大島・ホワイトデーで悩む
フィクションです。登場する人物・団体・地名・施設等は全て架空の存在です。
実在する人物・団体・地名・施設等とは一切無関係です。
今日も速人がエンジンを触りに来た。理恵も付いて来た。
部品集めはボチボチと進んでいる。頼んでいた部品の内、
ギヤの到着が遅れている。ギヤが無いとミッションが組めない。
部品待ちの時間で使う部品を洗浄・点検すると言っている。
クラッチ板の交換やシフトセレクタやその他の部品の掃除をするだけだ。
「なぁ、理恵は誰かにバレンタインチョコを渡したんか?」
「ん~?渡してないけど何で~」
「ホワイトデーに欲しい物って何やろなぁ」
「食べ物?」
駄目だ。理恵は参考にならない。こいつは色気より食い気だ。
「速人は誰かにお返しする予定は無いんか?」
「僕は地味なんで…貰ってないです」
若い者の意見を聞きたかったのに、こいつらは当てにならない。
「おじさん、CM90って知ってますか?」
「ウチは古いカブは入って来ん。塩カルで腐ってしまうしな」
CM90と言えば古い時代の90CCエンジンだったかな?OHVの頃?
「バイクや車好きで有名なタレントさんがレストアしてるんですって」
「その番組はおっさんも観たぞ。歌は興味ないけどバイクと車の所は見てる」
「スーパーカブも値上がりするんですかねぇ」
「そうなると困るな…プレミア価格でカブを売らんならん」
バイクがドラマに出たり、有名人が紹介したりするとミーハーな人が欲しがって
仕入れ価格に影響する。そうなると売値が高くても儲けにならない。
「理恵ちゃんがそのタレントさんの本買いましたよ」
「理恵、ちょっと見せてくれるか」
「いいよ。はい」
ただ単に塗装をしたり部品を付けたりするわけでは無い。ポートや燃焼室は
ピカピカに磨いてあるし、バルブも換えてさらに形も加工してある。
部品交換に留まらない改造だ。きちんとチューニングをしている。
「外国製バイクのチューナーが古いカブのエンジンを触るんか」
名の知れたチューナーさんらしい。OHVエンジンが得意な人だとか。
「ポート研磨の説明が良いな。パクらせて貰おう」
そんな事を言っているうちに速人は作業を終えた。理恵の宿題も終わったらしい。
「おじさん。もしかして、リツコ先生からチョコ貰ったんですか?」
「うん。貰った」
「うわぁ~重っ!」
理恵の言う通り、30歳の独身女性からチョコを貰うのは重い。
例えるならリッター180㎞の燃費を誇るカブ50SDXのフライホイール位重い。
「ホワイトデーに大人の女性が欲しがるもんって何や?」
「リボンをつけて『わ・た・し♡』は?」
何を言いやがるこのお猿。俺にそれをやれってか?
「理恵やったらリヤボックスに入れて持って帰れるけど、リツコさんは無理やな」
「あれはどうですか、おじさんが作ってた指輪」
残念ながらそれはもう渡してある。試作品だが。
「で、おじさんは何を修理してるんですか?」
「ホッパー125や。やっとこさ立つとこまで出来た」
「おじさんでも苦戦中ですか?」
「ちょっと苦戦中や。情報が無いんや」
情報も部品も無いバイクは整備で一苦労する。
春どころか夏に完成できるかどうか微妙だ。
出来ればホッパー125のサービスマニュアルが欲しい所だ。
もっとも、オークションでそんな物を見たことが無いけどな。
「リツコさんにもサービスマニュアルが有ったらな…」
◆ ◆ ◆
2人が帰った後は店を閉めて夕食の準備だ。
「思いつかん。味噌汁と野菜炒めと…う~ん。ガッツリ食いたいな」
ガッツリとしたもの…リツコさんは肉が好きだから肉気の物が良い。
「親子丼…久しぶりに親子丼が喰いたいな」
食べたい物を夕食に出来るのが作るものの特権だ。
リツコさんは何でも美味しそうに食べるが、ご飯に合うおかずが好きらしい。
『ご飯に合うおかずは酒にも合うのよ』と常に言っている。
味噌汁と野菜炒めを作ってから出汁で鶏肉と玉ねぎを炊いておく。
仕上げの卵はリツコさんが帰って来てからだ。ネギも刻んでおく。
そうこうしているうちに玄関から声が聞こえる。
「ただいま~。中さ~ん、晩御飯はな~に」
「親子丼やで。お風呂にする?ご飯にする?それともお酒?」
「ご飯!お腹空いた!」
リツコさんが着替えている間に親子丼を仕上げる。
親子鍋にあらかじめ炊いておいた鶏肉と出し汁を入れて一煮立ち。
卵を流し込んで蓋をして半熟にする。丼によそったご飯に乗せて葱をパラリ。
その間に着替え終ったリツコさんが味噌汁をよそって用意してくれている。
「はい、親子丼できあがり」
「いただきま~す♪」
「いただきます」
急に思いついて作ったけど美味い。やっぱり米が咽喉を通る感覚は
生きてる・食事をしているって気分になる。
「ねぇ、中さん」
「何?」
「考え事してるでしょ?何かお悩み?」
(ホワイトデーに何が欲しいか知りたい。聞いてみようかな)
「リツコさん、欲しい物有る?」
「ホワイトデー?うん、あるよ」
「高い物?用意するから教えて欲しいな」
何を欲しいのだろう。アクセサリー?お酒?ご飯?たまには外食も良いな。
「ん~、教えな~い」
「困ったな。じゃあ、俺が決めても文句言わんな?」
「大丈夫よ。すぐに用意できるからね」
いつものニシシ笑いだ。この顔をする時はよからぬことを考えている。
(用意するのは俺なんやけどな…)