第三章/chapter8 不安と共に生ける仲間
「報告は以上です」
白い壁に行儀よく並ぶ賞状、勲章の数々。降りしきる夕立の霞色と、夕刻を告げる茜色の入り交じった空を写し出す閉じきりの窓ガラス。飾り気のない、蛍光灯の照明。
ここは塔機関の最上階、支部長室。班長のクリウスを始めとした、今日虚獣と交戦したミトスである、進次、そして焔は急ピッチで報告書を作成し、こうして報告に召喚されていた。
「ご苦労。ブランカーと神山は下がっていい」
「………?」
クリウスが横目で進次を見つめ、焔が訝しげに眉を潜める。進次は静かに息をのみながら、クリウスと焔の顔を交互に見上げる。
「うちの天野に、何か?私も班長として、彼に至らないところがありましたら、この場でご指摘願いたいのですが」
「俺……私も是非拝聴したいですね?」
クリウスと焔が助け船を出す。正直に、よかったと胸を撫で下ろす。この手の居残りは、たいがい悪かった点への叱責だろう。現に支部長、文利の顔は厳しく口を真一文字に閉じ、その眉間には深く皺が刻まれている。悪い話なのは間違いなさそうだ。
文利が呆れたように、諦めたように一息、ため息を吐きながら、支部長の席から立ち上がる。その堂々たる偉容、まるで、今にもミトスとして戦えたであろう壮年に近しい体つきは、進次を強く威圧する。
「では聞きたまえ。天野進次。君は、今回の作戦中、あろうことか一般人に………それも年端もいかぬ子供に、近隣住民の避難誘導を依頼したそうだね?」
---心臓が、強く、痛いほどに強く脈打った気がする。必死すぎて忘れていた。そうだ、進次は---。
「もし、彼だけでも避難させておけば、救出は君一人で事足りたはずだ。それを君は、訓練も受けていない子供に押し付けた。結果はどうだ?その少年と、彼が避難誘導するはずだった一団は、虚獣の襲来を受けた。
現在、その少年のカウンセリングを行っている、ランスロットとスプリングフィールドがあと一秒遅れていたら……どうなっていたと思う?」
焦点が合わない。文利の体はいよいよ巨人に見え、その眼光は目を合わせることが苦痛なほどに、鋭く進次の黒曜の瞳を射抜く。
「ちょっと待ってくださいよ」
焔が口を開く。その、親友の声に、凍結しかかっていた魂が、どうにか生気を取り戻す。
「話は聞いてます。確かに進次の選択は、返って危険にさらしたのかもしれない。でも、進次だって虚獣と交戦中だったんですよ?
それに、真っ先に地下避難道に避難しなかったその一団にも責任はあると思いますけど、どうですか?」
焔が食って掛かる。なるほど確かに正論だ。しかし、それは
「では君は、天野が正しい、虚獣に襲われた一団は自業自得だと、そう断じるのかね?
我々塔機関、ひいてはミトスは、虚獣との戦い、その中での救出活動を担う唯一無二の存在であるというのに、救えなければ逃げなかった者の自業自得と。ミトスはそう言っている、それが我々の総意と捉えられていいと?」
文利の畳み掛けるような言葉に、焔が言葉を飲み込む。
「まったく……君は『あの時』から全く変わっていない。天野進次。君のエゴが、多くの人間を危険にさらした。そして、失われた命があった。まさか、忘れたわけではないだろう?」
はた、と。焦点のぶれていた進次の瞳が、釘付けになるように文利の深い闇色の瞳を捉える。
「どうしてあんなことをした!お前が抜け出したから、お前が、お前のお父さんを----」
ああ、不思議だ。どうして忘れていたのだろう。文利は、10年前-----。
「お言葉ですが支部長」
進次の脳内がぐしゃぐしゃにかき乱れる中、クリウスが言葉を紡ぐ。顔面蒼白になりながら、進次はその姿を見上げた。
「確かに、今回の天野くんの判断は決して褒められたものではありまそせんね。それは、私の監督不行き届きです。反省し、再教育に励みます。
ですが、虚獣避難に関して、その誘導を行う人間に貴賤はありません。基本的に既成人が行うことが通例ですが、市の条例として、避難誘導者は年齢不問であったことを、お忘れですか?
