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虚ろの獣使い  作者: 松風ヤキ
第七章
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第七章/chapter2 雨音、絆の確認

 時刻は12時。神山相談所も昼休みに入っているであろう時間帯だ。現代社会の世からは無用となりつつある電話ボックスも、進次にとっては有難い連絡手段だ。

そして電話ボックスを運悪く使っている人影はない模様。この雨を避けるために逃げ込んだ者も、いないようだ。なにしろこの夏の熱に蒸らされた密室に逃げ込むならば、すぐ目と鼻の先にある駅に走った方が幾分マシだ。


「さて、焔のスマホの番号は……と」


 ここは木之幹区(キノモト)、隣の風見区(カザミ)へは隣接区域内、10円で約40秒。当然、どこぞのクイズ番組のような時間の縛りは厄介だ。小銭入れから少し渋りながら100円を投入する。


(スマホ、少しは検討した方がいいのかなぁ)



 呼び出し音が2回、3回目が途中で途切れ、コインが投下される音が鳴る。


『もしもし?』


怪訝そうな焔の声が届く。知らない番号からの電話ならば当然だろう。しかし進次がスマートフォンを持っていないことは知っている。この場合は大方、食事の邪魔をされたことへの不満からであることは予想できていた。


「あ、焔?僕、進次だけど。ごめんね、今時間大丈夫?」


やっぱりか、と呟きながら焔が席を立つ音が聞こえる。


『どした?今コーヒー淹れてんだけど、それやりながらでもいい?』


「うん。悪いね」


進次が即諾すると、電気ケトルの湯が注がれ、絞め技の擬音のように挽いた豆に湯が染み渡るのが聞こえる。スマートフォンとはここまで音を鮮明に届けるものだろうか……と感心していると、焔が嘆息を漏らしながら、一言。


『コーヒーってえのは、挽いた豆にこうやってお湯を注ぐのが勝負なんだ。特に今日みたいに湿度が高い日はな。まあ、俺もこの辺はまだまだ手探りで、喫茶店のマスターにはほど遠いんだけどさ』


「なに?じゃあ今のコーヒーの音はわざと?」


日数にして4日ほど。そんな留守の間でも、焔は揺るぎなくたくましい。同居人である進次が留守にしていることを微塵も堪えていない口振りにやや呆れながら、笑い返す。その緋色髪のドヤ顔が目に浮かぶようだ。


『で、用件は?お前が俺に遠慮がちに話すなんて珍しいじゃんか。外出先で動けなくなったとか?例えばパンツの替えがいるとか』


「--------」


少し黙る。焔の冗談に辟易としたからではない。単にどこから話したものか、それを考えていなかった。

 無鉄砲、ここに極まれり。この話題にはあまりにもアンタッチャブルな部分が多すぎる。

塔機関の思惑、宗崎の悲願、鈴奈の境遇。しかしこれらを語らないことには、この話は当たり障りなく触れる程度の他人事と焔に処理されてしまう。


『あれ、進次?もしもーし?』


無論、焔にとって完全に他人事なのは百も承知。しかし今回はそれでは困るのだ。

 どうにか、彼女達を助けたい。その知恵がないから焔を頼ったと言うのに、その話ができなければ元の木阿弥だ。


「あー、実はさ」


それはまるで即興芝居。進次は一度、宗崎一族に関する情報を消すのではなく、そっと蓋をし、かつ似たような境遇を連想しながら言葉を紡ぐ。


「迷子を見つけたんだ。けど、その……ほら。これがちょっと訳ありみたいで」


『ほーん………あ、真子、このコーヒーやるよ。ちょいと長くなりそうだ、外で話してくる』


焔がドアを開き、事務所兼自宅であるアパートの外に出る。進次の左耳から聞こえる天然の雨音と、右耳に届く電子の雨音がサラウンドの音色を奏でる。


「……悪いね、こんなこと」


『ホントだよ。お前昔から巻き込まれ体質だったからな……いや、ほっとけない病のほうが正しいか。どこぞの主人公みてーに、なんでも助けたいとか、そういう綺麗事平気で言うタイプだ。

でも器用じゃねーからさ、大概こうやって誰かがケツ拭いしなきゃならない。いい迷惑だぜ?』


「………ごめん。でも小言はまた---」


『けどな。お前のそういう、妙な人間臭さ?このままじゃダメだってもがこうとしてる実直さはさ、俺にはないもんだ。……俺は嫌いじゃないが、いつか悪いヤツに利用されんぞ。気を付けろよ』


