、野菜と共に湯気の立ち始めた鍋に放り込んだ。鍋に落ち込んだ竹の葉を拾いだして蓋をすると、今度は筍の皮をぱりぱりとむき始める。
見れば周りの竹藪のそこここに、土を屋根のように持ち上げて筍が伸びかかっていた。
「鍋が煮えるまでこれでも齧っとき。掘ったばっかしやから甘いよ」
大坊主は剥いた筍の穂先をコノメに投げてよこした。
また、ざわざわと風が吹いた。
降りしきる竹の葉は果ても無い。
筍の穂先は瑞々しくていかにも旨そうだ。
コノメは筍を齧った。生の筍はほんのり甘く、少しばかりえぐい。
大坊主が鍋をかき回している。
やがて大坊主は塗りのはげた椀にたっぷりと汁を よそってコノメに渡した。味噌と山椒の香りがした。
コノメはこれまでの人生でこんなおいしい汁は食べたことがなかった。中流の下程の公家屋敷の下女の子として、使用人の住む裏長屋の片隅で育ったコノメは、つい昨日そこを 追い出されるまで他の世界を知らなかった。
舐めるように食べ終えたコノメの椀を受けとりながら大坊主は欠けた歯をみせてにんまりと笑った。
「どうやら人に戻ったようやな。さっきはほんとの生成鬼のようやったが」
「けちがついたから仕切りなおしや。せっかく綺麗なお月さんの下で気分よう死のうと思うとったのに。
邪魔立てするから死に損のうたわ。髪も帷子も洗いなおさなあかん。日を選んでうざったらしい坊主の居らんところで首のくくりなおしや」
コノメは思い切り憎まれ口を並べた。
正直だいぶ気が削がれてはいた。しかし、汁を馳走になったからといっていきなり死ぬ気を 無くすほどのたわいない恋心だったことにするわけにはいかない。
「あは、あはぁ」
大坊主は天を仰いで間の抜けた笑い声を上げた。
「そないにむきにならんでも首なぞいつでもくくれようが。明日は晴れるし権現はんの祭りもある。旨い汁もまだ残ってる。もっといろいろいい思いしてから首ぃくくったかて遅うはおへんやろ」
流れ者の乞食坊主ならそれでもやってゆけるだろう。
コノメはもう一度腹がたってきた。
「住むとこものうて、好いた殿御にも見限られてどうやっていいめ見るのえ。ええことなんかなんあらしませんわ」
「ほう、ほう、そういうことかいな」
大坊主はあごの肉をだぶつかせて頷いた。
「そりゃあかあいそうやったな。もうちっと詳しゅう話してみたらよいわ。人に話せば考えもまとまるしな。
拙僧かてこんな汁ぅ作るよりもうちっといいことがでけるかしれんよ」
大坊主は汁をもう一杯たっぷりとよそってコノメに渡した。
椀から立ち上る湯気は断るにはあまりにもよい匂いをさせている。
「かなわんわ」
コノメは腹の中でつぶやいた。
目の前の食べ物の誘惑と、のっそりとして押しの太い坊主の呼吸に呑まれてしまったようである。
汁をすすりながらコノメは物語をするはめになった。
正六位上の三河介の屋敷の濯ぎ物や掃除をする下働き女がコノメの母であった。父親は知れない。三河介の屋敷に住み込んだ母に連れられてコノメは屋敷北裏の長屋で育った。
母が三年前に亡くなって後は母の代わりに下働きとして使われてきた。そのままいけば母と同じように三河介の屋敷で洗濯女として一生を終えるところだった。
足利将軍の治世が続き、政治の中枢が帝の御所に戻る目のないことが知れ始めたこの頃である。公家の端くれのような家の下働きなど人のうちにも入らない。
そのコノメの毎日が変貌したのはつい半年ほど前のことだ。主人、三河介の五男がコノメのもとに通うようになったのだ。
五男は右京に囲われていた三河介の二番目の妻の子であった。母親がなくなったために本宅に引き取られてきたのである。年はコノメよりひとつ下の十八であった。
三河介には本妻に四男三女があり、本宅も本妻の持ち物であった。妾腹も同然の五男などは冷飯食いで、北側の物置のような曹司をあてがわれて下男と変わらないような扱いであった。寺へやるにはトウがたっている。
長男にも官位がつかないような家の五男など養子の口でもなければ下男以下である。
そんな五男が下働きのところへ夜這ったとて気にするものはない。
しかしコノメにとっては薄暗い床下の暮らしに陽が差し込んだような出来事であった。
「いねつけば かかるあがてを こよひもか とののわくごが とりてなげかむ」
