第二章/chapter7 剣、拳、一交え
運動場でそれぞれに疲労の色を浮かばせる第1~5班の面々とすれ違いながら、第6班~10班がグラウンドを踏む。
これより先は実技訓練。ミトスに求められる技術は、大きく別けて2つ。大前提である救助技術と、虚獣討伐のための戦闘技術だ。
「さて、こうして新入隊員の一緒に訓練するのは初めてだな。今日はよろしく頼むよ」
班長のクリウスに注目し、第6班が並び立つ。
クリウスが左腰に差す短刀。
焔の右腿に備えられた拳銃。
ナターシャが左手で支える壁盾。
トーマが右肩に担ぐ棍。
それぞれが、意匠の違ったミトス武装を携え、統一感はないにせよ、役割を一目で見分けられる、そんな一団。
進次が心底意外だったとすれば、昨日挨拶も無しに帰ってしまったディビッドがきちんと出席していたことだろうか。その左腕には、修羅か鬼を思わせる意匠の手甲を既に装備し、目付きこそ悪いものの、やる気、或いは闘気を感じさせる。
「はんちょー、今日はどんな訓練するの?」
出し抜けに、最も大切な部分を理解していないかのように尋ねるナターシャ。仮にも進次よりミトスの経験が長いであろうナターシャがそこを把握できていないのは、如何なものか。
「ナターシャさんは相変わらずだなぁ。昨日渡したプリントに、大体の日付別の訓練内容は書いておいたはずなんだが」
クリウスが困ったように微笑みながら、頭をかく。あれ、そうだっけ?などと宣いながら、ナターシャが舌を出してはぐらかしてみせる。
少し、不安だ。班員の年齢層が比較的若く、新生の班であることは進次の目にも明らかだったが、彼らが今までに渡って澤館・風見区1丁目~5丁目を防衛してきた、防衛してこれた事実が、進次のイメージしていた、毅然としたミトスとは違っていた。
「まずは、新入隊員君達の腕を見たいな。その上で、一つ頼みたいこともある」
クリウスが含むように一言、進次とディビッドを見つめる。
「まさか、俺と進次で一戦交えろってのか?訓練校上がりの青二才と、この俺が?」
途端、ディビッドの闘気が急激に削がれていく。そう誰もが感じるほどに、ディビッドが苦虫を噛み潰したような顔でクリウスを睨む。
昨日にも見せた、視線の先の人物を焼くような眼光を受け、クリウスは
「そうだ。これはディビッドくんにしか頼めないことなんだが。
天野くんの戦闘訓練は、ディビッドくん、君に一任したいと思ってる」
怯みの一片もなく、思いがけない提案を宣う。はた、と。クリウスを除く5人の空気が、一瞬停止したように感じる。
「班長、それ本気ですか?なんでまた、そんな」
焔が訝しげにクリウスに問いかける。無理もない。ただでさえ新入隊員同士、転属であるディビッドに一日の長があるとはいえ、信頼関係も築けていない者同士を組ませる必要があるのか。
「考えあってのことさ。
天野くんの剣は、籠手と一体になった形のものだ。通常の刀剣とは扱いが異なる」
この時点で、トーマがなるほど、と腑に落ちたように頷く。
「でも、剣は剣でしょ?はんちょーが教えた方が、その、信用できるんじゃない?」
ナターシャの「信用」という言葉に、ディビッドが小さく舌打ちをする。余計な禍根に肝を冷やしながら、焔がナターシャを一瞥する。
確かに、クリウスは児童養護施設の職員に甘んじてはいるが、仮にも最強の仕事人・白紙者だ。馴染みがある人間の方がやり易いであろうし、なによりブランカーの剣の冴えを学べるまたとない機会というもの。
進次としても、叶うならクリウスに訓練をしてもらいたいと考えていた。
「天野の剣は、手首まで固定された、籠手の先に剣がある攻防一体の物。当然、手首のスナップや逆手に持つ……そういった通常の刀剣で可能な戦術が取れなくなる。
逆に、拳の先に剣があるなら、手甲で戦う者の技術、業を学ぶことで、その欠点を補える……。いや、より洗礼された挙動が可能になるわけだな」
トーマの解説に頷きながらも、ナターシャが釈然としないように首を傾げる。
「俺ぁお断りだぞ。そんなド素人に付けてやる稽古はねえ」
ディビッドが進次を見下し、鼻で一笑する。
少し、苛立ちを覚えながら進次がディビッドを睨みかえし、火花が散るような視線が交差し合う。そうまで言われては、この10年間研鑽を重ねてきた進次の数少ない自負にも火が点くというもの。
