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虚ろの獣使い  作者: 松風ヤキ
第五章
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第五章/chapter1 宗崎の朝 朝拝

 朝焼けの中、進次の振るう蓮剣が鋭く空を切り、足取りは宗崎邸の庭の砂利を踏み散らしながら、丹念にその感触を確かめている。剣の道は一日にしてならず、特別に休む理由がないのなら、進次はこうして宗崎邸でも怠けることなく、日課の剣戟の鍛練を行うのだった。

もっとも、いつもならクリウス達と打ち合うことも想定した安全のための竹刀だが、宗崎邸にそのようなものはない。あって龍凪大社の儀礼用の刀くらいなものだろう。当然、そんな貴重なものを借り受けるわけにはいかず、ともすれば進次はまだ、この蓮剣に慣れていない。修行にはいい機会といえばいい機会だ。


「ふう……。流石に金属製、重いな。それを片手で扱うなんて」


右手を覆う籠手剣の重みに痺れそうな感覚を覚えながら、ゆっくり納刀。

刃渡り70センチメートル、加えて籠手が付き、これも金属製。およそ2キログラムに、振るうことでかかる重心の変化、遠心力。変身して身体能力を強化しているならば小枝のように軽いものだが、生身の半人前が片手で振るうには、まだ些か重いのは仕方がないのかもしれない。

 回りを確認、誰も見ていない。汗ばんだTシャツを脱ぎ去り、上半身裸になる。手首、肘、肩の患部を汗で凍傷を起こさないようタオルで拭い、アイシングスプレーを吹き掛ける。


「っ~、あー冷たっ。この瞬間のために剣やってると言ってもいいかもな」


などと、密かな楽しみを宣いながら、手早くアイシングサポーターを着用する。

 曙光の差す、止みかけの陸風が流れる日本庭園。踏み荒らした砂利が見劣りさせるが、そこはそれ。あとでしっかり元に戻すことを胸に誓いながら、これから真夏の熱気に包まれるであろう澤館の、密やかな朝の温もりの中、今日の剣戟を身体に染み渡らせるように、確かめるように、酷使した右腕を冷却する。


「進次くん、朝ご飯よ」


よろめきながら、縁側の障子伝いに鈴奈が現れる。昨晩の晩餐会で親睦を深めることができたのは、進次にとっても畳重だった。

彼女の育った道程、譲との関係、10年前に負った、痛み。大海も鈴奈も、問えば誠実に応えてくれた。本当は秘めておきたかったこともあったであろうに、だ。


 彼女はこの宗崎家に末妹として産まれたのだそうだ。年齢はなんと二十歳。見た目が十歳前後であったことから、そこにまず驚かされた。どうやら10年前のヴリトラ、レヴィアタンの無理な降霊から成長が止まってしまったらしい。

 彼女の両親は、一口に言ってしまえば彼女を人間とは扱わなかった。さりとて怪物と罵り蔑みもしなかった。であれば---


「ようやく、ようやく一族の悲願が叶う……!私たちの元にこそ、世界の心臓たる界魂(アニマ・ムンディ)は降臨された!」


---であれば、崇めるほかない。それはまさしく狂気の妄執。この土地を治める、なんのことはないただの伝承の神社の一族は、あろうことか崇めるべき神を鞍替えしたのだ。

 片や、進次の母方の祖母、彼女は鉄の女だったという。宗崎の妄執、それに真っ正面から反発し、これを差し止める手段を求めて袂を別ったのだとか。


(あの優しかったおばあちゃんが、まさかそんな凄絶な覚悟を持っていたなんてな……知らなかった)


 そこで現れた、両陣営にとっての特異点(イレギュラー)、彼こそが天野譲だったそうだ。彼はどこまでも寛容であり、強気であり、また核心的であった。同じ血を引く者同士が相争う未来など間違っている。神として生き続ける孤独を、幼い鈴奈に押し付けてはいけない。

 譲は宗崎と接触、対話を始めた。鈴奈を、ただの一人の少女として向き合い、共存の道を模索し始めた。しかし、それは---。


「進次くん?……どうしたの?」


鈴奈の静かな呼び掛け、その背に触れた小さな指先の感覚に、回想から意識を現在に巻き戻す。どうやら朝焼けの中黄昏ていたらしい。

少なくとも、今こうして鈴奈と忌憚なく交流できている、その絆を結んでくれたのが譲であることは間違いない。


(ホント、敵わないよなぁ)


