第五章/chapter3 聞き上手ナターシャさん
焔と共に、聖修の来客窓口で受付を済ませ、事務員に応接室兼待合室に案内される。時折すれ違う生徒達の興味の目に晒されながらというのが、少しこそばゆい。
「あ、しんでぃー、ほむほむ。ハロー!」
そこには既に少し固めのソファに腰掛けながら、出された茶に手をつけているトーマとナターシャの姿があった。クリウスとディビッドはまだ到着していないらしい。いや、むしろ
「クリウス先生は……あれですか。ディビッドさんを連れてくるのに一苦労してる、と」
「そうなんじゃない?もう決まってる話なんだから、観念すればいいのにねー」
ナターシャがやれやれと肩をすくめながら、グラスを机に置く。
応接室の命の温もりを感じさせる1枚板の机を挟み、焔と進次、トーマとナターシャが向かい合う。思えばこの一週間、訓練に次ぐ訓練で、休憩時間の僅かな談笑こそあったものの、このように茶を前にまったりとする機会はなかったように感じる。
折角の機会だ。少し気になっていた、トーマ達の話を---。
「そういえばこんな風にお茶するのは始めてかもね。しんでぃーのお話とか、ほむほむとの馴れ初めとか、色々聞かせてよ」
しまった。先手を打たれてしまった。この中では一番の新参者の進次から積極的に話を切り出したかったが、ナターシャの歯に衣着せぬ饒舌さが一枚上手だった。
ナターシャは最早ここが喫茶店、或いは自分の部屋かのように寛いだ背で、机に出された沢庵や果物に指を伸ばす。
「えっと、僕らの話ですか。そんなに面白いことはありませんけど……」
思えば、焔はすでにトーマやナターシャと知己の仲。話すにしても、彼らの関係性を紐解いていく必要がありそうだ。
(そういえばそうだ。焔が心の森を出て、ミトスになって……その辺のこと、なにも知らなかった気がする。僕が知らない焔……か)
焔と彼らの仲は良好ではありそうだ。焔とナターシャは楽天的な者同士、気心が知れているであろう事は言わずもがな。そして、互いに一線を引いてはいるようで、アンタッチャブルな話題には触れないよううまく距離感を掴んでいるように見える。
一方トーマ。基本的に感情の起伏をあまり見せないトーマに、焔から働きかけている関係性に見える。無愛想、鉄仮面。しかし感情を殺しているにしては、焔の言葉や冗談に細やかに、鋭くツッコミを入れる辺り、実は水面下で彼らの関係性を操っているのかもしれない。
「それじゃ、つまらない話でも一つ。本当に大したものじゃないんですけどね、僕と焔の馴れ初めなんて」
確かに、と頷く焔の顔はしかしどこか、眉を潜めて悩ましげだった。あまりいい出逢いではなかったのは確かだろう。しかし、それは過去の話。進次は進次なりに、築いてきた友情と兄弟愛を懐かしみながら、その物語を読み返していく。
母との離別から救われた話も---。
同じ過ちを犯した少年たちの恐怖も---。
共に奮い立ちミトスになることを誓った夕刻も---。
時には過つ滑稽な日常も---。
すべて、すべて。進次と焔が過ごしてきた、黄金の時間なればこそ。隠し立てせずに、真摯に。
ナターシャは時に目に涙を溜めながら、時にここが学舎ということを忘れたように笑いながら、聞き届けた。
なんだか不思議な気分だ。ナターシャの一喜一憂はひどく承認欲求を刺激して、かつそれらを満たしてゆく。聞き上手の一枚上手、感情移入をするのが上手いのではないだろうか。まるでそれは、魂の色を染めやすく、形を変えやすい、純粋無垢な依代のように………。
「---でさ、進次のやつとうとう耐えかねてスズメバチの巣を掃除機のノズルで破壊しやがったの。グシャーンって。いやぁ、ありゃ焦ったぜホント。煙幕でスズメバチが弱ってなけりゃ袋叩きだってのにさ。甘く見すぎだぜ、反省しろよ?」
「うっ……ごめんって。でも、初仕事だよ?初めての仕事がスズメバチの巣の解体なんてハードル高すぎでしょ?そりゃ取り乱しもするよ……」
ナターシャが戦々恐々とその話題を聞くなか、ドアがノックされる。どうやら遅れていた彼らが到着したようだ。
「どうやらお喋りはおしまいみたいだね。ありがと、とっても面白かったし、ためになったよ。これからも一緒に頑張ろうね」
ナターシャがそっと、進次の右手を両手で包み、握手を交わす。
「はい。僕のできる範囲でよければ。それと、その」
進次がおずおずと瞳を伏せながら言い澱む。ナターシャが首をかしげながら、その瞳を覗き込む。
思えば、自分の在り方を語るとは勇気を必要とすることだ。ナターシャ、終始無言だったが刻々と刻むように頷いていたトーマは、それを受け入れてくれたが、果たしてソレを求めたときに応じてくれるかどうか。
「……ああ、今度はトーマやナターシャの話も聞いてみたい、ってことだろ?」
思わず隣の焔に振り向く。どうしてこう、進次の思惑は焔にエスパーのように筒抜けなのだろうか。一抹の恥じらいを頬に出しながら、進次が頷く。
「その、やっぱり気になっちゃって。トーマさんとナターシャさんが、どんな道程を辿ってこの澤館にやってきたのか、どんな思いでミトスになったのか。できればそれが、僕たちと同じだったら嬉しいな……って」
ナターシャが困惑したようにトーマに振り返り、トーマが密かに息を吐きながらその身を乗り出し、机の上で手を組む。
「そうだな……いづれ話そう」
再びノックの音が響く。今度は少しテンポを上げた苛立ちを乗せたように。どうぞ、とトーマがドアの前で待ちぼうけを食わされていた人物達を招き入れる。ひどく不機嫌そうなディビッドと、いつもながら鋭くも穏やかな眼差しのクリウスが申し訳なさそうに苦笑いを浮かべながら入室する。時計を見れば、午後1時30分。30分もの遅刻をしていたことを知る。
「待たせたな。さあ、映像部の部室にお邪魔しようか」