だがディビッドは悠然と、一種慢心さえ浮かべた青い炎の瞳で、進次の黒曜の瞳を焼く。時間にして5秒と満たない睨み合いを切り返すように、
「だから、それを見極めるために手合わせをしてくれって言ってるんだがね。戦ってみてこそ、認められるものもあるはずだ。君、そういう主義だろう?」
クリウスの言葉に視線を切り、互いに背を向け、7歩ずつ進んだところで再び向かい合う。
クリウスの言葉はもっともだ。一度仕合わなければ、言葉も重ねられないと確信した、互いに無意識のシンパシー。
「……やれやれ、アイツらホントは仲良いんじゃないのか?」
進次とディビッド、立会人のクリウスを残して運動場の一角はまさに闘技場さながらの闘気に包まれる。進次には経験のない、クリウスの剣術訓練、その打ち合いの比ではない緊張感。
「いいか?お互いに変身してから仕合開始。防御しきった攻撃はノーカウントとして、ダウンを先取、または変身を先に解除させた方の勝ちだ。
急所を突こうとしたり、ダウン・変身解除後の連撃は、なしとする。いくら第10班、医療班がいるとはいえ、致命傷を負い合うわけにはいかないからな」
進次が頷きながら、慣れない手つきで左腰の蓮剣を抜刀、右腕を軸に右半身を前に、これまた慣れない型で構えをとる。
(しかしこれは、思ってた以上に)
右腕を覆う、ずっしりとした籠手の冷たさ、そして拳の先に生えた、鉄の刃の重さたるや。
今日一日を通して分かったことではあるが、常にこの重量の長物を腰に差すことの不便さ、ましてやこんなものに右手の動きを抑制されながら振らなければならないとは、まさに研鑽と慣れが必要であることは身に染みていた。
「では、始めよう」
クリウスの合図に、短く呼吸。
---その魂をつまびらかにする、呪文を一つ、呟いた。
『魂、究解』
瞬間進次とディビッドの腕章の紋が煌めき光り、その奔流に包まれる。肉体と魂。表裏でありながら一体の力を裏返す。或いは肉体の骨子に魂を纏わせ、定着固定。鎧骨格として実体化させる。
「…………っく」
しかしそれは容易いことではない。なにしろ魂、物理的に手に取り扱うことはできないが、確かに存在する、「虚」のような量子。それを肉体に纏い、あろうことか「実」のある鎧として実体化させるのだから。
ミトス武装と腕章は、その投影装置に過ぎず、つまるところ魂を闘気で保つ、精神力こそがものを言う。多くのミトス志願者が居ながら、多くが脱落する理由は、この魂の実体化、その維持にある。それほどまでに、ミトスとなることは艱難辛苦に満ちているのだ。
無理やりイメージするならば、決して火傷する温度ではないが、熱にあてられた金属シートを身に纏い、それを筋骨に根を下ろすように定着させる感覚だろうか。
---魂、究解。
それは言葉の通り、自分の持つ魂を究め、理解することに他ならない。
それはまるで、零、後に無限に至れる覚りのように。誰にでも成し得て、誰でもない己の手でしか掴み取れない「未来」を想うように---
「………ふう」
光が収束し、現れ出でるは魂の御姿。
進次が着ていた運動着の面影はなく、深い紺の武道着に、左半身を覆う真白の外套を翻し、青銅の具足で大地に立つ、一人の戦士の姿に「変身」する。
向かい合うは鬼の似姿。
額当てから夜色に突き立てる金の一角。その瞳と同じく、青い炎を思わせる羽織に、銀の鎖帷子で胸を覆い、その鍛え抜かれた隆々とした腹筋を露にし、磨き上げられた鞣し革の脚絆が、その豪傑さをたたえているようだった。
第6班のメンバー達が、感嘆するように二人の英雄を眺めながら、しかしてその実力を見極めんと目を見張る。鬼の手招きで、火蓋は切って落とされた。
「---おう、かかってきな」
大地を一蹴り、進次が外套を翻し、物の「一瞬」でディビッドに飛び掛かる。速度にして、瞬間加速100㎞。
ディビッドはこの太刀筋を決して見逃さず、左腕の手甲で難なく防御。加えて、受け止めた左腕一本をそのまま振り切り、進次の身体を30メートル彼方へと弾き返す。
これが、ミトスの変身した力。肉体に纏った魂が身体能力は飛躍的に上昇させ、まさに怪物じみた虚獣を屠る、超人と化す---!
