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6.何を採ればいいんだ

 侑生と隼平が屋敷を飛び出したところで、隣から同じく道場を飛び出してきた少年にあわや衝突しかけた。崩した体勢を整えて侑生がその少年を見ると、その少年もまた侑生の方を見ていた。そして二人で同時に合点がいった。


「……あなたは。この前道場に来た紫袍の方ですよね?」

「君は確か浩托くんだよね?」


 侑生がその名を知っているのは珪己のことを長年隠れて観察してきた結果なのだが、浩托は不信感を抱くことなく、逆にほっとした表情になった。


「はい、そうです」

「君、珪己殿を知らないか?」


 とたんに浩托の顔が曇った。


「ついてきてください!」


 手招きされ道場へと入り、そこで二人は今度こそ言葉を失った。特に隼平の目には、老人と子供が昏倒している姿は衝撃が大きかった。武を司る枢密院で働いているとはいえ、文官である隼平が戦闘の跡を見ることなどめったにない。


 かたや侑生は元武官であるし八年前の事変を経験している。また、根が単純な隼平に比べて、侑生は場を冷静に観察する方法を知っている。だからその驚きは隼平ほどではなかった。それでも、自分が敬愛する楊家ゆかりの道場で、知り合いの老人、それに子供までもが被害者として倒れているのを見れば動揺しないわけにはいかなかった。


 しばらく呆然としてしまった二人に浩托がそろそろと声をかけてきた。


「ガキ達は気絶しているだけで、師匠も怪我はひどいですが命には別条はなさそうです。俺、ちょうどお医者を呼んでこようとしていたところで……」


 そこで浩托が懐からそれを取り出した。


「……あの、これを袁さんという方から預かりました。俺のこと助けてくれて……。さっきまでいたんですけど、枢密院の官吏の方に渡してくれと言って出ていきました。お願いしてもいいですか?」


 それを見るや、侑生が奪うように取り上げた。ためらうことなく油紙を開き、紅玉を認め、そして文を一気に読み始める。


 その止まらぬ動作に浩托があわてた。


「あの、それは枢密院の方に渡してもらいたいんです」


 それを隼平が制した。


「大丈夫。俺ら枢密院の官吏だから。この人はこう見えて枢密副使」


 それを聞き、浩托は一瞬落ち着きを取り戻した。だがすぐに興奮し出した。


「だったら……だったら俺の話を聞いてください!」


 切れ長の瞳を最大限に見開いて文から視線を離すことなく、侑生が口を開いた。


「だいたいは分かる」

「……え?」


 侑生がその顔をようやく上げ、そして浩托を見た。


「ここに異国人が乱入して古亥殿と闘った。そうだな?」

「は、はい」

「その異国人は芯国の者で、一人、瞳の青い男がいただろう」

「そう、そうです! そうなんです! って、なんで知ってるんですか?」


 その問いに答えることなく、侑生は道場の中をあらためて見回すと、また浩托のほうにその視線をやった。


「珪己殿は?」


 その名に浩托は怒りを思い出した。


「珪己は奴らに連れて行かれた!」


 さらに語ろうとする浩托を侑生が遮った。


「袁がどこに行ったかは分かるか」

「そ、それは……」


 口ごもる浩托に、侑生は鋭い視線を投げかけた。


「いいから言うんだ。袁に口止めされているんだろうが、私は袁よりも上位の者。そして私は珪己殿だけではなく袁のことも救いたいと思っている。だから言うんだ」


 侑生の瞳には、ただ追及しようとする厳しさだけではなく、確かに誠実さが見えた。だから浩托も少しのためらいだけですぐに口を開いた。


「袁さんは芯国の大使館へ行きました。そこに珪己がいるはずなんです。でも一緒にいたもう一人の人が、それはすごく危険だって止めて……。でも袁さんは、行かなくては珪己を助けることはできないって! 結局二人は大使館へと行きましたけど、その文と紅玉、あとこれも残して……」


