52ccボアアップキット
フィクションです。登場する人物・団体・地名・施設等は全て架空の存在です。
実在する人物・団体・地名・施設等とは一切無関係です。
「まいど~!お届け物で~す」
「おおきに。ご苦労さんです」
宅配便の兄ちゃんから箱を受け取って中身を確認する。
「ふむ…1㎜オーバーサイズピストンキットとボーリング済みシリンダーやな」
早速、リングの合口隙間とピストンクリアランスを確認。
(どちらも基準値内に収まってる。仕上がりもキレイや。良い物やな)
念の為、ピストンキット納品書のコピーとシリンダーボアの石刷りを取っておく。
自治体によっては改造をした事の照明となる物が必要な所があるそうだ。
まぁ、高嶋市では必要ないと思うけど。
今回はエンジンの改造と言うよりも分解・点検・清掃がメインだ。
各部のオイルシールやガスケット・Oリング・パッキンは新品に交換。
オイルポンプやキャブレターは50ノーマルのままで組んで行く。
今回のオーダーはなるべく安くで2種登録をする事だからこれで良い。
約5%の排気量アップ。『だから何なのよ?』って言われても仕方が無い。
だけどこれは合法的に2種登録するための手段だ。
カキン…カキン…カキン…
トルクレンチの音が作業場に響く。
「メカニックの技術は最初の修業で決まる。どれほどの熱意を持って整備を学ぶか
どれほど上手い整備士の技術を見るか。川の水が流れる様に基本技術を反復し、
美しくバイクを組み立てる。それが理想の整備。そして、一番大事なのは
どんなに酷いバイクでも決して見捨てない事。俺の大事な師匠が教えてくれた」
うむ。上手に長台詞を言えた。今度誰かが来たら整備しながら言ってみよう。
昨年末に見たドラマの台詞をパクった文章はなかなか感動的だ。
ちなみに、俺の師匠である大石のオヤジは
『在り得る全てを予想して部品を揃えてたら倉庫が破裂するか通帳が空になる。
ある程度は予想して、開けてしっかり見てから段取りするんや』って言ってた。
組んだエンジンを車体に収める。エンジン本体は2本のボルトで取り付けできる。
オイルを入れてからキャブレター・配線・燃料ホースを取り付けて空キック。
暫くキックを繰り返してオイルを行き渡らせる。
タペットキャップを外してヘッドまでオイルが巡っていることを確認後
プラグコードを繋いでキーを音にしてエンジン始動。
「…!かからん?何でや?」
キャブは清掃済み、火花は出てる。圧縮も問題無い…あ、燃料コックが開いていない。
コックを開けてキャブへ燃料を流している間、しばし休憩。
「うむ。失敗した」
ドラマや小説の様にはいかないらしい。
コーヒーを飲んでから再び始動を試みる。今度は数回のキックで成功した。
たった3㏄では排気音が大きくなった感じはしない。暫く回してみたが
エンジンはオーバーヒートをする様子も無く順調に回っている。
何回かアクセルを開け閉めしてみても特に異常もない。至って普通のカブ50だ。
(プラグの焼け具合も悪くない。このまま走らせてみよう)
カチャコン…ポロロ…カチャン…ポロロロロ…カチャン…ポロロロロロロロ…
(クラッチの繋がり良し、エンジン異音なし)
近所をクルリと一回り。特に異音は無いがパワーも無い。
(3㏄では違いが解らんな。調子は良いけど…)
パワーは無いけどピストンとシリンダー以外は全部ノーマル部品で無交換だ。
費用が掛からずに理不尽な二段階右折や時速30㎞縛りから解放されるのが良い。
まだエンジンの回り方は少し重いけど馴らしが終われば大丈夫だろう。
◆ ◆ ◆
「ふ~ん。年末に調べてたピストンが来たんだ」
「うん。今日組んで走らせてみた」
中さんはバイクの事は嬉しそうに話す。この人はバイクが好きなのだ。
今日はご飯・味噌汁・肉野菜炒めと普通な夕食。
(一人暮らしの時はこれでもご馳走だったんだよね)
最近、感覚が麻痺しているのではないかと思う。帰れば暖かい部屋と
ご飯。お風呂やお酒が待っているなんて独り暮らしでは考えられない。
「まぁ3㏄くらいの変化なんて誤差の範囲やな。整備もしたから…」
この人はバイクの事ばかりだ。
(私の事もかまって欲しいな…)