「---くっ」
ダメージはない。だが訓練校ですらそうは味わわなかった強烈な弾き飛ばされる感覚に、僅かでも精神を揺るがせば、それは変身の解除、すなわち丸腰の矮小かつ貧弱な生身への回帰に繋がる。それこそが敗北。虚獣の格好の獲物、そして死へと繋がる。
精神を緩めず、追撃に確実に応じるために、体勢を崩さない着地を。進次は左半身の外套を振るい、弾かれた力を逃がし、同時に、
「てめっ……!」
すでに追撃のために大地を蹴っていたディビッドの視界を奪う。ディビッドの左腕は鋭く空を切りながら、今度は真白に世界を閉じられたディビッドが体勢を崩される。
(よし、安全に着地!ここから---)
進次が更に外套を翻し、その衣越しに佇むであろう鬼に一蹴を食らわせようと丹田から下の筋繊維全体に力を込める。が、しかし。
「えっ」
外套は翻らない。そこには、引き掴まれたような歪な皺が寄り、
「おぉらあ!」
瞬間進次を襲うのは先程と比にならない、暴力的なまでのG。進次の身体は、外套を釣糸に見立てた、一本釣りのように宙を舞い、そして。
「っぎ……!?」
グラウンドに、受け身を取る暇もなく叩き付けられた。
「勝負あり!」
身体の背面全体に走る熱のような痛みに浮かされながら、クリウスの声が聞こえた。瞬間、張り詰めた精神の糸が途切れたように鎧骨格たる実体化した魂が解れ、運動着姿に戻った進次が黒の空を仰ぐ。
わずかに頭も打ち付けた影響か、チカチカと白む星を見つめながら、一度深呼吸。
「よう、大丈夫か?」
やや不真面目に薄ら笑いながら視界を覗き込む焔と、クーラーボックスを携えたトーマとナターシャが、進次を助け起こす。
「ありがとうございます……。くそぉ、負けたのか……」
「大丈夫?はい、よく冷えた濡れタオルだよ。たんこぶ冷やして、はい」
ナターシャが進次の介抱をするように、両腕で頭を抱え込む。図らずもそれは、ナターシャの豊かな胸部に顔を埋める寸前の体勢になり。
「っっっ!?やります、自分でやりますから!はい!」
後頭部に回された濡れタオルを半ば奪い取りながら、座り込んだまま後退る。
わずかに薫ったコロンの芳香と、夏特有の汗の、それも嗅ぎ慣れない女性特有の甘酸っぱい匂いに赤面しながら、体育座りになり、どうにかその場をやり過ごす。ナターシャはきょとんとしながらトーマと焔を見上げ、ばつが悪そうな二人の視線に首をかしげていた。
「さて、今回はディビッドくんの勝利で終わったわけだが。どうかなディビッドくん。今手合わせした所感、天野くんを育成する気は起きたかな?」
第6班が再び一同に会し、クリウスが問いを投げる。ディビッドに注目が集まり、進次に至っては固唾を飲んでその答えを待っている。
「……正直言えば論外だ。初擊からその後の追撃に対する対処の浅はかさ、なにより、こいつ、まだ自分のミトス武装を使いこなせてすらいないだろう?」
その言葉は、辛辣でありながら正確に真実を突いていた。
確かに、進次は今日初めて蓮剣を振るった。それがディビッドに30メートルに渡り弾き飛ばされた、力足らずの太刀筋であり、確かに外套の一振りはディビッドの視界を奪ったが、それは同時に、進次自身もディビッドを見失ったことにほかならない。
加えて、その外套を利用され攻撃に転じられるなど、最悪以外のなにものでもない。論外、ああ、ディビッドの言葉は正しいと、進次は唇を噛み締める。
「見たところ、お前の戦法は我流だな?確かに自分の魂は究解しているらしいし、虚をつこうとするくらいには戦いもわかっちゃいるらしい。
虚獣相手ならそれで生けるところまで行けるだろうが、人間相手なら、それじゃ駄目だ。基本の型から、俺がみっちりしごいてやる」
その意外な返答に、誰もが顔を見合わせた。だって、誰もがその粗野な雰囲気、物言いから、進次を突き放すものとばかり思っていた。クリウスすら半分、そう覚悟していた。
「なんだお前ら、その顔は。進次があまりにあんまりだったんで、矯正するだけだ。文句あるか?」
進次たちは、心底意外そうな顔をしていたのだろう。ディビッドは苦虫を噛み潰したような---先程より、一種照れたような---顔をしながら、進次を睨む。
「よし。何はともあれ、これで交渉は成立した。天野くんも、ディビッドくんの技術をしっかり学ぶように。さあ、ここからは班としての訓練を始めよう---」
クリウスが仕切り直すなか、進次はディビッドの横顔をおずおずと見上げる。
(実は、いい人、なのかな)
ディビッドの鎖が、天を突く金の一角が、夜光を反射しキラリと光る。
半信半疑の思いはそう簡単に消えてはくれないものの、なにか、進次の思った人物像とは違った、不確かな頼もしさが、そこにあった気がした。
【ランスロット探偵事務所 プロジェクトSoT:中間進捗】
2013/7/24(Wed)
午前7時30分、澤館市・龍凪湖対岸O市第三波止場より、 ■■■■■■■の射光を龍凪湖湖底中心部へと照射。午前9時30分、同じくO市第二波止場より龍凪湖湖底中心部へと照射。
本日の照射を以て、龍凪湖・澤館第一波止場から開始された■■■■■■■の射光は、6ヶ所に及んだ。
残すところはあと5ヶ所。
対立派からの妨害を最大限に警戒し、残る儀式に取り掛かりたい。
「---万が一、妨害が発生した場合、戦力がほしいな……さて、どうしたものか」