第六章/chapter4 幕間:聡明なるかな 花の女王
夏の花々の添えられた花瓶、絢爛とは言えないが、客人をもてなすにはシンプルすぎない調度品。
塔機関澤館支部長、剛文利は実に悩ましげに麦茶を口に含み、その冷たさに固く閉じられた真一文字の口を、より一層結び付ける。
澤館ミトス隊隊長の矢崎綾がその仏頂面をやや辟易としながら横目に見る。そして目の前で唾を飲む聖修高校教頭と、映像部部長の菖蒲池蘭に切り出す。
「-----確かに拝見させていただきました。少し新人に焦点を絞りすぎなきらいはありますが、私はこの内容で問題はないかと」
教頭が安堵しながら額の汗を拭い、蘭が小さく「よしっ」と勝利宣言をしながら、動画プレイヤーを閉じる。
何をしていたのか?無論、昨晩のミトス達の活動を編集した動画を、公開に値するかどうか、顧問である教頭とミトス隊代表の綾、そして統括である支部長の文利を交えて審議していたのだ。なんでも、教頭は他の会合で席をはずしていた内に、蘭が独断で決めてしまった取材期間の延長。神経質な様相が頭髪に顕れている彼と蘭の押し問答は、それはそれは苛烈だったと、部員イニシャルH.Mは後に語る。結局、理詰めを制したのは蘭であったからこそ、こうして正式に文利と綾が聖修を訪れているわけだが。
「……ひとつ、いいかね?」
重く臓腑に響く声で、文利が訪ねる。教頭は顔を白く染めながら、どうにか平静を装うように文利のグラスに麦茶を注ぐ。
蘭もまた、文利の存在感に気圧されないよう瞳に力を込める。なるほど、これは大した偉丈夫だ。根っからの文系である教頭が痩せ鼠に見える。
「隊長の矢崎くんの言っていた通り、この映像は明確に、新人の彼。天野進次と言ったか。彼を中心、主観においた編集のように思えた。班全体を通して、ではなく、だ。なにか、理由あってのことかな?正当でない贔屓であれば、考え直してほしいと思ってね」
「菖蒲池さん、どうなんだい?」
教頭はすっかりご機嫌取りに執着している。しっかりしろ、と言わんばかりに蘭が横目に睨み、やがて文利に向き直る。
「ええ、理由はありますよ。
いいですか?これはすでにただの報道ではありません。ミトスの在り方を、虚獣には屈しないと言う強い意志を伝えていく、そんな人々の情熱を伝えていく記録なんです。
そこには、主点となる主人公が必要です。例えば、その集団を熟知したリーダー。例えば、その記録を撮影する記者。
---そして例えば、これからその集団のことを学んでいくルーキー。後は消去法ですよ」
なるほど、と綾が腕を組ながらしきりに頷く。
「リーダーたるものは、そう簡単に退陣はしない。つまり取材はいつでもできる。なにより新鮮味がないってわけだ。
記者を主点にしないのは、あれかな。事実を伝えるドキュメンタリーに、記者の独断と偏見を混入しないようにするため、かな。
そうなると、記録として一番色濃く残り、かつ視聴者と一緒にその集団を学んでいくことができる、ルーキーに視点が行くわけか」
蘭が満足そうに頷きながら、綾に握手を求める。
「本当はそこに、ベテランという選択肢を入れるべきなんですけど、昨日の顔合わせ時点で、皆さんわりと若い方ばかりだったので、班長のクリウスさんをベテラン枠とカウントさせていただき、除外しました」
握手を組み合わす蘭と綾を横目に、未だ納得しないように文利が深く椅子に腰を埋める。
「いいじゃないですか、支部長。正直、高校生でそこまで考察して動画編集ができるなんて、俺は脱帽しますよ。将来有望な彼女に免じて、首を縦に振っていただけませんか?」
「………ふむ。確かに、評価されるべきモノは評価するべき、か。では、暫くは聖修高校の方針に従おう。ただし、アップロード先は飽くまで塔機関のチャンネルでお願いしよう」
「え、やったあ!つまり塔機関の情報機関室に入れる!?」
蘭が白々しく熱狂する。そうはいかないといわんばかりに、文利が言葉を続ける。
「---無論、データはここでコピーしたものを頂いていく。あそこは澤館支部の頭脳だ。部外者を入れるわけにはいかなくてね」
わかっていたことのようになぁんだ、と呟きながら蘭が記録媒体(SDカード)に動画のコピーを始める。教頭の充血した睨みも意に介さない。
「私、少しお手洗いに……」
「あ、俺も案内してもらって構いませんか?実はちょっと下痢ぎみで……」
教頭がついに胃痛に耐えかねて、席を外そうと立ち上がる。綾もそれに便乗するように立ち上がり、教頭の案内で応接室をあとにする。
「-----ふう、それにしても」
蘭がどこか、先程までのはつらつさを失った気だるげな瞳で文利を睨む。二人きりになったこの応接室は、まるでグラスの結露さえ氷結しそうな冷ややかな空気が流れる。
「支部長、彼、天野進次は何者なんですか?ひどく執着なさっているようですが」
文利はゆっくりと、煙草を一本取り出し、古典的なマッチ箱で火を点ける。燻らせる煙は、まるで蘭のかけた鎌をすり抜けるかのように、否、肉持つ煙のように押し退けながら、答えを一蹴し、逆に問い返す。
「君こそ、観測対象に深入りしすぎではないかね?立場を忘れては困る。君は飽くまで観測員、そして探索者だ。
観測対象No.37,800、彼の「英雄」としての成長度合いを見極めること、そして特異点947,700、彼女の発見。そして『奴等』より先に確保すること。
この程度の二つのタスクをこなせないようでは、末席にいる価値すらない。今は亡き君のお父上は、さぞ嘆いていることだろうよ」
「っ!!」
蘭が一際大きくエンターキーを叩く。が、予定外の挙動を見せ始めたノートパソコンに思考を瞬間冷却され、静かに修正を始める。
「『英雄』……英雄ですか。ならばこれは、私なりのアプローチですよ。あなた方頭の凝り固まった塔機関の方々とは違った、私なりのね」
「御託はいい。ともあれ、舞台は週末整う。ミトスは、英雄たらねばなならない。……忘れ去られる存在では意味がないんだ。『花の女王』よ。君が何を企み、何をするつもりなのかは知らない。だが忘れるな。
『より高次、人間が[万象の書庫]へと至る[塔]を築き上げん』。腐っても別れても、それこそが我々の目的なのだから 」
蘭は黙ったまま、SDカードの読み込みを待つ。どこかで盗聴されていたらどうするのか、と肝を冷やしながら。
いづれにしても、蘭は、花の女王として生きていかねばならない。それこそが、蘭の父が遺した、呪わしき宿命なのだから。