第六章/chapter6 第6班:クリウスの老婆心
「……っはぁ!う……おおぉ!」
「そらっ、腹に力入れろ……!踏ん張れよ……!」
重たい瓦礫をトーマと焔、進次の3人で持ち上げる。足元には被災者に見立てたマネキン人形。瓦礫をマネキンにあてがい、その下敷きになった脚を潰してしまわないように細心の注意を払いながら、慎重に運ぶ。
『痛いよぅ……助けて………』
質が悪いとすれば、このマネキン、喋るのだ。塔機関が開発した、各部に備えられた感圧センサーが触った場所、掛かった力の強さ、さらに一定の音声に応じて記録された台詞を喋る。今の進次達のように慎重に瓦礫を撤去し、救出訓練を行う分には、多少神経を磨り減らされるが問題はない。問題があるとすれば、
『きゃああああ!痛い、痛い!』
悲鳴が上がる。進次とトーマ、焔が青ざめながら顔を見合わせるが、どうやらこの声は足元の被災者ではなく、別の班の現場で上がったらしい。
そう。このようにしくじり感圧センサーに力が掛かりすぎると、悲鳴すら上げる。これが何よりもリアリティを強めて神経を削る。
「落ち着け。このまま平地まで瓦礫を運ぶ。気を緩めるな…!」
トーマの一喝に血色を戻し、腕の筋肉、背筋、爪先に至るまで力を込め直す。進次達の移動に合わせて、クリウスとディビッド、ナターシャが担架と医療品を運び込む。
「大丈夫ですか?今から担架に乗せます。もう一息ですよ」
マネキン相手に声をかけるクリウスを、ディビッドが阿呆らしいといった冷たい目で見ながら、マニュアル通りの台詞を言う。
「どこか、痛いところはありますか?」
『あしが、左あしが痛いです……』
マネキンの悲痛な呟きに対して、ディビッドは淡々と添え木を添えて訓練用の包帯を巻いてゆく。マネキンがその圧力に悲鳴を上げる傍ら、ナターシャが何度も励まし掛けていた。
冷たいスポーツドリンクを、体を冷やさないよう一口ずつ飲み込む。正直に言えば、先程のリアリティ溢れる救助訓練のせいでそんな食欲もなかったのだが、このあとに控える訓練のために、少しでも水分補給が必要だった。第6班の面々は心労を隠せない様子で芝生に座り込み、わずかな休憩を過ごしている。
「おう、進次。お前、ちいと窶れたか?龍凪大社でおかゆしか食ってねえんじゃねえの?」
焔が缶コーヒーを乾杯し、進次の顔を覗き込む。先程までの悲鳴飛び交う殺伐とした救助訓練からすくわれたことは喜ばしいが、なにやら龍凪大社、ひいては宗崎家を愚弄するような物言いをされたことは気にくわない。
「うるさいな。そりゃあんな生々しい訓練の後なんだ。げっそりもするさ。あと、食事はきちんと頂いてるよ」
あっちへ行けと、右手を払う。焔はなに不貞腐れてんだか、と呆れたように首を振りながら、ディビッドの隣に腰を下ろした。
「そういえば気になってたんですけど」
カメラを下ろしていた蘭が思い付いたようにカメラを構える。瞬間、腰を曲げていた一同がしゃんと姿勢を正す。わずかに緊張をその顔に走らせる。
「みなさんって、どうしてミトスになろうと思ったんですか?これって、取材する上で結構重要ですよね?」
蘭は実に核心的、しかしだからこそ無神経だ。誰もが聞きづらいことをさらりと聞いてしまう。その好奇心、探求心旺盛な性格は、根っからの記者向きなのかもしれない。
「それ、今聞くぅ?せっかくの休憩がぱぁになっちゃうよ……」
ナターシャがぼやきながら、スマートフォンのフロントカメラを開き、自分の顔の状態を確認する。生憎、今手元には化粧道具は無く、加えてノーメイクだ。その顔は蘭も満祈も羨むベビーフェイスなのだが、それを今非難するのは薮蛇というもの。
蘭は再びカメラを下ろし、折衷案を繰り出す。
