第三章/chapter4 少年の誓い
GRRRRRRR!Uuuuuuu!
『虚獣、発生、虚獣、発生 澤館市風見区三丁目浜田商事ビル付近にて 虚獣発生を確認しました。
住民の皆様は ミトスの指示に従い 落ち着いて 澤館第三防護施設まで 避難してください』
それは、1班が雑貨店の店主に挨拶を交わした頃だった。
「-----!」
大人達の顔が青ざめる。皆が一様に剣幕を変え、叫び声こそ上げないものの、一丸となって避難行動を始める。町に下ろされるシャッターの鈍色の帳、夏休みの親子は手を引き合い地下避難道入り口を目指す。
「魂、究解」
行動が早かったのは、クリウスも同じことだった。既に抜刀し、その肉体は光と共に魂の鎧を纏う。
赤銅の西洋甲冑に、左頬を走る一条の傷痕から、まるでひび割れたように走る稲妻の刻印。脚絆は同じく赤銅のスカートと黒光りする前垂を纏う。
その姿は重厚でありながら、不思議と軽やかさを感じさせる、タイトな曲線美を描く。
「天野くん、俺たちの出番だ。行けるな?」
あまりの一瞬の変身に呆気に取られていた進次が我に帰り。
否、違う。本当は、周りの大人達と同じく、血の気が引き、恐怖に支配されようとしていた。クリウスが目の前で変身していなければ、一目散に逃げ出していたかもしれない。
「…っ、すみません。行けます!」
不安そうに進次達ミトスを見上げる子ども達と、雑貨屋の店主、真子に恐怖を悟られる前に、両頬を叩き、活を入れる。
「魂、究解!」
蓮剣を抜刀、強く、奮い立てるように震える声で呪文を叫ぶ。この数日で物にしてきた、魂と肉体の裏返し。熱い、燃え上がる溶岩のような闘志の激流が、魂に纏わりついた恐怖を焼き払い、洗い流していく。
そしてここに、二人の伝説は並び立った。
「俺は三丁目に直接向かう。天野くんはこのままアーケードの住民を各個一番近い地下避難道に誘導、全員の誘導が終わり次第、地下道の入り口を巡回、虚獣が現れたら死守してくれ。虚獣が一体とは限らない。くれぐれも、油断しないように」
クリウスの手早い指示に、進次が迷いなく頷く。
そうだ。虚獣と一度も交戦経験がない進次ができることは、せめて百戦錬磨のクリウスが憂いなく虚獣討伐に向かえるよう、人払いを完全に済ませること。
「天野くん……」
「ぐすっ、しんじくん、こわいよお……」
不安そうに進次を見つめる真子、ついに耐えかねてすすり泣き始める子ども達。
「-----」
進次の胸に去来する、様々な思い。不安、恐怖。しかしそれだけにあらず。
ようやく、この時が来たのだ。不謹慎なのはわかっている。だが、今、進次が最大限に感じている感情、それは、勇気。左手で泣きじゃくる子どもの頬を拭いながら、英雄は高らかに周囲の人々に告げる。
「大丈夫。絶対に守るから!皆さん、僕についてきて下さい!」
進次が商店街と地下避難道、あるいは商店街の数ヶ所に設置された別の地下避難道に住民を誘導するため、東奔西走して、およそ5分ほど経つ頃。
進次は駅前の地下道入り口のタッチパネルを操作し、避難状況の確認をする。
この端末には、住民が持つ避難パスに相当するモノ、健康保険証、運転免許、学生証などによって、誰が正しく避難しているのかを記録されている。ミトスは、腕章を翳すことで、それらの情報を確認、その区の誰が避難できていて、誰が避難できていないのかを確認することができる。
「……幾太くん、それに……2班のメンバーと、精肉店の安浦さんがまだ避難してない……!?」
これは、非常にまずい。破壊音はまだ聞いていないが、動けない状況にあるのか、それとも---。
「進次くん!」
その呼び声に、驚きながら安堵する。振り替えるとそこには、息を切らせて駅前にたどり着いた幾太の姿があった。
「幾太くん!よかった……無事だったんだね」
「---それが、進次くんのミトスの姿なんだ。なんていうか、すごい、ね」
幾太の驚嘆の顔に、少し気が緩む。なにしろ最悪のケースを考えていた直後に、こうして五体満足な避難住民を迎えられたのだから。
「ともかく無事でよかった。さ、ここから地下道に避難して。あとは僕に任せて---」
「いや、オレも戦うよ!まだ虚獣は倒されてないんだろ?なら、一人でも多く助けに行った方がいいはずだ。そうでしょ?」
「なっ」
絶句する。幾太の目は、自分ならやれる、と疑うことなく進次を見つめ返している。だが、それは。
「だめ。これはクリウス先生の訓練とは違う。ミスが本当に命を落とすことに繋がる、『戦い』なんだ。君が出る幕じゃない!」
進次が厳しく、戒めるように幾太に言い放ち、その右腕を掴む。
こうまで厳しく窘める進次を初めて見た幾太は、動揺に喉を震わせながらも、しかし食い下がる。
「でも-----」
「だめだ!」
進次の黒曜の瞳が、幾太を圧倒する。怯えが走る幾太の夜色の瞳。
(…しまった。またやっちゃった)
進次がまた、この瞳で相手を圧殺してしまったことに後悔しながら目をそらし、それでも幾太を守るため、地下道のゲートへと、その手を引いた。
---刹那。
「進次くん、上!」
「っ!?」
幾太の咄嗟の叫びに、幾太の手を携えたまま、10メートルの間合いを左に跳躍する。
GGGGi…GyAAAAAA!