加えて、後半のお話は、どうやら支部長自身の私怨も交えていたように聞こえましたが……支部長ともあろう方が私怨で未来ある青少年の精神を握り潰すのであれば、私にも考えがありますが」
クリウスの言葉を食えないように鼻で一笑しながら、文利が今一度支部長席に着く。
「……なるほど。白紙者、なかなか食えない交渉力だ。そうだな。では、再教育は君に一任しよう。
そして、件の避難誘導を志した少年は、市と協議の上いづれ表彰されるかもしれないな。後半の話については、まあ、忘れるといい。話は以上だ。全員下がりたまえ」
(忘れろって……都合いいヤローだな……くそっ)
クリウスに倣って、進次と焔が敬礼し、踵を返す。焔は去り際に、文利に気付かれないよう、横目にその真一文字に口を閉じた強面を睨み付けていった。
「やっぱ俺、支部長嫌いだわ。まあ、お偉いさんなんてのは嫌われるのが仕事でしょうけど?初めての戦いだったんだ。もっとこう………よく戦った、とかあるだろ?」
「まあまあ。 支部長の言い分も正しい。人間、難しいけどな、理不尽に完璧を求められる。終わりよければ全てよし、なんて言える世の中じゃないからな。」
エレベーターで塔を降りながら、焔が口を尖らせ、クリウスがそれを窘める。進次は唇を噛みながら、無力に苛まれていた。
(もし、僕が幾太くんを無理にでも連れて逃げていたなら、幾太くんたちを危険に晒さずに済んだのかな。けど、だとしたら駅前は誰が守ったんだ……いや、そんなことより)
フラッシュバックする。10年前、無惨に破壊された街、血溜まりに生き絶えた、人、ひと、ヒト。そして---。
(ああなっていたのか……?幾太くんも、みんなも、血溜まりの中に?僕が、僕が守れなかったから、僕に、力がなかったから---)
「進次」
焔にかけられた声に、顔をあげる。いつの間にか身体中冷ややかな汗をかき、呼吸を忘れていたのか、肺は酸素を求めてひどく忙しく伸縮を繰り返し始めた。
「その、なんだ。お前はよくやったよ。みんな生きてる。お前が守ったんだぜ。自信持てよ」
「そうだな。よく戦ってくれた。その不安は、生易しく消えてはくれないだろうけど、そんな感情に、恐怖に立ち向かう気持ちが大切だ」
焔が励まし、クリウスが教授する。彼らの声を聞き、圧殺されそうだった心臓が、少し楽になった気がする。
エレベーターが、3階で一度停まる。扉が開き、現れたのは、
「あれ、はんちょー、ほむほむ、しんでぃーじゃん。報告はもうおしまい?」
クリウスが親指を立てて、その問いに応じる。ナターシャとトーマがエレベーターに乗り込み、大人5人で狭くはあるが、どうしてか、その近すぎる距離感に安堵を覚えた。
「そうそう、今日はしんでぃー初めて虚獣と戦って、勝ったんだってね!あのあとは忙しくて話せなかったけど、おめでとう。これで一人前だね」
ナターシャが祝福し、焔が張り詰めていた肩を弛めた姿を確認。進次も思わず腰が抜け、壁にもたれかかった。
「あ、ごめんなさい。ちょっと腰が抜けちゃって……」
からからとナターシャが笑い、釣られて焔、クリウス、進次、果てには鉄仮面なトーマまでもに、微笑みが広がる。
ああ、きっと、この仲間なら大丈夫だと胸を撫で下ろす。
未だ進次は未熟であり、きっと、何度でもこの不安を、恐怖を抱いていくであろうミトスとしての生き様は。
こうして笑い合える仲間ができたのなら、共に生けるのならば、きっと。