「じゃあ、ボイスレコーダーっていうのはどうでしょう?勿論今日中に全員居残りして聞かせてくれとは言いません。日を跨いでで構いませんから。あとはそちらを、それぞれのプロフィールでうまく編集しますよ」
この遠慮のなさ、変なところで譲歩的な交渉術はどうしたものか。進次とクリウスは納得した所があるように頷くが、険悪な雰囲気は拭い去れない。
「OK、じゃあ手短に行こう。質問は3つまで、それでいいかい?」
クリウスが他4名の意図を汲み、蘭に返答を投げ返す。蘭は少し不服そうに口を尖らせながら、スマートフォンのボイスレコーダーを起動した。このまま没交渉となるより、妥協を瞬時に選んだ結果だ。
「じゃあ、まずは班長さんから。よろしくお願いします」
「クリウス・ブランカーさん。まず、ミトスになった経緯を教えてください」
一同の視線がクリウスに注がれる。入社試験、というものがあればこんな雰囲気だったのだろうか、と進次が連想しながら、クリウスに注目する。
「そうだなぁ。まず、俺が白紙者であることが基因してくるかな」
「白紙者……その、聞きづらいんですが、世界最高峰の仕事人ということしか知りません。あらゆる業種、職種をこなすエキスパートだとか。その中には、ええと、口にするのが憚られる闇稼業もある、とか」
蘭が少し戸惑ったように目を空の闇に泳がせる。進次と焔、満祈は改めて突き付けられた事実に瞳を伏せながら沈黙する。
子どもの頃は、気にもかけていなかったその事実。クリウスの人柄が周りの大人達にそうさせなかった確かな信頼もあるが、それでもクリウスは白紙者、名前を剥奪された社会の「闇」なのだ。
そんな人間が、こうして人を教え導く光指す世界で燦然と生きている矛盾。
時に考えることもある。彼は一体、何者なのだろうか、と。
「ふふ、勉強熱心だね。確かに俺はそういうモノだ。
ただし、なんでもアリな殺戮者と勘違いされるのは困る。なにしろ社会から、『世界』からその名前を剥奪された存在だからね、『俺たち』は。基本的には、君たち善良な人々を守るための防衛機構だ。
世界に仇なす悪が現れたなら、最前線に立ちこれを討つ。それが人間だろうと、虚獣だろうと、他の想像もつかない何かであろうと。俺たちはそう望まれたからこそ、その声に応えた。
………ま、俺みたいにこうして一つの街に留まり続けて、あろうことか戦いから目を背けている臆病者もいるけどな。そこはハズレを引いたと諦めてほしい 」
最後に見せた、自嘲気味なその笑顔を、彼らは忘れられなかった。
臆病者?今もこうして人々の希望たらんと努力を惜しまず、その両手で様々な子ども達の可能性を見捨てず、向き合い続けてきた、彼が?
「-----なるほど。ではクリウスさんがミトスであるのは、一重に人々のため、白紙者の責務であるから、と?」
「そう捉えてもらって構わない。失望させたかな、ごめんよ。俺にはおよそ人並みの失意も、憎悪も、決意も。そういった情熱はないんだ。ただ人々の敵だから斃す。そういう兵器と変わらないんだよ」
どこか孤独そうに閉じられた、燃える朱の瞳。
質問は3つ。その総てを以て得られた答えに、蘭は失望はしなかった。進次をはじめとした第6班の面々は、ただ「何故」と戸惑った。
休憩時間の終了を告げるホイッスルが鳴る。またひどく辛い修練の時だ。
「さあ、俺の身の上話はここまでだ!気を落とすなよ、それでも一つ、俺は大切なモノをお前さんがたから貰ったんだから」
全員が顔を上げて、立ち上がる。蘭は録音を切らずにいたことにほっと胸を撫で下ろしながら、四つ目の質問をする。
「それは、なんですか?」
クリウスが白い歯を覗かせながらグラウンドに振り替える。そうした方が格好がいいと考えたのだろうか、実にベターだ。
「若者を見守りたいってお節介。老婆心ってやつさ」