第三章/chapter1 第6班:憩い、ひと滴
凄絶に、繊細に、鋼と肉のぶつかり合う音が、運動場に木霊する。
正直に言えば、昨日よりは闘いになっている。その一瞬の気を緩めが敗因だった。
「腹ぁ!!」
「あうっ」
ディビッドの容赦のないボディーブローが直撃する。込み上げる酸の味、横隔膜が痙攣しかけ、呼吸困難に陥りかけながら、右腕の蓮剣を突き立て、崩折れそうな膝をやっとの思いで奮い立たせる。
「っ………まだまだ」
左半身を覆う外套の感覚は失われていない。進次自身驚くべきことに、まだ変身を保てているらしい。
黒曜の瞳が、金角青鬼を睨み上げる。しかしディビッドは、先程まで立ち込めていた殺気を完全に解いた、一種冷ややかな瞳で進次を見下ろし、
「ばぁか。お前途中からまた我流に走ったろ。気ィ緩めたのはその証拠だ。まずは言われた型を身に付けろ。それまで一切油断するな。次は立てなかろうがげんこつ落とすから覚悟しろ」
ディビッドに胸ぐらを掴まれ、とても助け起こすとは言えない様相で起立させられる。臓腑を震わせた殴打は進次の足をぎこちなく震わせ、とても構えを取れたものではない様に体の重心を乱れさせる。
「いいか。さっきも言ったが、お前がイメージするべきは鳥だ。水鳥だ。
外套は翼。剣は嘴。具足は鱗に覆われた足。翼は広げて圧倒し、嘴は鋭く獲物を捕らえ、足は強靭に水を、敵を蹴散らすためにある。それを頭と体に叩き込め。おら、もう一丁いくぞ」
ディビッドの瞳が点火し、全てを焼き尽くしそうな青の殺気が蘇る。
心底意外だったが。ディビッドは粗暴さに帳消しにされているが、進次の長所と短所を、この数十分にして見抜き、その上で進次に欠けていた闘いのイメージを提示してきた。
それが、水鳥のイメージ。直ぐ隣の、今は夜の闇に包まれている湖に住まう、あるいは、この蓮剣の由来たるインド、あるいはそのガンジスに住まうたくましく生きる、翼ある者達。
(ほんと、思ってもいなかったことを、こんな短時間で指摘されるなんて……)
ディビッドが大地を蹴り、進次目掛けて左手の鉄塊を振りかざす。対する進次は、刃でまともに受けることはせず、右腕を覆う籠手で受け流し、振り返り様に外套を渾身で振るう。
「うおっ」
瞬間、ディビッドの体を真白の外套が打ち払い、吹き飛ばす。無論、たかが織物一枚に吹き飛ばされるほど、ディビッドの体は軟弱ではない。
ただの織物との明確な違いは、この外套が、進次の魂を編み込み具現していることにある。魂とは、端的に言ってしまえば生命力であり、インド風に言うなればクンダリーニであり、中国風なら気功、ラテン風にいうなればイド。
故にこそ、強く魂の姿をイメージすることによって、生命力を渾身で励起することによって、ただの真白な織物が、岸壁を打つ波涛か、はたまた木々さえ薙ぎ倒す雪崩のように変幻することができる。
昨日のただ視界を奪う布切れならいざ知らず、押し寄せる波涛など、いくら変身したミトスとは言え、掴み取るは至難。しかして、これで勝利を確信するほど進次も甘くはない。
「……っ!ああっ!」
痛みに荒ぶる腹の虫と足の震えをを圧し殺しながら、宙を舞うディビッドに追撃の一刺しを加えんと、進次が一息に運動場の土を巻き上げ跳躍する。
狙うはディビッドの右足、外側面。あくまでこれは訓練。致命傷を負わせない程度に、掠めるギリギリを、跳躍から接触のわずか0.5秒で狙い定める。
「上等だお前!」
宙返りするディビッドの怒号が響き、進次が右腕の蓮剣を、「狩る水鳥」の持つ、細く、鋭く湖底を貫く嘴を構え、突き出す狙いとタイミングを見計らう。
---距離、5メートル。接触まで0.2秒
ディビッドが体を捻り、姿勢制御の効かない空中で、懸命の回避行動を取る。
(ここだ…!)