御曹司はそう歌ってコノメのあかぎれだらけの手をなでてくれた。
母親のないさびしい境遇が二人の心を深く結びつけているようにコノメには思えた。そのままいけば冷飯食いの五男と下働きの関係は不問にふされたまま何年も続いたのかもしれなかった。
ところがこの春、聖護院の追難式の見物に出た五男が女に見染められたのである。検非違使を勤める従五位上左衛門大尉の長女、大姫と呼ばれる出戻り娘であった。
一度は相応な家に嫁入ったが不縁となっていた。その後誰とも知れぬ男が通ったらしく、子もあるという話であった。歳は三十を越しているという噂で、左衛門大尉家でももてあまし気味であったらしい。
それが追難の日に騎馬で見物に出た五男を見染めたというのである。五男は乗馬だけが得意であった。
左衛門大尉は物持ちで、五男が家に入るなら婿として面倒を見ると懇ろに申し入れてきた。三河介も五男ももろ手を挙げてその申し出を受け入れた。
六位と五位の家格の差は大きい。五男は冷飯食いから一挙に家の希望の星となったのである。
そして、縁談の障りとなるコノメはあっさりと屋敷から放り出されたのであった。
「それで死んで御曹司に執りついたろと思わはったわけかい」
コノメはつり込まれてつい頷いた。
忌々しい坊主だが、不思議なことに口に出して話したことで不幸せの嵩が幾分減ったような気がしてきた。それともこの大坊主に特別ななにかがあるとでも言うのだろうか。
「口に出す、話すちゅうのは『放す』ゆうことや。身の不幸を 押さえ込んでおかずに放すことや。
けど大事な秘密は『放し』たらあかん。たとえば『祟ったろ』いうような秘密はけっしてな。放して人に知られるとたたりはわが身に返るというからの」
「そしたら今話した恨みも返ってくるのかえ。」それではあまりに割に合わない。
「いんや、まだなにも祟ってはおらしませんやろ。執りついたろ思うて首ぃくくりそこのうただけや。
第一あのまま無事に首くくりおうせたところで崇りは出来なんだやろな」
「どうして」
「祟るには作法がありますよってな。昔から決まった呪詛の作法がな。これがちぃっと面倒や。素人にはでけへん。いざこざも金もたんまり持っとる連中は玄人を雇って他人にやらすわけや」
「貧乏人は祟れんのか」
コノメはすつかり大坊主の話に誘い込まれてしまっていた。
なんとしても御曹司に祟る方法を知りたい。
この大坊主が料理と同じほど祟りに造詣があるならば訊かぬと言う法はあるまい。
「素人でも祟る方法はあるが面倒やで。時間もかかる。
腹が減っておったらとてもやれんわな」
「教えてくれ。
このままではあんまりじゃ。ちゃんと祟れさえすれば呪詛がわが身に返ってもかまわへん」
「それそれ、そこがむつかしいのや。
呪詛を返されたら効き目はのうて、おまえさまだけが死んで地獄に落ちるのや。
それではさっき首をくくりそこのうたとおなじことやろが」
そのように思えてきた。
「ではどうしたらええん。御坊が請け負ってくれるか」
「それはちぃっとむつかしいな」
「値が高いのか」
金はないが後払いで何とか算段する方法があるかもしれない。
このまま野垂れ死ぬくらいならどんなことをしても御曹司に祟ってやりたい。
「そやおへん。腐っても坊主やよってな。恋の恨みは請け負えんわい。」
「できないことを 得々と説明するとは殺生やないか。御坊が手出しせなんだらあのまま余計なことを考えんと死ねたもんを。祟ることもできず行くところもない。生きとってもしょうがない。御坊がこの世に引き戻したんやから何とかせんかいな」
コノメは地団駄をふんだ。
汁を食って人に戻った顔がまた鬼になりそうである。かまどの残り火がコノメの切れ長の目に映って金色に燃え上がった。
「わかった、わかった」
大坊主は閉口したように手をばたばたと振った。
「祟りはできひん。出来んが他のことがでける」
「なにが出来る」
「知りたいか。」
大坊主はうれしそうに厚い唇をなめた。
「まずどうしたいかを考えてみいや。綺麗な瓦屋根の家が欲しゅうはないか。立派な土倉に米や金銀の詰まった屋敷や。稼ぎのいい旦那はんにあんじょう養うてもろうてな」
坊主は目を細めてコノメを見ている。
「おまはんは器量もわるないし度胸もなかなかや。あとは運だけや」
「そんなもんがそこらへんに転がっておれば誰も苦労せん。