言葉を失う。どこまでお見通しなのだろうかと、一種不安にさえなる安堵。

 胸に迫る嗚咽を飲み込みながら、瞼を短く閉じて、そして一息に不安を排出するように開いた。


「わかってるよ。それで、話なんだけど」


おう、と焔が呟く。ここからは綱渡りだ。考えうる最も的確な言葉を選びながら助言を請わなければならない。騙しているようで気が引けるが、こればかりは致し方無い。


「その子はさ、生まれつき目が見えないのを理由に、ずっと家に押し込められちゃってたらしいんだ。……でも、そんな生活でも保護者のお姉さんが大好きみたいでさ」


焔が相槌を打つ。今のところ不自然とは思われていないであろうことに胸を撫で下ろしながら、話を続ける。


「そんな子が、お姉さんと喧嘩をして、外に飛び出しちゃったらしいんだ。もちろん、文字通り右も左もわからないもんだから、とても苦労したみたい。今生きてるのも不思議なくらいって、見つけたときは路地で震えてたよ」


『はあ?その姉はなにやってんだよ?盲目の人を一人で町に出すのがどれだけ危ないかはわかってるはずだろ?ましてや、今までずっと家にいて外の世界を知らなかったならなおのこと……よく生きてたなその子』


焔が言の葉を逸らせて、怒る。……相談したのが焔でよかった。こんなふうに誰かの不条理を怒れる、そんな彼で。


「そうだよね……僕もひどいと思うよ。でも、その子も今はとても反省してるみたいだし、きっとお姉さんもそうなんじゃないかな?多分、今は必死に探してると、そう思いたいよ。」


ここに来て、よりにもよってたった今自分の語った言葉で、大海の鈴奈への思いを痛感する。


(……そうだよな。心配じゃないはずがない。結局鈴奈ちゃんのことを第一に考えるなら、たとえ狭い世界でも、寄り添っていられるあの家の方が---)


『……んで?これからどうするんだよ?』


焔の声に思考を引き戻される。半ば戦意は喪失した。言語野は鈍く神経を走らせながら、これからどう話したものかと思索する。


「ん……でも、でもさ」


『でも?』


「その子はさ、ずっと憧れていたんだって。読み聞かせで聞いてきた外の世界に」


進次がはっと我に帰る。思わず口にしていた、その呟きにも似た吐露。


『ははぁ……お前、さては絆されてんな?』


「え」


『ほっとけない病の症状の一つだよ。トラブル解決まで、乗り掛かった舟って割り切ってる感じじゃない。

噛み砕いて言うとな、お前その子と友達になりたいんだよ』


違う、という否定の言葉は浮かばなかった。焔の進次を見透かす観察眼はどうしたものかと、舌を巻かされる。同時に進次の当初の目的を再確認させられる。

 進次は救いたかったのだ。宗崎一族の呪縛から。大海を、鈴奈を。ただ一人、同じ時を共に過ごす隣人として、家族として。

焔にはいつも大切な事に気付かされる。それはきっと、移ろいやすい進次の心をいつだって目の当たりにしてきた彼だからこそできる、無意識の軌道修正。


「うん……きっとそうなんだろうな」


『そうだろうよ。お前距離感オカシイところあるからよ。で、どうするんだ?』


決断を迫られる。


「このままその子の家に帰すだけじゃいけない気がする。でも、それは僕の主観だから。……どうすればいいかな?」


ようやく今日の議題に到達する。焔は一コンマ唸った後に、応じた。


『そんなの、本人がどうしたいのかが一番重要だろ。お前やその保護者がどう思おうがよ、その子が望むならそれを叶えてやればいい。人と人の絆を結ぶものなんて、まずはそこからだろ?』

あっけらかんとしたその意見に、感嘆の息が漏れる。公衆電話の外気に蒸される中、進次は唯一無二の親友の言葉を噛み締めていた。

 答えは得た。残された時間はわずかだが、最速で手を回せば、きっと叶えられるだろう。


『その子が帰りたくても家がわからないなら、警察に保護してもらえばいいし。児童相談所案件なら、最悪心の森に連れてけばいい。でも、外の世界に憧れてたんなら、今だからやってやれることもあるだろ?……まあ、下手すりゃ誘拐とか言われるから、上司としては警察か心の森に預けてほしいけど』


「そっか……わかったよ。ありがとう、焔」


晴れやかな声色になった進次に、焔が安堵する。


『じゃあな。最後になるけど、元気で帰ってこい』


受話器を降ろす。焔に真実は語れなかった。それでも朧気に、問題のカタチを浮き彫りにしてくれたことを感謝する。


 傘を広げる。ものの5分ほどの問答を忘れないように反芻する。

しとしとと弱り始めた雨の中、帰るべき場所へ歩き出す。昨日の今日で説得は骨が折れそうだが、それでも向き合うことを誓う。


 あの夢に見た、世界を知る鈴奈の憧憬の笑顔は、きっと本物のはずだから。

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