 浩托が開いた手のひらの中から黒玉があらわれた。それは礼部の官吏であることの証だ。


 侑生にはそのもう一人の人物、礼部の官吏の正体が誰かまでは分からなかった。だがその人物が仁威を道の分からない大使館へと導いているのであろうことは推測できた。であれば、その人物は芯国または青い目の副官に何かしら関係するはずだ。


 腕を組み、侑生が思案する顔になった。


 すると、それまで黙っていた隼平が声をかけた。


「どうする? まずは宮城に知らせに行くか? 俺はこの件は楊枢密使に指示を仰いだ方がいいように思うぞ」


 その最も正しい提案に、しかし侑生は反応することなく思案を続けている。


「おいおい、何を迷うことがある。楊枢密使は珪己ちゃんの父親だし、さらった相手は芯国の重臣なんだぞ」


 すると、浩托がはっとした顔をした。


「青い目のその男のこと、もう一人の人が王子だって言ってました」

「……王子? それは本当か?」

「そう言ってました。王子だって言ってました!」

「……おい侑生、これは本格的にやばいんじゃないのか」


 そう言って侑生の肩を掴んだ隼平は、その肩が幾分震えていることに気づいた。見ただけでは分からない程度の震え、しかし触れれば確かに感じる――。反射的に侑生の顔を見ると、普段からは想像もつかないような険しい顔をしていた。


 今、侑生の中では激しい葛藤が起こっていた。


(珪己殿を連れていったのが芯国の王子だと……?)


(仁威は王子だという男と対峙するために大使館へと行った。あそこはこの国の人間の誰も手を出すことができない不可侵の領域であるというのに……)


(いや、仁威と共にいるという礼部の人間はそういったことをすべてを知っているはずだ。仁威に危険だと忠告しているのだから……。ということはその礼部の人間はこの件を事前に知っていた可能性がある)


(仁威は忠告をものともせず珪己殿を助けに向かった。辞表と紅玉を残して。……それは己の地位を、命を捨てる覚悟があるということだ。あいつはそういう男だ)


(玄徳様にこの件を伝えるということは、この件を公のものにするということだ。だが玄徳様の力があれば芯国の王子に勝つことができるのか?)


(……いや、合理的に考えてもその勝算は低い。国同士の交渉となれば、そこでは道理よりも法に重きをおかれる。王子は我らを大使館内に入れることを許さず、その結果珪己殿は永久に奪われてしまうだろう)


(ここで我らのみで行動するほうがよほどいいのではないか? このまま仁威に任せて大使館から珪己殿を救い出してもらえれば……)


(――いや。ここまで派手に暴れた王子がやすやすと珪己殿を返すわけがない。十中八九、仁威は武力に頼ることになるだろう。だが他国の大使館に侵入し王子を傷つければ、それだけで死罪は確実だ)


(王子には自信がある。だからこの浩托という少年一人を証人として残したのだ。古亥殿を倒し珪己殿を連れ去ったことを隠す気などさらさらないし、逆に「自分がしたことだから黙認せよ」と暗にこの国の者に命じているかのようだ)


 そのあまりの不遜な思考に、想像しただけで侑生の双眸が鋭くなった。


 だが思案することは止めない。今が誰にとってもひどく重大な岐路なのだ。だから考えることをやめてはいけない。考えることこそ、侑生が今すべきことである。この局面を打破できる最強の刃は、深い思案によって導かれる策なのである。


(珪己殿を助けるためにはどうすればよいか、それは分かる。だがそのためには仁威の命を差し出す必要がある)


(だが官吏としては玄徳様に伝えるべきだ。……そして、珪己殿を失い、仁威には武官を辞するという未来を受け入れさせるしかないのだ)


 隼平にその肩を掴まれていることにも気づかず、やがて侑生は何度も同じことばかりを考え続けていた。真剣なその横顔に、隼平もまた問い直すことができない。


(何を採ればいいんだ?)


(愛か正義か? 珪己殿か仁威か? 玄徳様か?)


(……命はどこまで優先すべきことなんだ?)

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