四条あたりの河原を見ぃや。五体満足で運だけ欠いたやつがてんこ盛りや」
鴨川の河原は職をなくした食いつめ者や、飢饉や戦さで父祖の地を逃散し、都に流れ込んできた者達で溢れ返っている。
「運のありどころがわかればええのや。拾う、拾わんは好きにしたらよろし」
翌日の夕刻、コノメは清水の地主権現の境内にいた。
乞食坊主、呑牛和尚の話を信じたわけではないが、他に行くところもないまま、地主権現に参籠することにしたのだ。
参籠といっても春のまっ盛りのこの時期、本堂や拝殿の房はすでに大枚の布施を積んだ貴族や地方豪族の身内や物持ち達でふさがっている。上手の房にはよほど尊貴な参籠者があるらしく、仕着せを着た侍が杉戸を固めていた。
中央の板敷にもそこそこの身なりの公家らしい女たちや、地方からはるばる願掛けがあって登って来たらしい田舎貴族の一党などが几帳や屏風でわずかばかりの仕切りをこしらえて居場所を作っていた。
地主権現の創建は神代にさかのぼる。伊邪那岐、伊邪那美が高天原に降り立った時に、ともくだった神のひとりとも、その前からこの地にいた土着の神とも言われる。参道にうずまっている石はそのころから同じ場所にあったともいう。嵯峨、円融、白河など歴代の帝が信奉したこともあり、縁結び、縁切りから国家鎮護まであらゆる祈願の依りどころとされていた。
ことに桜が山を覆い尽くす今頃は、気候のしのぎ易さもあって参籠者がひきも切らない。
皆、数日以上、時には百日も参籠する。その間はここですべての生活をするのだから荷物も多い。
貴人、物持ちに限らず、庶民や住まいを持たない一所不住の僧や願人、物乞い同然の者までが詰めかけるために立錐の余地もない。外の簾子もいっぱいで、参道の両側や境内のいたるところ、掛け小屋を作って夜露をしのぐ者、ただ筵をしいて座るだけの者も多く、足の踏み場もなかった。それどころか堂の床下までが参籠者で占められていた。
そんな大火の後のお救いどころのようにごった返す境内で、呑牛和尚は器用に話をつけて、あっという間にコノメの居場所をこしらえた。腹痛を起こした下女の代わりとして、油屋の隠居の老婆に付添って、簾子の上で一晩参籠することになったコノメに、
「悪しい縁を断って良い縁をお恵みあれ、とだけ念じなはれ。念ずれば必ずお聞き届けある。今晩一晩だけは邪念なくまっしろな心持に立ち返っての」
と呑牛和尚は昨晩とは打って変わって僧侶然とした物腰で申し渡した。
「腐れ坊主がわざとらしいことを」
とコノメは鼻に皺をよせて聞き流した。
傍らで、足腰が弱って立ち居もままならない油屋の刀自は窮状を救ってくれた呑牛の後ろ姿にしきりに手を合わせている。その様子によほど偉い上人とでも勘違いしたか、あわて者たちがつられて手を合わせるのがおかしい。もっとも飢饉、地震、政情不安の続く昨今、京中に食い詰め者と餓死者があふれる中で、こんもりと太っていられる呑牛は、それだけで只者ではない。
地主権現に至る清水坂には非人達の集落があった。埋葬や行き倒れの始末、そのほか不浄とされた様々な作業、時には検非違使の手下などに追い使われる非人たちでさえ、父祖から代々受け継いだ秩序に属している。河原と同じく、飢饉で田畑を捨てて来た農民や、生活のすべを失くした都市流民が流れこみ、集落は膨張の一途だが、あとから来た流れ者たちは非人部落の中でさえ居場所が定まらず、みじめに餓えながらさげすまれていた。
生まれ育った屋敷を追い出され、身寄りも、生活の手立てももたぬコノメのような女は、早晩そうした澱みの底に沈むしかない。首をくくり損なったまま、何のあてもないコノメとしては、呑牛の言うなりに地主権現の簾子の上で参籠のまねごとでもするよりほかに夜露をしのぐ方策はないのだった。
油屋の刀自に水に浸した干し飯の夕食を食べさせ、おまるで用を足すのを手伝った後、コノメは簾子の上で膝を抱えて丸くなった。
日が落ちるとともに、境内ではすべての活動が停止される。ぶつぶつと沼地であぶくがはぜるようにそこここから聞こえていた念仏も次第に静まっていった。濁った闇の中にひしめきあいながら、皆、この地を統べる神が願いを聞き届け、験を送りたもうことを念じているのだ。
