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2.不公平

「そうそう、寺に行ったら俺たちは何をすればいいんでしたっけ」


 こういう時に切り替えが早いのは最年少の空也くうやだ。


「お前なあ……。話を聞いておけよ」


 さすがに空斗くうとの口調もきつくなった。仕事をきちんと勤め上げられないようでは禁兵とはいえない。まずは誰でも注意していればできること、人の話を聞くことくらいはできなくては困る。


「まあまあいいって。俺もちゃんと説明していなかったし」


 隼平しゅんぺいはようやく本物の笑顔を取り戻して語り出した。


「これは最初に言ったとおり極秘事項なんだ。だから絆の強い二人を選んだんだけど、今から行く寺には女の子が一人いて、彼女を守護することが君たちの役割なの」

「女の子? へえ、年はいくつですか」

「確か十六歳だったかな」

「わあ、俺の三つ下だ。よっしゃあ!」

「何がよっしゃあ、だ」

「えー、兄貴はうれしくないの? 女の子だよ、女の子!」

「ああ、一応言っておくけど」


 隼平には空也が興奮する理由が手に取るように分かる。このご時世、武官は世の女性からは恋愛対象として見られることはない。この国最強の近衛軍所属の武官ですらその悩みに苦しんでいるくらいなのだ。いわんや、禄の少ない警備団所属の武官は、だ。


「その子とは恋愛禁止だからね。そんなことしてたら守護どころじゃないでしょ」


 当然の指摘に、空也の頬がぷくっと膨らんだ。そうすると元から童顔の彼の顔は年齢以上に幼く見えた。


「ええー」

「口外しないでほしいんだけど、その子、実は枢密使すうみつしの一人娘なんだ」


 すると途端に空也の興奮の熱が冷めた。


「そっかあ。じゃあ無理だなあ」


 別に空也の発想に問題があるわけではない。すべての武官、そして軍政に関わるすべての文官の頂点にたつ枢密使の娘と、しがない一介の警備団の青年が恋などできるわけがないのだ。たとえいいなと思っても、その恋が実ることはありえない。それがこの時代の常識だった。自由恋愛が尊ばれる雰囲気は醸成しつつあるものの、それは政略結婚がまかり通る高位の家にまでは行き届いておらず、市井の者も、彼らとは縁などあるわけがないと捉えていた。結婚など論外だ。


 空也の様子に隼平はとたんに残念になり、そして悲しくなった。彼の上司である侑生ゆうせいは枢密副使であるから、よう珪己けいきと恋をする権利を有している。いや、この国でもっとも彼女にふさわしい男といえば、よう玄徳げんとくの右腕ともいえる侑生にほかならないだろう。ましてや珪己は武芸者であるという一風変わった少女なのだ。珪己の身分につり合い、かつ珪己の個性を尊重してくれる男など他にはいやしない。


 だが――。


 実は隼平は知っていた。


 昨夜、紫苑寺へ一人赴き桃林とうりんと話をつけ馬車に戻ったとき……車内で仁威じんいが珪己を抱きしめているのを目撃してしまったのである。巷で流しをやっている安っぽい馬車だからか、窓は立てつけが悪く、少し隙間が空いていた。その小さな幅から、灯り一つなく暗いというのに隼平は見てしまったのだ。こちらに背を向けて珪己を抱きしめる仁威の姿を――。


 仁威の背中一つで、隼平には彼の内面が手に取るように分かってしまった。盛り上がった筋肉や骨太な体躯は隠れ蓑だ。その体の奥、仁威の心は確かに声に出せない何かを叫んでいた。……そのように思えた。


 隼平はそのときのことをまだ仁威には話していない。仁威本人にも定義しきれていない感情の高ぶりのようだったし、昨夜の状況ではそういったことについて語るに適していなかった。だが、機会があれば一度訊ねてみる必要があるとも思っている。上司のためにも、自分のためにも――。


 隼平は気を取り直して説明を再開した。


「実はね、彼女はある人に狙われているんだ。それで寺に匿っているの。そいつがすぐに彼女の居場所を特定するようなことはないと思うし、この広い街で小さな寺に行きつくなんて不可能に近いと思っている。まあでも、念のために警備を増やしたくてね」

