第三夜 屋敷と声
電車を降り、雑草やら苔やらが蔓延る駅のホームに降り立った。
視線を右に左に走らせ肩に掛けたナップザックを握りしめる。
改札がホームのすぐ横にあり、チカチカと点滅している。
後ろから降りてきた三人の攻撃的な視線を背に感じながら、改札に向かう。
持っていた切符を改札に押し込み、通過する。
駅を出ると『此処しか通れません』とこれ見よがしに主張する、有刺鉄線のフェンスが小道を挟んでがっしりと立っていた。
小道は坂道を上がったその向こうにまで続いていて先が見えない。
有刺鉄線の前に立ち、ナップザックの中から筆箱を取り出し、鋏を中から出す。
「ちょ! お前何やってんの!?」
鋏を構え、『さあ』となった所をミルクティーに手首を掴まれ阻まれた。
ミルクティーは驚きに目を見開き若干汗ばんでいることから相当焦ったのだろう。
ペッと手を振り解き、逆に手首を掴み返して鋏を持っている方の手でナップザックを掴み、フェンスから数歩下がる。
そしてナップザックとミルクティーの手首を離し、鋏を思いっきりフェンスに投げつけた。
突如、バチっと音をたてて有刺鉄線と鋏の間に電流が流れたのが見えた。
「......高圧電流が流れてるな」
これは前に進むしか無さそうだ。
フェンスの向こうに落ちてしまった鋏は放置して、ナップザックを背負い直す。
呆然とその様子を眺めていたミルクティーと二人の女子は未だに石像のように固まっていた。
ちょっと間抜けで面白いのでそのまま放置。僕は知らない。
空は曇天に表情を変え、遠くの方で雷が威嚇するように唸っている。
......急ぐか。一雨来そうだ。
ダッと駆け出し、小道を進む。
後ろで焦った声と慌ただしい足音が聞こえ、僕の後をちゃんと追っていることを確認する。
坂道を駆け上がり、天辺に着くと眼下に見える光景に声が消えた。
「はっ、はっ、......これっ、て...屋敷?」
息も途切れ途切れに声を漏らすポニーテールを横目で見る。
屋敷。
藍色の屋根は上品な装飾を施され、壁は雪の様に白く汚れがない。
屋敷の両側には綺麗に切り揃えられた庭が見え隠れしており、奥には噴水も見えた。
何処をどう見ても立派な屋敷だ。
......分かり切ってることだが恐ろしく怪しい。
「露骨過ぎる......」
怪しい以外の感想が、この状況とこの屋敷を見て出るものなのか、火を見るより明らかだ。
しかし入るしか無いのだろう。
そうしなければ進めない。止まったまま程面白くないことは無い。
息を吐き、屋敷に足を向ける。
一歩、また一歩。と歩みを進め、やがて豪華だが何処か威圧的な両開きの扉の前に立った。
深い青色と紫色が混ざった夜の様な色の扉に手を掛け、押し開けた。
ギィー、と不気味な音が響き渡り、真っ暗闇の室内に外の僅かな光が写される。
他の三人も僕に倣って屋敷内に入ってきた。
途端、派手な音をたてて扉が閉まった。
まずい。このパターンは......!
助走をつけて思いっ切り扉を蹴り付けたが、扉は無情にも微動だにしなかった。
「閉じ込められた......!」
扉を拳で殴り、歯軋りする。
こんなのホラー脱出ゲームの定番じゃないか......! 分かり切った罠に掛かっちまった。
どうする......? 脱出のヒントを探すか?
突然、何かのザザッとという雑音が耳を掠めた。
『やあ、ようこそ。『HOME』へ。歓迎しよう我が子らよ』
異様に低い声で流れてきた声に、目を見開き上を仰ぎ目を凝らす。
声の出処は何処だ......?
『やや手荒な招待になってしまい、申し訳がない。しかし、これは君達の為でもある。
私は『Master』。君達をこの世のありとあらゆる物から保護する者だ。
今日から君達はこの屋敷に住んでもらう。
異論は認められない』
淡々と紡がれていく言葉に冷や汗が垂れてきた。
まずい。これは確実に法律に触れるもの。
下手をしたらーーー
最悪な展開が頭を掠め、拳に力が入る。
ヤバイ。これは確実にヤバイ。この声は紛れも無く犯罪をなんとも思わない感情欠落者の声だ。
『ーーさて、木枯要君。君は確かお母さんは刑務所だったね? 君のお母さんは何をしたのか......知っているかい?』
声が僕の名前を貫いて体が金縛りの様に動かなくなった。
長らく呼ばれなかった自分の名前と、母親の事を言われ喉が干上がった。
「僕......の、かあさん......?」
絞り出した声は意味を成さない様な言葉で、瞠仕様も無く情けなかった。
脳裏に母親の顔が浮かび、そして消えて行った。
かあさんは、確か......?
『そう。君のお母さんは“麻薬中毒者”だったんだよね?
そして君はまるでいないかの様に扱われた。
哀れな子だね。愛して貰えなくて......』
かあさんが浮かんで、消えて、ぐちゃぐちゃになってバラバラになって
頭がぐるぐる回って、廻って、段々視界が狭くなってきた。
そして僕の視界は黒に塗り潰され、思考も分解されて黒い汚泥に呑み込まれた。