第七章/chapter5 第6班:焔の代弁/ディビッドの事情
グラウンドはぐしょ濡れ。およそ60人のミトス達が入れ替わりながら訓練を行う体育館の一角に、第6班が集う。
各々水筒を口に運び、塩飴を転がす。ナターシャに至ってはソフトキャンディを含んだ口に炭酸飲料を流し込み、口に広がる発泡の感覚に興じている。
「っぷは!この口から溢れそうなシュワシュワ感が面白くてさ。ついやっちゃうんだよね」
「別にいいけど、それ噴き出したら悲惨だから気を付けろよ?仮にもレディがゲボるなんてあんまり上品じゃないぜ?」
焔がナターシャをたしなめながら塩飴を噛み砕く。あまり上品ではないのは焔も同レベルではないか、とトーマが喉まで言いかけて、やめる。焔がこうして飲み込んだ言葉をこそ、屁理屈で押し通す男だと知っているからだ。
「はい、みなさんお疲れ様です。さすがに毎晩訓練だと、疲労も顔に浮かんできてますね?」
蘭と満祈、真之少年の撮影班もまた、自前のクーラーボックスからスポーツドリンクを調達し、その休息の輪に加わる。無論、訓練風景の撮影も彼らの大切な仕事だが、この休息時間に行う取材も重要だ。
「お、そうか。一人一人への質問コーナーか」
クリウスが合点がいったように手のひらに拳を打つ。
ディビッドを除く一同が背筋を正し、取材班に向き直る。整然とした円陣に、蘭のボイスレコーダーが置かれる。
果たして本日は誰がこの意見発表及び決意表明の餌食となるのか、奇妙な緊張感が走る。
「それでは、今日は副班長の神山さん、それからホーキンズさんにお願いしましょうか」
焔が参ったように苦笑いを浮かべ、ディビッドが予想だにしていなかったいきなりの指名に驚愕しながら、じろりと蘭を睨む。
「そんな顔してもダメですよー。むしろそうやって取材させない雰囲気を醸し出してくるだろうから、今のうちに指名したんです。諦めて、ズバッと答えてくださいね?」
蘭はディビッドの嫌疑を往なし、更に新たに実装した取材道具として、三色ボールペンとキルトカバーの手帳を取り出した。
「では、まず副班長の神山さんから。ミトスになった経緯を教えてください」
ディビッドの不満そうな眉間の皺を無視して取材を始める。もう後には引けないこの状況を差し止める方が面倒だと判断したのか、まだ問答も繰り広げない内から大きなため息を吐いた。
「おいおい、人が話そうとしてるときにため息なんか吐くなよ。話の腰が折れるだろうが。
………さて、ミトスになった経緯ね。そんなに難しいもんじゃないぞ。なにしろ、俺は生まれも育ちも澤館だ。10年前の澤館虚獣大災害も経験した。そこにいる進次と一緒に、な」
話を振られると想定していなかった進次は焔を一瞥する。こっそりと、皆に見えない角度でVサインを進次に示していた。秘めていたつもりは毛頭なかったが、どうして相談もなく私情を語るのか。コロス。
「あ……。それは、また」
蘭が地雷を踏んだように表情を曇らせ、満祈と真之が顔を見合わせる。
「いいよ、そんな困った顔しないでくれ。多かれ少なかれ、ここにいる連中は10年前のあの地獄を味わった仲間同士なんだ。腹を割って話せば、より分かり合えることもあるかもしれないだろ?」
満祈が口を軽くつぐみながら視線を落とす。真之は感心したように頷きながらも、その瞳はどこか思い出すことを拒むように曇る。
「続けて下さい。そういう思いを持ってるミトスの方がいらっしゃるというのは、折り込み済みでしたから。ここで引いてちゃ話が進みませんからね」
蘭に促され、焔は心の中で全員に合掌しながら背筋を正す。
「でな、俺とそこにいる進次は、運良く……いや、運悪くと言った方がいいか。ともかく、全部を失って生き残っちまったわけだ。家族とか、財産とか、全部だ」
……焔の言葉に嘘はない。