京都盆地が湖であった古代から地主権現はこの地に在り、神のいますところにつながる聖なる山、蓬莱山と呼ばれて崇拝されてきた。やがて大陸からもたらされた仏教が勢力を増し、清水の地にも渡来の観音菩薩が来臨し、清水寺が創建された。その本堂はもとはこの土着の神、地主権現の拝殿として蓬莱山を下から拝する位置に作られた山岳信仰特有の懸造りを転用したものだ。地主の神は、|神大国主命、素戔嗚命、奇稲田姫命といった朝廷の神々と合体し、さらに大陸の仏と混淆して命脈を保ち、力を増してきた。願いを聞き届け、しばしばその験を夢によって告げ知らせると信じられる地主権現には一年を通して参籠する者が絶えない。
ことに嵯峨帝がその見事さに去りかねて、三度車を返させたことで名高い地主桜の咲き誇るこの季節には、畿内大和にとどまらず、遠く土佐や豊後からまで詣でる者があった。
「良い縁とはどんな縁やろ」
コノメは簾子の上で考えた。御曹司が通う前のコノメの日々は楽しくもなかったが不幸であったともいえない。嬉しいことなど何一つない暮らしを当然として過ごしてきた身には、不満を思いつくほどの心さえなかった。
御曹司に見捨てられ屋敷を放りだされて後の苦しさ、悔しさは御曹司との甘い喜びの夜々が作り出したものだ。
では、すべて忘れて御曹司が通うより前の日々に戻れれば楽かといえば、そうではない。今から思えば、砂を噛むような味気ないあの暮らしには戻りたくはない。それに比べれば御曹司を恨んで祟り殺してやろうと思った昨日今日のほうがましだ。とすれば御曹司との縁は良い縁だったのか、悪い縁だったのか。鬼にはなり損なったが、少なくとも
「自分はあのころとは違う生き物になったようや」
とコノメは思った。
昨夜以来、張りつめた気持が緩んだせいか、コノメは瞼が重くなってきた。
ざわざわと梢を風が渡る音がする。
いつのまにか境内は不思議なほど鎮まっていた。
とろとろとまどろんだような気がしたコノメの目は、いつの間にかチロチロと動く小さな灯りに吸い寄せられていた。
灯りは動いては止まり、また動きだす。
寝ている者達の顔を覗き込むように照らし、しばらく揺れていたかと思うとまた動く。
次第に近づいてくるようだ。と思った時には灯りの主は簾子の上で膝を抱えるようにして横になっているコノメの顔のまん前に立っていた。
角にたいまつをくくりつけた牛に乗っているのは唐輪に髪を結いあげた大陸風の装束の女である。
額には花鈿を描き、短い上衣に長い裳をはいて、肩から領巾を垂らした古風な姿だ。
簾子に立つ牛の蹄から唐輪のてっぺんまで一尺たらず。そのまま厨子に納めて念持仏になりそうな小ささだ。
起きあがることも忘れてコノメはしげしげと牛とその主を見つめた。
唐輪の女と牛も、四つの大きな黒い目でコノメを見下ろした。
「東塩小路高倉町、油屋の娘分コノメ」
唐輪が口を開いた。なりは小さいが、いやに物慣れた女らしからぬ口調で、妙に声が太い。
「その方の願い聞き届けてつかわす。
明朝、明けきらぬうちに五条坂下にて待て」
唐輪は袖から取り出した枇杷の枝をぽとりとコノメの鼻先に落とした。
「目印にこれを持て。おのこがお前を迎えに来る。
言うなりに従え」
それだけ言うと唐輪は牛の脇腹をつついて向きを変えた。
のそり、と牛が歩み出した時、思い出したように振り返った唐輪は
「吾は地主権現の使いなり。ゆめゆめ疑うことなかれ」
と歌うように付け足すと、ぴしゃんと牛に鞭をくれた。
小さな牛はそそくさと歩み出したと思うと数歩のところで簾子の隙間に吸い込まれるように消えてしまった。
ふと気がつけば東の空が白い。
眠った気もしないのに朝になっていた。コノメの目の前には枇杷の一枝があった。この時代、枇杷は京では珍しい。そもそも南方の植物であり、少なくともこの時期に近畿、大和では果実は手に入らない。しかし、唐輪の置いていった枝にはぽってりと朱い実がなっていた。
コノメは人目に立ちすぎる枇杷の枝を袂に隠すようにして境内を抜け出した。五条坂下周辺は普段から往来が激しく、人家や寺社も多い。しかし、この時間にはどこも門は閉じられ、人通りはほとんどない。コノメは夜明けの薄闇の中に枇杷を抱いて立った。
やせた野良犬の他は動くものはない。
「願い聞き届けてつかわす」
と告げられて夢中で来てしまったが、はたして何をかなえてくれるのか。