そこには、ゲートの扉を一撃でひしゃげさせる大顎の鰐。体長はおよそ3メートル、体高1.5メートル。注目すべきは、その歪な尾。何がどうしてそのような生体になったのか。高々と掲げた尾には、巨大な蠍の針がてらてらと毒液を光らせている。
名を、蠍尾竜。メソポタミアの地母神・ティアマトの11の怪物の一柱。
---進次が、10年前に遭遇した、初めての虚獣だ。
GaG……GAuGAu!
蠍尾竜は餓えた獣の如く、喉を鳴らしながら進次と幾太に、一歩、また一歩とにじり寄る。後方に見えるのは、その激突で大きく歪み塞がれた、地下道の入り口だ。
「-----」
状況は最悪。幾太を逃がす一番近い入り口は塞がれてしまい、しかしあそこを放棄して幾太を別の入り口に逃がすために離脱すれば、蠍尾竜はあの強靭な顎で簡単に歪んだ扉をこじ開けて、地下道の避難民達に牙を剥くだろう。
そして、まだ避難が完了していない2班のことも気がかりだ。扉を守りながら、幾太を逃がし、同時に2班を助けにいく……。どうすれば、それを実現できるかだろう?
「進次くん」
幾太のささやきが、耳に入る。嗚呼、今は幾太の我が儘に付き合っている暇はないというのに。脳細胞が知恵熱に破壊されそうな感覚に陥りながら、呼吸が乱れていく。
「オレ、ここに来る途中、見たんだ。2班のみんなは、まだ逃げれてない。安浦精肉店の奥に逃げ込んでたんだ」
「!? それ、本当に?」
蠍尾竜からは目を逸らさずに、必死に幾太の言葉に耳を傾ける。安浦精肉店は、アーケードの東回り、その第3店舗に当たる。つまりこの駅前からほど近く、しかし駅前の地下避難道からはある程度距離のある場所にあると言える。ココを目指すよりは、東回り6件目にある地下道が近い。
「ここにいても、オレが邪魔になるのはわかってる。でも、2班のみんなも無視できないだろ?だったら、オレが逃げながら助けにいく。それなら……」
GGgu……GyWGaa!
痺れを切らしたように、蠍尾竜が進次と幾太に飛びかかる。進次が幾太の手を引きながら、今度は右に跳躍。どうやらこれ以上の会話は、難しそうだ。
判断するのは一瞬だった。自分が、幾太と同じ立場だったら、何をするか。何をするべきか?
(考えるまでもない、か)
迫る蠍尾竜、帯刀し、幾太を抱える。今度は真上に跳躍して、そして---。
「幾太くん、受け身!」
やや乱暴に、駅前に広がるスクランブル交差点の方向に向けて、幾太を放り投げる。直後、再度抜刀し、高々と掲げられた蠍の尾を、落下の重力に任せて一閃、斬り飛ばした。
Gi…GyAAAAAA!?
苦悶を溢す蠍尾竜。幾太はと言うと、回る世界に翻弄されながらも、玉のように転がりながらダメージを流し、見事にアーケード入り口にたどり着いた。
「いいかい!君がするのは、飽くまで2班のみんなと別の地下道まで逃げること!絶対に、戦わずに逃げるんだ!」
進次が幾太に届くように、高らかに叫びながら、水鳥の構えを取る。相対するは苦悶に怒れる蠍の尾を無くした大鰐一体。
誰が見ても、これは愚策だ。守るべき市民に、それも見知った仲ならなおのこと、救出を託すなど。こんなことが知れれば、ミトスの評価は地に落ちるのは道理。
だが、それでも。救いたいと願う少年の心を無下にしてしまうことは、進次にはできなかった。
---それは、少年が願っても叶わなかった、認める心---
「---任せて!」
幾太は走り出す。進次は立ち向かう。
これは、少年の勇気の誓い。
これは、少年の情熱の奔走だ。
(絶対に、守ってみせる!)