進次の渾身の正拳突き。蓮剣の刃渡りは50センチ。長物は近すぎては振るえない。クリウスとのこの10年間の修行の成果で学んだ、基本中の基本だ。
時速にして90キロ。あるいはこのまま接触しないことを想定すれば、あと10キロは速度が上がりそうな突撃。進次の剣は、狙い通りディビッドの右ももの外側面を掠め、
「………つっ」
蓮剣の切っ先に、わすかながらディビッドの赤が光り、血の気を引かせる。
攻撃は成功。ディビッドがわずかに苦悶の声を漏らし、進次の緊張を爪弾くように揺さぶる。
---その一瞬が、敗因だった。
「うっ…!な!?」
激突を避け、ディビッドの利き腕である左半身を避け跳躍した、そのすれ違い様。時速90キロに達した、ほぼ成人男性の進次の質量、その加速度を、利き腕ではないはずの右腕で捕らえられた。
油断した。そう言わざるを得ない。
「take this!」
進次の加速を、空中で止められるべくもなく。しかしその力を、遠心力のように受け流しながら振り回し、地面に叩き付ける。なんて、物理法則さえ無視したような野蛮な膂力。強引な一撃。
「…っあぁ!」
2度目だ。昨日に引き続き、強烈に背中から地面に叩き付けられ、受け身を取ることもできずに、進次の後半身に激烈な鈍痛が走る。
「よし、ここまで」
クリウスの号令で、互いに肉体をぶつけ合い、切磋琢磨していた第6班全員が武器を下ろす。それとほぼ同じくして、ディビッドが仰向けに倒れる進次の隣に着地し、僅かに痛みに顔を歪めながら膝をつく。
「どう、ですか。一応、届きましたよ」
痛みに顔を歪めながらも、少し、したり顔でディビッドを見上げる。その顔に心底神経を逆撫でされたように、ディビッドが右腿傷口を押さえながら、進次に睨みをきかせる。
「こんなかすり傷でいい気になってんじゃねえ。俺に参った、なんて言わせない内は、そんな無様に寝転がってる内はまだまだよ」
「確かに、負けは負け…ですよね。…あーあ、僕の10年なんて、大したことなかったんだなぁ」
二度の敗北、それも、あたかも全く同じような敗北を迎えた事実に、進次はショックを受けていた。
「さあ、起きろ。休憩だ。休めるときに休み、体調を整えるのも、俺達ミトスの役割だ」
すでに変身を解いたトーマが進次を助け起こす。相変わらずの鉄仮面だが、こうして度々、仲間のフォローを入れる様は、まるで班の敏腕マネージャーと言ったところか。
(まあ普通、そういうのって副隊長の焔がやるもんじゃないのかな……もうドリンク飲んでるし)
少し戸惑いながらも、トーマに礼を告げ、その手を取って立ち上がる。
しばしの憩い。なかなか顔を合わせられないチームの団欒の時間に、ゆっくり歩いていった。
「つう…しかしてめえ、わざわざ足なんぞ狙いやがって」
運動場を囲む、芝生の上、痛みに耐えかねたディビッドが横柄に座り込み、救急箱に手を伸ばす。
「あーあー、こりゃ確かに、思ったより傷が深いな。手ぇ貸そうか?」
焔がディビッドの救急箱を取り上げて、手際よく脚絆をずらして治療に取りかかる。ディビッドは不本意そうに舌打ちをしながら、額の脂汗を拭う。
「あ、待って焔。これくらいなら」
ディビッドの傷口を洗浄、消毒しようとしていた焔をはたと止めて、進次がディビッドの前にしゃがみ込む。
何をする気かと、一同がその傷を覗き込むと、進次は蓮剣を鞘に収め、自身の右手を消毒すると、おもむろに、
「---じゃ、少し痛いですけど、我慢して」
おもむろに、ディビッドの傷口を鷲掴みにした。
「ぐあっ、お前……!」
変化が訪れたのは、ディビッドの苦悶の声が漏れた直後。進次が深呼吸によく似た呼吸をし、鷲掴みにした右手に意識を集中すると、左腕の腕章が淡く光を放つ。その光が進次の全身と、ディビッドの患部に奔流する。
10秒と待たずして光が薄れ、完全に消え去ったことを確認して、進次が右手を放す。そこには薄皮の張った、治った傷口があった。
