第二章/chapter5 少年の強さとは 二ノ巻
茜色よりほんの少し早い黄金色の陽光を湛える、澤館の街に午後5時を告げる鐘の音が鳴り響き、小牧氏のガレージ兼選果倉庫に最後のコンテナを降ろし終える。流石に真夏の農作業とあって、神山相談所の面子の額にも汗が滲み、僅かに疲労感を浮かばせている。
本日の業務は秋から冬にかけての作物の為の畑の耕作、夏野菜、そして夏の宝石こと桃の収穫。澤館でも屈指の豪農たる小牧氏の農場は広く、こうして日雇いの働き手を募ることも多いのだとか。それ故に焔率いる神山相談所も、仕事を請け負う得意先として、小牧氏の名前を顧客名簿に載せている相互関係が成立している。
「いやー助かった助かった!神山相談所は作業効率も、精度も高いんで、できれば毎日でも来てほしいくらいだよ。お疲れ様」
小牧氏が神山相談所・肉体労働組を労い、選果倉庫の明かりを点ける。確かに進次達の業務はここまでだが、小牧氏は奥方と、これから選果作業にあたらねばならない。
長年の勘で、進次達より作業速度と効率がいいのは当たり前だが、それでもこれから率先して夜間作業に当たり、しかし従業員の炎天下での健康管理に気を遣い、自身を含めて適切に休息を摂る様は、雇い主ながら天晴れと言うべきだろう。
「小牧さんは、クリウス先生から受け継いだ大切なお客様ですから。俺達が力になれるなら、またお声掛けください」
責任者の焔が一礼し、進次と峰助が慌てて頭を下げる。
元来からして、地が真面目な焔の礼節には舌を巻かされるばかりだと、進次が感心する。
そうして、本日の業務はこれにて終了。神山相談所の集合場所である、焔と進次の住むアパート[風見レイクヒルズ]へ向けて、渓治から借り受けた軽トラックにエンジンがかかろうとした、その瞬間、
(あれって…幾汰くん?)
夕焼け空に染まる少し手前の丘の道。どこか、とぼとぼと気の乗らない足取りで、[心の森]への帰路についているであろう少年・岸田幾太を目撃する。
(今朝はまともに話すらできなかったな…今から追いかけて間に合うかな)
元より軽トラックは二人乗り。一人は必然的に、別の移動手段、ここではシティーサイクルを使う必要があったわけだが、今回ばかりは好都合だったと言える。
「焔、ちょっと」
峰助がエンジンをかける軽トラックの隣、今回の帰りのシティーサイクルに、進次と焔、どちらが乗るかと、じゃんけんを身構えていた焔に進次が提案する。
「少し、寄りたい場所があるんだ。先に帰っててくれる?」
「寄りたい場所?まあ、仕事も終わったし、いいけど。このあと[第6班]の訓練もあるんだから、遅くなるなよ?」
焔が進次に釘を刺しながら軽トラックの助手席に乗り込む。峰助が疲労を振り払うような白い歯の笑顔で、進次と小牧氏に手を挙げ、焔が車上から最後にお辞儀をするのを見計らい、発車する。
それを見計らった頃、進次がシティーサイクルのキックスタンドを蹴り上げ、小牧氏に別れを告げ、丘の道を目で辿る。発見。
ここから道程にして200メートルほど。幾汰が進次に気付いていないであろうことを加味すると、丘を下った先にある自販機で追い付くのが理想か。
ペダルを漕ぎ、小牧氏の庭を後にする。急ごう。ここから先、市街に入ってしまえば、最悪幾汰を見失うことも考えられる。
どうしても話がしたい。不甲斐ない義兄なりに、きっとかけられる言葉はあるはずだと、確証のない焦燥をペダルに込めて、腰に差した未だ慣れない剣の重みを引っ提げ、丘の先の憩いの場を目指した。
抱えた手提げ鞄にある本の数々を覗き込みながら、幾汰がほう、と溜め息をつく。
何をやっているのだろう、自分は。誰に言われなくても、その事実が自分には痛いほど解っている。
「オレは---。」
坂道の下の交差点、いつも買い飲みをする自販機を横目に、今日は持ち合わせがなく、気晴らしの炭酸飲料を買えないことを歯噛みしながら通りすぎようとした時、
「幾汰くん!よかった、間に合った」
交差点に響く耳を刺すブレーキ音。ぎょっと幾汰が振り替えると、そこに、汗を額に滲ませながら安堵の息を漏らす、進次の姿があった。
幾汰が目を白黒させながら、その場を逃れる言い訳を考える。何しろ今朝方、あんな無様を晒した手前、同じ剣術訓練の同士とは顔を会わせたくなかった。
それが、憧れの先輩であったならなおのこと。
「進次くん、オレ---」
「ああ、心配しないで。話、そう、少し話をしたかっただけなんだ。…何か飲む?」
進次が引け腰になる幾汰を安心させようと、精一杯の笑顔を作り、幾汰に歩み寄る。幾汰は依然、固く表情を強ばらせたまま。
