第四章/chapter1 悪夢:始まり 承
それは、必然と言える長い、長いフラッシュバックだった。
少年は、それが夢だと気付くことなく、追憶する。
あっけなさすぎた別離を。
少年の英雄の最期を。
---幼すぎた、自らの[罪]を。
「 ----進次!!逃げてええぇぇぇぇ!! 」
「お母さん!!」
ひどい寝汗の感覚と、目蓋の裏に残る明白なグロテスクの虚実。耳朶に響いた、叫ぶ女の声。
気が付いたら、飛び起きていた。そこは薄暗い白壁の部屋、見慣れない木の枠に囲まれたベッド、そして、
「なっ、なんだ!?何があった!?」
聞きなれない、少年の仰天した声が、このベッドの上から聞こえた。どうやら自分は、どこか知らない場所の二段ベッドで眠っていたらしい。
上のベッドの少年が明かりを点け、梯子を伝って降りてくる。自分より年上らしい、琥珀色の瞳の少年。
だんだん思い出してきたように、進次の頭脳に冷静さが蘇ってくる。
この少年の名は神山焔。現在いる、この防護施設を目の前にして、虚獣に襲われた人々の混乱の中で母とはぐれた絶体絶命を救ってくれた恩人だ。
「どうした?大丈夫か!?」
焔がひどく慌てた様子で、進次の肩を掴みながらその矮躯を揺さぶる。まるで、脳みそがシェイクされているような加減の利かなさだ。
「あう、あう、待って、とま、止めて!」
進次の必死の返答に、焔がやり過ぎたことに気付き、その手を緩める。
「はっ、ごめん。つい慌てちまった。大丈夫か?何があったか、話せるか?ゆっくり、そう、ゆっくりだ。落ち着いて、整理しながら話そう」
今度は奇妙なほど平静を保った(つもりの)焔が、進次をリードする。まだ揺さぶられた頭は平衡感覚を取り戻せず、クラクラするが、焔の言う通り、何があったのかを、順を追って話していく。
「なに?お前のお母さんが、虚獣に食われる夢を見た?」
冷静に話してはみたものの、やはりこの心を襲う焦燥は、むしろその勢いを増し、進次を駆り立てる。
「そう!だから早く、早く助けに行かなきゃ!」
進次が焦り、急かすように靴を履きながらベッドから立ち上がろうとする。焔は険しく眉間に皺を寄せたまま、進次をその場に今一度座らせる。
「なにするの!?早く、早く行かなきゃ---」
「馬鹿!こういうときは、まず慌てないで、施設の人とミトスに相談するんだ。あれからだいぶ時間も経ってる。もしかしたら、お前のお母さんも避難し終わって、この施設のどこかにいるかもしれないだろ?」
「でも……」
「大丈夫だ。お前が見たのは、飽くまで夢だ。本当じゃない。第一、おれたち子どもだけで外に出してくれるわけないだろ?」
焔に窘められ、言葉を飲み込む。確かにあれは夢だった。しかし、あんなにもリアリティに溢れた、目蓋を閉じれば蘇る、あの酒池肉林の光景を、夢と切って捨てることができるほど、進次は冷静でいられないことも事実だった。
「天野蛍さん?」
「うん。ぼくのお母さんなんです。髪が短くて、左目の下にほくろがあって……。まだ来てないですか?」
施設のメインゲートのシャッター、その裏側に設けられた受付で、母親の蛍の情報を求める。受付の女性職員が頭を痛めるようにしながら、手元の紙資料とデスクトップパソコンを睨む。
ほどなくして、館内放送で呼び出したほうが早いことに思い至り、マイクのスイッチを入れた。
『館内の避難者様に、迷子のお呼びだしを致します。木之幹区 納琴よりお越しの 天野 蛍様 天野 蛍様 お子様が、総合受付 迷子センターにてお待ちです----』
アナウンスから、5分-----。
10分-----。
「ぼく、ちょっといい?」
落ち着きなく、入り口シャッター前を右往左往していた進次に、先程の女性職員が声をかける。この10分間、命からがら逃げ延びた住民が成した列はほぼ途切れ、かと思えば、担架に乗せられ痛みに呻きながら運ばれた住民を一度だけ見かけ、焦がれるように蛍の安否を心配していた。
声をかけられたと言うことは、まさか---。
「落ち着いて聞いてね?避難した人の名簿…お名前表を確認したんだけど、ぼくのお母さんの名前、まだなかったみたいなの」
「そんな……!じゃあ、お母さん虚獣に食べられちゃったの!?さっき見た夢みたいに……!助けて、助けてよ……!」
「え、夢?なに言って……大丈夫、大丈夫だから落ち着いて?」
進次は涙に震える声で職員にすがりつく。ここに来て不安は臨界を迎え、最早目につく大人と言う大人へ喚くように、ソレを吐き出していく。
「すみません、うちの弟が」
困り果てた職員、憐れみの目が周囲から向けられる中、まるで沈みきった空気をものともしないように現れたのは、焔だった。一体今までどこに行っていたのかは定かではないが、この場には不釣り合いな社交性ある苦笑で、進次の肩を抱きながら頭を下げる。
「え、弟?でも、避難者名簿には---」
「さ、進次。お姉さん困らせちゃダメだろ?一旦部屋に戻って落ち着こう。な?」
いやに演技がかった朗らかな声、せかせかと進次の背を押して、一刻も早くこの場を離れようとする不自然さ。まるで、悪戯がばれないか肝を冷やしているかのような---。
「おれに考えがある。お前のお母さんを助けにいくぞ」
泣き止まなかった進次の嗚咽を止めたのは、そんな、子どもながらの精一杯の正義/悪巧みの囁きだった。