どうあれ、進次も焔も、たった一人生き残るにはあまりに幼すぎた。親はいなくなり、彼らの財産は知らない内に凍結され、住んでいた家は破壊された。
残ったものは、互いに血みどろのまま何故生き残れたのか不思議な五体満足の体と、そして---。
「生き残れたのに、運が悪かった……ですか。確かに、その絶望は私には想像もつかない痛みとなって、神山さんを苛んでいるのでしょう。それくらいしか、私には分かりません」
蘭は沈痛に顔を歪ませながら、手帳のペンを走らせる。
「でも、助かったんでしょう?なら、その幸運を噛み締めずにどうするんですか。犠牲になった人達の前で、同じことが言えますか?」
空気が凍りつく。矢継ぎ早に、真之が焔に質問/詰問する。焔は垂れ下がる緋色の髪の一房を弄りながら、重く鉛のように凝固した息を飲み、そして自嘲ぎみに吐き出した。
「確かに。とてもそんなこと、言えるわけない。祟られるどころの話じゃねえよな。
じゃあ逆に質問するけどな。俺達ミトスが、なんのためにミトスになったか、考えたことはあるか?」
第6班は沈黙する。或いは、その焔の問いは自分達にこそ投げ掛けられたものかもしれないと、胸に刻み、考え始めた。
「……え?それは、だって、ミトスは人々を守るためにミトスになったんでしょう?それ以外に何があるって---」
そこまで口にして、真之ははっと口をつぐんだ。
「そうとも。それ以外に、ミトスがミトスたりえる理由があるわけない。時たま虚獣を殺すことだけを目的にしたイカレたヤツもいるだろうけど、少なくとも俺の知ってる第6班に、そんなヤツはいない」
焔が断言する。それは、この数年の間に焔がひしひしと味わった、ミトスの誇りであり、第6班への確かな信頼だった。
そう。そしてそれは、焔の、そして恐らく進次の魂に残った、ただ一つのもの。
「俺達は生き残った。なら、せめてこんな思いをする人がいなくなるようにこの命を使おう。
……随分美化しちまったけど、俺がミトスをやってる理由はそれだけさ」
刻々と、進次は知らずに首を縦に振っていた。やっぱり焔には敵わない。
自分が許されたくて。それを浅ましいと笑われたことはないにせよ、焔が見据えていたものは、進次の理由の遥か先にある、理想であることを思い知らされた。
「……すみません。俺、ミトスの皆さんのこと、神山さんのこと何も解ってなかった。ミトスが人々を守るのは当然だ、なんて、そんな風に思い込んでました……。本当に、すみませんでした」
真之が声を震わせながら、己の至らなさを懺悔する。
「……そうだね。ま、アタシはそんなに高尚な理由持ってないけど、人を見た目で判断しちゃダメだよ?ほむほむ、見た目はチャラいけど、結構硬派なんだから。少なくとも、彼女いない歴=年齢くらいにはね」
何故か、ナターシャが鼻を高くして真之を窘める。単に自分の上官であり、同僚である焔が誇れるような人物で嬉しかっただけかもしれない。今度は焔は苦笑しながら、ナターシャを窘めた。
「おい茶化すなよ。いいだろ、そいつは俺の都合なんだから」
先ほどまで張り詰めていた班の雰囲気を緩めていく、気の抜けたムードメーカーの笑い。釣られて皆が頬を綻ばせていく。
ひとしきり談笑が続いた後、蘭が仕切り直す。焔に対する質問権は真之が使い切った。やや私情を交えていたことは目に余るが、この雰囲気を壊してまで今追求することではない。
むしろ、焔が招いてくれたこの心を許した状況を逃さないように、掴まえる。
「さて、では次はホーキンズさんのお話を伺いましょうか。ミトスになった経緯を教えてください」
ディビッドが油断していたように面食らう。全員の視線が注がれ、言い逃れができない盤面を形作られる。
「あー、やっぱり聞くのか……めんどくせえな」
やや長めに思案する。なぜならディビッドは、
「……俺はな、ただのミトスじゃねえんだよ」