速人の組んだエンジン
フィクションです。登場する人物・団体・地名・施設等は全て架空の存在です。
実在する人物・団体・地名・施設等とは一切無関係です。
「安井さんよ~オイルがダダ漏れやぞ~!」
「おう。もう限界や。仕事上がりに修理に出すわ~」
大島の友人であり、情報源でもある安井は軽い修理ぐらいなら自分でやる。
しかし、今回のオイル漏れは安井の手で何とかなる物ではなさそうだ。
クランクケースの間からのオイル漏れ。オーバーホールは必須だ。
ガレージに在る工具では直せそうにない。
「仕方が無い。あいつの所で何とかするか」
とはいえ、もう年末。今から修理に出して年内に間に合うだろうか。
「まぁ、何とかするやろう。あいつのこっちゃしな」
安井はカブのエンジン音を気にしながら大島サイクルへ向かった。
◆ ◆ ◆
「おお~い。大島君よ~」
「は~い。ちょっと待ってくださ~い」
店の奥から女性の声が聞こえた。
(お?大島君の彼女か?どんな女か・・・何と!)
「おじさんはお買い物に行ってます。もうすぐ戻ってくると思います」
出て来たのは大島では無くて、高校の制服着た少女だ。
(そうか、同棲相手の娘か・・・そんなもんやろうな)
「そうか、じゃあ待たせてもらおうかな」
目の前の少女は歳の頃なら17~18歳といったところだろう。
(と、なれば相手の年は大島君と似た歳ぐらいか)
「コーヒーいかがですか?」
「おう。貰おうかな?」
慣れない手つきでコーヒーを淹れる姿がなかなか愛らしい。
「お嬢さんは、大島君のお相手の娘さんかな?」
「はい。磯部ミサト、18歳です」
(ん?18歳にしては声が大人っぽいような)
「サバを読み過ぎちゃうけ?」
買い物袋を持った大島が安井の背後から現れた。
「いらっしゃい。えらいオイル漏れしてるみたいやけど、どうしたん?」
「オイル漏れやけど・・・お前・・・まさか高校生を・・・」
「磯部さん・・・なんちゅう格好してるの」
「私はミサトですぅ♡」
安井は何か誤解している様だが、制服を着ているのは化粧をしていないリツコである。
卒業生の伝手を辿って入手した現行の制服、これを着たリツコは
暇になると高嶋高校の生徒のふりをして店番・情報収集等をしている。
「この娘さんはウチに下宿してるだけ。言っとくけど30歳やからな」
「30・・・見えんな。少なくとも成年には見えんわ」
「ひど~い。私はミサト、18歳。高校3年生です~」
ポロポロポロ・・・トントントン・・プス
「おっちゃん、居る?・・・あれ?リツコ先生?」
「磯部先生ですよね?何やってるんですか?」
どうやら磯部の変装は、理恵と速人には通じない様だ。
「何故わかったの?」
「眼元の黒子でわかります」
「お化粧の匂いでわかるよ?」
◆ ◆ ◆
「カブのオイル漏れが酷うてな。修理に持って来たんやけんど・・・」
「どれどれ、ありゃまぁクランクケースの間からやな」
停めて30分もしないうちにアスファルトにオイルの染みが付いている。
「そうや。ここまで漏れると下が汚れてかなわん」
「ここだと全部分解ですよね」
「そうや。ガスケットを全部交換やな。リビルドに載せ替えよっか」
「走り込んでるわねぇ」
「くたびれてるねぇ」
女性二人の眼で見てもカブのくたびれっぷりは相当なものだ。
「距離も伸びてるし、買い替えたい所やけんど、愛着がある」
「となれば、修理やな。積み替えたら明後日にはできるで」
50のセル無し3速ならエンジンを下取りして工賃込みの2万5000円で出来る。
エンジンは組立調整済みが在るので直ぐに積み替えできる。
ところが、安井さんは何やら考えている様だ。
「せっかく積み替えするなら大きいのがエエな」
原付の納税額が変更され同じ額になった今、50のままではメリットが少なすぎる。
いっその事、原付2種に変更して30㎞/h制限・二段階右折から解放される方が
良いのではないかと安井は思ったのだ。
「それやったら75㏄で在庫が有るで。ギヤも3速4速どっちもある」
「そうやな・・・通勤とチョコ乗りくらいしか乗らんけど・・・」
この安井と言う男、なかなか癖が強い個性的な男である。
時折、大島が驚く様な突拍子の無い事を言い出したりする。
「クロスミッションは組めるか?純正の4速クロスミッション」
「クロスミッションな・・・」
エンジンのパワーを上手く引き出すためにギヤ比が近いミッション。
