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虚ろの獣使い  作者: 松風ヤキ
第六章
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第六章/chapter2 譲の激励Ⅰ

 目を白黒させるとは、まさにこの事。しばらく呼吸を忘れていた進次は食い入るようにその、自分と同じ黒曜の瞳を持った、穏やかなその顔を見つめ、耳朶に残る懐かしい聲の余韻に浸りながら、ようやく、肺を満たしていた二酸化炭素を吐き出す。


「……なんだ。これ、夢か」


そういえば体のだるさは溶けた鉛を血管に流し込んだように四肢を鈍らせ、思考は綿でも脳に詰まっているかのように愚鈍だ。そうだ、これは夢だ。そうに違いない。体がだるいのは寝ていないせい、思考が回転しないのも寝ていないせい。そうやって意識を手放そうと、そうするべきだと速やかに目を閉じようとしたが、しかし。


「夢、だと思うか?」


 明晰夢になったはずの、この夢の登場人物である譲は、夢の主であるはずの進次の意思に逆らい、確かに一つの個のように言葉を紡ぐ。

下ろしかけた瞼を上げて、今一度譲を見つめる。その進次の瞳には、一筋の恐怖が迫りながら、


「………どうして」


 なんだ。この感情は、この恐怖はなんだ?ずっと焦がれていた、憧れていたヒトが目の前にいる。夢の中なのに、口の粘膜はカラカラに渇ききり、見開いた目は目眩を伴いながら平衡感覚を失っていく。

 進次の異常に困ったように肩を落とす譲は、しかし微笑みながら、進次の間合いに踏み込む。


「………………っ!!」


「大きくなったな、進次」


譲が進次の両肩を掴み、ほぼ横並びの視線を向けて、進次の張り詰めた意識のいとをほどいてゆく。緊張から揮発させたはずの潤いを最初に取り戻したのは、その双眸だった。


「父さん………おとうさん………!」


ひしとその身体を抱き寄せる。進次のありったけの膂力で。先程の渇きが嘘のように、溢れだす感情は進次の顔から止めどなく溢れだし、洪水のように慟哭する。


 告白しよう。進次はこの瞬間が訪れることが、たまらなく恐ろしかった。日常の中に置き去りにするほどの、交通事故を懸念する程度の考えるまでもない、しかし無視はできない恐怖。

 進次の剣は、元は譲の剣。それを実感させられる追憶は、入隊式の時に味わっていた。

間違いない。この蓮剣には、譲の魂が宿っている。だからこそ抱き続けた恐怖。


(死んでしまった。僕のせいで死んでしまった!……きっと憎むに違いない、許さないに違いない。

でも、僕は大好きだったんだ。死んでほしくなんかなかったんだ!…………嫌われたく、なかったんだ)


「ごめんなさい……!ごめんなさいごめんなさい……!僕のせいで、僕のせいでおとうさんは、あなたは……!」


「いいんだ。お前は、私の一番の宝物だからね。いいんだよ、進次」


譲はゆっくり進次の腕をほどきながら、ぐしゃぐしゃのその顔を見つめる。その時初めて、譲の体/魂が、末端から朧気に透けていることを知った。


「いいかい進次。私にはあまり時間が残されていない。だから、簡潔に話すよ」


「時間が……?なにが、どうして……?」


進次の困惑、その時間すら惜しそうに唇を噛む譲。しかし、決して焦り、誤りを告げることだけは無いように、深呼吸を一度。


「一人きりで抱えられる荷物(しあわせ)には、限りがある。ああ、それを続ければ、いつかその愛にこそ潰されてしまうこともあるのかもしれない」


この際譲が進次の何を知っていて、何を語ろうとしているのかは聞かない。しかし進次は涙を拭い、まるでほしいものが手に入らない子どものように眉を潜めながら、精一杯の悲鳴を上げる。


「じゃあ!……じゃあこの手の届かない誰かの涙を思うのは、その人の幸せを守りたいと思うのは、いけないって言うの………?」


 膨張した欲望。幸福の護人。以前の進次は、せめて自分を取り巻く人々だけは……。そうやって幸せを願い割り切っていたが、今は違う。

新たな一歩としてミトスとなった進次は、少なくとも澤館の人々の幸せを、牽いてはそこからより多くの人々を守ることに、この手が届く守護の領域を広げようと画策していた。


それが、この世界を守りたかった父の、譲への償いになるのだと信じて。


 しかし進次は知ってしまったのだ。この世界を狂わせていた、大いなるモノの手が迫っていたことを。その悪意が一人の少女の人生を食い潰してしまった怒りを。

 ただの隣人として幸せを願う彼女に、紛れもない悪が巣食っていることを。


「そうじゃない。『一人きりで』と言っただろう?なら、答えは一つさ」



『……じくん。進次くん』



遠雷のような呼び声、進次はこの石室の夢から階段を辿るように、譲から剥離していく。


「おとうさん!父さん!」


伸ばした手は空を切り、譲は名残惜しそうに進次を見送りながら、最後に、告げる。


「忘れるな。お前は、独りぼっちなんかじゃない。向き合うんだ。神と人なんかじゃない。唯一人の、お前の守りたい隣人として」




 陽光の暑い眩しさに浮上する。彼方の人は、もう見えなくなっていた。

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