磯部・実家の借り手が決まる
フィクションです。登場する人物・団体・地名・施設等は全て架空の存在です。
実在する人物・団体・地名・施設等とは一切無関係です。
冷たい風が吹く中、大島サイクルに一台のミニバンが止まった。
「こんにちは」
「あら、三矢社長いらっしゃい」
「大島さん。頼まれていた物件、決まりましたよ」
リツコさんがウチに下宿して以来、空き家になっている彼女の実家に借り手が決まったそうで、電話で済ませても良い所をわざわざ来てくれたのだ。細々な事は直接リツコさんと話さなければいけないそうだ。
「大島さんが連れてた子が奈緒子さんの娘さんとは思いませんでした」
リツコさんのお母さんは三矢社長と歳が近い。何歳か社長の方が歳上で
ご近所でもあるから顔見知りだそうな。
「リツコさんのお母さんってどんな人ですか?」
「いつまでも変わらない若さでしたね。40歳頃からしか知りませんが…」
リツコさんが若く見えるのは遺伝だな。彼女はとても若く見える。
「近所の方によると30代の頃から変わっていないそうです」
魔女やん…
「で、借主はあの兄妹?バイクに乗りたいって言ってた女の子で…」
「ええ、今津さんです。お兄さんはこっちで就職。麗ちゃんは高嶋高校を受けます」
お兄さんは就職で確実にこちらへ来るから良いとして、妹さんはまだ高校に受かっていない。それなのに付いてくるとは無鉄砲なのか楽観的なのか。
「高校に受からんかったらどうするつもりかな?」
「大丈夫ですよ。膳所高校を蹴って来るくらいですから」
膳所高校と言えば有名な進学校だ。
「なんかもったいないな。膳所やったらエリートまっしぐらやのに」
◆ ◆ ◆ ◆
今日の晩御飯はハヤシライス。リツコさんはおねだりをする。時にはフルメイクで色っぽく、スッピンで子供みたいにダダをこねたり薄化粧で可愛らしく迫ってきたりする。猫みたいにニャアニャアと甘えてくる事も…纏わりつかれるとオッパイが…対処法?…解らん!
流されるままに要求を呑んだ結果がその日の夕食になる。今日もそうだ。
デミグラスソースで煮込んだ牛肉玉ねぎタップリのハヤシライス。
実は…あまり作ったことが無い。カレーと違って次の日に食べても味が変わらないから飽きてしまうのだ。残ったらうどんやパスタにかけて食べる手もあるけど味は一緒。しかもそれなりの量を造らないといけないので冷凍保存するにも億劫になって滅多に作らない。
「中さんっ♡今日はハヤシライスが食べたいゾ☆」
なんて言われたら作るしかない。俺は何なのだ?リツコさんのお父さんか?
『早矢仕ライス』とか言ってモンキーの部品をご飯に…いまいちやな。
飯としても洒落としても美味しくない。
店と台所を行き来しているうちに日が暮れる。
本日はこれで営業終了。コンプレッサーのエアーを落として店を閉める。
湿度が高いせいかドレンからの水が多い。
◆ ◆ ◆
「ハヤシライスだ!やったね♪」
帰るなり風呂へ入ったリツコさん。流れる様な動きで冷蔵庫を開けてビールを呑む。
風呂上りだからスッピン。高校生にしか見えない女の子が酒を呑んでいる。
「今日、三矢社長が来たで。借り手が決まったって」
「もしかしてあの子たち?そう。良かった良かった」
「社長から聞いたけど、リツコさんのお母さんもそんな感じ?」
「そんな感じって何?」
何と言えば良いのだろう。どう表現して良いのか解らないが…
「ずっと若々しい感じ?写真とかあるの?」
「在るよ。部屋にあるから後で見せてあげる」
家事を終えて寝ようとしたらリツコさんがアルバムを持って居間に来た。
「アルバム出て来たよ。見る?」