進次にとって偉大すぎる、そんな父の背中を思いながら、深呼吸を一回。わずかに鼻に染みるみそ汁の香ばしさを感じながら、替えのTシャツを着込み、立ち上がる。


「おはよう、鈴奈ちゃん。今玄関に回るから、先に行ってくれる?」



 進次が玄関から急ぎ足で鈴奈を迎えに回り、その手を引いて食卓に着く。

 今日は日曜日。龍凪大社の参拝客もピークを迎えるであろう大忙しの日頃だ。加えて、あと10日と迫った、龍凪湖上花火大会の打ち合わせや手配なども待っている。これら一挙を若くして取りまとめて、更に日常生活の一切を自分でやっているのだから、大海のカリスマ性とタフネスには舌を巻かされるばかりだ。


「もう、大袈裟ね。私一人で生きてる訳じゃないもの。これでもだいぶ楽をさせてもらってる部類よ?」


とは、大海の弁だが。少なくとも進次が起きて剣の訓練をする時間、午前6時頃にすでに朝食の準備を済ませている時点で、焔に見習わせたいメリハリの付いた生活だ。無論、進次も厄介になっている以上手伝える範囲で手伝いはするが、それさえも客人だから大人しくしていろ、と茶を出すのだから、もはや一種のワーカホリックなのではないかと心配になる。


「あら進ちゃん、おはよう!いい朝ね」


「おはよう、大海義姉さん。朝から勝手させてもらってごめんね」


「いいのいいの、生活リズムの一つを抜いちゃうと、そこから総崩れだもの。気にせずやって。私もこの時間に朝の準備するのは、日課だから」


鈴奈を食卓にエスコートし、進次がその左隣に、大海が右向かいに着席する。

 今朝は里芋とネギのみそ汁に、温玉、小松菜のごま和えと常備菜のきんぴらごぼう、鯖の塩焼き。実に日本家庭の朝食らしい、上品な風景だ。鈴奈の目の前には、目が見えない彼女でも食べやすいようにおむすびが3つ、ユニバーサルデザインのお椀が一つ。


「それじゃ、頂きましょう」


大海の音頭で手を合わせる。今日も今日とて、元気に生きるため、その活力源を胃に、血液に、細胞に染み渡らせよう。


『いただきます』



 龍凪大社の従業員一同が拝殿に集い、その列の片隅に進次も見学がてら参列、この社の本日の最初の拝礼、朝拝の儀を行う。従業員、という言葉は正しくも間違っているかもしれない。正確には神官見習いの若い男性衆、アルバイトも混じった巫女の女性衆、そして雅楽を捧げる神官衆。

皆それぞれに担う役割は違えど、この龍凪大社の御神体である龍凪湖、ひいてはそこに眠る大いなる龍神へと、今日の息災を、その加護を人々へと授けたもうと祈りを捧げていることは間違いない。


(あの石版がこの神社の神器なのかな?ここからだと、何が書いてあるのか……いや、近付いたところでわからないか)


祭壇に蝋燭に煌々と照らされながら鎮座する石版を目を細めて見つめてみるが、進次にはその内容を知るべくもない。重要なのは、これから捧げる祈りに違いない。

 宮司である大海が、絢爛でありながらどこか厳かな慎ましさの装いの両腕で神撰を捧げる。その姿は普段の人懐こさを百パーセント、祷りに紳士な神官への気質へと変換したように、厳格でありながらしかし穏やかな、この澤館を取り巻く山々のような雄大さを感じさせる。

 響き渡る二礼、二拍手、祷りの時間。


(今日も、自分を取り巻く人々が幸せでありますように)


そして一礼。祷りの時は終わった。これから、また新たな一日が始まる。どうか、その祈りが叶いますように。ただでさえ人々の祈りは薄れ、神々は力を失いつつある現代社会だ。

せめてこの思いが、明日を作る活力になりますように。隣にいる誰かを笑顔にできる力になりますように。進次はそう願いながら、それぞれの役職へ歩き出す人々の中、拝殿を後にした。

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