「増やす、ということは、すでにその任にあたっている方がいるのですよね」


 相変わらず聡いことを言う兄のほうの氾に、隼平は「そうだよ」とうなずいた。


「実はこれも他言無用なのだけど、近衛軍第一隊の隊長がそばにいてくれているんだ」

「ええっ」


 これに空也が元の喜色を取り戻した。


「俺、えん隊長に一度お目にかかりたいと思っていたんです! うわあ、感激だなあ。でもなぜ袁隊長ともあろうお方がそのような任に?」


 兄弟二人からの止まらぬ追及に、しかし常日頃似たような荒波にもまれている隼平は的確に答えていった。


「ごめん。それは秘密なんだ」


 こういうとき権力のある方は楽だ。言えない、ただその一言で何も言わなくて済むのだから。案の定、二人の顔には人が不可解な出来事に突き当たったときのなんともいえない色が浮かんだ。だがそれだけで済んだ。


「はあ。分かりました。でも袁隊長がいるなら安心ですね。俺たちは袁隊長が休息をとられるときの代替要員くらいなもんですよね」

「うん、そう。正直言うとそう。やっぱり一人だと無理があるからさあ。君たち二人には昼間彼女を守護してもらって、袁には夜の方を一人で担当してもらおうと思っている」


 昼間のほうが敵襲の恐れが少ないのは常道だ。そこにこの二人を配置して、年若い分、珪己の話し相手にでもなってもらえればと隼平は皮算用している。夜は仁威が少女の寝所の外から警備すればいい。そうすれば仁威には二度とあの少女に手を出す機会もきっかけも起こらないだろう。


(……こういうのって不公平かなあ)


 侑生の肩を持ち、仁威の恋を阻害して。


 確かに侑生とのほうが付き合いは長いし、上司であるし、氾兄弟の言うように弟のようにかわいがってもいる。初めて自覚した愛のために重傷を負った侑生を目の当たりにし、隼平はどうしても中立の立場で二人の恋路を見守ることができないでいる。


(理屈で考えるからだめなのかなあ。でも考えなしに動くのは良くないし、珪己ちゃんがいなくなったら侑生の奴、今度こそ立ち直れなくなりそうだしなあ……)


 鬱々と考えていたら、ぱっとひらめいた。


(そうだ。寺に行ったら珪己ちゃんに訊いてみよう。誰か好きな人はいるか、どんな人が好みか。結局はそれ次第だよな)


 やはり一方の恋心だけでは愛は成就しないのだ。


 だが、こんなことを考えている自分ののんきさにふと嫌気がさした。


(非常事態に俺は何を軽いことばかり考えているんだ。恋なんてどうでもいいじゃないか。今は俺に与えられた勤めをしっかりと果たすこと、これよりも大切なことなんてないのに)


 まだ恋をしたことのない隼平には、たとえ侑生の覚悟や仁威の言葉にできない想いを感じたとしても、恋の価値を理解することはできなかったのである。恋にも千差万別あり、それ一つで人の生き死にが決まるような、隼平が呉坊に抱いているような尊さがあることを――知らなかったのである。





「戻りましたー」


 寺に戻った隼平が戸を開けながら明るい声を放った。


「おじゃましまーす」


 氾兄弟とともに玄関で沓を脱いであがり、広間の方へと行く。


「桃林さーん、また新しい友達連れてきたよー」


 あの桃林にどこまで嘘が通じているのか定かではないが、氾兄弟もまた隼平の友達という設定でしばらく寺に滞在してもらうつもりでいる。


 が、そのような設定はこの一瞬で不要となった。


 広間には桃林がいて、イムルの従者に捕えられていた。仁威と珪己、二人の姿はない。桃林だけが捕えられている。


 イムルの従者だとすぐに分かったのは、その男とそばにいるもう一人の男、二人とも湖国民ではないからだ。背が高く鼻梁がやけにすうっととおっている。肌の色がやや濃い。青い瞳の年若い青年がいる。そしてその意に忠実に従う強者の男。これだけの条件がそろえば、隼平でなくても二人の正体は容易に推測できてしまう。


「な、なんでここに……」


 氾兄弟が腰に佩く長剣の柄に手を載せた。しかしそれ以上は動くことができない。突然の光景に、体だけでなく頭までも硬直してしまっている。

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