裏返せば終わる恋
立方体の形をした教室の中で、あの人とカンヅメさせられている。カンヅメ、っていうのは意図的に閉鎖された空間のことで、編集部が原稿の提出を渋る作家さんに対して行うことがあったりするんだ。その空間には仕事関連のモノしか置かれていなくて、他には何もなくて、だから仕方なく仕事に取り掛かる。
そんな仕組みがカンヅメなんだ。そう、喜ばしい事ではないよ。
まあそんなことはおいておき、教室についてちょっと考察してみよう。
一見、普通の教室に思うかもしれないけど、この教室はちょっとばかりヘンテコなんだ。
形は立方体なんだけど、全面ヒノキ張りで窓も扉もなく、中にあるのは椅子二つだけなんだ。おっと、失礼。その二つの椅子を隔てる真ん中には、一つ縦長の大きい机が置かれていてね、残念なことに端から端までその太い材木が渡っているから双方を行き来することはできないんだ。
これだけでも何のためにあるのかわからないのに、奇妙なことはあるもんだね。
実は教室の入り口に、こう書かれているんだ。
「今日は何の日だかわかりますか? あなた達はその答えを導かないといけません」
でも、先生に言いくるめられてあの人は入ったんだよ。驚くよね。真面目な人って、案外どこまでも度胸があって、その実誰かの役に立ちたいって思ってるらしいんだよ。強がりなのかもね。
でも、そんなところが可愛いんだよね。勿論、見た目は言及するまでもないよ。
白色のシャツに、ちょっと弛んだ桃色のリボン。胸のあたりに校章の入った薄い紺色のブレザーを着て、ボタンは三つとも開けてある。ちょこっと腰ポケットから顔を覗かせる水色のハンカチは彼女のお気に入りのものだ。どうだろう、文句はあるかな?――体格について触れてなかったね、美乳で身長は150センチ前半くらいかな。端正な顔立ちで、すらっとしているからそりゃあもう。
まあ、このことはどうか彼女には内緒にしていてほしい。
そんなわけで、教室に入ってから随分と時間が経ったわけだけど、窓もないし時間も正確には分からないなかで肝心の議論は全くもって進行していない。
彼女は口を開かないのだ。どうしてだろう。
積極性がない? だったら最初から生徒会長にはならないさ。
気まずい? 確かにそうかもね。でも会長なら普通は”早く出るために努力を惜しまない”はずなんだけどね。
あっと、その質問は禁忌だよ。答えが出ていたらとっくに提案してるに決まってるじゃないか。空気なわけないし、存在するからにはお役に立たないといけないよね。
でも、分かりっこないと思うんだよね。分からないよ。今日は何の日って、一体何を求めているんだろう。
ん、彼女が閃いたみたいだ。小さく口を動かしてる。もっと恥ずかしがらずに言っていいと思うんだけどな。反対なんてしないんだし。いつもの元気はどこにいったんだい?
「ばれんたいんでーのつぎのひ……」
彼女はそう言った気がするんだ。
確かにそうだ、言われてみれば確かに。
今日は2月15日で、昨日が14日だからバレンタインデーだ。
そういうことには疎いからね。答えを求めちゃだめだよ。――ところで答えはあっているのかな。
そう思って反応を待つけれどやっぱり何も起きない。椅子と机と人が蛍光灯に照らされて、静まり返ったままの教室。
ところで、バレンタインってものは聞いたことしかないのだけれど、彼女はどう思っているのかな。
気まずくなって顔色を窺ってみたけど、彼女の視線は足元を向いていてよくは見えない。分かるのは、彼女の機嫌が悪いということと、この問題の答えは出てこないということだ。
一般常識の範疇で問われるのが普通だとは思わないかい? つまり、現状は異常なんだ。まあ、最初から異質なのはわかっているだろうけどね。
そろそろ飽きてきたし、ここでかっちょよく答えを
なんて、出せたらいいんだけど、そんなことは勿論なくてね。渋るなんてことはしないよ。これでも紳士的だからね。
やっぱり頼みの綱は生徒会長ということになって、彼女を見つめる。
こうして見てみるとやはり女性なのだと思う。長い髪の毛が後ろで団子結びされているわけだけど、そそるものがあるよね。こう、理性というかなんというか。共感してくれるでしょうけど、湧き出てくるものがあるんだよ。
そんな彼女を見つめていると、珍しく考えが思い浮かぶ。
この部屋は、時間を持たないんだ。密室だし、なんか怪しいと思ったけどそうだ。だから、今日が何日とかそういった概念がないんだ。違うかな。
もしここまでの考えが本当だとしたら、どうなるんだろう。答えはない、ということになるのかな。
でもそんなことは今はどうでもよくて、一番気になるのは彼女がどんな反応をするかなんだ。驚くかな。悲しむかな。俯いたままの彼女は笑ってくれるかな。
――お、どこからか声が聞こえる。何? 時間だと? どういうわけだ。まだ何もできていないぞ。
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教室の中に一つ、死体が転がっていた。長い髪の毛の、女性だ。生徒会長、と思わしき女性の姿はなかった。メモ書きには美少女と書かれているが、これはとてもじゃないが美しいとは言えない。
立方体の教室にはもうすっかり日光が差し込んでいて、明るい。どういうわけだか、木造とか聞いていたけれどそんなことはなかったね。普通の教室だ。椅子は二つあるし、机もでっかいのが真ん中にある。
でも、どういうことだろう、片方の椅子には何の形跡もない。まるで、誰も座っていなかったみたいに。
外部から侵入した人もいない。あの空間に踏み入れたのは最初からいたメンツだけのはずだ。出入りなんてしていないはずだ。どういうことだ。よくわからない。聞いていたことと違いすぎる。
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まあそういうことさ。
私はそう締めくくる。理解なんて、最初からしてもらおうとしていない。謎は謎でいいんだ。つまりそういうこと。くれぐれも読者のキミは騙されることがないように。
物語とは、常に。
裏返せば終わってしまう、短いものなのです。
そこで記述は止まっている。
その言葉までを目を通して、僕は目頭が熱くなっていることに気づいた。
ダメだ、これは恋だ。恋をしてしまったんだ。
その恋すらも、「裏」がある気がして、自分自身の鼓動をゆっくり聞くことにしたんだ。
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ようやく意識が返ってきた。
ああ。見たかった彼女がもう見れなくなってしまった。ああ。声を掛けることもできない、愛しの会長様。ああ。恋しくてたまらない。
ああ。完全犯罪はここに幕を閉じるのです。ああ。チョコの怨念は侮るべきでないですね。ああ。キミの視線は、感情は、実に素晴らしいものだった。
擦り減るものでもないでしょうし。ああ。どうか許してくださいね。
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許して欲しいのは私の本心だ。
クリエイターたるもの、読者から拝借するなんて、トンデモ技を使っちまったなぁ。
真相は藪の中に――。
これは、バレンタインの復讐である。
さて、君はいまどこにいる。私は、パソコンの前だとも。