「見せて貰おうかな。どれどれ」
炬燵に座り直すとリツコさんは俺の前に座った。
対面では無くてお腹の前。胡坐をかいた脚の上だ。子供か。
「おいおい、何処に座ってんの」
「?」
艶やかな黒髪からシャンプーのいい匂いがする。
驚いた事にリツコさんは高校生ぐらいから外見が殆ど変わっていない。
スッピンの顔は高校生の頃のままで現在に至る感じだ。
下手すると垢抜けた分、若返ったようにも見える。
「高校から大学にかけて変わらんよね。あ、大学卒業で前のメイクになってる」
「教育実習でからかわれたのよ。童顔で『先生に見えない』って」
「こっちがお母さん?お姉さんじゃなくって?」
「そう言えば、母さんも昔と変わらないわね」
変わらないと言われたが、リツコさんが赤ちゃんの頃から全然変わっていない。
少なくとも卒業袴姿のリツコさんの横に写っている所までは変化が見えない。
「若い頃は大人メイク。30過ぎたら若魅せメイクがコツだって」
リツコさんの話では、それをすると20~40代は殆ど変わらず過ごせるとか。
おお…女って化粧で化けるって本当や…怖い怖い
「で、リツコさんはこの前まで大人メイクだった訳か?」
「今でもフォーマルな場はあのメイクで行くよ」
「若さの秘訣は?ご飯…は最近になってからやな。遺伝?」
「そうみたい。母の家系は若く見える女が多いのよ」
「お父さんは普通だったんだけどね」
「ほう…」
リツコさんを抱っこするお父さん。笑い顔がそっくりだ。
「笑うと良く似てるんやな。毎年玄関で記念撮影か…」
途中までは5人で写っていた家族写真。最初にお祖父さんが。
次はお父さんが居なくなった。磯部家の男は短命らしい。
暫くお婆さん・お母さん・リツコさんの3人の写真が続く。
「ここでお祖母ちゃんが亡くなって、お母さんと二人で撮ってたんだけどね」
「お母さん…歳取らんね」
そのお母さんも写真から消えた。
「ここでお母さんが再婚。それから私は一人ぼっち…」
ゼファーに跨るリツコさんを最後にアルバムの写真は途絶えている。
インフルエンザで寝込んだ時、彼女は『一人にしないで』と泣いた。
ずっと一人で暮らして寂しかったのだろう。
「もう一人は嫌なの。寂しいのは嫌」
「そうやな。1人なんか嫌やな。ずっとウチに居たら良い」
◆ ◆ ◆
「『ずっとウチに居たら良い』…か」
抱きしめられて耳元で囁かれた一言が頭の中で響き続ける。
動悸が止まらない。布団を頭からかぶって無理にでも寝ようとするが眠れない。
今まで寄ってきた男どもは獲物を狙うような目で自分を見て来た。
酔い潰して良からぬことをしてやろうと寄って来た輩もいた。
なのに酔いつぶれた自分を介抱して、一緒に寝ても手を出したりせず
自分の事を慈しむ様な優しい目で見る。
そんな中に心惹かれたリツコだが、アタックしても落とせそうな気配が無い。
にもかかわらず『ずっと一緒に居たら良い』とは何なのだ。
(ずっと一緒に居たら良い…だったら、ホワイトデーにお願い…聞いてくれるかな)
悶々としたリツコが眠ったのは明け方だった。
「あれ?リツコさん、今日は大人メイク?」
「そうよ。誰かさんのおかげでね」
「調子悪い?お弁当はオムライスにしたけど…重かったかな?」
「オムライス?中はチキンライス?バターライス?」
今日のリツコは眼の下のクマを隠すために大人メイクをした。
中には一目で見破られたが眠い。体が重い。
「チキンライス。リツコさん、好物やろ?」
「うん!」
リツコは寝不足だったが少しだけ元気が出た。
中に作ってもらったお弁当を鞄に入れて、リツコの一日が始まる…
※抱きしめた訳でも囁いた訳でもないです(大島)