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第八章・最悪な光景

 達也はその後、たまたま見つけた廃ホテルで昼間は寝て、夜は近くの森でキノコを採って食べたり、港町でゴミをあさって生きながらえることにした。自分のやるべきことを見つけようと思って、とりあえず生きながらえることにしたのだ。


 達也が故郷の街を出て行ったい何日経ったのか、もう日にちの概念もなくなった達也は、その日の夜も廃ホテルを出て食料を求めて街に行っていた。達也はいつもいる五階の大きな部屋に来た。そこはかつてはスイートルームだったのだろう、大きなベットが二つあって、床にはきれいな柄のじゅうたんがあった。しかし、どれも黒ずんでいてボロボロに破れており、かつての姿はほとんどとどめていなかった。その部屋から出てすぐ目の前にはガラスのない窓があった。その窓から下をのぞき込むと駐車場だった広場がある。今やコンクリートははがれ、めくれ、隙間から草が生えている場所に、数台のバイクが止まっている。

――なんだ、また来たのか。

 この廃ホテルは暴走族にとって格好の隠れ家だった。実際周囲は森に覆われており、山裾にあって、かつなぜかバリケードも何もない場所だったので、部外者が入り放題だった。夕暮れ時に廃ビルを達也が出た後、暴走族がやってくる。そして、暴走族がいなくなる頃合いを見計らって、廃ホテルに戻ってくる、その後は暴走族が戻ってこないので安心して眠れる、というのがいつものパターンだったのだが、今日はなぜか暴走族たちが戻ってきた。おまけに何やら大騒ぎしている。

――少し見て来るか

 達也は少し興味をそそられて、様子を見に一階へと降りて行った。

 一階の元ロビーでは、何十人もの暴走族が楽しげに騒いでいた。その姿は何かのパーティーのようにも見えた。しかし、彼らの足元には何本もの注射器が見えた。いつものようにビールとかもあったが、注射器を見かけたのは初めてだった。

 達也が呆然と立ち尽くしていると、一人の青年がよだれを垂らしながら歩み寄ってきた。手には一本の注射器があった。

「お、おお、おめ、おめにも、これやるよ、へへへ」

――な、なんだこいつ。

「何らよ、俺の行為を受け取れれらいってのかよ」

――まさかこいつら、ラリッてるのか?

 暴走族たちはどうやら麻薬を打って気持ちよくなり、恍惚となりいわゆるラリッてる状態なのだろうと達也は思った。ここで断るとどんな目にあうかわからないと思った達也は、その注射器を受け取り、暴走族たちが正気を取り戻す前に五階の部屋へと戻っていった。

 部屋に戻ると、外から爆音が聞こえてきた。どうやら暴走族たちが出て行ったようだった。達也は手元に残った注射器を見た。といっても、暴走族が持ってきていたランプのあった一階と違って、何の明かりもない暗い部屋なのではっきりと物が見えていたわけではなかった。しかし、確かに手元にあった。

――これを使ったら、俺もあんなふうになるのだろうか。

 禁断の決断をしようとしているのは確かだった。しかし、よく暴走族の余り物のビールを飲んでいたが、飽きてきていたのも確かだった。そして、何らかの変化もほしいと思った。

――これをしたことで、どうなるのだろうか。何か変われるだろうか。少しだけなら……

 達也は袖をまくり、注射の針を腕にさして中身の液体を体に吸入した。達也の意識がどこか遠くの場所へと行ったような気がした。


 達也が暴走族たちのように恍惚となっているとき、部屋の中に誰かが飛び込んできた。

「こんなとこで何してんだよ(あに)きっ」

 部屋に飛び込みながら叫んだのは和義だった。その後ろから両親と広田と無表情な和也、そして見慣れぬ二人の青年が入ってきた。この時の達也は、ほこりが舞い散るじゅうたんだった物の上、部屋の中心にあぐらをかいて座っていた。誰かが持っていた懐中電灯で照らされた、じゅうたんのあった辺りに赤いシミが転々と垂れている、赤い色の床の上に達也は座っていた。

 和也がとてつもなく小さな声で「達也兄さん」と震える声でつぶやいた。達也のやせ細った顔と体を見て、両親も和也も驚きを隠せないようだった。生気を失い、半分閉じかかった瞳は白ではなく色あせたうす茶色。いや実際は目が充血していた。上目遣いの目は、時折ギョロリと辺りを見渡す。が、その瞳の色は失われているかのようだった。黒い瞳が随分薄く見えた。だが時折、本当に時折、不気味に光を増したように見開かれた。

 鼻からは、血と鼻水が一緒に流れていた。達也は鼻血はおろか、鼻水を拭き取ろうともしない。むしろ鼻水と鼻血を舐めていた。その舐めている舌は、紫色に変色していた。唇は青紫に変色していた。口からは先ほどからよだれが垂れまくっていた。だから地面の水はよだれだと誰もが思っていただろう。しかし唐突に風が吹き、強烈な、排便特有の匂いがして、思わず全員鼻をつまみ、水の正体が排尿だと気づいたようだった。排便もしていたので、さぞかし強烈だったろう。鼻をつまみながらも誰も達也のその姿から、視線をそらすことができなかった。