モンキーの1・2速を6V。3・4速に12Vのギヤを使うと出来るのだが。
「予算次第やけどモンキーの部品はこのところ中古でも高いんや。
予算オーバーやな。特殊な部品かモンキーの腰下が要るし、難しいわ」
「荷物は積まんから、もう少し1速で伸びが欲しいんや。
発進が忙しすぎるのは何とかならんか」
「残念やけど、1速がハイギヤのミッションが在庫切れなんや。」
「珍しいな。お前らしくない不手際やな」
大島がカブ90に組み込んでいるミッションは在庫が切れてしまった。
油断していたわけでは無いが、社外品は出ない時は出ない。
供給が不安定なのだ。
「注文してるし、今年中には入ってくるはずなんやけど」
「通勤と買いもんに使いたいしな・・・」
「90で4速を組んだ奴やったら1台在る。そっちはどう?」
「う~ん。90か。90は要らんなぁ」
安井の好みは良く回るエンジン。90は若干高回転が回らないと敬遠している。
「急ぐんやったら90のエンジンを分解してミッションを・・」
「それも無駄な話やな」
大島が困っている所へ速人が助け舟を出した。
「あの・・・僕の組んだエンジンを買いませんか?」
今日の速人は買い物でゃなく、組んで預けておいたエンジンを取りに来たのだった。
今のエンジンに不満がある訳では無く、オークションで手に入れたエンジンを
使い物にするために行ったリビルド。エンジンには社外ミッションが組んである。
「ん~どうしようかな。値段次第やな。大島君、このエンジンはどうや?」
どうやと言われると実走はしていないので返事に困る。
「悪くは無い。走ってないから保証は出来んけど、組み間違いは無いはずや」
「ミッションは1速がハイギヤになってるんで50のミッションより楽だと思います」
「でも速人、せっかく組んだのに良いんか?」
「エンジンはいつでも組めますから」
安井さんは腕を組んで考えている。
「値段次第やけど、いくらや?¥45000までやったら即金や」
ここからは俺は無関係。速人と安井さんで話を付けてもらう。
野郎3人がこんな話をしているのをよそに、磯部と理恵は化粧をしていた。
「眼元と口紅、チークをチョイチョイと弄って出来上がり」
「おっちゃん、どう?大人っぽい?」
驚くほど大人っぽくなった理恵が居た。磯部さんのメイクは凄い。
小猿みたいな理恵が見事な大人の顔になってる。
「これが大人の技。でも、若いんだから本当は素が良いのよ」
「そうやな。16歳には16歳の良さがあるからな」
「そう?」
「顔だけ大人でも体がな・・・」
「これからよ。あ、牛乳はオッパイには関係ないからね」
理恵がメイクを覚えるのはもう少し先の方が良いだろう。
「じゃ、エンジンを積みかえてその値段で」
「積み替えてしまいますか」
こちらは商談が成立したようだ。
エンジン積み替え工賃込みで¥45000。古いエンジン周りは工賃代わりに下取り。
工場の工具を使って速人がエンジン積み替えをやった。
「大島君、若い子にしてはしっかりと工具を使うてるやないか」
「若いって羨ましいな。何でもスポンジみたいに吸い込んで覚える」
作業は終わり、念の為チェックしたが異常なし。
「明日、ナンバーを黄色に変えてくるわ」
「お気を付けて」
安井さんは喜んで帰って行った。
速人が受け取った代金から部品代を受け取る。
交換部品に純正品では無い安値の部品を使っても利益は1万円を切る。
1週間かかって得るには寂しい金額だ。アルバイトの方が割りが良い。
「なぁ速人。油まみれになる割に儲からんやろ?」
「趣味ですから、楽しんで損をしなければそれで充分です」
「商売となれば、そうも言ってられんけどな」
「ところで、下取ったエンジンと余った部品なんですけど・・・」
この後、速人は余った部品と葛城さんのカブに載っていたエンジンの
使える部品を組み合わせて1台エンジンを作った。
オークションで売り出して小遣いにするらしい。
速人は、それを元手に儲けたり、失敗して大島に泣き付いたりするのだが
それはまた、別のお話。
「じゃあ、安井さんのエンジンはオッサンが買い取るわ」
工具・工場のレンタル料と消耗品の代金代わりにオイル塗れのエンジンは引き取った。
距離は走ってオイルは漏れているが、手を入れれば使えると思う。
今までやっていなかった方法で直してみようと思う。