椛島さん・オイル交換
フィクションです。登場する人物・団体・地名・施設等は全て架空の存在です。
実在する人物・団体・地名・施設等とは一切無関係です。
寒いが雪さえ積もっていなければ近場のバイク移動は出来る安曇河町。
先日納めたお手軽2種登録のカブに乗って椛島さんが現れた。
「こんにちは~オイル交換に来ました~」
「いらっしゃい。調子は良さそうやね」
ちょっと待っててなと工場へカブを入れてオイルを抜く。
エンジンは温まっているのでオイルは滑らかに流れ出す。給油口を開けると
オイルの勢いは増し、トレイにはまだ使えそうなオイルが流れ出した。
「金属粉もほとんど出てないし、音も静かになりつつある。気になる所はあるかな?」
「特に無かです。これで充分」
キーはOFFのままで何回か空キックすると少しオイルが出る。
ドレンを締めて新油を入れる。何回かキックしてからオイルゲージを見る。
オイル差しで微調整して丁度良いオイル量にする。
コーヒーを出して少し世間話。椛島さんは九州から来たそうで、滋賀に寒さが身に染みるそうだ。
「この前、お買い物に出かけたらバラバラとBB弾みたいなのが降ってきて驚きました」
「ああ、この前のアラレが降った時やな。バイクやと痛いやろ?」
九州は温暖だからアラレを見る事は少ないのだろう。
「急にボコボコ当たってパニックになって。職場で聞いたらアラレだよって」
「なるほどなぁ。南から来たら驚くやろうけど、今年はマシやで」
「え?これで?」
「おととしから去年にかけてなんか大雪やったから。地元の者が音を上げたで」
「夏に下見に来た時は良い所だな~って思ったんですけどね」
「夏は良いけど冬は中途半端でつまらん町やからね」
昔は雪景色で楽しめたのだが、温暖化の影響か近頃はベチャベチャとした雪質で
足元は悪いわ、市内のスキー場も雪質が悪くアイスバーンだらけだわで
全然楽しくない。
「夜は店がすぐ閉まる。おしゃれなカフェも無い、雇用も無いでろくなことが無いでしょ?
そんな街な訳よ。まぁ住めば都って言うから。安曇河やと呑気で気楽やから」
椛島さんの表情が曇る。何か辛い事でもあるのだろうか?
「安曇河の人は良か人が多かですけどね。今都のお客さんが怖かです
怒鳴ってきたり殴りかかってきたり。もう滅茶苦茶しよっとです」
ウチみたいな『今都お断り』なんて言ってる店と違って椛島さんの職場は
大変らしい。今都の人間を相手するくらいなら猫に芸を教える方が楽だろう。
「バイクの修理以外に溜まるもんが在ったらおいで。コーヒーくらいは出すから」
「はい。またお願いします」
椛島さんが帰った後は再び中古車を整備する。
相変わらず古めのスクーターが多い。それでもメットインの無い時代の
スクーターは入って来ない。古くてもせいぜい20年落ちくらいだろうか。
(昔のスクーターの方が造りが良かったりするんやけど…)
造りが良いと言っても20年もすると整備代が掛かり過ぎて商品にならない。
仕入れ値は安いか無料なんて事は有るが、販売価格も安い。
整備や部品代に手間が掛かるとペイ出来ない。
分解してパーツ取りにしたり、修理が趣味の人様にレストアベースの
現状販売で売るか迷う物が半分くらいある。
椛島さんのカブに使ったピストンのメーカーは、他車のオーバーサイズピストンも
供給していたので何種類か買っておいた。シリンダーボーリングと組み合わせて
格安の2種スクーターを作っておく。春には売れるだろう。
女の子はカブのギヤチェンジでも嫌がる子がいる。
アクセルを捻るだけで走るスクーターを求める子が多い。
そこへ2種登録という付加価値を付けて売り出すと古い物でも売れるのだ。
これはリツコさんのアイデアだ。女の子の考えは女の子が知ってるって訳だ。
スクーターで困るのはカウルの爪が折れたり割れる事。これは補修材で直す。
先代の頃では考えられない便利な商品が在って助かる。
暗くなって来たので今日は店を閉める。
次は風呂と夕食の支度。おから入りハンバーグにサラダ、お味噌汁と煮物を少々。
用意をしているとリツコさんが帰って来た。
「ただいま~」
「お帰り。ご飯にする?お風呂?それともお酒?」
「ご飯!お腹空いちゃった~」
ハンバーグを温めている間にリツコさんは日本酒をグラスに注ぐ。
煮物を摘みながら晩酌を始める。
「あれ?リツコさん、指輪してるの?」
「ああ、これ?男避け。化粧を変えたらモテちゃってね~」
左手の薬指に鈍く輝くのはクリスマスに売り出していたペアリングの試作品だ。
マフラーと同じ材質のリングが何ともライダーらしい。
「モテてるなら相手も選び放題なのに?」
「前にも言ったでしょ?狙ってる男は居るのよ」
リツコさんは変わった。初めて店に来た時も美人だったけど、雰囲気はきつかった。
化粧や雰囲気に尖った部分は無くなり、服装もお嬢さんっぽい可愛らしい格好が増えてきた。
モテて来たから余裕があるのだろう。美人は特だと思う。
「それにね、迫られると怖いのよ。目をギラつかせて来られると怖いの」
「美人は大変やな」
男は狩人。どうしても獲物を狙おうとすると目の色が変わる…多分、俺もそうだ。
「化粧を元に戻すとか、服装も元に戻すとかする方が良いんかな?」
「中さんは、この格好は嫌い?」
正直な話、タイプだ。
「ストレートのど真ん中ではないけど手が出そうなコースやな」
「手は出ないの?出しても良いよ。その代わり…責任は取ってね♡」
ウインクしながら答えるリツコさんは冗談抜きで綺麗だと思う。
(いっその事手を出して…なんてな)
◆ ◆ ◆
夕食の時に中さんに言ったけど、最近の私はモテていると思う。
それはどうでも良い。気になるのは時々変な視線を感じる事だ。
中さんが好みの格好ならこのままで行きたいけど、最近感じる視線が怖い。
つけられている気がする。ストーカーかな?晶ちゃんに相談した方が良いのかな…