「おお、こいつは珍しい。天野くんには、【治癒気功者】適性があるのか」
一部始終を見届けたクリウスが驚きながら、ディビッドの塞がった傷口に触れる。
【治癒気功者】。読んで字のごとくだが、気功、魂の縫合を以て傷を癒すことの出来る、ミトスの中でも比較的珍しい部類の適性だ。
肉体と魂は表裏一体。魂の姿であるミトスの、魂という鎧骨格を、正しい呼吸とイメージを以て魂のエネルギーを分け与え、快癒力を一時的に高める療法だ。
イメージするならば、プラシーボ効果のようなものだ。魂に「治す、治る」と強烈にイメージを送り、罹患者の治癒力を高める、そんな療法。
「お~!待望の回復要員だね?そりゃ助かるじゃん、第10班もいつも現場にいるわけじゃないからね」
「そうだな。班員の中に、できることが増えるのは歓迎するべきだ。あとは、そうした立ち回りを、現場で正しく発揮してくれれば御の字、だな」
ナターシャが拍手を送り、トーマが感慨深そうに頷きながら、進次を歓迎する。
「…ま、できることがあるのはわかったが、いい気にならねぇことだ。今のお前の剣じゃ、とてもじゃねえが戦場で役に立つとは思えねぇ」
ディビッドがぴしゃりと冷や水をかけるように、進次に言い捨てる。
「あんたさ、そういうのは進次に手傷の一つも負わせない完勝をしてから言わないか?だいたいみんな歓迎してるんだから、わざわざその和を乱すなって」
焔が顔を曇らせながらディビッドに苦言を呈する。ディビッドはおよそ自分に間違いはないと主張するばかりに、1枚、ガムを噛みながら焔をじろりと一瞥する。
「ミトスの敵は虚獣だけじゃねえ。わかってるだろ?こいつの今の腕前じゃ、ミトス大会を勝ち抜くなんざ、まして【暴走ミトス】を止めることなんざできねえよ」
ディビッドの口から吐き捨てられた、その、ミトスの間では一種忌避さえされている、しかし向き合わなければならない現実。
【暴走ミトス】。ミトスが戦うべき、もう一つの「敵」の呼称だ。その名称こそ一貫しているが、その内包する事情は決して一枚岩ではない。
ミトス武装を用いた犯罪行為に走った者、作戦行動中に錯乱・暴走を始めた者。
ミトスには、圧倒的な制圧力を持つがゆえに、こうした脅威と化した【暴走ミトス】を捕縛、あるいは排除する義務が課せられている。そのための、特殊対策班も各地に配備されているにはいるのだが…。
「暴走ミトスねぇ。澤館でそんなこと起こすヤツはいないと思うが」
焔が半ば呆れたように/その話題を避けるように、スポーツドリンクを呷りながら、ディビッドを見る。焔の指摘に賛同するように、ナターシャも複雑そうに眉を潜めながら頷く。
だって、虚獣でさえ必死に退けているミトス達に、突き詰めて言ってしまえば、あろうことか隣人が暴走ミトスにならないように監視せよ、と言われているようなものだ。そんな疑心暗鬼は誰もが抱きたくはないであろうし、隣人は信じ合うものだろう、とは焔の持論ではあるが。
「ま、暴走ミトスの可能性は、誰しもゼロじゃない。ディビッドくんの懸念も正しいし、神山くんの信じる正しさも、また尊い。少なくとも俺達第6班は、共に肩を並べ続けられる、そんな班でいたいよな」
不安な空気を、霧払いするようにクリウスが笑顔で切り払う。
「まあ、そうした抑止力としてミトス大会で技術力を披露しあう目的もあるからな。少なくとも、俺達の中からそんな輩が出ると考える必要はないだろう?」
トーマが自前のタブレット端末を手にしながら、横目に進次を見る。その視線は、この2日を通しての、トーマの信用を勝ち取った証、なのだろうか。
夜は更けていく。夏の湿り気を含んだ、芝生の上。進次は、この、ひどく近くて、しかしまだ手が届くには今一歩足りない第6班の顔見知り達と、どう向き合っていくべきなのか。自分に、こんなにも弱い自分に、何が出来るのか、思索を始めていた。