だが、進次が幾汰の隣を通り過ぎ、自販機でいつもの瓶栄養飲料を買い始める様を目の当たりにし、拍子抜けする。
「で、何飲む?」
「……オレンジスカッシュ」
自販機横のベンチに腰掛け、どちらが話を切り出すでもなく、強炭酸のドリンクを口に運びながら、茜色に染まり始める空を見上げる。
進次もここまで闇雲にペダルを漕いでは来たものの、何から話したものか…そこまでは考えていなかった。 本末転倒とはまさにこのこと、と自嘲する。
「……そういえば、今日はどこかに出掛けてたんだよね?どこ行ってたの?」
ふと、思い付いた疑問を投げ掛ける。澤館市内、特に風見区内であれば、特に外出届はいらない[心の森]だが、時刻は午後5時。小学6年生の幾汰はとっくに門限を過ぎている時間だ。
こんな時間まで外出をしているとは、何か事情があるのではないか、と幾汰の顔を覗き込む。
幾汰が進次と視線をそらしながら、プルタブとにらめっこを始める。が、しかし。
「?なに、これ?」
進次が不意に、幾汰の手提げ鞄から覗く本を数札抜き取り、タイトルを確認する。ラベルを見た限り、図書館の貸し出し本のようだが、その実態ははたして。
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「ちょ…勝手に見ないでよ!何考えてんの!?」
この黄昏の陽光のせいか、はたまた本当にそうなっていたのか。幾汰が顔を赤く染めながら進次が持つ本を奪い取る。進次が目を瞬かせながら、やがてその本を借りるに至った出来事、進次が幾汰を引き留めた理由に思い至る。
ああ、幾汰はこういう少年だった。納得がいかない出来事は、良くも悪くも自分の力で解決しようと思索を巡らせ、遠回りでも納得を得ようとする不器用な努力家。
「…なんだ。そうだったんだ」
進次が頬を綻ばせ、幾汰の頭を優しく撫でる。幾汰がまた、納得のいかなそうな顔で進次を睨みながら、その手を払い除ける。
「なんだとはなんだよ。それに、子供扱いしないでよね」
「うん、ごめん。幾汰くんは、幾汰くんなりに強くなりたいんだよね」
進次の言葉に、幾汰が呆然と進次の横顔を見つめる。嘲笑ではない静かな笑み。まるで、自分と同じ悩みを抱えたことのある同輩、否、正しくは先輩のような---。
「って、誰もそんなこと言ってない!……言ってない、けど」
不意に反抗心か芽生えたが、それも些末なもの。どうあれ、心中を見抜かれた幾汰は、次第に温くなり始めたオレンジスカッシュを飲み干しながら、その心をつまびらかにする。
「……オレ、強くなれるかな?」
幾汰の泣き出しそうな震える声が、進次の心を揺さぶる。
心と体の成長速度が乖離して、戸惑い、不安に襲われ、何かが支える柱と、不安という嵐から守る覆いとならなければ、やがて壊れ行く思春期手前の少年の心。
そうとも。ならばこそ、進次のかける言葉は決まっていた。
「そうだなぁ」
現実は受け入れがたい。しかし、甘い言葉が消えたとき、その心が襲いかかる現実に破れ去ってしまうことは目に見えている。
「ねえ幾汰くん。クリウス先生と、最初に誓い合った剣を執る理由、覚えてる?」
進次の問いに、幾汰が強く頷く。
「忘れるはずがない。オレは、ミトスになるんだ。オレは嫌なんだ。誰かに守られるしかない自分なんて。誰も、誰も守ることのできない自分なんて。そんなの生きてる意味すらない」
幾汰の瞳に、情熱が光る。危ういほどに彼を駆り立てる衝動は、自分の無力を知っているが故に。
これは、進次が持ち得ない「幾汰だけ」の情熱は、こうして隣で話を聞くだけでも、進次の心を焼くように輝きを放つ。
「そっか。なら、強くなろう。いや、きっとなれるよ」
進次が瓶の残りを呷り、くずかごに瓶を放り込み、立ち上がる。
話は終わった。進次が気にかけていた以上に、幾汰は今回のことをバネに高く、より高くを見据えて空を睨んでいたらしい。
(幾汰くんが、今の自分を受け入れてくれるのには、もう少し時間がかかりそうだけど、それはまあ、僕がとやかく言えることじゃないかな)
「時間取らせちゃってごめんね。じゃ、僕[コレ]の訓練があるから帰るね」
進次が腰の蓮剣を叩きながら、ベンチを立ち上がる。
「え…それって。進次くん!?」
幾汰が進次の蓮剣に気がつき、凝視する。今まで気付かなかったとは、相当に気が滅入っていたのか。
「ん。『待ってる』よ。幾汰くん」
挑戦的な言葉選びに、悪戯っぽく白い歯を輝かせて、進次がシティーサイクルに跨がる。唖然と進次を見つめる幾汰を残し、進次はペダルを踏み込んだ。
ああ、幾汰くんはきっと大丈夫。僕とは、違う。