 更に達也の首や腕から血が流れ出ていた。体中傷だらけだった。

「ああ、ああ、虫か、ムジがグル、アイヅが闇からやってくる」

 そう言いながら、達也は突然腕をかきむしりだした。

 両親も和義も和也も呼吸が乱れていた。過呼吸とも違う、まるで出産時の母親の呼吸法よりも激しく短く呼吸をしていた。体中が震えていた。広田がつぶやいた。

「何でだよ、何でこうなっちまう前に、俺に一言も話をしてくれなかったんだよ。そんなに俺たちが、俺が信用できないのかよ」

 誰もがそんな広田に声をかけられない状態のそばで、達也が更に自分の腕を傷つけだした。しきりに、

「出て行けよ、俺の中から出て行けよっ!」

 とうなりながら。

 広田はいろいろな想いを振り払うかのように一度頭を振り、勇気を出して達也を止めに行った。地面に座り込み自分の腕を傷つける達也の両腕をしっかりとつかみ、達也の目を見つめた。すると達也は必死で振り払おうとした。

「や、やめろ、やめろっ!あいつがいるんだ、俺の中に、虫がいっぱいいるんだ、ホラッ、見ろよ、こんなにいる」

 そう言って自分の血を広田に見せる達也。しかしそこに虫などいなかった。ただの血だまり。

「ホラッホラッ、こいつら出しても出してもどんどんわいてくるんだ、そして、俺の中に戻ろうとするんだこいつら」

 広田がまだ抵抗する達也の体をしっかりと支える。いつしかそばにいた見慣れぬ青年の一人も一緒に押さえていた。広田は達也の目線と自分の目線を合わせながら叫んだ。

「そんなの当たり前だろ。こいつらは、俺たちの傷を癒やしてくれる大切な相棒なんだぜ。いわば自分の分身だ。体の中に戻ろうとするのは、お前を守るためさ。お前を助けるために、動いてくれてるんだよ。それを、ウジ虫みたいに扱うなよ」

 広田が言いたいのは、赤血球と白血球のことだった。

「助ける、俺を」

 そう言ってから、達也が体を反らして不気味に笑いながら吠えた。

「俺は人殺しだぜ、弟を殺した大罪人だ! バカな妄想にかられて最愛の弟をやったんだぜ、そんな俺を助けるだって」

 両親と広田と和也の四人の顔色が変わっていった。

 広田は気が変になりそうなのを振り払うようかのように、もう一度頭を振り、

「そんなことより、ほら、速く行くぞっ」

 そう言って達也を無理やり立たせた。しかし、弱っているはずの達也が広田たちの手を振り払った。そのひょうしにふらついて倒れそうになった達也だったが、踏みとどまり、そのまま体勢をたてなおしながらそばの窓へとバックで歩き出した。

 全員がぼう然とする中、広田が素早く体勢を整えて素早い動きで、達也の腕を力強くつかんだ。一瞬達也が苦痛の表情をうかべたが、まだ窓の方へと行こうとしていた。

「放せよっ!」

 ろれつがまわらないながらも叫ぶ達也。それでも広田は決して放さず、和也たちのいる、部屋の入り口のほうへと引っ張っていた。少しずつ達也が引きずられていくのがわかる。

「絶対はなさねぇ。放したらお前そこの窓から飛び降りる気だろ。そんなこと絶対させねぇ。もう二度とあんなのはごめんだからな」

 その場にいた全員が達也と広田の様子を見守っていたようだった。いつしかわれに返った父も達也のあいている手をつかもうとしたとき、達也が全身全霊の力を振り絞って、声を上げた。

「俺自身の命、俺がどうこうしょうが、俺の勝手だろっ」

 その途端、乾いた音が部屋中に響いた。父が達也の左ほほをひっぱたいたのだ。いつもは温厚で争いを好まない、普段落ち着いている父のいきなりの行動に、母と和也以外全員が驚いて目をむいて父を見た。達也も左ほほに、広田につかまれていない右手を添えて、父を見つめた。

「バカなこと言うんじゃないっ!お前も和也も和義だって、私たちにとっては何よりも代えがたい大切な命なんだ、その命を軽んじるな」

「そんなこと言って、親父もおふくろも、俺たちのこと」

 広田が達也の言葉を途中で無理矢理止め、軽く目配せをすると達也もそれに気づいた。広田が目配せした先には、心配と恐怖とで複雑な気持ちになって困っている和義の姿があった。その向こうには悲痛な表情で涙を流し、祈るように手を合わせこちらを見つめる母親と、無表情のまま見つめている和也の姿が映った。達也は思わずうつむきながら、それでもポツリとつぶやいた。

「俺のことなんか、ほっとけばいいんだよ……」

「ほっとけるわけないだろ。本当に大事な息子なんだから」

 そう言いながら父もうつむき、目に涙を浮かべていた。

「俺なんてよぉ、俺なんてよぉ」

 達也はそうつぶやきながらその場で座りだした。広田と父と少年が必至で立たそうとするが、達也はそのまま意識を失った。


 どのくらい時間が経ったろうか、達也は夢を見ていた。それはいつもの悪夢ではなく、達也を見つめる両親の姿だった。その奥では無表情の和也の横顔が見えた。そのわきでは広田と和義が両親と同じく心配そうに自分を見つめていた。体が動かないためわかりにくいが、ここはどうやら車の中のようだった。どこかに向かっていたようだが、それはどうでもよかった。今はただ、この夢が永遠であればいいと達也は思った。

 母の膝を枕にして達也は寝ていた。母は達也の頭を何度も何度も撫でていた。優しいまなざしで達也を見つめていた。そばには父がいて、同じように優しく見つめていた。父がそっとつぶやいた。

「命があってくれただけでも良かったよ」

 その言葉とともに達也は再び意識を失った。そこには恐怖や不安はなかった。それが安心感というものであることを、達也は気づかないまま眠りについた。

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